(二)魔導バイク
入国所からやや歩いた場所に、公共航路の駅舎はあった。主要の交通手段なだけあって、魔鉱客車の発着する駅は想像を絶する人の多さで混雑している。それは覗き見た構内だけにとどまらず、駅舎前の広場でさえも同じようなありさまだった。黒影は入り口すぐのところにある案内板とソウを盾に、切符を買いに行ったナギを待っていたが、ここに立ってまだ数分ていどにも関わらず、ひっきりなしに行きかう人の気配に早くも辟易としはじめていた。
「虚の中で浮かぶ大地は通称〈島〉と呼ばれ、各島は〈魔鉱航路〉と呼ばれる七色の中空線路でつながれています……だってさ」
ソウが手もとの冊子を閉じ、こちらへ寄越す。受け取ってみれば、なじみのある字面が並んでいる。案内板に備え付けられた棚には同じような冊子ばかり並んでいるとは思ったが、どうやらそれぞれに言語がちがうらしかった。
はらはらとめくってみると、さきほどゴンドラで流れていた映像の静止画がいくつも起用されている。いつもなら字面を軽く追っていくところだが、今日ばかりは静止画をまず確認した。だがそこに自分が求めている情報はない。
(さっきのは、なんだ……?)
黒影は記憶を思い起こすように口をひき結んだ。映像を観ていたときに、なにか懐かしい声が聴こえたような気がしたからだ。だが、おかしなことにそれがどんなものだったのか……思考に残る気配を思いだそうとしても、白色と無辺の星空がひるがえるだけで、それこそ、自分は白昼夢でも見ていたのではないかと正気を疑ってしまう。だからこそ、こうして冊子の静止画でも見れば、少なからずこの引っかかりの正体を知れるのではないかと思ったが、これもむだな期待にすぎなかった。
黒影は落胆ととも頁を戻し、最初からざっと把握していく。
――白から隔絶された夢の遊覧都市ドリミアル。それを構成するのは、虚にたゆたう瘴気から飛び石のように突きだした〈島〉と呼ばれる大地だという。これらをつなぐ主要の公共交通が〈魔鉱航路〉とその上をすべる客車だ。観光客はこれによって各島を探訪。住民たちは通勤や通学などに利用し、衣服や食料などの必要物資も輸送されているらしい。
情報は魔鉱通信機によって独自にやりとりされ、自動客車の主だった制御や交通整理なども専用の機構によっておこなわれている。
これらを統括している機関こそ〈中央制御塔〉と呼ばれるドリミアルのシンボルタワーだ。黒光りする塔を囲むようにして大きな円筒形の駅舎があり、そこにめいめいの〈魔鉱航路〉が集約。物資も人も止まることなく流れてゆくようすが明快かつ生き生きとおさめられている。
紙面でこうも豊かな色彩が写されているドリミアルの印刷技術には、本大陸のどの国もおよばないだろう。〈魔鉱航路〉にしろ、広場でチカチカとうるさい広告映像にしろ、このドリミアルという場所はあまりに特異だ。
(……わずらわしい)
音さえも質量となって踊るようなこの街は、どこもかしこも色に侵されている。ちかちか、きらきらと光が明滅する。次々と色が咲きひらくのだから、目をひらいていても閉じていても、どうせ変わらない。
黒影がふたたびついたため息は、賑やかな街の足音の流れに呑まれて消えてしまった。駅舎の門に吸いこまれてゆく人々は、さながら魚群だ。ソウと並ぶのはまったく不本意だが、こうして案内板とこの男でも盾にして立っていなければ、その流れは無遠慮に肩へぶつかり、彼らは髪を踏んだことにも気づかず一心に泳いでいく。とくべつ自分の髪を愛したことはないが、それらは不快極まりない。髪をひとまとめに流しながら、視線を遠い空へ投げる。……嗚呼、空もわずらわしいのが、ドリミアルという街か。
なめらかな光の帯――〈魔鉱航路〉の上を悠々とすべる客車の前照灯がビカビカと光った。上空から駅舎へ下り、やがてまるごと呑みこまれてしまう。大食らいの駅舎は、分刻みで下ってくる客車を次々とかきこんだ。かと思えば、どっと門から人があふれ出す。中空の移動から解放された人が波のようにはき出され、それらはせわしなく散っていった。
人の興味がそこかしこに氾濫し、漫然とした視線がうろつく。息をまぜた空気が熱っぽい風になって流れ、なめした革の黒光りが地面をおびただしく叩きまわる。淑女の髪がゆれれば、花の香りを濃密にしたような匂いが鼻をつく。紳士が気さくな声をあげれば、髭に染みついたような煙草の残り香が寄ってくるようだ。
腕を組んだまま、黒影は指先をトントンと何度か打ったが、自分のしぐさでさえ気に障り、すぐにやめてしまった。
ほん、と音が浮きあがる。ハープよりも固い音色だった。魔鉱式パネルから不意に出たものだった。その映像広告は、道沿いにつらなって、おなじ形のものがいくつも並んで、おなじ映像を流している。とりわけ大きいものといえば、駅舎の門にうめこまれた――黒影のはるか頭上にある、超大型の魔鉱式パネルだ。その背景できこえてくるのは駅舎内を案内する合成音声で、いくつかの言語が用意されているらしく、奇怪な音の羅列を幾重にも流していた。
「ナギはまだか」
会話をしたいわけではないが、苛立ちが口からついて出た。
「まだ見えないね。切符を買ってくるって言ってたけど……」
黒影よりもこぶしひとつぶんほど背丈の高い彼は、それとなく周囲を観察している。
たいていの人間ならこういう場所に残されれば、緊張や不安で身をこわばらせたり、目の前のものめずらしい景色に心奪われたりするものだ。
彼はいつも初めての場所に来ると、まず観察と確認を意識的におこなう。それは、いままでの街でも同様であり、すれちがう人間、街のつくりや道のようす、店のならび。とりわけ、宿泊施設では、出入りしている人間や宿泊客の雰囲気に、衛生環境、提供されるもてなしの料理、個室から出口までの順路や窓の位置……室内のクローゼットの中身や四隅、はては寝台の下まで確認し、また記憶していた。それこそ、宿泊した階の扉の枚数でも訊ねれば、およそ正確に答えが返ってくるだろう。
いまこの場でも、ソウはまったく同じだった。地元の人間、外部の人間のようす。それぞれの視線のちがいや、興味の先まで仔細にとらえている。かと思えば、一か所ばかりを注視しているわけでもなく、人の流れといった大きなようすから、空気の変化までをも読みとっているらしかった。
毎度のことながらよくもまぁ平気で――、否。黒影はすぐに否定した。だから、この男は疲れているのだろう。良くも悪くも見すぎているし、考えすぎている。その警戒心の高さはみあげたものだが、毎日毎秒、そんなことを続けていてもつわけがない。すでに限界を超えていることにも気づかずに、いや、そんな自分を見ようともしていない。だからこの男はあれほど徹底的で在れるのだろうし、そして正常な判断を見誤って無為に生きることを諦めたりする。
彼が他者と良好な関係を保とうと努めながらも、他の誰をも心の内へ入れることを一切許さず、労力を費やしつづける異常さ。――まったく頭が悪い。もはや気狂いの部類だ。もちろん悪い意味で。
黒影はため息にもならないような小さな息を、またこぼした。他人の精神にさほど興味はない。むろん、ナギのように、すこしでも心労をかるくしてやろうなどという慈愛に満ちた献身的な行動原理などもちあわせていないのだから、この男をどうにかしてやろうという気もない。ようは、ただ殺しあいができればそれでかまわない。
だが、
だからこそ、それより先に死なれてはこまる。
生きていてもらわねばこの旅路が無意味に帰してしまう。
(まったく、なんて面倒な)
黒影がそういった理由で頭を抱えていたのは、ソウが本心をうまく隠してしまうことにもあった。多く、人間は、好きな味や好みのものに自然と興味がそそがれ、それに応じて身体や感情に大きな変化があらわれるものだが、ソウはそれが人よりも見えにくい。
たとえば、ナギが店先で服を試着したときに感想を求めると「色が華やかですてきだね」「ゆったりしていて、ナギさんの雰囲気によく合ってると思う」としばしば、らしい褒め言葉をならべる。提供された料理についても、それらしいことを言うだけで、ソウの口から「好き」だの「嫌い」だのという言葉は、出たためしがない――ような、気がした。
だからこそ、好きなものを与えれば多少なりとも元気が出るだろう――これは決して、喜ばせようという意図ではない――などという安直な作戦すら実行しえないわけだ。ナギといくらか話しあいを重ね分析してみたものの、ソウの〈嫌い〉がいくらかわかっただけで、とりわけ役立ちそうな収穫はなく。
ほかにも、いつも青色を選んでいるから、その色が好きかとナギが訊ねてみたこともあったが、単純に、よく着てるからそうしているだけで、考えるのが面倒だからという、実ににべもない理由で、聞いた瞬間、間髪入れずに大きな舌打ちを返してしまった。――ああ、むだに頭が痛い。
「黒影は、どこか行ってみたいところある?」
おもむろに、ソウが街をながめながら言った。
「……博物館が興味深い」
「じゃあ〈小指の城〉だね」
「キサマはなにかないのか」
「どこも楽しそうで迷っちゃうな」
ソウはこまったようにほほ笑んでみせた。――ほら、またこれだ。
答えをあいまいにして、相手に選択をゆだねる。こうやって、彼はいつも自分を見せようとしない。
「キサマの返事は聞きあきた」
「飽きたっていわれても――……あ、」
そのときだった。
ふと、ソウの上体がほんのわずかだけ、前のめりに傾いだ。それは、なんのひょうしか人の波が途切れた瞬間だった。黒影は、うすく片目をあけて、その気配を追った。――ナギでも戻ってきたのだろうか。しかし、ふわふわとした亜麻色の綿毛も、かろやかで丈夫な旅装束も、あたりには見あたらない。
「あれって、」
とつぜん、彼はあっと駆けだした。
(なにごとだ)
睨み、警戒する。基本的に状況を見てから動く男だ。よほどのことがないかぎり、直情的に動くなどあるわけが――、
「ねぇ見て! これぜんぶ魔導バイクだよ」
くるりと半身を返すように、両手を広げたソウ。青く澄んだ瞳に、ドリミアルの色彩がつぎつぎと星のようにきらめき、鮮やかな色をまばゆく咲かせた。たちならんだ魔導バイクのあいだを幼い少年のように駆けぬけて、高い声をあげる。
「――……は?」
黒影は眉根を寄せた。たしかに、広場では無数の魔導バイクがならんでいる。すぐ近くには《特別展示》の表記があり、どうやら博物館から特別に持ちだされ、この場で展示されているらしかった。おそらく、十年に一度の霧晴に合わせた催しだろう。
それこそ、案内には魔幽大陸の言葉で、
《ドリミアル博物館の最上階、世界最古の飛行型魔導バイク展示》
《テラスに飲食スペース完備、パレードを見ながら、十年に一度きりのロマンティックな夜を満喫》
などとつづられている。
「もう、なんでじっとしてるの」
ソウはかるい足どりで戻ってくると、ぱっと黒影の手をとった。
「ほらこっち来て」
「おい」
「君も見たほうがいいよ」
「待てこら、なんなんだいきなり」
「ね、すごいでしょ?」
だからなにがだ。黒影は顔をしかめた。ソウはまるで話を聞いていないどころか、関心は魔導バイクへ一心にそそがれている。わざわざ連れてきておいて、まるで無視とは、いい度胸をしている。
(なんなんだこの男は)
黒影は腕を組んで、上半身を揺らした。首をかしげる。そんなに興奮して、いったい魔導バイクがなんだというのだろう。魔導術式を利用しただけの古い機械だろうに。
「俺が学生の時に触ったやつとは形がちがうや。魔鉱式のものとちがって、魔導式は年代ものになるし……こっちは魔幽大陸独特のデザインなのかな。ああでも、魔導術式で制御する基本的な構造はやっぱり変わらないみたい。刻印の入りかたもちがうな……魔鉱石の種類がいくつかあるのは、運転する人間を限定しないようにしているのかな。あ、これもしかして浮遊できるやつじゃ……やっぱりそうだ!」
なにを言っているのか、興味ももてないが……しかたなくとなりへならぶと、ソウはぱっと顔を上げた。
「な――……」
思わず、わずかに身をひいてしまう。なんて顔をしている。まるでおさない子どもではないか。頬はうれた果実のように赤く染まり、いつもキレイなカタチばかり浮かべるくちもとはほころんでいる。横髪がすこし乱れたことも気にとめず、無邪気に笑う彼は爛々と瞳を輝かせながら、魔導バイクのひとつをゆびさした。
「ほら、黒影。ここの部品がみえる? この円の軸を中心に、旋回して、上部の魔導刻印と、こっちの刻印がつながると、ここにおさめられている翅のような部品――デルタ翼っていうんだけどね、強度があって超音速機用の翼型として利点が多いんだ。後継機では、この翼もなくなってしまうんだけどね。
で、これが展開すると――ってあれ? これはもしかして魔導バイクの初期型かな。わぁぁ、めずらしいなこれ。初期型って、どこもなかなか置いてないんだよ。ほとんど残ってないし、しかも構造上、乗りこなすのがすごく難しいからプロでも制限されてて。
運転には魔導技術機運転資格っていうのが必要でね。そのなかでも、ほんの一握りのゴールドって呼ばれるランクの人しか乗っちゃいけないんだ。たとえば、魔狩でいうランクAくらいって言えば、想像つくかな? あ、そういえば、黒影は魔鉱バイク隊の飛行訓練は見たことある? あれめちゃくちゃかっこよくて――」
「ふ、く……ははははは!」
「え、なに」
ソウはあっけにとられたように、目をしばたかせた。この男は、普段あれほど冷静で理知的で、物事の理非を慎重に見極める人情の欠片もないような人間のくせに、こういうことで、実に子どもらしくはしゃぐと、そんなことがありえるというのか。
「ふふ、はははっ、キサマ、そういう……ふふ、そんなふうに、ずいぶん可愛らしい……ふふ、いやおどろいた」
思わず腹をかかえてしまう。声をあげて笑ったのは久方ぶりで、おかげで頬が痛い。まったくどうしてくれる。こんなことで大笑いするとは思わなんだ。
「キサマは魔導バイクが好きなのか」
目じりをぬぐいながら訊ねると、ソウはそこでようやく我に返ったらしく、唇をひきむすんで、気まずそうに視線をおよがせた。
「魔導バイクが好きっていうか……ただ、構造を知るのが楽しいだけで、」
すこしずつ、声がちいさくなっていく。
「機械とか、そういうのがどう機能してるのかな、って気になる、だろ」
ふてくされたような声でまごつくソウは、本当に小さな男子のようだ。色味の変化に乏しい頬がいっそう赤くなって、耳元まで熱が広がったらしい。薄桃の色が、今度は真っ赤な林檎へ変わったようだ。――ああ、なんともいじらしい。
「そういうものごとを、好きと言うのではないのか」
「……んだよ、そんなに笑わなくてもいいだろ」
「いやすまない。キサマの好きなものごとを侮辱したわけではなく。あまりにも、可愛らしくはしゃぐものだから、つい微笑ましく思えて……ふふ、ふはっ」
「まぁ別にいいけどさぁ……」
どこか釈然としないようすでソウは立ちあがった。
「けど、ちょっと意外。君もそんなふうに笑うんだね」
「なんだ、不躾に」
目はしを枯れた指先でまたぬぐって、黒影はふぅと一息ついた。笑いすぎて息がつらい。殺しあうまえに、危うく笑い死ぬところだった。
「ワタシとて面白ければ笑う。キサマのほうがよほど意外だ」
「なんだよ、それ。どういう意味」
ソウは腕を組むなり、ややぶすくれたようすで、眉根をよせている。
「キサマが破顔するなど、想像もしなかった。いや良いものを見た。実に可愛らしい」
「可愛いって……何回もさぁ」
ソウは半眼になった。
「十六歳の女の子に言われるこっちの心境も考えてほしいんだけど」
そのさまがじつに面白くて、また大笑いを重ねると、ソウはいっそう眉根をよせた。やがて、その笑いもおちついたころに、ちょうどよくナギがもどってくる。駅の入り口にも姿が見えないからと、どうやら、入国所のほうにまで行っていたらしい。
「二人ともこんなところに、もう、かってにいなくなっちゃこまりますよぅ」
「ごめん、ナギさん」
ソウはもうしわけなさそうに謝った。――切り替えの早い男だ。さきほどの動揺など見る影もない。
「それで、切符は?」
「もちろん、ばっちりです!」
それまでぷりぷりと怒っていたナギは、うってかわって胸を張り、得意げに鼻を鳴らした。親指ほどの紙切れを、指のあいだに挟んで見せびらかし「これですよ」ともったいぶって笑う。しかし、こちらがなにかを言うまえに、ナギは我慢できなくなったらしく、
「これで、一週間。時間・距離に関係なく、乗り放題・移動し放題ですよ」
と言いはなった。
「回数券を買うよりも安いんだ。さすがナギさん」
「そうでしょうそうでしょう、ええ、もっと褒めてください」
胸を張るナギに、ソウはくすくすと笑いかえしている。
「では、さっそく移動しましょう」
鷹揚と足を踏みだし、ナギは駅舎の自動昇降機へ向かっていった。ソウがふりかえり、
「ほら、黒影も行こう」
となんら変哲もないようすで声をかけてくる。しかし、脳裏には、ついさきほど彼が見せた、あのなんとも無邪気な表情がよぎり――「ふふ」思わず、笑みをこぼしてしまう。
すると、とたんにソウは顔をしかめ、不服そうに
「いいかげん忘れてよ」
と言った。
「いや、あと一週間は笑ってやる」
ソウの肩を軽くたたいて、耳元でささやく。
「じつに可愛らしい。悪くない」
横を悠然と通りぬける。
「ナギ、〈小指の城〉の展望台で一杯飲むぞ」
「どうしたんですか? 黒影ちゃん、ご機嫌ですね」
「ほんの気まぐれにすぎん。しかし、これで美味い酒が飲めそうだ」
背後から、うなるような声が小さく聞こえてくる。――ああ、いじらしい。
くす、と口もとに笑みを浮かべて、黒影は昇降機へ足をかけた。




