(一)ツギハギの街
※この章にはイモムシが登場します。
※この章には過激表現が含まれます。
冷や、と触れ溶ける。
舌の上でみずみずしく広がったあまい香りを刺すのは、金属特有の角ばった味だ。舌先で無意識に選り分けて、果実を奥歯で食む。ぷちりと粒がちぎれると、それまでとろりとゆるやかな果蜜と金属の香ばかりだった咥内に、冷涼な柑橘の雫がさしこんで、しっとりと絡まった。
しゅわ、しゅわ、しゅわり。
波のようにいくえにも重なって、果蜜が細やかな泡とともにさらわれていく。咽喉をくぅ、と上下させて、ソウはそれらを飲みこんだ。
流暢なナギの話を聞きながら、ソウは一度スプーンを置いた。次いでフォークを手に取り、そっと立てる。透明なカクテルグラスの中で、上から押されて、大粒の桜桃が底へ沈んだ。艶のある皮の張りも、抵抗というにはままならず――――ぷつり。硬い尖端を、簡単に受け入れ、やわい果肉の奥まで。音のない、しかし確かな感触が指につたわったところで、ソウはおもむろに訊き返した。
「パラサイトモス?」
「ですです」
ナギはうなずいた。
「雑食かつ暴食のパラサイトモスの幼虫が、この時期になると〈バベットウィアー〉に、大量発生。魔鉱灯をはじめとした、さまざまな魔鉱製品や金属まで、あらゆるものを食い荒らしてしまうそうです」
マヌーゲルを出立してから、もうじき一ヶ月が過ぎようとしていた。
昨晩、ソウたちが到着したのは、機国の西北端の街〈バベットウィアー〉だ。
密接した建物群は、古い石積みの壁材をおおうように真新しいトタン板を粗雑にはりつけ、うわ塗りされた染料はところどころ奇妙な明るい色をしている。青や赤褐色の錆色と、真新しい輝きと、重厚な壁面が不規則につながれ、その隙間を這うように縦横に細く入り組んだツギハギの路地と配管が特徴的なこの街が、〈白の境界線〉を目前にひかえた最後の大きな街となる。
今朝起きてから、ソウは、洗濯や装備類の整備にくわえ、ほつれた裾をつくろったり、報告書をまとめたりと、細々とした作業をしていた。
ナギは恒例のように冒険者の仲介所へ顔を出し、黒影はやはり、つまらなさそうな顔をしたまま、目を閉じ、部屋の隅に腰かけていた。
ようやく三人そろって街へ出たときには、真昼の短かかった影がこれから夕方までの間に、すこしずつ身を伸ばそうと動き始めているころあいで……お腹を空かせた三人――そのうち、とくに、ナギとソウの男二人――は、ひとまず空腹を満たすことに決めた。
雑多な中心街の路地からひとつ裏へ。地上から地下へ降りる階段の途中にある、小さな扉。それをくぐった先にある隠れ家のような喫茶店がいま、三人がテーブルを囲んでいるこの場所だ。
革張りのソファに暖色のフロアランプの灯りが茫洋と広がる居心地の良い空間は、たえずなだらかな音楽で満たされている。それは、魔鉱式の自動演奏装置があるからだ。黒い円盤がきらりと灯りを反射するたびに、店内に存在する食器の音や店員の足音、あちこちで響く談笑、はては息づかいまでもが、元から楽曲の一部であったかのように吸いこまれて、しっとりとした色合いに変わる。
住民の憩いの場ともいえるこの席に、自分たちのような戦いを生業とする異邦人がいることはひどく場違いではないだろうか、とも考えたが、それはまったくの杞憂だった。
とりわけ、黒影は一人用の厚いソファの上で長い足を組んだまま、切れ長のまつげを伏せ、静かに挽きたてのコーヒーを口に含むようすが妙にさまになっていて、誰よりもこの空間によくなじんでいるように思えた。
真っ先にクリームソーダを選んだナギや、店イチオシのフルーツポンチを注文したソウとちがって、黒影は甘味を頼むことはしなかったが、サービスでそえられた小さなビターチョコレートはどうやら気に入ったらしく、ときおり手を伸ばしては食んでいる。
「ソウくんって、」
ふと、ナギがクリームソーダを彩る赤い桜桃を指先でつまんだ。ちぎるようにひとくちで食べきると、残った果柄を指先でもてあそぶ。
「これ、口の中で結べます?」
とつぜんさしこまれた、なんら関係のない話題に、ソウは首をかしげて苦笑した。
「やったことないよ」
「やってみます?」
「やらない」
「んもう、ノリが悪いですねぇ」
つまらなさそうに、ナギは種を紙で包んで置く。指先でつまんでいた果柄を口のなかに放りこみ、ややあって、すっかり結び目がついたものを指さした。いたずらの種明かしをする子どものように、ナギは無邪気に笑った。
「ちなみに、これができる人はくちづけが上手いって話です」
「そういう話だと思った」
ソウは息をついて、刺したままにしていた黒紅の桜桃を、口に含んだ。食むと、じゅわりとやわい実がくずれた。ほどけた実からじゅわりと果蜜があふれ、どこかキレのあるコク深い豊かな香りで濡れていく。いままでとちがう香りだった。――酒にでも漬けられていたのだろうか。
ナギは、桜桃が豊産の象徴とも言われ、同時に、甘く腐りやすい果実の特徴から、はかない快楽や堕落、美しさといった意味をもつ、ということを、いつもの調子で話した。
「すこし不穏な印象もありますけど、」
とそれまで説明したことをさらりと流して、
「白い花を結んだあとに、一転して赤い果実をつけるさまは、再起や死の克服の象徴となっているわけで。なので、縁起ものとして贈答されたりもするのですよ」
と、緑色のクリームソーダを吸った。
「で、」
ソウは果肉を飲みこんでから、話をもどす。
「パラサイトモスは、冒険者の討伐依頼にでも出てくるの?」
「その通り! ここでお金をたくさん稼いで、〈白の境界線〉を抜けるための支度金にしたいのですよ」
意気揚々とアイスクリームに手をつけたナギ。氷の上に鎮座したそれは、緑色の甘味炭酸水に負けず劣らず、まるでレモンの皮を削ぎ入れたような派手で明るい色をしていた。牛の乳からできているそれは、本来は生成色をしている。しかし、そのまま提供すれば、当然、縁起が悪いと忌避されてしまう。
牛の乳にとどまらず、小麦や米、白身の魚に卵の白身など、多くの白い食材は、調理過程でさまざまな色に仕立てられる。こんがりと焼き目をつけたり、果実のソースをまとわせたり、花の色に染めたり……。あの派手色のアイスクリームも、そういった理由で色を加えられているのだろう。
おちついたこの空間でとろりと輝く黄色は華やかだが、いったいどんな味なのかは、あまり想像がつかなかった。
「けっこう、お金が必要なの?」ソウは訊ねた。
「〈白の境界線〉は瘴気が晴れても、瘴素濃度が高いんです」
黄色の山をスプーンいっぱいに削ったナギは、おもむろに指先を立てて、くるくると回した。あまいバニラの香りが、うっすらと広がる。
「魔種も多く危険ですし、なにより補給地点では物資の取りあいになりますから、物価はおどろくほど高い」
「ああ、それで」
ソウがうなずいているあいだに、ナギはさらに、スプーンを二回往復させた。なくなってしまったアイスクリームを惜しむように、スプーンに残ったひとしずくを舐めとると、
「そして、瘴素の濃度が高いということは、」
スプーンを置いて、ひといき。
「つまり、魔種の気配が瘴素にまぎれて、感知しにくい、ということです」
「それは怖いね」
「ええ。とくに、ふだんから魔種を相手にしている黒影ちゃんやソウくんは、瘴素の気配をたよりに戦っているはずですから感覚がずれやすいと思いますよ」
そこまで言って、ナギはまたスプーンを手にとって、クリームソーダをくるくると混ぜた。いくらか飲んでひと息つくと、わざとらしく肩をすくませて、冗談をまぜるようにけらけらと笑う。
「なんにせよ、文字通り動植物が白亜化した死の一帯です。最悪の場合、魔種の肉を食べる覚悟は、しておいてもいいかもしれませんねぇ」
カラン、とグラスの氷が鳴った。
すこしだけ残っていた黄色がほどけて落ちると、とうぜん、吸いこまれてまざっていく。ソウはそのようすを、ほんのひととき見つめた。緑色とねじれた黄色が、どうしてか、白色であるように見えたからだ。
ソウは一度だけまばたきをして、ナギと調子を合わせるように、冗談めかして笑った。すっかり店の一部になってしまったこの声が、自分と乖離してゆくのを感じながら、頭の片隅でひとり考える。
死に絶えた大地の白色と、帰るべき故郷の緑色。それらがいちようにまざって、なにもかもなくなってしまわないように、心のなかで、なんども弟の声を反芻した。




