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(八)荒野の虚

 飽和(ほうわ)する無彩色。

 いまではもうすっかり見慣れてしまって、情報の取捨選択もいくらかしやすくなり、陰影の形でなにかと見分けられるようになった。だが、森は陰影が複雑だからこそ、考えなしにただ歩けば道を見失ってしまう。道すがら、そんなことをソウがぼやくと、ナギは太陽のほかに、木々の枝ぶりを観察することをすすめた。いわく、陽光がよく当たる側のほうが、よく成長し、葉のつきがよく、また花があれば、花のひらきも早いのだと。たしかにその通りで、けれども言われるまで考えたこともなかった。

 その話題が終わらないうちに森を抜け、視界にはまた白。今度は水平を見渡すような山々の稜線と、その手前に広がる平野だった。平坦で広大。しかも見晴らしもよく向こうまで見えるせいで、見えるものがすぐ先にあるのか、それともずっと遠く、それこそ一日、一週間と歩いてもたどり着けるものではないのか、まるでわからない。下草は少なく枯れた大地のようだが、やはり白。砂利を踏んで、ソウは細く息をはいた。

 かつて規則正しくならんでいただろう枕木は、すでに朽ちている。その上に乗った硬鋼(こうこう)軌条(きじょう)は、沈黙を守りながら、いまなおその身を横たえ、幽遠と惑わす白の中で、ゆいいつ正しい道筋を示さんとしているようだった。

 白を裂くように伸びている地つづきの線路を踏んで、ソウは、ナギ、黒影とともに、向こうの丘を目指した。白とくすんだ灰色のまだらな丘のてっぺんに見られるのは、細目の白い紙に水彩の筆をやわらかくすべらせたような、あわい色みの建造物だ。

「わ、」

 地面の隆起に足をとられて、ソウはつまずいた。じゅうぶんに気をつけて歩いていたはずだが、注意が散漫になってしまっていたのだろうか。つま先にぼろりと乗った砂の粒をはらって、ソウは――目を見ひらいた。乾いた風が地面の白を巻き上げて、視界を鈍く濁らせる。

「――……白亜化した、遺体」

 つまづいたひょうしに、片腕がくずれたその白色は、かろうじて人間の造形を保っているだけの遺体(モノ)だった。

「最近のものではないな」

 黒影がすげなく一瞥(いちべつ)する。

「新しいものであれば、このように崩れたりなどしない。目立った外傷がないところをみると、瘴気症で野垂れ死んだのだろう」

 ドク、と心臓が嫌に脈打つ。指先に触れた砂が、ざらり。手のひらにこすれて、擦り潰れて、さらりと風に舞って、どこかへ。

 一面の、白。

「――……」

 熱せられた蒸気がたちのぼって、水平線を歪ませる。ねじれた白が、この道を歩いていった人々の背中にみえる。それらは足を引きずり、あるいはうつむき、救いを求めるように手をのばし、やがて伏せて、沈黙する。人としてあったはずの肌の色も、その内側を流れる血の色さえも、なめらかな白亜の蝋へ変わり、陽光にさらされたまま死に絶え、風化して、乾いて、ひび割れ、ぼろぼろと崩れて――。

 ぷつぷつと地肌にはりついた砂をはらうこともできないまま、ソウは白を見つめていた。その間、父の白だけを思いだしていた。

「ソウくん、大丈夫ですか?」

「ああ、うん。大丈夫。問題ないよ」

 ソウは、はっとして、おもむろに立ちあがった。白い砂をはらって、遠く見すえる。

「ここは瘴素濃度が高いので、すこし急ぎましょう」

 ナギの言葉にうなずいて、ソウはまた歩き始めた。

 足もとの白を、とくべつ気にも留めずに踏み潰しながら、黒影は変わらず進んでいく。


 一時間ほど歩いたところで、ソウは丘の上の建物を見上げ――そして、それがのぞむ眼下の大きなくぼみに、目を瞠った。一見半球状にも見える大地の大穴は、渦を巻くような窪地(くぼち)で、その中心部にはぽっかりと(うろ)があいている。その幽遠とした底なしの穴を満たしているのが、まさに瘴素の濃霧だった。そして、それに浮かぶ島のように、もしくは、とび石のように、ドリミアルの建造物群があった。それらの上空には、めいめいの群れをつなぐように、光の帯が架け渡されている。

「あの光の帯は、魔導術式による公共航路。通称〈魔導航路(マナ・レール)〉と呼ばれ、ドリミアル内部の移動の要となっています」

 光の帯をたどっていくと、最後はひとつの尖塔にたどりつくように束ねられていく。つるりと光沢のある骨組みをらせん状に束ねた厳格な尖塔は、広大な空を垂直に割るようにして、深い(うろ)の底から、あらゆるものの中心とでも言うように、座していた。

「中央の尖塔がドリミアルの魔導術式の中枢――中央制御塔です」



***



 金細工のなだらかな曲線に、暮れの色がひらめいた。

(すごい……大きな鳥かごみたいだ)

 ゆったりと宙を舐めるように、ソウの目の前へ運ばれてきたのは、鉄製のロープに吊り下げられた壮麗なゴンドラだった。絢爛豪華ということに変わりはないが、その言葉の印象よりも、もっと淡く繊細で、上品だ。しかし、気どっているふうではなく、色とりどりの砂糖菓子を散りばめたような愛らしさがある。

 支柱の間は半透明のガラスをはめこんで密閉しているらしく、不思議な輝きを宿していた。ガラス板を通って足元に落ちた光は、あるときは夕暮れを写しとったような西日の色をしていて、また次の瞬間には初夏の丘陵地帯を想起させる萌黄色へ変わり、かと思えばモルガナイト――淡いピンク色の緑柱石――のような輝きを魅せる。

 ソウのとなりで、それを無関心に眺めていた黒影がふと、誰に聞かせるわけでもなく「遊色効果か」とつぶやいた。

「黒影も博識だね」ソウが感心をしめすと、黒影は「見たのは初めてだ」とだけ告げて、先に乗りこんだナギに続くようにゴンドラへ同乗する。ソウもまた、それに続いた。

 格子状の扉をくぐると、ドーム状の天井から甘い匂いが降ってくる。どうやら、いくつもぶら下がっている観葉植物が素因のようだ。おどろくことにその植物たちはどれも鉢ごと上下逆さまになっている。人の乗降でゴンドラが揺れても、土の一片すら落ちてこない。

(いったいどういうしくみなんだろう……)

 不思議に思いながら、ソウは光沢のある天鵞絨(ビロード)の座面へ腰かけた。

 添乗員が内鍵を閉め、深くお辞儀をした。どうやら副音声がついているらしく、添乗員の声とともにスピーカーから合成音声が響いてきた。


《この度は、遊覧都市ドリミアル行き架空索道(ロープウェー)をご利用いただき、誠にありがとうございます。到着までご一緒させていただきます、添乗員の――》


 明朗なアナウンスと共に、ゴンドラは遊覧都市へ向けてゆったりと下ってゆく。

 窓外に広がるのは、一帯の景色だ。


《あちらをご覧ください》


 手元の動きを追うように、西日の美しい茜色の空が見える。


《この美しい夕暮れは、この時間でしか見られない絶景です。そして、天へ向かって屹立している巨塔こそ、かの有名な魔導遺跡バリアブル》


 空の色を吸い込んだ巨塔は、荒野を越えた向こうで歴然と広大な白を統べている。以前よりもはっきりと見える巨塔を眺めると、その頂点が、やや不自然なかたちをしていることに気がついた。周辺にはいくらか朽ちたような構造物がある。

 子細なようすはわからなかったものの、おそらくあの巨塔は本来、もっと、ずっと高く空へ伸びていたのだろう。先ほど見たドリミアルの中央制御塔は、つるりと洗練された印象を受けたが、かの遺跡バリアブルは、(いにしえ)というにふさわしく、朽ちた風合いと歴史の重みを物語る重厚さに富んでいるように思えた。


《街の北東部には、美しきかの〈小指の城(イスタナ・ヒリ)〉。その昔、恋仲の二人が、結ばれない運命を嘆き、身を投げた悲恋の城で、いまや恋人たちに絶大な人気を誇る恋愛成就のスポットです。主塔のテラスで誓いを立てると、愛は運命をこえて永遠になるという伝説が、今日(こんにち)まで語りつがれています。城内は博物館として一般公開されており――……》


 アナウンスの途中で、となりに腰かけていたナギが、そっと声をひそめて話かけてきた。

「で、けっきょく。ソウくんは、恋人とかいないんですか?」

「いないよ」

「なら」

 ナギはひとつ間をおいて、にんまりと笑みをうかべた。

「遊べますね」

「またそういう」

 ソウもまた、声をひそめたまま、言葉を返した。

「好きだよね、ナギさん」

「それだけじゃないんですよ」

 ソウはわずかに眉根を寄せた。

「この話、まだ続く?」

「まぁまぁ」ナギはどうどう、とソウをなだめて、それから指先を口もとに。まるで無邪気に笑ってみせた。ここだけの話、そんな前置きをして、耳打ちする。

「ドリミアルの歓楽街は、界隈(かいわい)(ひそ)かに有名でして――世界の性癖を寄せ集めたアブナイお店なんかもあったりします。しかもそういうことを比較的安全に、そしてあとくされなく、楽しめますよ?」

「はいはい、楽しんできてね」

 ソウは耳元から囁きを遠ざけて、小さく息をついた。うって変わって、足を投げ出すように背もたれに体重をあずけ、口をとがらせたナギ。彼はぶらぶらと足先を振った。

「んもう、ソウくんは夢がないなぁ。美形なのに、もったいない」

「そりゃどうも」

 やがて、空の色がライラックの花の色に沈み、濃紺一色に染まる頃、ゴンドラは瘴気の海を渡り、世界から隔絶されるように、ぽっかりと口をあけた停留所へ入った。



――――――――


 これよりご入国いただきますは、遊覧都市ドリミアル。

 そこは白い世界から隔絶された、夢の世界。

 どうぞ泡沫(うたかた)の現実を忘れ、色鮮やかで刺激的な体験をお楽しみください。


――――――――

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