(四)トビ
トビがソウと初めて出会ったのは、いまから十数年前。十九歳のときだった。
男くさい魔狩のなかで、異彩をはなつ青年がいた。トビははじめ、彼のことを役所か、あるいはどこかの坊ちゃんがたわむれに魔狩協会へ訪れたのだろうと誤解した。それほどまでに、彼は野郎たちのなかでは身奇麗であったし、みずみずしく、また筋骨隆々とした男どものなかではひときわ華奢だった。もちろん、女と見紛うほど背丈が低いわけではない。なよやかだが、やけに泰然としているのが印象的だったのは、整った所作がそう見せているからだ。一挙一動が自然で、清潔感があり、無駄がない。――見るだけで涼風でも吹いてきそうな男だ。
一言でいえば「スカしてんなぁ」。
それが、トビが彼に対して、最初に抱いた印象だった。
たしかにうんと美形だったが、あとになってそれをいちいち思いだすほど暇をしているわけでもなかった。たとえば、仕事が終わってから、家で母や妹たちに話題を振ることもできただろう。ませた妹たちはいくらか興味を持つかもしれない。けれども、けっきょくは母ちゃんの「男なんて」という決まり文句からはじまる長い苦労話で終わるだろうと無意識のうちにわかっていたから――そもそも話題にあげようとすら思わなかった。
もちろん、母ちゃんの苦労は知っているし、女手ひとつで育ててくれたことにも深い感謝を抱いている。このことに偽りはない。ただ、こうして大人になって思うところもある、というだけで。
どのみち、その青年について、まわりがなにか騒ぎたてるほどの興味を、トビは持つことができなかった。けっきょく、すぐに忘れてしまった。
次にその青年と会ったのは、戦場だった。
〈赤紙〉が下り、トビは緊急討伐作戦に参加することになった。
医療班に所属していたトビは、医療用天幕のなかで、次から次へと運ばれてくる負傷者を前に、息つくひまもなく手当てをほどこしていた。深い傷に布をめりこませる勢いで押しつけて止血し、とび出たはらわたをとにかく押しこんでぎゅうぎゅうに巻くなど、ともかく発狂する暇もないほどに、そういったことを次から次におこなっていた。なかには、白亜化した部位をそぎ落としたり、あるいは切断したりすることもあった。一分一秒が命を左右するこの天幕のなかは、叫びやうめき、さらには人間のなかみのにおいでいっぱいだった。
その阿鼻叫喚にとびこんできた報せこそ、後方待機部隊――うら若く、まだ経験の少ない魔狩たち――が魔種の集団に襲われ、分断・孤立させられてしまったという旨だった。数は数百を悠に超えるという。
トビはその救出部隊に参加することになった。魔導武具を使えない魔狩たちの命は、もはや絶望的だろうが――。口には出さなかった。たとえそんな状況だったとしても、それでも、ひとりでも救える可能性があるなら。
野原が焦げ尽くしたにおいを嗅ぐのはこれがはじめてだった。
黒い戦場だった。めらめらと炎が立ちのぼり、汚い煙を立てていた。
トビがその場に訪れてまず目にしたのは、あまりにも暴力的な光の奔流であり、耳を支配したのは頭蓋をうち割るような轟音だった。全身の毛が逆立った。肌がビリビリと痛い。危険だ。いっそ逃げてしまいたいとさえ思っていた。あんな魔種、かないっこない。もう誰かを助けたいだとか、そういうことは考えられず、ただ脚がすくんで、しりもちをついてしまった。思わず、助けてくれ、となさけなく叫びそうになったとき。
痛烈な光がやんだ。
轟音が空へ失せた。
はらり、と焼けた外套がなびいて、静けさを孕んだ。
トビは目のまえの光景をとても信じられなかった。
無惨なまでに焼け焦げたその中心に立っていたのは、なにも凶悪な魔種ではなく、たった一人の青年だったからだ。それも、ごくありふれたような背格好で、魔狩というにも戦士というにも頼りなさそうで、焦げついた煙の中で揺らぐ金糸の髪がそれをことさら儚げに見せた。
青年の身がぐらりと傾ぐ。トビはいつのまにか駆けだしていて、その身体を支えていた。――見るにたえないありさまだった。とてもじゃない。息をしているのが信じられない。
ぼろぼろにふくれ、灼け、はじけた指先で、彼は向こうを指さした。乾いたくちびるを動かす。咽喉まで焼けているのか、かなり聞きとりにくかったが、「むこうに、負傷者と、まだ無事な魔狩がいる」と話した。そしてあろうことか、彼はすぐに立ちあがった。理由はすぐにわかった。青年の視線の先。無数の魔種たちが、こちらへ押し寄せんとしていたからだ。救援に駆けつけた魔狩の数は圧倒的に足りない。前線を維持するために人手を避けなかったからだ。
生きて帰れるわけがない。
自分たちは魔種の波に呑まれて終わる。
故郷に残してきた家族を想う。
トビが絶望に打ちひしがれたそのとき、腕のなかに冷涼な風が抜けた。青年が立ちあがったからだ。青年は腕を上げ、魔導武具を魔種へ向けた。
「戦え!」
その瞬間、この場で恐怖に立ちすくんでいた誰もがはっと息を呑んだ。つきぬけた声に、お前は何者だと問われている。なんのためにここへ来たのかと問われている。
ただ死にたいのかと、問われている。
トビは膝をついたまま、自分よりもぼろぼろの青年を見上げた。青年はなおも声を張り上げる。
「十人は後方で抜けた魔種を討て! それ以外は負傷者の救出にあたれ!」
言って、青年はふりむいた。蒼い瞳だった。
この青年は、その手に持った魔導武具であの大群をくい止めるつもりだ。――正気じゃない。
そんなボロボロになってまで、どうして立ちあがれるのか。
痛みをともなうとわかっていて、また武器を握れるのか。
「頼むよ」
ひときわ静かな声が、さらりとトビの内側をなでた。
凛とした目じりは微々ともふるえていない。蒼穹の瞳はただ静かに現実を瞠目しているだけだった。
彼は二刀一対の曲刀――魔導武具の青白い刀身を光らせた。
「か、必ず助ける!」
トビが叫ぶと、青年は小さく笑みをたずさえて駆け出した。彼は、トビが負傷者の救援を行うことに安堵したのだろう。けれどもトビは、たとえなにがあったとしても彼を助けるつもりだった。
この魔種の大群を押しとどめ、辺りを焼け野原にできるほどの強力な魔導武具に選ばれた青年は、だからこそ矢面に立たなければいけない。それはどれほどの重責だろうか。手足が焼けただれてもなお立ちあがる、彼は。
トビは、かけだした。自分にできることは多くない。彼のようなちからなんて持っていない。だからこそ彼が群れを食い止めているあいだにひとりでも多く救わなければいけない。できるだけはやく助けて――あの、痛々しい青年のもとへ、行かなければいけない。
それまで生きていてくれ、と願いながら。
トビはほかの救援部隊と連携して後方部隊の救出へ向かった。
青年の雷撃にまきこまれてしまうと判断したほかの魔狩たちの多くは、指示されたように抜けた魔種の討伐にあたり、それ以外はトビとともにこの救出作戦へ参加した。絶え間なく響く轟音を肌で感じるたびに、青年が生きていることを知った。それと同時に、彼がなお身を焼きつづけているさまを想像して胸がしめつけられた。それでもトビは負傷者の救出と救護にあたった。やがて轟音はまばらになり、作戦の終わるころにはもう途絶えていた。
身が凍る思いで、トビは再び黒い荒野へ訪れた。
辺りはいくらかの火が滾り、炭の内側がぷつぷつと弾ける音がした。歩くだけで目が痛く泣けてくるようなありさまだった。その中心に、黒いぼろきれのような青年が立ちつくしている。
死んでいるのではないか。
血の気が失せる。これが恐れだと無意識に理解しながらも、無理やり足を動かして駆けよった。おい、と呼ぶ。
刹那、その壊れた指先がぴくりと動いて、燦然と輝く曲刀を取り落とした。膝を崩した彼を支える。彼にはほとんどちからがなかった。――死体でも抱えている気分だった。
「おい、俺がわかるか。返事をしろ」
トビは必死に呼びかけた。青年の視線はうつろだった。
「しっかりしろ。おい、」
呼びかけながら、トビは青年の首元にはりついた身分証明書へ視線を走らせた。
「ソウ。ソウ!」
刹那。
痛々しいほどに焼けただれた彼が、身体をほんのわずかに揺り動かした。乾いた咽喉からうめきが漏れる。助からないかもしれないと思いながらも、トビは彼に肩を貸した。助かってほしかった。生きてほしかった。
青年はトビにほとんどの体重を預けながらも、足をずり、ずり……と引きずりながら歩いた。彼は生きようとしている。つなぎとめなければいけない。こんなところで死なせちゃいけない。
「しっかりしろ。必ず帰るんだ」
青年は繊細なまつげを、しばしばうつろに。そしてたびたび意思をもって、ふるわせた。
「……弟が、」
青年は言った。ほとんどかすれた声で、よくよく耳をたてなければ、ただに息づかいと変わらないていどのものだった。
「これから、弟の学費も考えなきゃで」
トビは「そうか」とうなずきながら、必死に耳をかたむけた。青年はそのあとも、軋む咽喉からぽつぽつと言葉をもらした。
「俺、まだ働ける、かな」
この後におよんで、この青年は自分のことでなく家族のことを想うのか。
「まずは命があることに感謝しろやい」
トビは言った。
「ちゃあんと身体治して、話はそれからよ」
「それも、そうだね」
彼は笑ったらしかった。まるで思いいたらなかったとでも言うようだ。その危うさが、トビに苦い思いをいだかせた。
「……お前さ、死ぬなよ」
「はは、なにそれ。弟を残して、死ねないよ」
「なら生きろ。絶対だ」
言葉を選びながら、ひたすら励ました。
青年は気丈にふるまうのがクセなのか、かすれた声でもなお「生きてるよ」とかるく笑ってみせた。それが余計に痛々しい。
「早く帰らなきゃ。弟が泣いてるかも……ああでも、弟になんて説明しよう。怪我したってこと、あんまり、言いたくないんだけど。」
「ならとっとと治して、元気な姿で帰ってやれ。そんな傷だらけで帰ったら、弟さんもおどろくだろうが」
「それもそっか」
青年はくす、と淡白な笑みをこぼした。
彼の腕を担ぎなおして、トビは乾いた地面を踏みしめる。
きっと彼は、いつか他人のために命を投げてしまう。彼にとって自らの命の重みがあまりにも軽いのか、それとも他者の命のほうがよっぽど重いのかはわからないが、その自己犠牲はいつか彼を殺し、同時に彼を大事に思う人間を悲しませる。それは、その者たちの以降の人生にそれを負わせるということだ。
「まったく。ほうっておけねぇ、とんだ男だこと」
「なに、それ」
「独り言だよ。ほっとけ」
この日、トビは見ず知らずのソウという青年のマブダチになることを、決めた。




