(七)炯眼
ひとあし先に洞窟の外へ逃げていた男らと合流して、ソウは宿場町へ。そのころには、大男も意識をとりもどすほどには回復していた。
「ソウさんおかえりなさい!」
宿場町へ着くとナギが出迎えてくれた。亜麻色の髪を大きく揺らし、盛大にソウを抱きしめる。
「よかった。無事に帰ってきてくれて、本当によかったです……!」
「痛い痛い痛い。ナギさんちょっとおちついて。せめて、手当してからお願い」
ナギはあわててはなれ「すみません、つい」と目じりをぬぐいながら表情をやわくほころばせた。
宿場町では入口より手前に防衛線を張り、冒険者たちや、町の男衆が待機していた。ナギが呼びかけ、そしてそれに応じてくれたのだろう。
言葉は通じない。文化もまるでちがう。けれど、誰かを愛し守ろうとする人たちがこの街にもいる。よかった、とソウはちいさくつぶやいた。
雨が降りはじめ、安堵をとりもどした町は日常に戻っていった。男たちには診療所で手当をしてもらうようにうながしてから別れた。緊急的な処置は済ませていたものの、白蝙蝠に噛まれた大男は、経過もふくめて診てもらったほうがいいだろう。他の男たちも、念のため瘴気症の予防をしておくべきだ。
宿へ戻るころには、町の喧騒も驟雨に包みこまれていた。
手当はナギがしてくれた。強く打った背中などを含めて怪我の具合を確認し、それぞれに応じててきぱきと対処するさまを見て「魔狩の衛生科に来てほしいくらい」と冗談を言うと、ナギは「運動事はさっぱりなので無理です」と自らの運動音痴を恥ずかしそうに告白した。
「それにしても、すごい火傷痕ですね。背中のほうまで……」
「雷撃を使ったときにね」
苦笑する。
「最初のころはうまくあつかえなくて。最近はあんまりないけど、それでもとっさに使ったりすると、どうしてもね」
「痛くないですか?」
「過ぎちゃえば、もう」
小さく笑う。
「むしろ痛いのは懐のほうだよ。雷撃で破損しにくい素材を使わなきゃいけなくて、特注になっちゃって。再発注したりするとまたお金が……」
「もう、あんまり無茶したらダメですよ」
「気をつける」
その後ソウは、洞窟で魔化した蝙蝠に遭遇し、それが手のひらほどの魔鉱石を喰っていたことや、中型のクォーツスネークが棲みついていたことをナギに話した。
「いちおう討伐できたけど、あらためて調査したほうがいいと思う」
「なるほど、ではそれもふくめて、仲介所に伝えてきますね」
ナギは桶を片手にたちあがり、うなずいた。
驟雨がすぎて晩になると、宿場町の広場では火が焚かれ、それを囲むようにクォーツスネークの骸が置かれた。驟雨が過ぎてから晩までのあいだに、冒険者の手によって回収されたそうだ。
独特の調子で奏でられる音とともに女性は円になって舞いを披露し、男たちはその中で歌いながらクォーツスネークの解体作業をおこなった。雷光で焼いてしまったため、あまり価値は残らないだろうと思っていたが、牙や骨を武器や工芸品に利用するらしかった。
ソウは脅威をおいはらった勇ましい男として宴会の中心に立てられ、報酬とともにあちらこちらから歓迎と祝いの――表情やようすから、おそらくそういったものと思われる――言葉をこれでもかとかけられる。
解体の儀式が終わるなり、女性たちは酒をもってソウをとりかこんだ。どちらも丁重にお断りしていると、やがて男たちにかこまれ揉みくちゃにされ、それがようやく終わったかとおもうと、こんどは豪勢な食事が目の前にならべられた。
「大きな獲物がとれたときは、みんなで食卓を囲むのがならわしだそうですよ。自然に感謝しながらいただき、一体となって、やがては自分の肉体とともにすべてを自然へ還す……彼らにとって、自分の肉体は自分のものではなく、この土地のものなんだとか」
「正直、寝たいところだよ」
苦笑する。
「まさか、アレを狩っただけでこんなお祭りになるとは思わなかった」
ナギはくすくすと笑って「そういうものですよ」と広場を眺めた。
「ソウさんは魔狩なので慣れっこかもしれませんけど、魔種は、ふつうに狩れるものではないのです。それもあの大きさを、たった一人で、なんて。町からすれば、英雄同然ですよ」
「嬉しいけど、それは褒めすぎだよ」
苦笑する。
「まぁ、でもよかった。みんなに被害がでる前で」
ソウは目の前の情景を眺めて、安堵の息をついた。
ぼんやりとけだるそうな月明かりが、闇夜へゆるやかにそそがれている。
広場から少しはなれた河の船着き場で、独り。ボトルをかたむける痩せぎすの背中があった。
「こんなところにいたんだ」
後ろから声をかけると、黒影はこちらを一度ちらと見ただけで、欠片も興味がなさそうに、またボトルをかたむけた。
長く垂れた黒い髪は、月明かりに照らされてもなお黒い。光沢のない黒だ。ツンと尖った横顔はいっそう白く、夜の暗闇から浮いている。いつ見ても、不気味な人だ。目の下の濃いくまが、より不気味さをきわだたせている。
「どこにもいないから心配しちゃった。……みんなといっしょにに食べないの?」
町の灯りを見やって、ソウは黒影のとなりへ座った。あいかわらず返答はない。ただ嫌われているだけなのか、それとも、ふだんは無口なのか。
「俺は憂国に家があるんだ。両親はいないんだけど、弟が一人いて……事情があって働くのも難しいし、不器用で家事もできないから、けっこう心配でさ」
この船着き場にも、たよりない灯りがぽつぽつと提げられている。魔鉱灯……だろうか。故郷にあるものとは、まるで形がちがう。枝と枝を渡る紐に袋状の薄い膜があり、なかは液体で満たされている。そのなかに発光する石のようなものが沈んでいた。淡い光だと思った。
「食べる?」
ソウは持ってきた包みをひらいて果物をさしだしたが、黒影は首を横に振った。
広場からひとつ離れた船着き場は、とても静かだ。
「君は、家族とかいないの?」
「兄がいる」
く、とかたむけたボトルからは、酒の匂いがした。ラベルの表記は読めない。魔幽大陸のものだろう。
「そっか。心配?」
「べつに」
黒影はわずらわしそうに、また酒を呑みくだした。いつ見ても不機嫌そうに見える。鋭い目じりの三白眼が、よけいにそう見せているのだろう。
「お兄さんのこと、嫌いなの?」
「……わずらわしい。面倒だ。とっととくたばれ、と思っている」
「辛辣だなぁ」
苦笑する。出会ったときからそうだが、黒影は言葉をまるで飾らない。すなお、といえば聞こえはいいが、そういった言葉は歓迎されるものでもなければ人に向けていい言葉でもない。
「だが同時に、憎からず思っている」
ソウはおどろいてとなりを見やった。同時に、黒影の視線がこちらに向く。
真っ黒な瞳と視線がぶつかる。
黒影は、見つめている。
「キサマはどうなんだ」
「え、なに? 弟のことは好きだし、大事だよ」
この返答に、黒影は眉間のシワを濃くした。
また、うすら寒いだのアホらしいだの言われるのだろうか。そう思った矢先、さらに言葉が重ねられた。
「その、人を誑しこむような笑いかただ」
「へ?」
目を丸くした。あまりにもとうとつで、言葉の意味を図りかねる。その、合間。黒影の細い指先が伸びてきた。わずかに身を引いたとき、黒影の手がぐんと伸びて、ソウの肩を押した。
どさり。背中が硬い竹板にぶつかった。黒影の細い身体が、遠く霞んだ夜空をさえぎり、ソウは組み敷かれる。夜闇よりも暗く濁った黒い髪が視界を覆い、そのときはじめて、正面から黒影と向き合うことになった。星のきらめきが見えなくなった暗がりにある炯眼は、ソウという人間を無感動に見つめている。
「乱暴はやめてよ」
ソウは身を強張らせた。
「……昼間のこともそうだ。キサマはあの男の言葉を心から信じていたわけでもあるまい」
「そりゃ、怪しいなとも思っていたよ。けれど、」
薄い手に頬をぐいとつかまれ、言葉が途絶える。
「焦り。怒り。驚き、喜び。キサマはどれをとってもキレイで違和感がない。だから気色悪いんだ。まるで、心の底から善良な一般人だとでもいうように」
ぐ、とさらに力がこめられる。そのひょうしに、細い指先がずれて、ソウのくちもとへほんのわずかだけ触れた。
怖気。
「さわ、るな!」
気がつけば、這いのぼるような不快感をふりはらうように、痩せたみぞおちに蹴りこんでいた。瞬間的にまずいと理性が働き直前でとどめようとしたが、遅かった。黒影の身体は簡単に転がった。
(まずった)
いますぐかけよって、あやまらなければ。
考えるも、立ちあがれない。指先に力が入らない。小刻みにふるえる身体の奥が、嫌に脈動する。気持ちが悪い。
吐きそうだ。
「……」
気配が動いたような気がした。どうやら黒影は咳きこみながら立ちあがったらしかったが、顔をあげて確認することすらままならなかった。伏せた視界に、ゆらり、と不気味な影がさしこんだ。コッ、と竹板を踏む音がする。
(来るな)
(寄るな)
心の中で、近づいてくる気配を拒む。
月明かりがふたたび閉ざされたとき、ソウはやっとのことで黒影を見あげた。
(意味が、わからない)
色彩の欠けた口もとは、笑っている。
両端をつりあげて、とても愉快そうに。
まるで、獲物を見つけた獣だ。そのさまがひどく不気味で、気色が悪い。
つま先にちからをこめ、ゆっくりと立ちあがる。
「なに」
ああ、言いかたをまちがえた。つい胡乱げに訊ねてしまった。
向こうが先に手を出してきたとはいえ、蹴りこんでしまったことは事実だ。それについてまずあやまらなければいらない。怪我をしていないか確認して、もし怪我をしていたら、早急に手当てをしないといけない。
それが正しい。
「そういう顔のほうが良いぞ。よほど人間らしい」
「!」
とっさに一歩、身を引いた。自分よりすこし背の低い黒影を強く睨んだとき、その黒い瞳に、自分が映っていることに気がつく。
ソウは両手で顔をおおった。
「ああくそ。嫌いだ」
誰に言うつもりでもなく、ひとりごとのように。
笑ったのは黒影だ。
「ふ、ふ」
気持ちの悪い息をこぼして、のぞきこむようにまた近づいてくる。
指の隙間から、目の前の黒影を睨みさげる。
「アンタわかっててやったな」
白と黒のうす気味悪い顔がさらに、にたぁり。こちらの侮蔑を意に介さず、さらに一歩。今度はソウの手首をひねるようにつかんだ。
怖気。
「ッ」
その手を振りはらう。
「だから、触るなって。言っただろ」
「まだふるえているのか。ずいぶん可愛らしいことだ」
「……」
また睨んでしまいそうになって、まぶたを閉じる。眉間に寄ってしまったシワを揉んで、息を吐く。――調子が狂う。
「……苦手なんだ。触られるのも触るのも。だから控えてほしい」
あくまでも、攻撃的にならないように。口調が荒れないように留めながら、できるだけゆっくりと伝える。感情をかき乱すような不快感が今なお爪を立てるようにやかましいが、それは呑み下して、そのまま捨ておいた。
「蹴ったのは、本当にごめん。怪我は?」
「あのていどで怪我をするなら、いまごろワタシは生きていない」
黒影は吐き捨てるように鼻で嗤った。
「それもそうだね」
嘆息。上着をかるくはらい、身なりを整える。
「俺はそろそろ寝るよ。君も早めにね」
おやすみ、とやわらかい調子で伝えて、踵を返す。返答はない。
もどる前に一度だけちらと見やると、ソウが訪れたときと同じように、独り、酒をあおる黒影の背中が見えた。
痩せっぽちの背中に、重く長い髪が垂れこめている。