(五)どうせ死ぬなら
沙国 イグラーシャ遺跡。
かつてここは、天の翼を持つ者たちの国だったらしい。壁画に残された光景では、芳醇なワインを片手に果物を食み、踊りと歌を楽しんでいる。だがその翼はみな、一様に白い。
有識者が言っていた。魔導時代崩壊の発端となったのはイグラーシャだと。この絵画こそ、当時を紐解く鍵になるのではないか、なんて。
白は死の色であり、魔につらなるものの色だ。どこの子どももそう教えられる。
そして魔狩が相手にするのは、魔種と呼ばれる魔につらなる魔獣や妖魔――それらすべてだ。とうぜん、死はとなり合わせに存在する。
いつか、こんなときが来るんじゃないか、と思っていた。
けれど、それは思ったより突然だった。
***
「ここが最奥? なんにもないっすね」
トビがひょうし抜けだとでもいうように、目をまるくした。
そこは遺跡の最奥、がらんどうの聖堂だった。濃い獣の臭いが混ざった空間は、つい先ほどまでここにダイオウルフがいたことを示している。それはつまり、夜明けと同時に開始された魔獣の誘導作戦がうまくいったことを示していた。
建物の一部を細かく砕いたのだろうか。瓦礫が混ざった砂地の山には、ダイオウルフの真っ白な抜け毛がいくらか見られる。フンや餌のカスがないところを見ると、ここを寝床にしていたのだろう。大人の男が三人、寝転がっても、かなり余裕がありそうだ。
柱に残された爪痕を、ソウは一瞥した。類推するに、ずいぶん大きい。緊急招集が下されるわけだ。
おのおのが、すみからすみまで調査を進めるものの、特にこれといって有益な手掛かりは得られない。
「フンも餌のかすも、どれも最近のものばかり。以前からここにいたとは考えにくいね」
「けどよ、ほかに怪しいとこなんかなんもなかったぜ? ここになかったら、バカでかいダイオウルフはなんでこんなところを急に根城にできたんだよ」
トビの声に、ソウはわからないと首を横に振った。
そのときだ。
ほんの一瞬で事態が急変したことを理解するには、状況を紐解いていかなければいけなかった。なにが起こったかを知るより前に、目の前は瓦礫の山となり、昇り始めた陽の光がすべてを焼きつけるように降りそそいでいた。頬に叩きつける液体はしぶき雨のようでもあったが、戦場に立ったことのある人間なら誰でもそれとわかるように、凝視する必要もなかった。
ソウは冷ややかに目を細めた。
その場にあったのは混乱でもなんでもない。血に染められた呆然だ。
瓦礫の向こうでは、隊長が反射的に剣を抜きさっていたが、彼もまた、なにが起こったのかを理解してはいなかった。特殊部隊の魔狩は、誰もがろくになにもわからないまま、ただこの場に混乱をもたらしたそれを目にしたまま、立ち尽くしている。狂ったような雄叫びだった。瓦礫をめちゃくちゃに蹴りとばしながら、白色がとびおきる。大地が揺らぎ、砂ぼこりが轟とふきつけた。目がくらむほどの、白。荒々しい毛並みはどれも太く、針のように尖っている。片方の目は鋭い刀傷で潰され、鋭い歯がギラギラとならぶ顎まで血が滴っている。
魔獣の目が、陽光をさえぎるようにこの場を見下ろした。負傷しているとは信じられないほどの覇気だ。
(……思ったより、大きいな)
ソウはただ静かに、それと対峙した。想像していたよりずっと大きく、城塞の壁でも目の前にしている気分だ。剥きだしの牙のすきまから漏れる濡れた唸り声が、地面をふるわせ、肺を圧倒する。直感的に誰もが思ったはずだ。――人のちからでは、到底かなわない。だが、そんな相手でさえ立ち向かわなくてはならないのが魔狩という仕事であり、魔導武具を持つことを許された人間だ。
現状を一瞥する。すぐそばには、トビがいる。魔獣を挟んで向こう、隊長の後方ではこの隊で最年少の二人が腰を抜かし、さらにその奥に残りがいる、という状況だ。さいわい瓦礫にはまきこまれなかったらしい……が、恐怖にすくんですぐに動ける状態ではない、というのが見てとれた。
驚嘆したのは隊長だ。
「ダイオウルフ⁉ いまはほかの部隊が相手をしているはずではないのか!」
作戦では、そうだ。
本隊がダイオウルフを遺跡内からおびき出し、足止めをしながら、討伐にあたる。そのあいだに、ソウが所属する部隊は魔獣の出所をつきとめ、必要に応じて対処し、本部へと情報をもちかえる……。
「オオオオオォォォォォォオオオオオオオオオォッ!」
その場にいた誰もがとっさに耳をおさえた。頭が割れそうだ。
(……咆哮ひとつで、これか)
若い魔狩が地面を濡らすのを横目に、ソウは腰にぶらさげていた猫面に触れた。
恐怖に立ちすくめば死ぬ。
同じように、気をおかしくして無為に刃を振っても死ぬ。
魔狩の視線はあますことなく魔獣へ注がれていた。
ぬらりとみずみずしい獣の爪は、赤い。
(いったい、どれだけの魔狩を殺した?)
灼熱の陽光が頭上高く昇り、空気を歪ませる。その場に混乱が立ち戻り、前線の喧騒も近くにあることを悟った。
「た、退避!」
隊長の声が、裂けるように張りあげられた。
「退避しろ! この場は――」
言葉の先は、白色が穿った。遅れて、それが魔獣の尾だと理解がおよぶ。助けに入ることさえできなかったのは、まったく予備動作がなかったことに加え、それまで長い獣毛の下に隠されていたからだった。防具と筋肉の鎧に包まれた太い体躯から、鋭利な棘がいくつもとび出た。棘というにも、あまりに凶悪だった。押しだされるように、肉片が弾け、血がふきだす。
誰かが息を呑んだ。隊長の声に続く者はいない。声を出せば殺されるからだ。
(仮に胴体がつながっていたとしても、おそらく助からない)
わずかに身じろぎをしたとき、りん、と猫面が、小さく鳴いた。ソウはこれらの光景からけっして目をそらさず、背中へ手を回す。片刃曲刀の柄に指先を触れさせる。ピリ、とわずかな刺激が走った。
白は、死の色。
魔につらなるモノの色。
世界は、今、この瞬間。巨大な白い恐怖に支配されている。
(焼きはらうか……いや、ダメだ)
考えて、しかし指先をはなした。
いま魔導武具で雷撃を放てば魔種は倒せるかもしれないが、それはすなわち、この場にいる隊員すべてを殺すことになる。しずかに息を吐く。
〈魔狩は、人命救助をおこなう。より多くの人命を優先すること。このとき、個人の感情によって行動することは、多くの人命、ひいては人類の未来を失うと心得よ〉
ソウは心の中で、魔狩の行動指針を反芻した。
「トビ、君は動けるね?」
背中ごしに訊ねる。それ以上のことは口にしなかったが、この質問の意図を彼は理解してくれたにちがいない。ここから始まるのは撤退戦だ。しかし隊長がいなくなった現在、この次に隊を襲うのは激しい混乱と忘我だと予想できた。
向こうには、さきほどまでそこが前線だったのだろう陣形が展開しており、攻撃力の高い魔狩がそろえられているが、その魔導武具ひとつひとつが強力であるがゆえに、特殊部隊をまきこむ危険を考慮してすぐに手が出せない状況にある。
必要なのはすばやい撤退と、本隊による攻撃の再開だ。そのためには、退路を確保する必要がある。それができるのは、最前線になってしまった場に立ち、また魔獣の気を引きつけることの可能な魔導武具を持つ魔狩以外いない。
(消去法だな)
内心息をついた。どうやったって、自分がやらなければいけない。
魔獣の尾は、じゃまだとでも言いたげに隊長を振り捨てた。どうと砂ぼこりが舞う。転がったのは砂まみれの汚い肉塊だ。だらりと手足は投げうたれ、穴という穴からあふれ出した赤色は、泡をたてて砂地にすいこまれていく。表情はその瞬間をとどめたまま動くことがなく、彼にはもう、現在を見ることさえできない。
隊長は死んだ。まもなく、魔獣の白濁した瞳は次の獲物をとらえるだろう。血走った眼が、ぎょろりと蠢く。
――殺意の先が、さだまった。
警戒が張り詰めた、その瞬間。
「!」
風を切る音より速く、白い魔獣が赤い血しぶきを派手に散らして、吠えた。ソウは目を見ひらいた。気配なんてなかった。あったのは、直前。わずかな空気の揺らぎだけだ。なにが起こったのかを理解できたのは、その数瞬後。黒く長いなにかが、視界をかすめたときだった。
「っはははははははははははははははは!」
まるで咆哮のような、獣じみた笑い声。黒い刀身が、一瞬の緩みを経て、鋭く振りぬかれる。鮮血。ぶちまけられた赤色が、真っ白な、その人物の痩せこけた頬を汚す。
「あれは」
まさか、と思った。
近年、誰とも組まず、本部からの指令も無視して、ただひたすらに魔種を狩り尽くす孤高の魔狩がいる。その姿を見た者はおらず、名前も正体もわからない幻のランクS。知られているのは派手に積みあげられた討伐報告の山と、その通り名のみ。
――黒影。
戦いの前に見たあの姿は。
いま目の前に君臨する存在は。
まさにその呼び名を冠するにふさわしい。
刹那、魔獣の前肢に振りはらわれて、黒影の体躯は宙を舞った。ド、と鈍い音を立てて、砂ぼこりを派手に巻き起こしながら落ち転がる。
ソウはかけだした。叫んだのはトビだった。
「待て、むちゃだ!」
「ほかを頼む!」
振りはらわれる瞬間、黒影は驚異的な体の動きで受ける威力を最小限にとどめたことがソウにはわかった。これでも目はいいほうだ。
(きっと黒影はまだ戦える。なら……)
「ふふふ、はっはははははははははははは!」
ずるり。長く重い髪を引きずるように、ぬらりと立ちあがって、黒影は笑い声をあげた。劣勢であれほど楽しそうに声をあげる人間の気は知れないが、いまはそんなことを気にしている余裕はない。背中から、二振りの曲刀を抜きさる。冷めた声で、言い捨てる。
「魔導武具、起動」
瞬間、いっせいに細かな刺激が広がった。血が逆流するようにねじれ、泡がふきだすような不快感はいまだに慣れない。むしろ、この感覚はソウにとって好ましいものではなく、できるだけ使いたくないものだった。
総毛立つ身体と共に、世界はわずかにその光景を緩慢とさせる。向こうで、荒々しく尾が揺れた。その狙いは、黒影だ。
ふつうに走ったところで間に合うことはないが、魔導武具を起動させた、いまなら。
ソウはすべりこんだ。強烈な一撃を流すように打ち、軌道をはずす。細かな光が弾け、その軌跡をたどるようにきらめいた。
「まだ動ける? 援護する!」
「いらん!」
裂帛を孕んだ声とともに、ソウの背後から抜けて大太刀を振りかぶる。とびあがった黒影を追うように、その真っ黒な髪が伸びあがった。それは硬いつま先よりも、ずっと長い。黒影の尖った横顔は、笑っていた。
(信じられないな)
我流、だろうか。決まった型はなく、ひかえめに言って行儀が悪い。しかし、一見めちゃくちゃな戦いをしているように見えるものの、その太刀筋だけは洗練されたまさに命を狩るためのものだ。
黒影と魔獣の動きを追いながら、ソウは視界の向こうにトビをとらえた。彼は、若い魔狩を叱咤するように背中を叩く。若い魔狩は、ようやく立ちあがったが、その足は恐怖にふるえ、まともに走れたようすではなかった。走れ、とトビが怒鳴ったとき、動けずにいたほかの隊員らもようやく、弾かれたように逃げ始めた。
彼らが前線を離れるまでにはまだ時間がいる。これが安息とした日常なら、その時間はお茶を飲む間に過ぎてしまう短いものだが戦場でのこの時間は、あまりにも長すぎる。
ソウは黒影の横暴な立ちまわりにふりまわされながらも、ところどころで魔獣の攻撃を凌いだ。
「防御戦は得意じゃないんだけど、な!」
斬りあげて、攻撃を受けながす。
そもそも、魔種と人間がまともに戦おうなんて、どだい無理な話だ。人間は簡単に死ぬ。だから、魔狩は魔種とわたりあうために、こうして魔導武具を使う。
魔導武具は強力だ。戦争にもちこめば、たった一人でどれほどの命を奪えるだろう。上位の魔狩は、兵器といっても過言ではない。だからこそ、あつかう人間には資格と制約が与えられる。国家を脅かさないため、人類の存続を守るため、中立であり、模範的であり、等しく命を助けなければならない。
「はははははははっ!」
黒影が斬り、魔獣は砂埃を立てて盛大に転がった。が、
(最悪だ!)
その先を見て、ソウはかけだした。
撤退しようと移動をはじめたトビたちの目の前で、魔獣がゆらりと立ちあがる。トビは魔獣の攻撃をどうにかできるだろうか。いや、無理だ。彼には魔獣をうち倒せるほどの攻撃手段を持たない。これが魔獣でなく、ただの悪漢であったならどんなに良かっただろう。
トビの後ろには若い魔狩が二人で立ちすくんでいる。次の一撃で確実に三人殺られるのはまちがいない。彼ひとりならどうにか逃げられるだろう。しかし彼は護るべき仲間を見捨てるだろうか。――おそらく、ない。
命の危機に激昂する魔獣が、本能のままに殺意を向ける標的なんて、考えるまでもない。鋭い爪が地面を踏みしめて、強靭な前脚を振りあげ――、
「ああくそ!」
舌打ちをして、地面を擦るようにトビたちの前にすべりこむと同時に、三人をつきとばす。旋回する身体の動きに乗じて、諸手の片刃曲刀をまとめて魔獣の前肢につきたてた。自分なら間に合うと判断してしまったせいだ。
「ッあああああああ!」
トビたちをまきこまないよう雷撃を流しこんだが、さすがにこの一瞬では自分の安全を確保する時間はなかった。
「ソウ、お前!」
「行け!」
叫ぶ。気遣っている余裕がない。痛い。指先がちぎれそうだ。痺れて、身体中が激しく脈動する。
背後から気配がはなれて、いくばくか。ソウは魔獣に振りはらわれて地面を転がった。巨木に殴られた気分だ。防具なんていうのも、ただの一回でくずじゃないか。
遅れて、曲刀が地面に叩きつけられる。しかし、すぐに顔をあげる。視界が揺れるが、そんなことはどうだっていい。激痛に軋む腕でちからづくに上半身を起こす。まだだ。まだ、たりない。時間が必要だ。もうすこし。まだ、もうすこし。
(彼らが安全な場所に逃げられるまで)
息を吐きながら立ちあがる。壊れてじゃまになった防具を捨てる。奥歯を噛みしめて、ぐらついた足をとどめる。雷撃で自分すら焼いてしまったせいで、足がズタズタだ。痛い。本当に、どうしてこんな仕事をしているんだろう。ああくそ。こんなに痛い仕事なんて、そのうちやめてやる。冗談じゃない。
「黒影、退路を潰すな! アンタならそれができるだろうが!」
ソウは曲刀を拾いながら、魔獣に斬りかかった。
鋭い爪をかわして、黒影の背後に迫る尾の尖端をはらう。自分の曲刀では、豪胆な攻撃の軌道をそらすのが精々だ。
「うるさい指図するな! 弱いヤツは死ねばいい! ワタシの知ったことではない!」
「君もたいがい口が悪いな!」
視線をすべらせる。魔獣がなにかを吐きだした。生臭い飛沫が頬に触れる。じゅ、と熱く灼ける。ああ、また、痛い。酸だろうか。その液体は、大きくかたちをゆがめながら、二人をおおうように広がった。だが、黒影はそれをまるで見ていない。見えていないのではない。迫ると知りながら、なお足を踏みだし、大太刀を振りかぶっている。
(こいつ、死ぬつもりか?)
信じられない。
ソウはトビたちを見やった。小さくなった後ろ姿。それをむかえ、魔獣への攻撃再開を見極めんと待機する本体の魔狩たち。
酸とともに迫る鋭利な尾棘。
おかまいなくとびこむ黒影。
この場で逡巡する、自分。
優先すべきものは――。
「悪いけど、君をまきこむよ」
りん、と腰にぶらさげた猫の面が鳴る。乾いた音とともに、小さな光が細く舞った。
「魔導武具、起動」
父親は、魔狩だった。
世界を脅かす〈白〉色の魔種と戦う父の背を見て育ったソウは、幼少から自然と魔狩に必要な知識や技術をたくわえていくことになり、結果的にソウ自身もまた、魔狩となったのはごく自然な流れだった。
不幸は両親が早くに他界したことで、母が殺されたとき、弟はまだ六歳だった。
ソウは十八歳とすでに成人していて、また魔狩として手に職があった。
――ライを、お願い。
母が亡くなる前に残した言葉が、鈴の音とともに反響する。
「――雷撃」
ソウは、一帯を焼きはらった。
――……。
乾いた風が砂地をなぞってゆく。
ひりひりと焼かれているようだった。
ジリジリと、痛くて熱い。
熱い。
「っつぅ……」
頭痛がする。
全身がきしむ。
感覚が徐々にもどってくると、痛みがぶりかえした。正直、泣き叫んでやりたいところだ。しかしそれをしなかったのは、そんな余力もない満身創痍だったことに加え、誰かがいるな、と思ったからだ。気配は薄いが、誰かがいる。そしてそれは、自分を見下ろしている。
「ワタシまでまきこむとは、いい度胸だな」
真っ白な顔面の中で、落ちくぼんだ三白眼。なにも映していないような暗くよどんだ瞳からは、たしかな殺意がにじんでいる。痛いほどの陽光が、地面すれすれにぶら下がる大太刀の切っ先を鋭利に光らせた。歪む視界のなかで、ああ、いま刃をつきつけられているんだな、と他人事のように理解する。……けれどどうしてだろう。黒影は、雷撃を受けたはずだった。それなのに、どうしてそんなふうに立っていられるのかわからない。こいつは化物だろうか。
勘弁してくれ、とソウは内心頭を抱えた。そんなしぐさができるちからも、目の前の殺意に対抗できる手段も、いまはない。せめて死ぬなら、魔種に殺されるだとか、そういった誰もがしかたないと納得できるような事故であってほしかった。
「ひさびさに痛かったぞ」
地の底を這うような声。どうやら、黒影の怒りを買ってしまったらしい。逆光のせいだろうか。視界はかすむし、ぐにゃぐにゃしていて、表情がよく見えない。ああ、そうだ。蜃気楼、だっけ。父さんに教えてもらったなぁ。
あ、お面。どこだっけ。
「キサマ、死ぬのか」
転がっていた猫の面へ手を伸ばす。
(父さん……母さん……)
手を、伸ばしたかった。
だって……。
「生きたいのか」
「知ら、ないよ……。そんなの」
人間は死ぬときは死ぬ。それは自分の願望に関係なく、他者の願いすらきかず、およそ理不尽にそのときは訪れる。ソウはそのことをよく知っている。
「ききかたを変えてやる。楽になりたいなら、雷撃の礼に介錯してやる。自分で死ね」
(ああもう、ごたごたとうるさいな)
細く、息をこぼした。考えるのが面倒だ。もう、言葉の半分も理解できない。
「言ってみろ。キサマの欲望はなんだ」
「俺は――……、」
変だなぁ、と思うことは、いろいろあった。切っ先を向けられているのも、なんだかどうでもいいし、地面が光っているのも、おかしいじゃないか。ああ、おかしい。おかしいことだらけだ。
ふわりと、身体が浮いた気がした。
――ああ、こまったな。俺が死んだら、弟はどうするんだろう。ちゃんと仕事について、ひとり暮らしができるだろうか。誰かにいじめられて、泣いたりしないだろうか。俺が護ってやらなきゃ。父さんと、母さんのぶんまで。
静かに、まぶたをおろす。
どうせ、家族四人ですごした時間なんて、もどってこない。