(五)ランクB
ソウがジャケットを羽織って協会を出ると、ユウメの街並みは薄闇に包まれていた。時刻は十八時半を過ぎたころ。この街に訪れて三日目になるが、日暮れは思うより早い。
今日はトビと飲みに行く約束をした日で、店で直接落ち合うことになっていた。これまで仕事と家事に一辺倒だったソウにとって、知り合い……ましてや、同僚と飲みに行った経験はほとんどない。どういった服装にするべきか迷ったものの、無難なジャケットに決めた。もちろん、旅のさなかでそんなものをもっているわけもなく、魔導武具の調整ついでに協会で借りることにしたのだが。
協会が所属する魔狩の一部へこういった衣装の貸し出しをおこなっているのは、高ランクの魔狩が時に来賓として公の場に招かれることもあるからだ。これもソウがランクAへの昇格をしばしば断っている理由のひとつでもあった。ただでさえ自分のことでいっぱいいっぱいなのだから、公の場で魔狩協会の顔になる、なんてことはできそうもない。
黒影のようなランクSであれば、それこそひっきりなりに招待状が届きそうなものだが……先日の支部長への態度を見るかぎり、すべて蹴っているのだろうということは、想像に難くない。でなければ、正体不明などという噂もされないだろう。
のれんを彩る明かりは両脇に連なり、薄闇に温かな道をつくっている。トビに指定された店は、もうしばらく歩いたところにある。
三大観光都市のユウメは、この時間でもやはり人でにぎわっている。水路沿いに面した食事処や屋台船ではすでに宴会が始まっていて、すれちがう観光客もさまざまだ。
帰りに黒影とナギへなにか茶菓子でも買って帰ろうと、いくらか露店を流し見る。
黒影はここのところずっと宿にこもりっきりで資料を睨んでいる。手が汚れず、さっと食べられるものがいいだろか。それとも、いっそ休憩させるためにちゃんとしたもののほうがいいだろうか。黒影の性分を鑑みるに、借りてきた本を汚すようなことはしないだろう。だが食べる手間がかかりすぎると、そこに置いておけと言われるだけだ。現に、宿で出る食事もその通りになっていて、ナギに「冷めないうちに食べないと失礼ですよ」とさとされて、ようやく握り飯に手をつけている始末だ。
となれば少量で、できるだけ栄養の摂れるものがいいだろうか。そんなことを考えながら歩いているうちに、らしい店についた。ゆっくり時間としては、ちょうどいいくらいだ。
見たところ、やわらかな灯りが心地の良いレストランで、それほど堅苦しくない。ソウの地元――憂国にもこういった店は多く、いまさら目新しいものではなかったが、どことなく懐かしさを感じると同時に、独特の木造建築と柱を主体にした内装があたりまえのユウメでは異彩を放っているようにも見える。
店内へ入り、給仕に予約名を告げる。コートを手渡したところで、ソウはさっそくトビの背中を見つけた。トビもまたこちらに気がついたらしく、席を立って出迎えてくれた。
仕事着ではない彼は、いつもとちがって新鮮だ。明るい茶色の革靴に、着回しのいい灰色の羊毛スラックス。暗色のテーラードジャケットから覗くシャツはかろやかな明るさをもち、ネクタイやチーフと言った小物も、トビの社交的な気質をよく表している。
「よ!」
「やあ、トビ。おまたせ」
「一昨日も思ったけどよォ、相変わらずの色男だな。ちっともくたびれていやしねぇ」
「君もちっとも変ってなくて、なんか安心した」
半年ぶりの軽口に、ソウは微笑みを返した。
さきほどまでトビが座っていた席を見やると、テーブルには三人分のカトラリーが並べられている。
「あれ、今日は三人なんだ」
トビは「まぁな」とかるく笑った。入り口へ視線を向けた彼は「噂をすれば」。
ソウもまた、振りかえる。瞬間、ふわり。甘い果実の芳香が、胸元へとびこんできた。わ、とちいさく声をあげて受け止める。
「先輩!」
腕の中で涙をにじませたのは、モモだった。
「嬉しい。嬉しいです。こうして、会えて……本当に、無事でよかった」
咽喉をふるわせながらモモは顔をあげた。まるくてみずみずしい瞳はソウの笑みを映している。
「心配してくれてありがとう。俺も会えて、嬉しいよ」
それからソウはすこし苦笑いを浮かべてみせる。周囲を気にするように見回すと、モモはようやく周りの視線に気がついたらしかった。
「ご、ごめんなさい。つい」
彼女は早口で謝って、耳まで真っ赤に染めた。慌てて身をはなして恥ずかしそうに両手で頬をつつむ。どこからか、ひゅー、と口笛を鳴らす音が聞こえた。
「トビ」
ソウは、にまにまと笑いながらこちらをじっくり眺める彼を呆れ顔で諫める。
「続けてくれてもいいんだぜ?」
「彼女は見世物じゃないでしょ」
言いながら、ソウは給仕に視線を投げ、モモにはコートをあずけるようにそれとなくうながした。彼女がコートを脱ぐあいだに、ソウはテーブルまでの道筋をあらためて確認した。
厚手のコートがゆるやかにすべると、筋肉でほどよく引き締まったしなやかな腕があらわになった。と、なめらかな肌にひとつ、治りかけの打ち身があることにソウは気がついた。小柄な彼女は一見、育ちが良く可憐な少女然とした印象を受ける。しかし、こういうときにふと、ふつうの少女ではなく魔狩として日々戦っているのだと感じさせられることがある。
モモは、みずみずしい紅水晶のようなやわらかなピンク色のカジュアルドレスを身にまとっていた。身体のラインをやわらかく自然に魅せるシルエットは、彼女をいつもよりぐっと女性らしく、華やかに感じさせる。首から胸元にかけて、繊細な花柄のレースがよくなじみ、その胸元では空色の石を象嵌した首飾りがきらめく。裾はしなやかなふくらはぎで若々しく揺れ、ヒールの曲線をなぞるように、光沢が艶めいた。
たとえば、この場にいるほかの客に彼女が魔狩だということ言ったとしたら、いったい誰がその真実を信じるだろう。
ソウは彼女の親が上流階級を相手にする商人だということも知っていた。彼女は生活に困った経験はないはずで、かといって黒影のように戦いに熱をあげるような性格でもない。趣味といえば、休みの日に菓子を作ることと花を育てること。そんな彼女がどうして魔狩になったのかということが、ソウはいまだにわからなかった。きっと、訊ねれば彼女は答えてくれるだろう。ソウはそれだけの確信はあったものの、わざわざ訊ねるほどの興味をモモに対して持っていなかった。
手をさしだして「今日はいちだんと奇麗だね」と声をかける。
彼女もまた「先輩も、いつもよりずっとすてきです」と頬を染めて手を取った。
席について、グラスを交わす。つきだしをいただきながら、食べたいものをとりまとめていくらか料理を注文した。最初のうちは再会を喜びながらおたがいの近況を聞きあった。ソウはこの半年のことをかいつまんで話し、その中でも、仲間にずいぶんと助けられたことや、たち寄った街でおどろいたことを話題にした。
トビは大規模討伐戦のあと、負傷した魔狩の治療や介助に忙殺され、しばらく協会で寝泊まりするはめになったということ笑い話にし、モモはこの半年のあいだに相性のいい魔導武具が見つかったことを嬉しそうに報告した。相性の良い魔導武具が見つかること自体非常に稀なことで、そのうえ、彼女はまだ十六歳とうら若い。
「将来有望な若者だこと」
冗談めかしたトビの言いぐさに、ソウもまた同意してうなずくと、「お前がうなずくなや」とかるいツッコミが返ってきた。
モモは「まだ、ちっともあつかえないんですけど」とすこし恥ずかしそうにはにかんでから、思いだしたようにこちらを見る。
「そういえば、バリアブル再調査計画に参加されるんですか? いま、どこもその話題で持ちきりですよ」
「まだ決まったわけじゃないよ」
ソウは苦笑した。
「正直、断ろうと思ってて……」
すこしだけ、沈鬱な表情を見せる。
「あんなことがあったばかりだし、しばらくは、ゆっくりしたいんだ」
「昇格も断ってるって聞きました」
「それは、ほら。出張も増えるし、そのぶん責任も重くなるでしょ」
さらに苦笑を重ねて見せると、モモはたしかにとうなずいた。
「わっかんねぇな。ランクCでも、弟さんと二人だけならじゅうぶん生活できるだろうに。お前さん、なんでランクBになったのよ」
サラダを取り分けながらトビが言った。
「ランクBになりゃ、部隊を任せられることだってある。下位ランクにゃとうてい任せられねぇような危険な仕事はわんさか来るしよ。お前、名声とか欲しいタマじゃねぇだろ」
「言わなきゃだめ?」ソウは小首をかしげた。
「酒の席だろ」
ソウはすこしのあいだ考えた。
ややあって、観念してグラスの底をテーブルにつける。
「――ランクBじゃないと、できないことってあるだろ?」
この問いに、トビは思案したらしかった。やがてハッとしたように目を見ひらく。
「まさかそれだけのために」
「それほどのことだよ」
ソウは、笑みをたずさえた。
「そういうことか」
トビはうろたえたように片手をゆらゆらと動かして、頭を抱えた。
「いや、悪い……そうだよな。ごめん」
「いいよ。俺たちの仲でしょ」
ソウは垂れた横髪を耳にかけて、今度はかるく笑った。
相反して首をかしげたのはモモだ。
トビの視線がこちらに向く。ソウはうなずいた。
「モモちゃん、ちと重い話になるがよ。魔狩になったときに、最初にやったこと、覚えてるかい?」
「それって、契約書の確認とか……」
「それよ」
トビは指を立てた。
「万一に自分が死んだとき、その遺体をどうするか、ってのがあったろ」
「たしか、親族のもとへ返すか、研究のために協会に提供するか選べって」
「その遺体をさ、保管してる施設があるわけよ。山凍地方にな。医療班は、研修で入るんだけどよ、基本的にほかの魔狩は立ち入りが許されてないワケ」
「それは、たしかにそうですよね」
モモはうなずいた。いまいち要領をえないようすで眉根をよせたまま、「それがいったい、なんの関係が」とつぶやいたところで、モモの顔色が途端に変わる。
「まさか……」
トビはうなずいた。
「上位ランクになると、手続きすりゃその施設に立ち入ることもできるわけよ」
「ソウさんのお父さんって、確か、魔狩で……」
彼女の視線が、動揺と憐憫をまじえてこちらへ向いたのがわかった。
「うん」
ソウは視線を伏せて、くちもとにカタチだけの笑みをうかべた。
「――白いまま、父さんの遺体はアンプルに保管されていたよ」




