(四)作戦基地にて
枯れた大地に、乾燥した熱風が吹きつける。
砂漠地帯のなかにとつぜん現れた緑は、そこが水を得られるオアシスであることをはっきりと表している。周辺には集落が形成され、ナツメヤシをはじめとするいくらかの農地が広がっていた。
急ごしらえの作戦基地はそのすぐ近くにあり、ソウがここへ到着したのは沙国へ入国してじつに三日後、その夕暮れのことだった。各処で砂嵐による多少の遅れはあったものの、ほかの地域から招集された魔狩も続々と到着しており、その数は数千人にのぼる。
(この数……かなり大掛かりな作戦だな)
それもそうか、とソウは考えた。片田舎で細々と魔種を狩っている自分にまで招集がかけられているくらいだ。仔細は各配属部隊にて、という旨が伝えられていたが、歩くだけでもいくらか話は入ってくる。どうやら、沙国が抱える広大な砂漠地帯……その中にあるひとつの遺跡に、ランクA相当の超大型魔種がこつぜんと現れたらしかった。
沙国周辺を管轄とする魔狩は、今日に至るまでに対象と二度の交戦を重ねていたが、そのすべてに惨敗。あまりの凶悪さに手を焼き、周辺各国の魔狩協会支部に救援を要請した――というのが、今回の緊急招集の背景だった。
ソウは熱気を逃がすように襟もとへ指をさしいれ、むかい風をうけいれた。
夕方とはいえ、故郷の憂国と比べるとずいぶん暑い。沙国へ入ってすでに三日を過ごしたソウは、この地域の夜の急激な冷えこみも昼間の灼熱も経験したが、これから夏になればその気温差は四十度をあたりまえに超えるという。さすがにそこまで長期の滞在にはならないだろうが、暮らすには厳しい環境だ。弟のこともあり、早く帰りたい気持ちでいっぱいだった。
「よ、色男!」
かるい口ぶりで肩を叩いてきたのは、猿顔の男――同僚のトビだった。彼もまた憂国の出身であり、同年代ということもあって親交がある。よくしゃべる口は大きく、快活でお節介焼きというのが彼への印象だ。
「トビ、元気そうだね」
色男という言葉は流しておく。顔を合わせるたびに、王子様だの美男子だの、そういう冗談をあいさつ代わりにする男だ。
「彼女はできたのかよ?」
「はは、見ればわかるでしょ。いないよ」
「またまたぁ。本部でも人気なんだぜ? ランクBの〈迅雷〉ソウ様。顔よし、実力よし、収入よし、そのうえ優しくて真面目で性格がいいときた」
「そりゃどうも」
どこまで本当かわからない話――おそらく、だいぶ誇張が入っているだろう――をてきとうに笑いながら、ソウはさきほど言いわたされた配属部隊の天幕へ向かう。俺もいっしょの隊だぜ、とトビも横にならんだ。
「お前さ、後輩の女の子面倒見てるんだろ? どうなのよ」
「そういうのじゃないよ」
こまったように苦笑する。
「俺たちは結婚相手を探すために仕事してるわけじゃないんだから」
「まぁ、同業じゃ無理だわなぁ。……いや、けど。その娘はまだ十五、六の候補生だろ? 実践も未経験ってわけだ。なら、くっせぇ戦場に染まっちまう前に、とっとと娶っちまえよ。嬢ちゃんが清いのも今のうちだぜ?」
「言いかた」
あきれたように諫めるものの、トビはさっぱり聞いていないらしい。とたんに、あっと思いだしたように声をあげたかと思うと、片手でくちもとを隠すように寄り、耳打ちした。
「な、冬にデートもしたんだろ? 送り狼とか……」
「しないよ」
にしし、と大股で笑うトビを押し返すように、ソウは息をつく。
「勉強と、用品の買い出しを手伝っただけ。暗くなる前に帰したよ」
「んだよ、欲のねぇ男だな」
「ただの後輩で、それも成人して一年も経ってない子をそういう目では見れないよ」
「ははん、年上が好みってわけか」
「……この話、やめにしていい?」
なげやりにいうと、トビはニヤリと笑みをぶらさげた。
夕暮れの色を砂地に残したまま、空はあっさりと傾いた。
厚い声で召集がかけられ、ソウは隊へ配属されたほかの魔狩と同様に素早く整列した。意外に思ったのは、配属部隊の人数が隊長をふくめて十人であることや、それぞれの専門分野がまったくちがうことだ。通例では、専門分野ごとにまとまって部隊が編制されることが多い。
「集まったな」
面々を見まわして、隊長はひとつうなずいた。その堂々とした出で立ちには、いくつもの死線をくぐってきた者特有のおちつきと経験がにじんでいる。彼は、考えるまでもなくランクAの実力者だろう。それを裏付けるように、腰元に上位ランクの証である魔導武具を佩用している。
隊長はまず、召集に応じた魔狩への労いと感謝を述べ、大規模な討伐作戦がおこなわれることと、その対象が過去に例を見ない超大型の魔種――魔獣ダイオウルフという特殊個体であることを発表した。
さらにこの分隊が特殊な混成分隊であることを明かした隊長は、ランクAとしてこの分隊を任されたことを誇りに思うと芯のある声で言った。
「では、ランクの高い者から順に自己紹介をするように」
うながされた八人の視線が、ソウに向けられる。トビ以外の誰もが、ソウという魔狩がどういう者かを五感で推し量ろうとしているようだった。その視線のなかには、緊急招集がはじめてなのか、萎縮し、こわばった面持ちも多い。とくに、中位のランクや若手はそれが顕著だった。
ソウは苦笑を見せた。
「普通科所属 ランクB〈迅雷〉。いつもは地元で小さくやってるから、みんなとおんなじように緊張してるかも」
笑い声までは聞こえなかったが、緊張のとれた息がかすかに聞こえた。「よろしくね」とつけ加えたとき、つづけざまにトビが口を大きく開けた。
「衛生科所属 ランクB〈飛脚〉のトビ。みんなには個人的にあいさつさせてもらったけど、あらためてよろしく!」
トビはソウの肩を抱くと、緊張感のかけらもなく「同郷でマブダチな!」と親指を立てた。「ただの同僚ね」すかさずソウが訂正をいれると、そこで笑いが生まれる。隊長の咳払いですぐ場は引き締められたが、むだな険は取れたらしかった。
あとに名乗った魔狩は、それぞれ通信科、工学科、考古科、魔鉱科、魔種科と続き、どれも支援兵と呼ばれる者ばかりだ。つまり、この隊で魔種との戦闘技術に特化しているのは、隊長とソウの二人だけ、ということになる。
「では今回の任務について説明する」
隊長は、察している者もいると思うが、と前置きしてから言った。
「本任務は、魔種ダイオウルフの討伐ではない。目的は対象の住処――古代遺跡イグラーシャの探索にある」
その言葉に眉根を寄せたのは魔鉱科の魔狩だった。その心情はソウにも理解できた。
古代イグラーシャ遺跡は、すでに冒険者の手によって探索されつくした遺跡だ。いまさら目をみはるような宝物が残っているはずもなければ、魔狩が回収しなければならない危険な魔導遺物があるわけもない。
そのことを口にしたのは、トビだった。
「いまさら探索したって、本部的にもそんなにおいしくないでしょうよ。なんでまた」
「たぶん、出どころだと思うよ」
ソウの言葉に、トビは困惑をうかべる。
「そいつはどういう……」
一度、隊長へ視線をなげる。ちから強い瞳がひとつうなずいて、説明してやれと示した。
ソウはひといき置いて話しはじめた。
「今回の魔獣ダイオウルフは、超大型の魔種。イグラーシャ周辺は沙国周辺を管轄地域とする魔狩や国の騎士団が警備・巡回しているから、外から入ってきたならまずわかるはずだ。それが、とつぜん遺跡に現れて住処にしている、なんて……おかしいと思わない?」
「言われてみりゃ、そうだな」
「偶然でもそんなことがあるなら放っておけないし、作為的ならもっと問題」
「お偉いさんたちがごたごたする前に、って話ね」
あけすけではあるが、トビの理解は正しい。
「ゆえに我々特殊部隊は、本隊が魔獣ダイオウルフの討伐にあたっているあいだに任務の遂行を命ぜられた。作戦開始は明日明星。夕食後、指定の地点まで移動を開始する。以上、解散!」
夜を迎えた作戦基地は、昼間の灼熱が嘘のように冷えこんだ。作戦基地に設置されためいめいの灯り以外に闇を照らすものはなく、お世辞にも美味しいと言えない食事を囲む男たちの誰もが、いよいよ作戦が開始されるのだという高揚感を靴底に敷いているように感じられた。
すこしの時間を持て余すことになったソウは、おもむろに人の輪から離脱し、冷たい空気のなかで、ぼうと空を見上げた。考えていたのは、いま弟がどうしているだろうか、ということだ。
「まだ緊張しているか」
肩を叩かれて、ソウはあっと姿勢を正す。気を抜くなと言われるのかと思ったが、このとき隊長は、はじめて笑みという笑みを見せた。きっと、若手とそれほど変わらないように見える自分を気にかけてくれたのだろう。
「聞いたぞ。先週の大雨の日、仕事中に乱入してきた上位種の魔獣をたった一撃で討伐したそうじゃないか。それも、単独で」
「噂に誇張はつきものですよ」
ソウはこまったように笑った。
「むしろ、わたしはこの部隊に選ばれたことが不思議でなりません」
「役不足か?」
「とんでもございません!」
あわてたように首を振る。
「その逆です。わたしはとりたてて大きな功績をあげていませんし……たしかに、魔種のつゆばらいでしたら多少なりともお役に立てるかもしれませんが、ほかの隊員のような専門性も、遺跡調査の経験もありませんから」
お恥ずかしながら、と苦笑をうかべる。
「ははは、ランクBが謙遜か! 案ずるな。魔狩のなかでもほんの一握りしか携帯を許されない魔導武具をあつかえる、という時点で実力は証明されているようなものだ」
隊長はソウの背中にある二刀一対の片刃曲刀を示した。
たしかに、ランクB以上になれるのは魔狩の中でも少ない。協会の定める規約に対して、模範的かつ、あるていどの実力・実績を評価される必要がある。だがそれ以上にその門を狭くし、差を決定的にしているのは、魔導武具をあつかえるかどうか、ということだった。
「それにな、聞くところによるとお前は〈黒影〉に推薦されたらしい」
「〈黒影〉ってランクSの? そんなまさか」
魔狩のなかでもランクSは特異な位置づけにあり、歴代をあわせても指で数えるていどしかいない。そのどれもが華々しい功績と共に名を残し、いちじるしく社会へ貢献している。公平公正を規範とする魔狩協会にとって彼らはまさに理想的な魔狩であり、すべての魔狩の羨望の的でもあった。
ところが、この二年ほどで急激に話を聞くようになった〈黒影〉は、歴代のランクSとはどうにも毛色がちがうらしい。正体不明。あるのは派手に積みあげられた討伐報告の山であり、すべてが単独によるものだという。それ以外の情報がほとんどなく、魔狩のあいだでも〈黒影〉は幻だといわれているほどだ。
「俺も信じがたいがな」
隊長の言葉に、ソウも同意するばかりだった。面識のない、それも本当に存在しているのかもわからないような魔狩に、なぜ推薦されなければならないのだろう。しかし、だとしても。〈黒影〉でなければ、いったい誰が自分を推薦したのか。ソウは本部や上層部に直接的なかかわりをもっていない片田舎の地方魔狩にすぎない。そのうえ、ふだんから単独で仕事をこなしているため、そういったつながりをもつ魔狩から推薦されるという可能性もかぎりなく低かった。
作戦本部に召集された隊長と別れ、ソウは戻った。
天幕の外ではちょうど、トビがほかの隊員と親睦を深めているようすが見られ、そこにはほかの部隊の面々も加わっている。社交的なトビらしい。
ソウは笑みとともに軽く片手をあげ、声をかけようとした。
そのときだった。
ふいに、視界を真っ黒な影が横切った。
最初は見まちがいかと思った。なぜならまるで気配がなかったからだ。鳥かなにかが灯りをさえぎるように飛んだのではないかと考えたが、その黒色は夜の闇を吸いこんだように地面から伸びあがっていて、ずる、ずると進んでいく。
(なんだ。あれ……)
夜の隙間を陰鬱と過ぎていく薄い背中。身体の線にぴったりと密着する黒い上衣から異様に白い肩口が露出しているが、皮と骨だけで、肉が薄く痩せこけている。その背中を追うように、艶のない髪が、長く伸びていた。
魔狩の、一人だろうか。しかし防具のたぐいは装備していない。ゆいいつそれらしいものといえば、その細長い背丈をゆうに超える、つや消しの施された黒い鞘の地味な大太刀が、ひとふり。
異質だ。あまりにも、異質だった。
そもそも、あれは本当に人間だろうか。
固唾を呑む。
(……どうして、誰も気づかない?)
野郎の笑い声が、すぐ向こうを素通りしてゆく。
この瞬間だけ時間が止まってしまったのではないかと錯覚しそうになる。肌に触れていた砂漠の冷気が、刺すような鋭い殺気に塗りかえられてゆく。
微動だにできなかった。目をはなした瞬間に首を掻き切られるような気がしたからだ。ひさしく感じていなかった感情に、目を瞠ったままふるえていた。
これは恐怖だ。
これは嫌悪だ。
これは警鐘だ。
仲間を呼ぶために上げたはずの片手は、おのずと片刃曲刀の柄に触れている。
敵か。
魔種か。
おもむろに影の足が止まる。ぬ、とその場で首をつきだすように、青白い横顔が髪の隙間から出た。ツンと尖った鼻先と、細いあごが、クツクツと笑う。ゆったりと頭を揺らして、その蒼白の顔がこちらを見――。
「ソウ!」
「わっ」
肩を揺らされて、ソウは声をあげた。
「おいどうした。呼んだって反応しねぇし」
影はいない。見えない。
(うそだろ)
いまの一瞬で消えてしまったのか、それとも、ただの幻だったのか。
「……なぁ、大丈夫か?」
トビが心配そうにのぞきこんだ。
「ああ、ごめん。ちょっとね」
「しっかりしてくれよ。なんかあったときに頼りになるのは、隊長とお前なんだからよ」
ごめん、と苦笑する。こういう時ばかりは、あまり顔にでない体質でよかった、と心から思う。もし誰も認識していないものが見えた、なんて言おうものなら、もれなく気がふれたと思われてしまうからだ。
先ほどのアレがなんだったのかはわからない。気にはなるものの、それに気をとられてはいられない。いまは目の前の仕事に集中しなければならないからだ。家に弟を一人残してきたのに、うっかり死んでしまっては、亡くなった両親に顔向けできない。念のため頭のすみにとどめておくことにして、それ以上考えるのはやめにした。