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(十)バケモノ

 深夜。すっかり眠ってしまった黒影をそっと膝からおろして、ソウは彼女に毛布をかけた。――いつもならこれですぐ起きるだろうに。

 どうやら相当疲れているらしく、目覚める気配はまるでなかった。いったいなにが彼女をここまでさせるのだろうか。彼女は出会った時よりもずいぶん変わってきたようにも思えるし、しかし同時に、変わらないようにも思える。たんに、自分(ソウ)が変わってしまっただけかもしれない。

 いつも眉間に寄っているシワはない。目の下には濃いくまがさしこんだまま、まぶたはちからが抜けている。色味のないくちもとはゆるやかに閉ざされたまま、おだやかな呼吸がやわらかく手元に触れた。こんなふうに気が抜けていても、十六の少女らしいあどけなさや幼さは感じられない。――けれども彼女は、美しかった。

 音をたてないよう立ちあがる。歩くほどもない狭い室内のなかに詰まれた本は、どうやら分類と重要度でわけて並べているらしい。入口から文机。そこから隣の寝室までの通り道は最短距離で確保してあり、こまめに清掃しているのか、ほこりっぽくはない。もし、まにあっていなかったら掃除してやろうと思っていたが、必要はなさそうだ。むしろ、下手に手をださないほうがいいだろう。

 彼女らしいな、と微笑ましく思った。

 干渉されたくないというのもあるだろうが、黒影は存外きれい好きだ。居心地の良い場所を好み、武具の手入れはこまめで使ったものはもとに戻す。ふだんの乱暴な態度からはあまり想像のつかない一面は、こうして旅をしなければけっして知ることもなかっただろう。

 低い文机の上には覚書があった。ひと息で書いたような流れる筆致だ。自分はこういうことをするとつい端から端まで整然と字を並べびっしりと詰めてしまうのだが、彼女の文には行間と余白がじゅうぶんにあった。筆を止めたところには、疑問や別の文献からの解釈が書きこまれ、並行していくつもの資料を見ていたことが読みとれる。紙の端には番号を。また、引用した文献もわかるように遺されていた。

 そっと離れて、ソウは(ふすま)をすべらせた。

 風の吹きつける音がする。さきほどから建具のゆれる振動が、細かく何回かに分けて定期的にあった。嵐でも来たのだろうか。窓外を見ると、先ほどとはようすがちがうように思えた。やけに明るいような――……。

 白。

 白炎だ。夜空の藍色は黒い煙のなかにのみこまれ、ユウメの大通りからは火の手がいくつも上がっている。白炎と黒煙のあいだをうねる龍のごとき炎が街の中心部を燃やしている。

「ナギさん起きて!」

 ソウは左右一対の片刃曲刀――魔導武具を背負って、ナギを叩き起こした。ナギはまぶたをこすりながら「なんですかもう」と言いかけて、愕然(がくぜん)と窓外を見つめた。

「これは……」

「黒影をお願い。そのあとナギさんはすぐ安全な場所へ避難して。できれば、宿の人もいっしょに」

 それだけいうと、ソウは窓を開け放ち、とびだした。



 街が焼け(ただ)れていくようだった。

 街路を走りながら避難を呼びかけ、中心部へと向かっていた。今日はそれほど風もなかったはずだというのに、白炎は異様な広がりをみせ、うねる炎柱が家々を砕き、ユウメの色彩を塗り替えていく。

(なにか魔種が現れたのか……でもそれなら警備が視認したときに、警鐘が響き渡るはず)

 ソウは経験上、これほどの被害をだす魔種はそのほとんどが大型であることを知っていた。にもかかわらず、街はいまさら避難指示を出していて、あわてた住民たちが寝間着すがたのままいっしんに建物からあふれだしていた。

 きゃあと悲鳴が上がる。しりもちをついた街女のまえに、ゆらり。炎をまといながら、爛れた白魔が腕を伸ばす。ソウは無意識に魔導武具を起動させ、わずか数瞬ですべりこんだ。迷わず白の首を斬る。

「逃げて!」

 女はガクガクとうなずくと、地面を掻くように立ちあがって逃げていった。

 ふと。

 熱気を感じて振り返る。煌々と燃え盛る炎に無数の影。それらはどれもふたつの脚がついていて、腕が二本あり、胴部と首。そして頭がある。ぽこ、と炎から出た顔は、焼け爛れた白。目が潰れ、口が中途半端にはりつき、奇怪な音をかすれさせる。ヴヴ、とうなる。ぽこ、ぽこ、と顔が出る。胴体が出る。手が伸びてくる。無数の手が、伸びてくる。足を引きずりながら、それらはのろのろと迫ってくる。

(なんだ……これ)

 魔導武具をかまえ、いつでも雷撃を放てるように彼らを見据える。ねじれる感覚が泡立って、身体の内側をなめる。ざわざわと掻く不快感がいっそう煮えたち、ソウの思考は冷めていく。町民を護るために妖魔を殺す。それが魔狩としての――……。

「ず……、みず、を……」

 耳を疑った。黒く空いた穴から、人の言葉が漏れたように聴こえたからだ。あるいは、逃げ遅れた人がいるかもしれない。ソウはわずかに後退しながら、目視できる範囲をすばやく一瞥した。ない。そんな姿は見えない。

「水を……たすけて……」

 白い手が、すがるように。

 ソウは足を止めていた。目の前の異形たちをただ凝視した。白く爛れた肌。もがくように伸びる腕々。前かがみになって、苦しそうに足を引きずりながら。

 潰れていない目があった。爛々(らんらん)と光る眼だ。それはたしかな意志をもってこちらを見ている。

「たすけて……」

 目を見ひらく。

 妖魔は魔種だ。

 魔種は殺さなければならない。

 だからいま目の前にいる妖魔はすべて、()()()()だ。なぜならそれらは、人類の存続を脅かす()()()()だからだ。

「たすけて」

 すぐ近くで、たまのような声が聞こえた。足元に視線を下げる。親とはぐれたのだろうか。まだ幼い少女が服の裾をひいていた。ソウはすぐさま、彼女を安心させるように笑みをつくろうとした。

 白く爛れた手。

「ッ!」

 とっさに振りはらう。思わず雷撃を放ちそうになったが、それはどうにか押しとどめた。白が迫る。たすけてと手をのばす。水をくれとすがる。まるで()()じゃないか。はっきりと聞こえる。痛い。熱い。苦しい。助けて。助けて。助けて。


――押し寄せる白は、()()()()か?


 白が、青い袖口に触れた。いくつもいくつも伸びて、この青色を求めるようにつかむ。ソウは目のまえの白を眺めていた。殺すか迷っているわけではなかった。ただ()()がなんなのかを知りたかった。白く爛れた顔がすぐ目の前に迫った。炎の熱を宿したそれは、焼けた香りがする。煙のにおいをまとっている。それは眼前で口の孔をあけると、肺の奥からひりつく熱気を吐きだしながら、乾燥した喉をふるわせた。

 焼けたにおいだ。

 いきものの、においがする。

 首を斬る。

 ばたりと倒れた白は赤い血を吹きだした。ほかの動きが一瞬、怯えたように留まった気がした。

「嫌な話」

 ソウはうつむいた。いままでなんの疑問も持ったことはなかった。なぜなら必要がなかったからだ。文面()()理解して()()()()()()それでよかったからだ。

 魔種の成り立ちは、現状二種類が確認されている。

 ひとつは、魔種同士が、生物と同じように生殖をおこない次世代を産み落とすこと。そしてもうひとつは、通常の動植物が瘴素によって〈魔化〉し、魔種へと変異する場合だ。

 人間が〈魔化〉しないなんてことは、誰も言っていない。

 なにもいわずに雷撃をはなって、この場にいる白を一瞬のうちに焼き尽くす。白亜化を止めるにはその部位を切除するしか方法はなく、また白亜化した部位を元に戻すことはできない。だから、これほどまでに白に侵されてしまった彼らを救う手立てはない。


 ひとごろし!


 声が聞こえたような気がして、ゆっくりと視線をすべらせた。

 誰もいなかった。

 ああ、殺したからだ。

 足もとに転がる白を見る。血に濡れた白だ。

 ソウは薄く笑った。

「いまさら」

 その言葉に、なんの意味があるだろう。自分から手を下したか、そうでないかのちがいだろうか。人は簡単に人の命を奪う。それはたとえば、怨みや憎しみで。怒りで。恐怖で。不安で。あるいは、熱狂で。

 母を殺したのは、けっきょくなんだったのだろう。

 母を追いつめたものは、ひとごろしではないのだろうか。

 母の死を喜んだものはひとごろしでなかったのだろうか。

 母の死を見送った自分は、ひとごろしでないと言えるだろうか。

 雷撃で乾いた血の痕。青白い刀身についたソレを、肘の内側で挟むように青色の袖でぬぐった。ふと、新しい白が寄ってくる。冷淡に一瞥(いちべつ)して、()()を殺した。

 弟に会いたいと思った。

 なによりも奇麗な白が恋しかった。

 けれども同時に。

 弟を抱きしめることはもう許されないと。

 そんなことを漠然と理解した。



 ソウは()()の首を斬って、白炎のなかへ蹴り戻した。走りながら、()()()()()()。どれも生き(すが)ってくるように思えた。それらを一瞥して、斬り捨てる。

(とにかく、元凶をさがさなきゃ)

 しかし、どこを見まわしても魔種の姿は見つけられない。

(街の警鐘が遅れた理由があるはずだ。夜闇に紛れて見えにくかったとか、この周辺には少ない飛行型で、高度に耐えられる種だったとか。そういう理由が、なにか)

 熱風が肌を焼くようだ。この白炎には高濃度の瘴素が含まれているのだろう。長時間の滞在は危険だ。

(できれば黒影が出てくる前に、元凶をさがしだしたい)

 杞憂(きゆう)していたのは、黒影の瘴気症だ。協会から新しい〈携帯注射薬(ワィトフォーワィト)〉が支給されてはいるものの、短期間での連用は避けたほうがいいとされている。彼女に魔種の討伐を頼むとしても、可能な限り短時間であることが望ましい。――なぜなら、彼女は瘴気症なんて気にせず戦いに身を投じるだろうから。

 視界の端で、明滅。新たな白炎が宙に生まれる。降ってくる火の粉をはらって駆け抜けた。

(これじゃまともに見つけられない。どこか高いところへ)

 目についたユウメの大舞台。そこから斜め両翼にある、金天(きんてん)院と赤剣(せっけん)院。あそこなら、街を見渡すことができるはずだ。熱気で歪む視界にかまわず、最短距離の道筋を頭のなかで組み立てる。汗がにじむ。じりじりと皮膚が熱を帯びる。咽喉(のど)が渇く。近くの軒先から瓦屋根へ。大棟をわたり、勾配(こうばい)をすべるように下って勢いづけて跳ぶ。刹那の浮遊。欄干(らんかん)に魔導武具をかけて金天院にのぼると、そのまま最上階へ駆け上がった。見渡す。街を這う白炎。宙をうねる業火。夜空を隠した黒煙。

 ふと、気づく。

 ユウメの大舞台にたったひとつの影。鮮やかな朱塗りのなかに、ひとつの白。

 白い髪……だろうか。それは街を睥睨(へいげい)している。男のように見えた。大きく背中をのけぞらせて、身体をふるわせているような。

(笑ってる)

 ざわと肌の内側を泡がなでる。ぷつぷつ。ぶつぶつ。泡が立って弾けていく。

 アレは()()()()()()いけないと感情が判断した。恐怖だろうか。たしかに思考があの()()を恐れているようにも思えたが、これは本能的な恐怖というよりも、むしろ――。

 ソウはひといきで金天院の屋根瓦へあがると、てっぺんから駆け下るように勢いをつけてとびだした。雷鳴がいななく。流星のように光を散らしながら、ユウメの舞台へとびこんだ。

 朱塗りの艶やかな舞台に嚇嚇(かっかく)と明滅する。目を刺すような痛みが走る。それでも、その脅威からけっして目を離さなかった。目を見ひらいて、刹那の対峙。ゆらり。男の視線が、こちらへ向く。彼は左手に折れた直剣を握り、もう片方の手からは白い炎を(たぎ)らせていた。白く(たぎ)る髪が熱気にばさばさと暴れ、まるでそれ自体が炎のようにも、怒り狂う竜のようにも思えた。遅れて、思考。床板が鳴る音を聞きながら、()()は魔族以外の何者でもないと確信した。確信しなければならなかった。

 この手に握った片刃曲刀の切っ先が、目の前の人間じみた首筋めがけて光る。

 男のまなざしがソウをとらえた、その瞬間。

「ああ、かわいそうに」

 男は精悍(せいかん)な顔立ちの影に、深い同情をにじませた。切っ先は折れた直剣に阻まれる。ソウはすかさずもう片方をふるった。ギン、と鼓膜をかたい音が叩く。耳障りだと思った。

「かわいそうに」

 男はもう一度言った。

 ソウは目を見ひらいたまま、ただ目の前の()()を殺すことだけを考えた。刃を流して魔導武具に光を滾らせる。殺す。殺さなければいけない。いますぐに。この目のまえの存在を――。

人族(そちら)側は、苦しいだろう」

 切っ先がふるえた瞬間、目の前を白炎がおおった。とっさに距離を取る。

「なにを言ってるのかわからないな」

 ソウは息を整えた。

「お前はいま、こう考えているだろう。おれのことを、人族を脅かす魔族だと」

 男は右腕で白炎を吐きながら(わら)っていた。皮肉めいたシワを寄せて、影がいっそう深くなる。怒りがカタチを歪めて迫ってくる。

「それ以外になにがあるの?」

 行く手を阻む炎を最低限散らしてソウは迫った。男の直剣が跳ねあがる。紙一重でかわし、曲刀をふるう。剣戟(けんげき)が炎の中で()ぜる。目の奥が痛む。光が明滅する。鋭い光が肌の奥まで焼き尽くすように感じられた。それが自分の魔導武具の――雷撃のせいなのか、それとも、男の熱炎のせいなのかはわからなかった。ないまぜになっていくような感覚が気持ち悪く感じられて、熱気を拒絶するように雷撃を放った。だが男は死ななかった。白色は白色のまま。悠然とこの刃をいなす。

「ならばなぜ逃げない。魔狩は魔族に遭遇した場合、まっさきに退却しろと教えられているはずだが」

「へぇ、()()は人間社会にも詳しいんだ。意外と理知的なのかな。偏見をあらためるよ。ごめんね」

 打ちあう音が会話に展開したまま、ソウはまた雷撃を放った。

「醜いな」

 男は言った。

「汚い。キタナイ。ああ、しょせんそんなものだ。おれは知っている。だから許せない。燃えてしまえ、なにもかも燃えてしまえ! おれが魔族だと。お前も言うのだな。ならばおれは言ってやろう。お前だって、そうじゃないか」

「意味がわからないな!」

 ソウは炎をはらった。続けざまに折れた直剣が襲ってくる。どうにか流すが、あまりにも重い。まるで目の前の雄叫びそのものが横薙ぎに叩きつけられているようだった。熱くて。痛くて。わずらわしい。

「おれが魔族だというなら、お前だって魔族じゃないか!」


 魔族。

 魔族?


「――……理解できない」

 冷淡にソウは刃を振り下ろした。直剣が受け流し、すぐさま切り返してくる。

「人は保身のために侮蔑(ぶべつ)する。それは自分とちがうものだと恐れ見下す。お前だっていままさにおれを魔族とかってに呼んだ。変わらないくせに。お前だって目の前の人間を排してしまおうとするくせに! ああ、人々はお前を人族と言うだろう。なぜなら今お前はこの街の正義だからだ。それはお前が社会を背負っているからだ。だが見てみろ。おれと渡りあい、ふつうにはあつかえないものをあつかうお前はなんだ。立場がちがうだけで、同じじゃないか!」

 男はソウの切っ先をはらうと、襟首をつかんで、ぐっと顔を寄せてくる。烈々と燃える白。男の目はギラギラと滾り、目頭の粘膜をなぞる光が爛々と反照する。毛先からその根元。砂粒のような鼻頭のざらつきと乾燥したほほまでもが、ソウの視界にとびこんだ。くすんだ唇が厚く動く。

「問おう」

 彼の中身は、赤い。

「なぜお前はいま、白亜化していない? これだけの瘴気の中でなぜ平然としていられる?」

 ソウは目を見ひらいた。光が眩む。

 生々しい男の瞳のなかに、蒼穹が映る。ごう、と吹き荒れた熱風が金色の髪をさらう。

 ひとふさの、白髪。

「ちがう」

 ソウは否定した。手もとの刃を振りあげた。

「そんなんじゃない」

 弾かれる。刃の音が、もっと大きく反響して身体を叩く。

 思考が言葉を羅列する。否定の言葉を反芻(はんすう)するたび、それを打ち砕くように刃がぶつかり、慟哭(どうこく)した。

 だって、ふつうにご飯を食べて、家族と笑いあって生きてきたじゃないか。

 ふつうに、あたりまえを重ねて生きてきたじゃないか。


――ソウくん、あなた、おかしいよ。


「ちがう」

 魔導武具を振りあげたとき、手もとがたやすく弾かれた。左手からすべった魔導武具が、責めるように光を明滅させて宙を舞う。

 だって、もし本当にそうならライはどうなる。

 父さんはどうなる。

 母さんは?


――このお面はね、あなたを守ってくれる。だからあなたは、ライを守ってあげて。ライはふつうの子だから。


 りん、と音が鳴る。腰に下げた猫の面の裏側が、細い線を描いて光っているように見えた。きっと炎が反照しているのだろう。八打ちの赤い紐がベルトループから解けて、離れる。それに気を取られた。左手の魔導武具を捨てて手を伸ばす。刹那、白く大きな塊が視界を埋めつくした。憎悪を具現化したような()()の炎が迫ってきたからだ。それを視認したときには雷撃を放っていた。炎すら飲みこんで、空を割る轟音。ひときわ大きな光の衝撃が、空気ごと世界を押しつぶすようにふるえた。まるで白日のような閃光。白い雷鳴が二度、三度と黒煙の空をおびただしく凌辱(りょうじょく)した。――よかった。

 刹那に安堵の息を吐く。今の雷撃が空でなく、街に向かっていたら……この周辺はもっとひどいことになっていたかもしれない。

 ふたたび白い炎が迫ったときと、手もとが母の形見へ届いたときは、ほとんど同じだった。

(あれ……)

 耳鳴りがする。キィン、と高い音。ぼお、と低い音。たて続けにぐわんぐわんと視界がゆれる。身体の中で石のつぶてが暴れまわるように、滞留して膨らんだ気がした。ざわざわ。ブツブツ。ぷつぷつ。胃が押し上げられるように、急に気持ちが悪くなって、めまいがいっそう激しくなる。視界が歪む。まるで蓋をされてしまったみたいに、皮がつっぱって、膨張しているように。――雷撃が、出ない。

 炎に灼かれる。舞台から押し出されるように身体はかげろうの景色へと投げ出された。遠くできらりと光ったのは、高く弾かれた魔導武具だった。ふと、手からお面が離れた。

 瞬間。

 つきぬける快感。

 それまで蓋をしていたものがまるでなくなったように。風がひと息に吹き抜けるように。苛烈な痛みを伴いながら雷撃の光がめいめいに弾ける。空へ閃き枝葉を伸ばす。耳を壊すほどの轟音がなんども空気を割って、めちゃくちゃな空へ片手を伸ばす。りんと鈴の音だけが、バカになった耳によく聞こえた。目をくりぬいた面の穴が、ソウをじっと見つめながら、その穴の向こうに現実を映す。現実をふちどる裏側の赤色が、流星のようにおびただしく光の軌跡を走らせていた。いつしか、バリアブルで見たような光の清流だった。

「魔導具……」

 理解。

 したくなかった。

「俺は……」

 宙を掻く手は、醜いばかりの汚い手。

 ずっと見過ごしてきた。乾いた傷痕の痛みも。母さんの言葉の意味も。

(ねぇ、父さん)

 それでも宙へ手を伸ばした。熱風が手を焼く。なにもつかめない。

(父さんは、なんで死んだの。……死ぬことをわかっていたの?)

 なにも聞こえない。街の慟哭がうるさすぎて、なにも聞こえない。

(母さんは、どうしていつもうつむいていたの)

 空は黒くて。

 白くて。

 歪んでいて。

 なにもかもがにじんで、ないまぜになって。

 ぐにゃりとその在り様を変えているようだった。

(教えてよ)

「ソウ!」

 低い怒号が、手のひらに触れた。枯れ枝のような手のひらがソウを引きよせる。

「黒影」

「つかまっていろ。ワタシの魔導武具で落下の衝撃を和らげる。離れるな」

「ねぇ」

 ソウはすがった。

「君は知っていたの?」

 黒影は答えない。汗をにじませる眉間には、いつもよりも険しいシワが一筋刻まれている。

「思えば君の態度には、不可解なことがいくつもあった。そのたびに、君は黙った。なにも言わずにいた。いつから? いったい君はなにを知ってるの? なにを考えているの。何もわからないんだ。わからなくなっちゃったんだ。ねぇ、黒影。俺に答えをちょうだい。俺はなんなの? 俺はふつうじゃないの? 俺は――、」

「黙れ。舌を噛むぞ」

 どうして、答えてくれないのだろう。

「否定してよ」

 ソウは黒影の腕をちからいっぱいにつかんだ。

「あの時みたいに。ただの意地悪だって、言ってよ!」

 深く、おちてゆく。

「黒影!」

 炎に巻かれた塔の柱が、ミシミシと音を立てて崩れてゆく。瓦解していく様が、やけにゆっくり見えた。

 衝撃と昏倒。水とあぶくの音。波間に呑まれるように、意識が遠のいてゆく。


 なら、母さんは?

 魔族だから、殺された?

 正しかったのは、あの時喜んでいた民衆で。

 まちがっていたのは、俺だった?


 轟、と燃えあがった炎の柱が、母を裁いた炎に見えた。



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