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(七)嫌われ者

 翌日、ソウ達はマヌーゲルの宿をあとにした。

 検問所へ向かうため、街の流れにまぎれるように歩いてゆく。ぽつ、と遠くで煙が立って、白い雲を追いかける。

 一見、街は変わらないように見えた。朝の清涼な気配は徐々に活気づき、人の往来が増え始める。市場で野菜を売る声。従業員へ指示を出す男の声。子どもを連れて朝市に向かう母子の会話。錆びた縞鋼板を歩くたびに、足音がたわんだ。朝の音は、鉄骨に反響して、谷底へ。

 ソウは橋梁を渡りながら、なにげなく視線を下げた。

 谷へはね出している縞鋼板は、泥に汚れて乾いている。

「まだ流れているね」

 汚れた谷底には、ところどころ、ねっとりと重い汚泥(おでい)がはきだめのように溜まっているようすが見えた。濁流の勢いをそのまま激しく叩きつけ、ひと息に筋を引いたような痕が、はっきりと陰影を遺している。

 人力ではどうやっても運べないような大きな岩石や瓦礫、折れた木々が、谷底のそこかしこにごろごろと(まろ)び寄せているさまは雑然としていて、まるで部屋が荒れ散らかっているようにも思えた。しかし、ソウはすぐにそれを否定した。

 眼下の汚泥に、瓦礫の重なりに、樹を押し潰す岩に――けっして、人の意志はない。この光景は、いま自分が考えたような、安易に想像をつなげて、わかりやすくたとえられるようなものではなく。簡単に理解したふうを装ったところで、なににもならないのだから。

 鉱山都市のシワ寄せともいえる貧民街には、だれかの息づかいも、気配のひとつさえ、ない。たった一晩で、濁流に呑まれてしまった。

 鉄骨の上で、多くの人は胸をなでおろし、同時に不安げに表情をこわばらせながら、知人や家族が無事であることをひそかに喜んでいるらしかった。いつもと同じではない、けれどいつも通りのあたりまえをくりかえすように、新しい朝を生きている。

 ソウもまた、錆びた鉄骨の上から、自然に還っただけの惨状を見つめている。

(なにも、ないな)

 一度だけまばたきをすると、山の濁った臭いがむわりと立ち昇った。

「ソウくん、黒影さん。鼻と口を布でおおっていてください。乾燥した汚泥が、風で流されています。わずかですが、瘴素も。水源となった坑道はおそらく、魔鉱石の採掘場だったのでしょう」

 谷を吹き抜ける風を感じて、鉱山区域を見やったときだ。ひらり。白色が目の前をかすめた。それは花びらだ。

(いったいどこから……)

 花びらはいくつも落ちていく。ひらひら、ひらひら。白色がこぼれて、いくつも谷底へ。声をひそめて、だれかが指をさした。もう一段高いところに架けられている橋梁の上から、白い花を谷底へ落としている白髪の少年がいる。

「あの子……」

 ソウは目をみはった。

 すこし前に、街で鉱山師たちに連れ戻されていた奴隷の少年だ。鉱山から抜けだしてきたのだろうか。彼はひとりだった。谷風がふきぬけたとき、ソウはその少年と目が合った。瞬間。少年はびくりと肩をふるわせ、逃げだした。

「待って!」

 叫んだのはナギだった。

「ナギさん、どうしたの」

「あの子は、瘴気症が進行しています! せめて、薬草だけでも」

「わかった」ソウはうなずいて、駆けだした。「先に追いかけて、ひきとめるから、ナギさんもがんばってついてきて」

 鉄枷を引きずりながら走る、ぼろぼろの背中。遠目からでも、病状が悪いのはあきらかだ。走っていく白髪の鉱山奴隷を、人々は(いと)うように避けて、身をひいていったが、その奇異と厭悪(えんお)の視線だけは、汚れた白色をじっとりと追い回している。

 そうだろうな、とソウは考えた。

 これがあたりまえの反応だ。ナギに応えるようにこうして追いかけてはいるが、かりに追いついて引きとめたとして。ナギが少年へ薬草を手渡しても、彼がおかれている状況は変わらないし、変えられない。

 そういう、社会だ。

 ソウはわずかに、目をほそめた。



 少年を追ったさきでソウがたどり着いたのは、マヌーゲルの外れ――狭量とした谷の街を見渡せる小高い丘の上だった。人の気配がないのは、白い花が群生しているからだろう。うち捨てられた廃墟と、昼夜問わず稼働する鉱山区域を背景にして、花が波のように連なって咲き誇っている。

 この花は花びらが白いだけで、茎は青々としているから、瘴素に侵されて白くなった危険なものとはちがう。もともと白い花を咲かせる種というだけだ。

 こういう種は、想像しているよりもずっと多い。

 けれども、人々の見方はちがう。

 花びらが白いから、これも瘴気を振りまくものだと誰もが思いこんでいる。

 だから、多くの人間がこれらをおそれ、忌み嫌い、遠ざける。

 それがなにかも、見ようとせずに。


 少年は丘の上でうずくまるように、小さい声で歌っていた。


――白き花びら 目印に

――ふたたび会う日を 夢にみて

――眠れや眠れ 待雪草の 子守唄


「それって、冬送りの唄だよね」

 ソウが声をかけると、少年は肩を大きく跳ねあげ、おどろいたように目を見開いてふり向いた。

なんで(なして)知っとうと」

 なまりはあるが、言葉は通じる。ソウはそのことに、ひとまず安堵した。じきに、ナギも追いつくだろう。

「俺の母さんが、うたってたんだ。春の雪解けに、寒い冬をこえ、うららかな春を迎えられたことに喜びと感謝を示す唄なんだって。白い花びらを雪解け水に流すのは、からくも亡くなってしまった命を(いた)み、送るためで……」

 少年は林檎色の瞳をしていた。陽の光が透き通って、ガラスのように繊細であわい輝きをもっているものの、美しいのはゆいいつ、その右目だけだった。顔に濃い影が落ちるのは、目の周りが落ちくぼんでいて、ほほが削げているからだ。

 左のまぶたは赤黒く()れ潰れていて、顔の造形は左右非対称に、でこぼこと気味が悪い。剥きだしの地肌には青あざがにじみ、黄色く治りかけた肌にうわ塗りするように、真新しい打撲痕や裂傷がある。

 人間の造形をかろうじて保っているだけのようなありさまで、ぼろきれをまとっただけの削げた身体も、まるで気味の悪い衣服のように、醜いあざが広がっていた。

「君も、そうなの? さっき橋の上から花びらを落としていたのは――」

 少年は、はっとしたように口を開くと、それから慌てて逃げだそうとした。ソウは泥に汚れたその手をつかんだ。ガクガクと身体をふるわせながら少年は「(おい)じゃなか。(おい)じゃなか」と自分ではないことをくりかえし主張する。

「なにに怯えているのかわからないけど、ただ君の瘴気症が心配で。俺の仲間が、せめて薬草を渡したいって言ってるんだ。だから――、」

 刹那、()()()が視界にとびこんで、ソウは息を呑んだ。手のひらが、少年に鋭くはらいのけられる。

「来んな来んな来んな! (おい)ばどうせ嫌われ者の白たい! この(こん)身体()触ったら()、今にお前は(わっが)白くなって死ぬばい!」

 泣き叫びながら、少年は、土を掻くように花をちぎり、乱暴に投げつけてきた。その手は爪が割れていて、隙間に血と泥が入って乾いている。そして、爪の先から肩、さらに胸元に、あばら。足の先までが、まるで色のない陶器のような、つるりと青ざめた白色をしていた。

「白亜化――……どうして、こんな。鉱山で働かされているなら、いくら奴隷でも、対策はなにかしらあるはずじゃ」

「鉱山奴隷が働かされる場所は、新しい坑道か、あるいは特に瘴気の濃い採掘場だ」

 追いついた黒影が、さぞ面倒くさそうに言った。

 そのとなりで、すっかり息を切らしたナギが袖元で汗をぬぐう。

「いくら瘴気症の対策をしていても、」

 うすく息つぎをして、

「魔鉱石に触れてしまったら……」

 少年の白色へ視線を向けた。

「その場で白亜化してしまうことだって、あります」

 ……まにあわなかった。ナギは悔やむように呟いた。

 少年は青ざめたまま、数歩うしろに下がった。尻もちをついて、手もとの花を(すが)るように掻く。

どうして(なして)どうして(なして)こう(こがん)なっとね。あんなこと(あがんごた)(おい)がやったんじゃなかとに!」

「……もしかして、君は、爆発のことをなにか知ってるの?」

 ソウが訊ねると、少年は大きく肩を跳ねあげた。そしてやはり自分のせいではないとしきりにくりかえし、陽光の影に隠れるように、うずくまった。ふるえながら、首を左右に振る。

(おい)と同じ、坑道に白と赤の魔鉱石()落っちゃけとったと。それを(そいば)触ったら、火傷()したんごた(いと)うなったけん、すぐ捨てたったい。その後すぐ、班長に呼び出されて。折檻(せっかん)()受けて……」

「その時に、坑道で爆発が?」

 少年はうなずいた。

「――その魔鉱石の性質と、その少年は。偶然適合してしまった」

 歯噛みするような苦い声に、ソウはふりかえった。

 左手の甲に刻まれた黒紫の紋様を揺らすように、彼は手を額にあて(かぶり)を振る。

「……鉱山の人たちは、あなたに手袋すら与えていなかったのですね」

 少年の手のひらを見つめたまま、亜麻色のやわらかな前髪をぐしゃりと握りこんだ。

「ばかなことを」

 独り()ちて、顔をあげる。

「魔鉱石を素手でさわってはいけないというのは、ただ瘴気症と白亜化の危険がある、というだけではないのです」

「どういうこと?」

「魔導武具と同じですよ」

 遠巻きに見ている黒影がわずかに目を細めた。

「待って」

 ソウは思わず声をあげる。

「魔鉱石はただの動力源じゃないの? 魔導武具を起動させるために魔素が必要で、これはそのための魔鉱石で――、」

「ちがいます。魔鉱石の性質と魔導術式による()()()()によって特異な現象を引き起こすのが魔導武具です。魔鉱石には性質があり、それに適合しなければ魔導武具を起動できないんです」

「じゃあ、」

 少年の、白亜化した手を凝視する。

「その魔鉱石に適合すると、どうなるの」

「現象の発現――今回にかぎって言えば、時限式の爆発、でしょうね」

そんなこと(そげんこつ)……あるわけ、あるわけなか!」

「事実です」

 しずかに、彼は言いきった。

「ですが、これは事故でもあります。こんな事故は()()()()()()()()()。ソウくんや黒影さんは魔導武具をあつかっているからご存じでしょうが、魔導武具に適合者が少ないように、そもそも魔鉱石の性質を発現させられる人間なんて、ほとんどいないんです。そして、適合するということは――、」

 亜麻色のまつげがそっと伏せられる。

「親和性が高く、瘴素が多く流入してしまうことに他なりません」

「ゆえに、上位の魔狩の多くは白亜化で死ぬ」

 今度は黒影が低い声でさしこんだ。

 その言葉に、ソウは父の死をふと思いだす。

「そっか、だから俺の父さんも……」

 閉口する。

 父の白色と同じように、いま目の前にいるこの少年の腕も、白い。

 陽光が雲の切れ間からさしこむと、その異質な白色はいっそう白けて見えた。

「少年がいっきに白亜化してしまったのは、いま話した一連のことが原因だと、()()考えます。そして……白亜化はすでに、切除できない部位へとおよんでいる」


 白亜化は、()()()()()()()()()()()()()()()()ことでしか止められない。


 少年は、ただただ、呆然とふるえていた。

「白かだけで、なんで(なして)こう(こがん)なっとね! (おい)()そんなに(そげんこつ)悪かことしたね?! 白かだけでそんなにも(そげんこつ)罪ね!」

「それはちがいます。白が……白だから悪いわけではないのです。あなたの生まれ持った性質と相性のいい魔鉱石が、たまたまあっただけなのです。白い髪をしているあなただからこそ、性質と偏見の不条理をないまぜにしてはいけない」

お前らは(わっが)見捨てたくせに(じゃなかね)!」

 振りあげられた白いばかりの腕が、彼の胸もとへ叩きつけられた。

 翡翠色の瞳は、少年を見守るように、ただ黙っている。何度も、何度もその細い腕は振り下ろされる。それは硬く血の気が失せていた。青ざめていた陽光を一身に浴びて輝く白は、人間がもちあわせない異質な白だ。人間の造形をしていながらも、まるで偽物のような――それが、死の白色だ。


 あ、とソウは小さく声をあげた。


 少年がくずおれたからだ。

 そのとき、黒紫の紋様が刻まれた手がソウの眼前を横切るように揺れた。ためらわずにさしだされたその腕が少年を抱きとめ、その場でいっしょにしゃがみこんで、抱きしめる。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 少年は泣いた。

 生きた絶叫だった。

お前ら(わっが)なにが(なんば)わかっとね!」

 旅装束の袖を割れた爪で無為に掻き、握りこむように引っ張って。――咽喉(のど)の奥をむちゃくちゃに潰し、壊すのではないかと思うほどの大きな声だった。

 少年は花を乱暴にちぎった。

「きれいな髪()して」

 ちぎれた茎から白色があふれた。

そんなに(そぎゃん) ()か服()着て、のうのうと寝る(ぬう)!」

 投げつけた花びらが、散っていく。

「人間あつかい()されて、そんな(そがん)お前に、なにが(なんば)わかっとね!」

 ありとあらゆる罵声を、少年は口汚く怒鳴りつづけた。

 それらは、彼が今までに浴びせられてきたものの一端だろう。そしてたびたび、お前らにはわからない、といった意味合いの言葉をくりかえした。半分も過ぎれば、言葉のほとんどは明確な発音を成すこともなくなっていた。それでも、少年は淀みを、濁りを、白濁を吐き出し続けた。――そして、

「死にとうなか、死にとうなか、死にとうなか!」

 叫んで。

 少年はぴたりと動きを止めた。かひゅ、と潰れた空気の音。わずかに動いた少年は、視線だけをめぐらせた。首元まで広がった白が枝分かれして、広がり、そのうちに頬へ伸びて、そこでようやく、少年は縋るように目の前の()()を凝視した。ほろ、とくずれた一筋が、傷だらけの白い頬を濡らし、林檎色の奇麗な瞳さえ真っ白に侵されて、彼は目を見開いたまま――。

 ぐしゃぐしゃに潰れた白い花が、谷底へ落ちた。



 黒紫の紋様が刻まれた左の手のひらで少年のまぶたはそっとおろされた。丈夫でゆるやかな旅装束。その膝の上で、少年は、泣き疲れた赤子のように、小さく小さく、事切れていた。

 白く透きとおった少年の肌は、まるで(ろう)のように淡く輝いていたが、美しいというには、腫れた顔も、血と土に汚れた指先も、吐きだされた激情も、生々しく。

「ナギさん」

 一歩踏み出そうとしたソウをさし止めたのは、黒紫の紋様が刻まれた左手だった。

 白い花の群れの中で、彼は静かに少年を抱きあげる。

「すこしはなれたところで、火葬しましょう」

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