第二王子は要領が悪い ~婚約披露パーティー当日に肝心の婚約者がいなかった結果~
「……困った」
「困りましたね」
良く晴れた初秋の午後。
私は王城にある自分の執務室で、側近と共にお茶を飲んでいた。
「……困った」
「困りましたね」
一口飲んでは、同じ会話を繰り返す。
この様子を目にする者がいれば、グズグズとする男二人に苛立つかもしれない。
だが、幸いにも観客は無く……ああ、お茶を出してくれている侍女のアイリーンがいるが、気の利く彼女は知らん顔している。
同じ言葉にも飽きて、しばらく無言でいれば甘味の皿が差し出された。私の好きな、ブドウのジュレを挟んだパンケーキ。
「ありがとう」
礼を言えば、優しい笑顔が応える。ああ、癒されるな。
「第二王子殿下、癒されている場合ではありません!」
気を緩めていたら側近に叱られた。
侍女であるアイリーンは伯爵家の令嬢で、本来なら給仕のようなことはしなくてもいい。
王妃殿下に仕えている彼女は、最初、殿下の指示で私の執務室に来た。要は息子の仕事部屋の様子を知るために、母親のよこした監察官だ。
それまでは男所帯で、若干殺伐とした感じだったことは否めない。
私の仕事ぶりについては大臣たちから、それなりな評価を得ている。だが、お世辞にも速やかとは言い難い。
要所要所で考え過ぎてしまうせいだ。
彼女が初めて執務室に訪れた時も、側近と二人、締め切って空気の悪い部屋で、ひたすら書類片手に唸っていた。
以前は従僕も待機させていたのだが、経験の浅い者は使えないし、経験豊富な者は拘束するに忍びなくて、用がある時だけ呼ぶことにした。
その結果、環境の悪い場所でもともと良くない効率を更に悪くする、という悪循環を生み出してしまったのだ。
当時は、そんな客観的状況に気付いていなかった。
挨拶の後、用向きを言って執務室を見渡した彼女は、すぐに帰ってしまった。
貴族家のご令嬢が長居できるような場所ではないから気にも留めなかったが。
しかし、一時間ほどして彼女は戻って来た。
「お二人とも、休憩が必要ですわ」
彼女の後ろからはガラガラとワゴンを押して、二人のメイドがやって来た。
一つ目のワゴンにはお茶とお菓子が用意されており、メイドは部屋の中の余った椅子を二脚持ってきて、ワゴンをテーブルがわりにお茶の場を整えた。
「はい、十五分休憩いたしましょう」
ポンと軽く手を叩き、彼女が言った。
余程疲れていたのか、私たちは言われるままにワゴンの方に移動してお茶をもらう。
温かいお茶と言うのは、こんなにホッとするものかとしみじみ思った。そして、菓子の美味しさに驚いた。
二つ目のワゴンを部屋の奥に運び込ませると、彼女はそこからシーツを取り出した。そしてデスクと補助テーブルなど、書類の置かれている場所にシーツを被せ、上から重石になるようなものを載せた。
そうしてから、窓を開けて空気を入れ替える。
なるほど、シーツは風で書類が飛ばされるのを防ぐためだったらしい。
そして、十五分間の休憩と換気の後、彼女はシーツを片付けて帰って行った。
恥ずかしいことに、その時の私は、アイリーン嬢は王妃殿下の刺客であると認識していた。
であれば翌日には大掃除をしなさい、とでも言って、メイドの一隊が寄越されるかと思えばそうではなくて。
翌日、再びアイリーン嬢がメイド二人を従えて訪れた。
「本日は少々、文書の仕分けを手伝ってもよろしいでしょうか?」
女性の文官もいるにはいる。
だが彼女は侍女である。王妃殿下の執務に関わることならともかく、と躊躇していたらテレンスが口を出す。
「試しに、少しやってもらってはいかがです?」
「そうだな。アイリーン嬢、頼む」
「畏まりました」
彼女はサイドテーブルの前に立つと、書類を一瞥しただけで素早く振り分けていった。私が一枚の書類を熟読する間に、一山を仕分けてしまう。
「早いな」
「恐れ入ります」
仕分けられたものをパラパラとめくって確認していたテレンスが、感心していた。
「きちんと分かれています。ここまでしていただけると、だいぶ手間が省けますね」
このやり取りの横で、二人のメイドはガラクタが詰め込まれた棚を片付け、書類を置くスペースを作っていた。
結局、書類整理を手伝ってもらうことになった。
それ以後、王妃宮からの派遣扱いで、アイリーン嬢はいろいろ働いてくれている。
部屋は少しずつ片付き、仕事は捗り、逐一私の様子について報告を受けているであろう母上の目が少しばかり優しくなった。
私は子供の時には片付けが下手だと、よく母上に叱られた。
王族であっても、基本的な生活能力は身に付けておくべき、というのが母上の信条である。
幼い頃は、まだ父上も王太子だったので、一家で別荘に避暑に行くこともあった。
王宮を離れ、開放感のある別荘で過ごす。
子供ならば喜んではしゃぎまわる場面だ。だが、現実は甘くない。
母上はこれを教育の場と捉え、警備以外の使用人を極力減らした。
「自分のことは出来るだけ自分でおやりなさい」
兄上は一通り卒なくこなしていたが、私はとにかく時間がかかる。
こだわっているつもりはないのに折々に考え込み、なかなか前へ進まない。
最たるものが片付けで、帰り際に自分で詰め込んだトランクなど、ところどころはみ出すものがあり自分で見ても酷いものだった。
王宮のクローゼットでそれを開けたメイドの溜め息は、今でも忘れられない。
とはいえ、王宮では幸いにして王子の身分である。
身の回りのことは、人任せに出来るのが本当にありがたい。
世話をしてくれる者たちのお陰で私は無事成人し、何とか己が責務を果たすべく努力していた。
そんな私であるから、側近選びにも少々苦労した。
何せ、優秀過ぎる人材は使い辛い。
もちろん、使えない人材は要らない。
平均的なところを見繕ったとして、こちらの要望を叶えてくれるように教育する暇もノウハウも無い。
孤立無援になりかけたところを救ってくれたのが、侯爵家の次男テレンスだ。
幼いころから一緒に遊び、気が合うので、そのまま側近になってくれた親友だ。と言えば簡単に聞こえるが、実はそう簡単ではない。
王子であるから、幼い時に側近候補として年の近い高位貴族の男子が集められ、最初は一緒に遊ぶところから始めた。
だが、側近に推薦されるような者は、すでに優秀であった。
私とは能力的に雲泥の差。
小馬鹿にするような態度を少しでも見せた者は、すぐに候補から外された。
そして、誰もいなくなった。テレンス以外は。
テレンスは生まれつき気が長いのか、器がデカいのか、欠片も人を馬鹿にしない。そもそも、使用人に対しても大きな態度をとるところを見たことが無い。
彼は侯爵家に籍はあるが、跡継ぎの長男に万一のことがあったら自分を飛ばして弟に継がせてくれ、と言って家を出て王子宮に住み込んでいる。
唯一、私が頼れる男だ。
「それにしても困った」
「困りましたね」
話は振り出しに戻る。
遅ればせながら名乗らせてもらうなら、私はシャンクリー王国の第二王子コンラッド。
年齢は二十。婚約者は…………いない。
正しくは、今日いなくなった。
それなのに、今夜は私の婚約お披露目パーティーというのっぴきならない状況だ。
この国の王族の婚約は少々特殊だ。
婚約者を決めてから一年間は相手の名を伏せておく。
仮婚約と言い換えてもいいだろう。
私は、我が国の侯爵家の令嬢と婚約していた。
婚約してすぐに披露しないのは、婚約期間中に若さ故の事件が起こりやすいからだ。過去にはいろいろあったらしい。
一年間の間に、王家と縁を結んで大丈夫か細かい調査が行われる。
もちろん、相手の家からの調査も受け入れている。
二人の相性の良し悪しも一年間あれば多少はわかるはずだ。
私の場合、十分に相手と会う機会を作れたとは言い難い。
彼女は隣国に留学中で、一時帰国の際に結ばれた約束だったせいである。
政略として考えれば、今の国内情勢において妥当な婚約だし、直接話した際にも彼女本人に気の進まない様子はなかった。
お互い、身分相応の義務を果たすという認識は共有できていたと思う。
だが、公にされていない婚約の状態で留学中の相手……。
後から考えれば、もう少し用心すべきだったのかもしれない。
彼女が身持ちが悪い、なんてことは全くなかったのだが、婚約発表のために国に帰ると知った学友の男が引き留めた。
そこまでならいいが、結果、勢い余って既成事実に及んだそうだ。
しかも、その学友と言うのが、隣国の王弟が興した公爵家の嫡男だった。
身分的に考えて、軽い気持ちでというわけでもなかろう。
それに応えたということは、彼女も近くにいる間に、彼への愛情が育っていたのだろう。
そのことについては、正直どうでもいい。
幸いにも発表前だ。何の罪にも問われないし、問う気もない。
彼等は、自分たちで勝手に幸せになってくれればよい。
問題は、婚約解消の報せが来たのが今日というか、つい先ほどだったことだ。
彼女の実家の侯爵家にとって、このことを王家に報せるのは非常に心苦しかったろう。
それでも、平身低頭で報せてくれたことには感謝しないでもない。
知らずに待ちぼうけ、なんてことになれば、私が恥をかくだけでは済まないのだし。
王城で開かれるパーティとはいえ、事情によっては中止や延期もあり得る。
しかし、今回は出来ない。
間が悪いことは重なるもので、大陸最強国である帝国の皇子殿下が滞在されており、主賓としてお招きしているのだ。
何だったら、婚約披露は延期して、皇子殿下の歓迎パーティーに振り替えてもいいのだが……。
「困ったな」
「困りましたね」
サイドテーブルには立派な飾り剣が置いてある。
婚約の贈り物として、皇子殿下から頂いたものだ。
刀身に殺傷力はないが、鞘の細工が見事で、帝国では定番の婚約祝いだそうだ。
もちろん定番とはいえ皇子殿下からの贈り物となれば、土産物屋にあるようなのとは格が違えば値段も違うわけで。
「返せ、ないよな」
「返せ、ませんね」
時間は迫っているが、話は全く進まない。
ノックの音が聞こえた。
侍女のアイリーンが扉まで行って用件を聞いてくる。
「殿下、そろそろ夜会のお支度を始める時間だそうです」
ああ、困った!
夜会の衣装は思いっきり侯爵家令嬢に合わせた色合いなのだ。
大して特殊な色合いではない。
現に、この部屋にいる侍女だって、侯爵家令嬢と髪の色も目の色も、そう大きく変わらない。
……うん、変わらないな。
「殿下?」
テレンスが訝し気な声を出す。
「こうなったら、代役を立てられないか?」
「今からですか?」
「ああ。彼女に」
「……アイリーン嬢なら伯爵家令嬢ですから、身分ローンダリングはしなくて済みますが」
「ああ、そういうのもあったな。いやいや、まずは本人の意思だろうな」
王族に頼まれたとなれば、彼女は断りにくいだろう。
そして、たった一晩の代役だとしても確実に彼女の縁談に差し障る。
気軽に頼めるものでは……
「あの、もしかして、私に侯爵家ご令嬢の代わりをせよと?」
アイリーンは話が早い。言い淀んだ私の心中を察してくれた。
「今からでは誰に頼んでも間に合わない。アイリーン嬢が受けてくれれば助かるが、君の今後に関わる話だから、慎重に考えて欲し……」
「構いませんよ。やりましょう」
「え? いいのか?」
「時間が押しています。今すぐ準備を始めないと間に合いません」
むしろ彼女に急かされてしまった。
私はテレンスに関係各位への連絡を頼むと、夜会の支度を始めた。
夜会直前、会場側の控室に現れた彼女は、豪奢なドレスを着こなしていた。
「似合うな。とても綺麗だ」
「ありがとうございます」
ドレスは、私の衣装と揃いで誂えたものだ。
侯爵家から、謝罪と共に返却された。
「お針子さんたちが総動員で、私の身体に合わせてくれたのです」
お針子部屋にも、後で何か差し入れないと。
それにしても、侯爵家令嬢とは最近顔を合わせていないので比べられないのだが、このドレスは最初からアイリーン嬢のために作られたみたいに似合っている。
何というか、しっくりくる。
「殿下?」
見つめていると彼女が小首を傾げて私を見た。
「いや、こんな状況で落ち着いている場合じゃないのに、君が隣に居てくれると、何とかなりそうな気がして」
「まあ、私でもお役に立てそうですね。頑張りますわ」
「ああ、よろしく頼むよ」
呼ばれて大広間に入場すると、皆が拍手で迎えてくれた。
すぐにファーストダンスの曲が始まる。
「あれ、そういえばダンス大丈夫か?」
「これでも一応、伯爵家の娘ですので」
わざと澄まし顔をするアイリーン嬢。
くすりと小さく笑いながら踊り始めたダンスは、驚くほど息が合った。
その後は国王陛下と王妃殿下、王太子殿下の元へ行き、宰相より婚約者披露の口上がなされる。
傍らには、彼女のご両親、リヴァーモア伯爵夫妻が少しばかり困惑顔で佇んでいた。ご迷惑をおかけして、大変に心が痛む。
主賓である皇子殿下にもお礼とご挨拶をしたかったが、姿が見当たらない。
とりあえず、もう一曲踊った後、休憩を取ることにした。
「私、ご婦人用の……」
アイリーン嬢はそう言って、伯爵家の令嬢が使う休憩室に向かおうとした。
「待って、今日は王族とその関係者用を使ってくれ」
「あら、そうでしたわ。うっかりしておりました」
そんなやり取りの後、エリアを隔てる扉を潜る。
しばらく歩くと人のいないはずの廊下に、聞きなれぬ声がした。
「まあ、第二王子殿下、ごきげんよう」
妙にしなだれかかるような調子で話す見知らぬ女が現れた。
ここは王族と関係者専用のエリアだ。護衛も付きっ切りではない。
この女は誰だ? なぜここにいるのだろう。
アイリーン嬢が素早く私と女の間に入った。
「第二王子殿下の御前です。お控えください」
「王子を背に庇って、まるで妃気取りじゃないか。
何を勘違いしてるんだか、どうせ代理だろう?
身分が釣り合ってないだろうが」
そう言いながら、女の後ろから姿を見せたのはマッキンタイヤー公爵家の次男、ブレントだ。
「誰でもいいなら、こっちにしておけよ。いろいろ具合がいい女だぞ」
ブレントが下卑た笑いを漏らす。
彼とは幼馴染だ。幼い頃はこんな男ではなかった。長じるにつれ、素行の悪さが目立っていき、実家でも持て余されているようだ。
「俺の女を貸してやるからさ、また、昔のように仲良くしようぜ」
公爵家の子息なら、このエリアに入ることも可能だろう。何かうまい言い訳で、衛兵を煙に巻いたに違いない。
「私の婚約者に言いがかりをつけるのは止めてもらおうか。
代理とは何のことだ? 誰がそんなことを?」
私はアイリーン嬢と身体を入れ替えて、前に出た。
「ハッ、公爵家の情報網を舐めてもらっちゃ困るねえ」
問題は情報網ではなく、それを悪用したことだ。
知ってても知らんふり、知ってても言わない、って高位貴族なら子供の頃に習ったはずだ。
さすがに声に反応して、衛兵が二人走って来る。
「少し酒を飲み過ぎた者がいるようだ。静かな休憩室に連れて行ってやれ」
静かな休憩室、とは尋問のできる部屋の事だ。
まさか、すぐに捕らえられるなど思いもしなかったようで、ブレントは驚いたまま抗議もせずに連れて行かれた。
女は「こんなことだろうと思った」と小さく呟いて抵抗もしなかった。
私は側近のテレンスを呼び、この件がマッキンタイヤー公爵家令息のオイタなのか、それとも公爵家ぐるみで仕掛けたのか確認するよう指示した。
私たちは、さほど遠くないはずの休憩室に、ようやくたどり着いた。
「アイリーン嬢、嫌な思いをさせて済まなかった」
「まあ、平気ですわ。せっかくの代理ですもの、いろいろあったほうが思い出に残りますし」
「そういうものか?」
「ええ、そういうものです」
「殿下の婚約者だなんて、一晩だけでも夢が叶いました」
「夢?」
「あ」とアイリーン嬢は少し慌てたような表情になった。
「……ええ、女の子は皆、夢見るものでしょう?」
「済まない。それほど女の子の気持ちが分かるわけではない」
「それも、そうですわね」
二人で笑ったが、少しばかり誤魔化されたような気もした。
「殿下がご無事で何よりでしたわ」
「君も、無事でよかった」
ブレントと会った時、私一人であれば拘束までは命じなかったかもしれない。
アイリーンが危険にさらされたという事実が、私の判断を厳しくさせた。
広間に戻ると、ようやく皇子殿下と会うことができた。
「これは皇子殿下、なんとも素晴らしい祝い品をありがとうございました」
『月の女神もかくやというお相手ですね。どうかお幸せに』
皇子殿下は大陸の古代語で祝いの言葉をくれた。皇国は古い文化を特に大事にしているので、定型の古代語はよく使われるのだ。
『旅路を照らす寿ぎのお言葉、ありがとう存じます』
私も覚えておいた返事を口にする。
『私も早く運命の乙女と出会いたい』
ちょっと待って欲しい。通常、古代語の挨拶は一往復のみだ。言葉の意味は分かったが、何と返事すればいいんだ。
『古代より神の覚えめでたき皇国の君は、必ずや出会いの花園に導かれましょう』
え? 驚いて隣を見た。
何事も無かったように微笑むアイリーン嬢。だが今、皇子殿下に古代語で返事したよね? 君、職業、侍女だよね?
「おや、王室に相応しい素晴らしいご令嬢を、うまく隠していましたね。
私としたことが一本取られました。
婚姻式の時も、是非、お祝いに駆け付けたいものです」
「恐れ入ります」
茶目っ気のある笑顔で、皇子殿下は去って行く。
「アイリーン嬢、君、古代語堪能なの?」
「まさか。皇子殿下は、祝いの席では古代語の定型文をよく使われるので、とテレンス様からカンペを貰ったのです」
扇子の裏には、細かい文字のメモ書きが貼り付けられていた。
だとしても、臨機応変にメモから選び出すだけでも一苦労だ。
この度胸、機転、君は王子妃に向いてるよ、と言いそうになった。
翌日、彼女は何もなかったように、朝から普通に仕事をしていた。
夜会の翌日は慣例的に、出席者のみ午前中は休んでもいいことになっている。
私は、昨日のあれこれで残ってしまった仕事を午前中のうちに片付けようと思っていたので、居てくれると助かる。
執務の合間のお茶には、いつも通りブドウのジュレのパンケーキが出た。
「このブドウのジュレは、どこで手に入るんだ?」
「私の実家の領地で作っている物です。特産品の中で、一番の売れ筋です。
あの、もしよければ今年の生産分に【第二王子殿下のお気に入り】って入れてもいいでしょうか?」
「もしかして、昨日のパートナーを務めてくれた報酬として?」
「ええ」
そんなことでいいのか?
「私は構わないが、大臣の許可がいるかもしれないので、少し待ってくれ」
「はい」
夜会で一緒に過ごしたお陰か、少し彼女との距離が縮まった。
昨日までより、気楽に話せる気がする。
そう思ったところで、側近が執務室に現れた。
「殿下、お早かったのですね。アイリーン嬢も。昨夜はお疲れさまでした」
「テレンス、昨日の公爵家令息の件、急に任せて悪かったな」
「いえいえ。それも含めて、陛下がお呼びです。
アイリーン嬢も、ご一緒にいらしてください」
「私もですか?」
「昨日の件で、陛下が君を労いたいのだと思う」
「畏まりました」
謁見の間に赴くと、国王陛下、王妃殿下、王太子殿下と宰相がいた。
アイリーン嬢の父親のリヴァーモア伯爵もいる。彼も王宮で文官として働いているので、昨日のことで呼ばれたのだろう。
「昨日は二人ともご苦労だった。それに関して少々話があるのだ」
陛下のお言葉に二人して頭を下げる。昨日だけのパートナーのはずが、こうしているとなんだか本当の婚約者のようだ。
「まずは、マッキンタイヤー公爵家子息ブレント様の件ですが」
宰相が引き継いだ。
「調査の結果、ブレント様の独断による犯行でした。
公爵家はブレント様を絶縁。罰としては鉱山送りとなります」
王族エリアへ必要もないのに入り込んだこと、そして勝手に女を連れ込んだことは罪だが、鉱山送りはさすがに罰として重い。
ブレントの場合、これまでの素行が加味され、今の環境での更生は難しいと判断された。
ちなみに我が国では、貴族の子息の場合、余程の大罪でもなければ鉱山送りとなっても最初は事務的な仕事を割り当てられる。そこで真面目に勤めれば、そこまで過酷な状況に追い込まれることはない。
だが、事務職をいいことに横領などに走れば、すぐに鉱夫として坑道に送り込まれるのだ。
「ブレント様の連れていた女は、元男爵家の令嬢でしたが没落して娼婦となっていた者。ブレント様が身請けしたのですが、身請けの費用が完済されておらず、娼館に戻されました」
それよりも、あの女が王族エリアに入れたことが問題だな。警備体制を見直さなければ。
「次に、昨日の主賓だった皇子殿下についてですが、アイリーン嬢をたいそう気に入られ、是非是非、婚姻の際には招待して欲しい、とのことです」
え? それは、困ったな。彼女には無理を言って代理をしてもらっただけなのに。私は陛下に許しを求めた。
「発言してよろしいでしょうか?」
「思うところがあるなら言ってみなさい」
「ありがとうございます陛下。
アイリーン嬢については、緊急のため代理をしてもらっただけで、これ以上無理を言うのはどうかと」
陛下はわずかに眉を上げた。
「無理、か。私も昨夜、二人の様子を見ていたが特に問題はなかったようだが。むしろ、仲睦まじく、息が合っているように見えた」
それは、彼女といると落ち着くし、いつもの夜会より平常心でいられたからだ。どう返事しようかと考えていると、宰相が話し出す。
「殿下、よろしいでしょうか? 皇子殿下のお言葉には続きがございます。
もし、アイリーン嬢との婚約が解消となった場合、自分が新たな相手として名乗り出たいので、すぐに連絡が欲しい、と」
なんだって!? それは困る。アイリーン嬢が隣国へ嫁いだら、誰があんなにいいタイミングでお茶を淹れてくれるのだ。
いや、国内の貴族に嫁いでも同じだな。
「それは嫌だ」と言おうとして口ごもる。私の我が儘で彼女を困らせるのも嫌だ。
「アイリーン嬢はどうかな? コンラッドの妃になるのは気が進まないだろうか?」
陛下が彼女に訊ねた。
「私は、王子殿下をお支え出来るなら、どんな職種でも構いません」
王子妃は職種なんだ。……うん、職種だな。君が正解だ。
「それに、私は殿下のことをよく存じ上げております。
第二王子殿下は常に周りの調和を考えて行動されるので、自分が苦労を引き受ける方向に進んでしまいがちです」
うんうん、と陛下、王妃殿下、兄上が頷く。家族総出で苦労人認定された。
宰相も頷いてるな。
あ、側近のテレンスが一番深く頷いた。
「ですから、もし私でよろしければ、苦労を分かち合う覚悟はございます」
おおー、と感動した雰囲気の一同が視線を私に移した。
これは、断れない雰囲気だ。というか、断る理由が見つからない。
ふと、子供の頃に去って行った側近候補たちが陰で言っていたことを思い出した。
偶然、耳にしてしまったのだ。
『考え過ぎの愚図』
私の本質は、たぶんあの頃から変わっていないだろう。
だとしたら、さっきのアイリーンの言葉は俯いていた愚図な子供に顔を上げさせるものだった。
考え過ぎの愚図は、苦労人に昇格した。
私の心の片隅を縛っていたものを、彼女の言葉が柔らかく解いてくれたようだ。
「アイリーン嬢、一生、私の隣にいてくれるか?」
「不束者ではございますが、是非、お側に」
「本当にいいんだね?」
「はい」
「もう引き返せないけど」
「はい」
「ありがとう」
「……はい」
彼女の頬が薔薇色だ。
一緒に居て心地いい女性と婚姻できるなんて、まるで恋愛結婚のようだ。政略だからと自分を納得させていた、前の婚約とはまるで違う。
婚約することが嬉しいだなんて、衝撃だ。
その後、婚姻までの半年間、彼女は一日の大半を妃教育に充てることになった。疲れるだろうに、残りの時間は変わらずお茶などの世話をしに来てくれる。
あれこれと話をする中で、彼女の要領の良さは大変に助けになった。婚約者となり、以前とは違って尋ねなくとも助言をくれるのだ。
私は彼女のお陰でたいへんに幸せだが、彼女はどうなのだろう?
彼女にとっては、ただの政略結婚。王族の意向で仕方なくだったら辛い。
思い切って聞いてみた。
彼女は目を丸くして「私も幸せですから、大丈夫です」と答えた。
「本当に?」と食い下がれば、すごく言い辛そうに小さな声が返る。
「コンラッド様のために、お茶を淹れる役目を誰にも譲りたくないと思っていたのです……」
その先は聞かなかった。嬉しくて彼女を抱きしめてしまったから。
おずおずと背中に回された手が、更に私を幸福にした。
侯爵家令嬢との婚約が決まった時、夫婦になるということをどこか他人事のように思っていた。
いくら物理的に遠距離とはいえ、季節の挨拶と、無難な誕生日プレゼントでは、わずかも心の距離が縮まるわけもない。
真剣に婚姻を考えていたならば、あり得ないことだろう。
明らかに私の失態だ。
とはいえ、結果的にはその失態が私に幸福な結果をもたらしたのだから、巡り合わせとは本当に不思議なものだ。