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|思春期《アドレセンス》|症候群《シンドローム》

作者: ゆる

 世の中には数多の病気が存在している。名を持ち、広く認識されているものもあれば、まだ名を持たず、その片鱗すら知られていないものもある。その病がまだ未知のものだった時、どこかで誰かがこう呼んだ。


 思春期症候群アドレセンス・シンドローム、と。




   □   □   □   □



 私は人の心が読める。


 なんて言っても誰も信じてくれないし、そういうノリだと受け取られるのか、羨ましいなんて言われることもある。でも私からすれば、爆発寸前の爆弾、はたまたあと数センチで心臓に突き刺さるナイフそのものだ。


 人の心が読めるなんて言うのはオブラートに包んだ言い方で、実際は視界に入った人の心の内が意思に関係なく流れ込んでくる。その中には勿論、知りたくなかった事、知らなくても良かった事も多く混ざっている。


 ────もし知らずに済むのなら、知らずにいたかった。



   □   □   □   □



 僕は人が言葉を発した時、その人が嘘を吐いているのか本当のことを言っているのかが分かる。


 なんて言っても誰も信じてくれないし、自分が同じことを言われても信じようとは思わない。でも、そんな不思議な力は間違いなく存在しているし、実際、その力によって色々なものを失った。


 嘘を見抜けるなんて超能力のようで羨ましがる人も多いが、そんなものは無知故の羨望でしかない。よく切れるナイフは便利だが、切れすぎるナイフは時に己をも傷つけてしまう。


 ────嘘は嘘のままの方が良いことだってあるんだ。



   □   □   □   □



 薄暗い部屋の中ではスマートフォンの光はあまりに明るすぎる。目を痛めないようにと気持ちばかりの対策として買ったPCメガネに手を伸ばす。慣れた手つきでスマホの画面の明るさを最低まで落とし、2つのハートを線で繋いだイラストがアイコンのアプリを立ち上げた。


「コネクト」という名のこのアプリは、1年前に配信されたばかりのSNS界隈の新参者だ。それにもかかわらず、配信開始から1ヶ月もしないうちに全世界ダウンロード数1位を達成する程の大ヒットを遂げ、古参のSNS達を震え上がらせたとも言われている。1年経った現在では、無くては生活に困ると言われるまでに人々の生活へと浸透していた。



 従来のSNSと大きく違うのは、セーフティ・ワールドチャット・サービス(通称SWCS)という新システムが導入されたことだろう。これにより、1人1アカウントしか登録・保持できず、なおかつ、特殊な生体認証によるアカウント保護によりアカウントハックを不可能なものとすることに成功した。

 また、警察との協力によるサイバーパトロールの実施や、問題発生時の迅速な対応も人気の理由の一端なのだろう。





『今日も学校疲れたぁ〜。ユウトくんはどうだった!?』


 昨日とほとんど変わらない文章を()()()()()。これが日課になりつつあるのには、私も、そして相手も気がついているだろう。


 彼と初めて話したのはこのアプリがリリースされてちょっとした頃だったと思う。少し出遅れて「コネクト」をインストールした私は、心躍らせながら初期プロフィールの設定をしていた。

 自己紹介文を打ち込み終わるのと同時にメッセージの受信を知らせる独特な通知音が立て続けに鳴り響いた時は、危うくスマホを取り落としそうになった。まだ来るはずのないメッセージに恐る恐るトーク画面を開けば、そこには挨拶と少しだけ遅れて送られた謝罪の文が並んでいた。なんでも、知り合いと間違えて送ってしまったのだとか。漫画の世界ならベタな展開だが、まさか私がそんな展開の当事者になるとは思ってもみなく、少しワクワクしたのを覚えている。当時、なにを思っていたのかはあまり覚えていないが、こんなことがあったのも何かの縁と彼に話しかけたのはよく覚えている。それから紆余曲折を経て今に至る。



『あーお疲れ様、サラさん。僕は今日も静かな一日だったよ』


 自分で言うのはなんだけど、私は返信がとても早い方だと思う。用事が無い限り、通知が来た瞬間に「コネクト」を立ち上げ返信する。


『ありがとぉ〜。ふふふ、そんなこといってホントは騒がしい一日だったんでしょ!ユウトくん絶対人気者だもんね!もしかしてカノジョさんもいたりして??笑笑』


 ニヤニヤしている可愛らしいかえるのスタンプを立て続けに送る。


『それ昨日も聞いてきたじゃん。何度も言ってるけど僕は人気者でも無いし彼女だっていないよ。ぶっちゃけ欲しいとも思わない』


『なんだよぅつれないなぁ……』


 スマホの充電器を持ってベッドの上へと移動する。


『でもでも、ユウトくん優しいからモテるよね!?いや、モテないはずない!』


『……少なくとも僕のわかる範囲ではそんな人いないよ。モテるどころか、存在を認識されてるのかわからない』


 普段はあまり送ってこないスタンプを送ってきた。それも可愛らしいねこが項垂れているやつだ。その猫のスタンプが不思議なほどに彼の今の様子をよく表しているようで、思わず笑みがこぼれた。



   □   □   □   □



 家にいる時間は好きだ。僕には自分の部屋があるから、誰にも邪魔されることなく一人の時間を満喫できる。実を言うと、学校でも基本ぼっちなのだが、やはりあそこは家とは全然違う。ぼっちなのにひとりじゃない、そんな相反する世界が構築されている。周囲の喧騒なんて羨ましくもなんともないし、むしろそのことごとくが消え去って欲しいとも思う。学校などという監獄より、家というひとりの世界の方が何十、いや何千倍も良い。



 風呂から上がり、冷蔵庫の中のペットボトル緑茶を求めてリビングへ立ち寄る。両親との3人暮らしなのだが、今日は父母共々仕事の都合で帰ってこないらしい。置き手紙と数枚の野口さんがそれを証明するかのように机の上に並んでいた。夜は食べなくても早く寝れば大丈夫だろうなんて考え、目的のペットボトル緑茶と置き手紙、数枚の野口さんを回収して自室へ戻りベッドへとダイブする。



 やっと落ち着ける時間がやってきた。スマホの充電器をベッド近くまで伸ばしている延長コードに挿す。

 スマホの電源をオンにすると、早速何かしらの通知が来た。手慣れた手つきで2つのハートを線で繋いだイラストがアイコンのアプリを開く。()()()()()()()()()()()()()()()()トーク相手とのトーク画面を開く。




『今日も学校疲れたぁ〜。ユウトくんはどうだった!?』


 昨日とほとんど変わらない文章を()()()()()()()()()。これが日課になりつつあるのには、薄々気がついている。なんせ、彼女はもう3ヶ月近くも同じような文章を送ってきているのだから。



『あーお疲れ様、サラさん。僕は今日も静かな一日だったよ』


 彼女は返信がとても早い方だと思う。ほとんどの場合、送った瞬間に既読が付き、返事が返ってくる。


『ありがとぉ〜。ふふふ、そんなこといってホントは騒がしい一日だったんでしょ! ユウトくん絶対人気者だもんね! もしかしてカノジョさんもいたりして??笑笑』


 ニヤニヤしている可愛らしいかえるのスタンプが立て続けに送られてくる。とても可愛く憎めない顔をしてるせいか、あまり腹が立たない。これで可愛くない顔をしていようものならば、腹が立って仕方がないだろう。


『それ昨日も聞いてきたじゃん。何度も言ってるけど僕は人気者でも無いし彼女だっていないよ。ぶっちゃけ欲しいとも思わない』


『なんだよぅつれないなぁ……』


「つれない」なんて言われても本当のことなのだからどうしようもない、と返事を悩んでいたところ、続けるように彼女からのメッセージが届いた。


『でもでも、ユウトくん優しいからモテるよね!?いや、モテないはずない!』


『……少なくとも僕のわかる範囲ではそんな人いないよ。モテるどころか、存在を認識されてるのかわからない』


 普段はあまり送らないスタンプを送った。なんとも言えない空気を払拭するためでもあれば、今の僕自身の気持ちを表現するためでもある。"可愛いねこ"シリーズしかスタンプを持っていないため、その中で最も今のシーンに合っているもの(項垂れたねこ)を送ったのだが、正直後悔している。あまりにも僕のイメージとかけ離れている気がしてならなかった。彼女にはドン引きされているかもしれない。


『大丈夫だよ、ユウトくんの良さは私がよく知ってる! 誰にもモテてないなんて絶対ないから安心して笑笑 そして、スタンプめちゃ可愛い!』


『その自信はどこから溢れ出てくるの。笑』


 照れ隠しに「笑」なんてつけてみたけど、やはり自分には似合ってないようだ。我ながら笑えてくる。


『ふふふ、秘密! 私はちゃんと君の良さを知ってるんだよってことだけは忘れないでね!』





 こんな良い人と僕なんかがこうやって話してるなんて今でも正直なところ、夢みたいだ、なんて思っている。



 こんなことになったそもそものきっかけは1年ぐらい前だっただろうか……。







 1年ぐらい前、僕は彼女に話しかけた。実を言うと、誰でも良かった。話を聞いてくれる人なら、誰でも良かった。だから僕は無作為に選んだ"誰か(彼女)"に話しかけた。



『おーい、誰だかわかるか?』


『あ、すいません。間違えました。知り合いと勘違いしてしまって……』


 という風に。

 すると、まもなく相手からの返事が来た。


『あ、そうなんですね笑 私インストールしたばかりで、設定してたらいきなり通知が来たのでびっくりしました笑』


『それは申し訳なかったです……』


『いえいえ、気にしないでください! 私もよくやっちゃうので……笑』



 予想以上に礼儀正しく愛想が良い人だったので、嘘を付いてしまっていることがとても申し訳なく感じた。


 しかし、次の瞬間にはそれすらも吹き飛ばすほどに驚かされることとなった。彼女の方から願っても無かったことを申し出てくれたのだ。


『あの……、もし良かったら少しだけ話しませんか? こうなったのも何かの縁ですし……。それに、このアプリにも少し慣れておきたくて……笑』



 僕は二つ返事で了承した。いや、させていただいたという方が適切だろうか。


 それから色々な話をした。彼女は自分と同じ高校1年生だとか、同じ県に住む人だとか、趣味が読書だとか、ピアノを弾けるだとか。気が付けば3時間も過ぎていた。それに気が付かないほど、話に耽っていたようだ。

 そんな中で一つだけ。どうしても頭から離れない話があった。




『実は僕、人が嘘付いてるのか本当のこと言ってるのかがわかるんです』


『え、そうなんですか!? 実は私も似たような感じで……。私の場合は人の心が読めちゃうんです』


『え、信じてくれるんですか?』


『信じるも何も、私も同じような感じなので……笑 むしろそれ私のセリフです! お互い、大変ですね』



 最後の「()()()()()()()()」という言葉には、どこか重みがあるような気がした。もしかしたら彼女も、自分と同じような境遇なのかもしれないなんて、図々しくも思ってしまった。でもどこかで、理解者ができたと喜ぶ自分がいた。



   □   □   □   □



 とある昼下がり。昼寝をしていた私は何かに揺さぶられたような感覚を覚え、目を覚ました。どうやら通知が来たことでスマホのバイブレーション機能が作動したらしい。背を伸ばしながら大きな欠伸をした後、すかさず通知センターを確認する。どうやら彼からのメッセージのようだ。



『暇だからなにか話さない?』


 彼から話しかけてきてくれたことなんて、一番最初の会話を含めても両手で数えれるほどしかなかったように思う。

 ちょっとした嬉しさを抱きつつ、平常心を意識して返信する。



『いいよ! 何話そっか!』


『あぁー、ごめん。特別話題があるわけではないんだよね……』


 速攻で既読が付き、返事が返ってくる。彼も余程暇なのだろう。


 ところで、何も用がないのに話しかけてきてくれたのは間違いなくこれが初めてだ。先程を超える嬉しさや喜びに包まれ、顔が少し熱くなったように感じる。

 まだ会ったことのない彼だが、こういうとこは無性に可愛くて好きだ、などとは口が裂けても言えない。もっといえば、この1年のやり取りの中で彼の優しさに触れ、ほんの少しでも彼のことが気になっている(かもしれない)なんて、自分でも信じたくないのだ。

 もし認めてしまったら、もう彼とは平常心を持ったままのやり取りは出来ないと断言しよう。



『そういえば僕は、サラさんのことをあまりよく知らない気がする。どんな人なの?笑』


『どんな人って聞かれてもなぁ〜笑』


 困る。彼には同じ県に住んでいること、高校二年生なこと(これを教えた当時は一年生だった)、国語が得意なこと、ピアノが多少弾けることぐらいしか教えていない。ただ、これ以上教えると言っても、何を教えていいのか分からない。


『じゃあ、見た目……? 髪染めてたり……?』


『ユウトくんは私の事そんな人だと思ってたんだね』


 メッセージを打ち込みながら、それだけでなく、送る間、送った後もジト目を作る。相手には見えないが、そうしないと気が済まなかった。


『じょ、冗談だよ。黒髪黒目でロングの美少女ですね』


『……美少女じゃないけど、当たってる笑』


「なんだってぇぇぇ〜」と驚いているかえるのスタンプを送る。それに呼応するかのように、相手も「どやぁ」とふんぞり返っているねこのスタンプを返してきた。



『あとあれでしょ。結構騒がしい系のグループにいるのに、人当たりが良くて優しい系の人でしょ』


『なんで分かるの! あ、いや人当たりが良くて優しい系の人かどうかは別だけどね!?笑』


 またもや「なんだってぇぇぇ〜」と驚いているかえるのスタンプを送る。それに呼応するかのように、相手も先程と同じく「どやぁ」とふんぞり返っているねこのスタンプを返してきた。何故か今回はそのねこの顔が腹立たしく感じ、怒っているかえるのスタンプと「虚無」になっているかえるのスタンプを立て続けに送ってやった。すると彼の方からは意気消沈したねこのスタンプが送られてきた。この時、私はこの戦いに勝利したことを悟った。



『いや、まああれだよ。クラスにいる人をモデルにしたんだよ。サラさんはこんな人なんじゃないかなぁって』


『じゃあ私もそうやって当てはめてあげよう。ユウトくんは黒髪黒目の爽やかイケメンで、運動はできるけど、勉強はちょっぴり苦手。よく男子とつるんでて女子が苦手かと思いきや、めちゃ女子慣れしてて女子にモテモテ、みんなに優しく、先生にも信頼されている人でしょ!』


『僕をどこの超人と勘違いしてるの? 黒髪黒目なとこ以外ほぼ違うけど……?』


 至って真面目な言葉と共に人を小馬鹿にするような顔をしたねこのスタンプが送られてきた。

 この時私は、敗北を悟った。



   □   □   □   □



 サラさんの容姿を当てるのに参考にした人は、僕のクラスの、それどころか学年全体の人気者だ。彼女の名はなんだっただろうか……そうだ、星宮さんだ。苗字しか思い出せないのは、僕があまりにも周りに興味が無いからだろう。彼女と僕は、かたやクラスの星、かたやクラスの空気というふうに、相反する立場にいる。僕が彼女に興味が無いように、彼女の視界に僕という異物は存在しないだろう。







 セットしておいた目覚まし時計の電子音と、スマートフォンのアラーム音(鶏の鳴き声)が同時に鳴り響き、あまりの五月蝿さに飛び起きる。もう10月だと言うのに、朝は涼しさという言葉を知らないのか、一向に気温が下がる気配を見せない。



 時刻は6:10。今日も両親は既に仕事へと出かけている。机の上には朝ごはんの作り置きと昼食用の野口さん数枚が無造作に置かれていた。余程忙しいんだな、なんて特段思ってもみないことを口にし、冷蔵庫からペットボトルの緑茶を出し食卓に並べる。


 そそくさと朝食を摂った僕は洗面台へ向かい、歯磨きをしながら身だしなみのチェックを行う。今日は無性に落ち着かない。いや、理由はわかっている。ぼっちにはあまり関係の無い「席替え」という行事(?)がある。エリートぼっちである僕からすると、今の席ほど最強の布陣はない。窓際の最後尾、周囲にはいわゆるパリピと呼ばれる奴らは存在せず、勉強一筋の奴らで溢れかえっている。おかげで先生はこちらを見ることはなく(周囲の人たちは先生からの信頼がとてつもなく厚く、悪いことはしないと信用されているため)、優雅なぼっち生活を送れる。しかしそれも今日まで。「席替え」という行事の前ではその最強の布陣ですら風の前の塵と同じだ。


 どんな結果になろうとも、エリートぼっちらしく振る舞うための心構えをするために、今日は早く学校へ登校することにしたのだ。



   □   □   □   □



 学校は憂鬱だ。もうだいぶ慣れてきたし、気にもしなくなった事もあって、以前よりはだいぶ楽ではある。でも、気を抜いた途端心を抉られるような"思い"が濁流の如く流れ込んでくる。周りに人がいない時以外は、一切気が抜けないために苦痛でしかない。



 今日は席替えの日だ。席にこれといったこだわりはないが、窓際に近い方がありがたい。外を見ていられる分、幾分か気持ちが楽なのだ。



「はーい、席につけー。席替えするぞー」


 担任の一声で騒がしかった生徒達は静まり、そそくさと自分の席へと戻っていく。

 この先生の席替えのやり方は毎度変わるのだが、今回は普通にくじ引きでやるそうだ。


「じゃあ出席番号順に引いていけー」


 私は出席番号順だとそこそこあとの方になる。佐藤、東雲、須藤、住田、田中、田村、月待……。クラスの人達がくじの結果に一喜一憂している。私がいつもいるグループのメンバーは引きが良かったのか、抱き合って喜んでいた。


 そんなこんなで、ついに私の順番が来た。

 出来れば窓際の席になるように、なんて願いながらくじを引く。


 結果は16番。


 残念ながら窓側の席では無いが、窓側の列のひとつ隣の最後尾という、悪くは無い席だった。


 荷物を持って移動すると、左どなりの窓側の席にはもう人が座っていた。

 彼の名は確か……


「月待くん……だよね?」


 手元の本へと向けられていた視線が、こちらへと向く。


「……そうだけど」


 まるで周りには興味無いと言わんばかりの声音で彼はそう口にする。


「よ、よろしくね!」


「よろしく」


 そう言って彼は再び手元の本へと視線を落とした。


 だが、私は彼から目を離すことが出来なかった。なぜなら、彼と目を合わせるまでしたのに彼の心が一切読めなかったからだ。今の私なら、どんなに心が読みづらい人でも目を合わせればその心の深層心理までを読み取ることが出来る。それにも関わらず、彼の心の一端すら読めなかったのだ。


 結局その日は、授業の内容などひとつも頭に入らず、今朝のことだけをずっと考えて過ごした。



   □   □   □   □



 結論から言うと、席替えの結果はひとつだけを除いて完璧だった。前回に引き続き窓側の最後尾、周囲も前回の時とほとんど変わらない顔ぶれだ。仕組まれていると言われてもおかしくないだろう。そのレベルに変わっていない。ただ唯一、隣の席が変わった。前回は学年1桁台の秀才が座っていたのだが、今回はまさかの人物、学年の人気者である星宮さんが座ることとなるらしい。まあ、いずれにせよあまり興味のないことではあるが。


 なんて思っていた矢先、誰かに声をかけられた。読書の邪魔をされるのはたまらなく嫌だが、今回はキリの良いタイミングだったので多少は大目に見るとしよう。



「月待くん……だよね?」



 クラスに自分の名前を知っている人がいようとは思ってもみなかった。大抵の場合は、名前以前に存在すら覚えて貰えない。

 名前を覚えてくれていたことに少しばかりの敬意を表し、手元の本から声の主へと視線を向ける。そこに居たのは他でもない、星宮さんだった。


「……そうだけど」


 こういう人たちとはあまり関わりたくない。

 当たり障りの無い程度の返事をし、視線を本へと戻そうとする。


「よ、よろしくね!」


「よろしく」


 呆気にとられた僕は、つられて返事をしてしまった。まさか挨拶をしてくるとは思わなかった。平常心を装いながら、そそくさと視線を手元の本へと戻す。


 その挨拶の意図の不明瞭さに、放課後まで頭を悩まされる事となった。



   □   □   □   □



 学校という名の監獄から開放された私は、急ぎ足で帰路についた。



 学校から30分程で家へと帰ってきた私は、ブレザーを脱ぐことすら忘れベッドへと飛び込んだ。ポケットからスマホを取り出し、「コネクト」を開く。



『ねえ、ユウトくん! 聞いて聞いて!』


 興奮気味にメッセージ送る。間髪入れずに既読が付く。


『どうしたの? そんなハイテンションで』


 珍しく返事が早いことなど今はどうでもよく、それ以上に今日の出来事を話したくて仕方がなかった。



『ほら、私さ、人の心が読めるって言ったじゃん! 今日席替えあったんだけど、隣の人の心が全然読めなかったの!』


『お、おう……。なんで嬉しそうなの?』


『いやだって、そんな人今まで出会ったこと無かったし、そーいう人となら昔の私のように気楽に振る舞えるかなぁなんて』


 そこまで言って、少し口走りすぎたことに気がつく。彼にはまだそこまで込み入った話はしたことがなかったし、今後もするつもりは無かった。


『そうか、良かったじゃん。あ、僕も今日席替えだったよ。ぼっち席をキープ出来て良かった』


『ぼっち席ってなによ!?笑笑』


『窓側の最後尾で、周りに騒がしい人たちがいない席』


『何それ笑えるっ笑 確かにぼっち席だ!』



 心臓が妙にうるさい。理由は分からないけど、なにかおかしな病気にかかったみたいだ。彼は本当に優しい。私が口走ったのを察してか、話題を少しだけ逸らしてくれた。それだけなのに、心臓が高鳴ってしまう。



『あ、でもひとつだけぼっち席じゃなくしようとする要素はあったな』


『え、なになに??』


『隣の席の人が、この前の容姿を言い当てる時に参考にした人だった。その人学年の人気者だから、隣にいられるだけで眩しい』



 思わず声を出して笑ってしまった。彼のぼっち属性は、彼自身がそう思い込んでいるだけなのか、実際にぼっちなのかは分からないが、少なくともここで話している彼は十分に眩しい。そんな彼が私に似たの人の事を眩しいなんていうもんだから、その彼女は本当に発光しているんじゃないかと思ってしまう。シュールすぎて、想像するだけでまた笑ってしまいそうだ。


『ユウトくんも十分眩しいよ!笑』


『僕はパリピの蛍たちみたいに輝きたくないんだよ。生きるために最低限輝いてればいいさ』


『何それ笑 あぁ、隣の子に話しかけようかなぁ……』


 もし仲良くなれるのなら、喜んで仲良くなりたい。隣の席の彼には、何故か心を開けるような気がした。


『いいんじゃない? それならそれで。サラさんになら話しかけられて嫌な人はいないと思うよ』


 そっか……。なら話しかけてみようかな……。なんて考えながら、彼との話を一旦切り上げた。



   □   □   □   □



 薄々勘づいてはいた。確信があった訳では無いけど、そうなのではないか……と。






「すまん、ユウト……今日急に俺らサッカーの練習が入っちまってな(入ってない)。だから悪ぃ、今日の約束無しにしてくれ!(ユウトはいらない)」


「そっか、わかったよ。練習頑張れよ!」


 仲がいいと思っていたやつは皆ニセモノだった。皆僕に嘘を付いて、僕だけを要らないもの扱いしていたのだ。

 涙は出なかった。悲しくもなかった。どこかで「パキッ」という音が聞こえた────。







 ────目が覚めた。嫌な夢を見ていたような気がする。思い出したくもないような何か。それが何かは分からない。まあいいか。気にしてもしょうがない。


 気持ちを切り替えて学校へと行く。




「お、おはよう、月待くん」


 驚きのあまりすぐには声が出なかった。なかなか返事が貰えないからか、訝しげに思った彼女がこちらを凝視する。


「……おはよう」



 今日は朝から安泰というものから程遠いように思う。まさか2日連続で声をかけられるとは。

 席についてカバンの中のものを机に押し込む。隣を見ると、彼女も同じように荷物を机へと入れていた。そんな中ふと気がついたことがあった。


 彼女はノートや教科書1冊1冊にフルネームで丁寧に名前を書いている。この高校は、学年、クラス、番号、苗字だけ書いておけば問題ないことになっている。フルネームで書く人などほとんど居ないのが現状だ。

 この時僕は、初めて彼女のことを知ったような気がした。




   □   □   □   □




『実は私ね、心が読めたせいで、ずっと友達だと思ってた子を無くしちゃったんだ』


 彼にこの話をしようと思った理由は自分でも分からない。彼に話せば何か変わる、そんな気がしたのかもしれない。


『そうか、お互い大変だな』



 既読がついてから数分経った後に送られてきたこの言葉に、私は込み上げてくる何かを我慢できなかった。目から溢れる水は留まることを知らない。一度決壊すれば枯れるまで止まることは無いだろう。


 私は多分、上辺だけの同情じゃなく、本当にわかってくれる人の少しの言葉が欲しかったんだと思う。親に言っても信じてくれず、むしろ同時に嫌なことを知ってしまう。友達に相談しても、ロクな返事はかえってこず、上辺だけの同情、或いはノリで返したとしか思えない言葉しか得られない。なんなら、これもまた同時に嫌なことを知ってしまう。


 でも彼だけは違った。彼は昔、私に嘘を見抜ける力があるとカミングアウトしてくれた。彼が本当にそうならば、それを人に言うのがどれほど恐ろしかったことか。多少だが、私にだって分かる。その後の反応も、おそらく本心からのものだっただろう。だからこそ、そんな彼からの言葉だからこそ、私の乾いたヒビだらけの心に潤いをくれた。



 彼の返信からどれほどたっただろうか。少し落ち着いた私は、彼に一言だけ送った。


『……ありがとね』



 すぐに既読がつき、うん、とだけ送られてきた。多分、ずっと待ってくれていたんだと思う。心臓が、ドクンと大きく脈打った。



   □   □   □   □



 時が過ぎるのは早いもので、つい先日までは紅葉狩りだなんだと言っていたニュースも、今ではクリスマスのことばかり喋っている。



 あれから隣の席の彼女とは話さないまま、席替えを迎えた。彼女と面と向かって話したのは片手で数えれるほどだが、未だにその意図を掴めないでいる。いや、本当は少しだけわかったような気がしないでもない。



 あと冬休みまで2週間となったが、あの担任は何故かまた席替えをすると言い出した。僕の席は廊下側の前から三番目なんていう微妙な位置だから、この席替えの提案は悪いものではないと感じている。



「よーし座れ、席替えするぞー」


 担任の一声で、騒がしかった生徒たちはそそくさと自分の席へと戻っていく。



「今回はくじ引きな、出席番号順に引いていけー」


 前回はあみだくじだった。出席番号の反対から、結果の部分だけを切り取られたあみだくじの好きな位置に、出席番号と適当な線を書き足していく。そうして出来上がったあみだくじを各々に辿らせ、下に貼り付けられた結果(席番号)が書かれた側の紙を見て、新たな席へ移動する。

 ただこれは、教師側も生徒側も作業量が多くて面倒くさいなどととても不評だったそうだ。

 なんだかんだで、無難なくじ引きが一番好評らしい。



 出席番号順に引くのなら僕は真ん中よりちょっと早いくらいだ。自分より若い番号の人達がくじの結果で一喜一憂する。それを見て、とっとと自分の番が来ないかななんて思う。


 体感で数分(実際は30秒も経っていない)待ち、やっと僕の番が来る。

 神頼みなんてよく言うけど、僕は神なんて信じちゃいない。だが、もし居るならば窓側の最後尾を所望する。



 引いたくじの番号は16番だった。



 僕は上がる口の端を何とか抑えながら、新たな席へと移動した。



   □   □   □   □



 時が過ぎるのは早いもので、つい先日までは紅葉が見どころだなんて言っていたニュースも、今では初雪がどうたらなんて言っている。



 あれから隣の席の彼とは話さないまま、席替えを迎えた。彼と面と向かって話したのは片手で数えれるほどだが、彼のことを少しだけわかったような気がしなくもない。もし次また一緒なら、彼ともっと話してみようと思う。



 あと冬休みまで2週間となったが、あの担任は何故かまた席替えをすると言い出した。私の席は真ん中の前から五番目なんていうなんとも言えない位置だから、この席替えの提案は悪いものではないと感じている。




「よーし座れ、席替えするぞー」


 担任の一声で、騒がしかった生徒たちはそそくさと自分の席へと戻っていく。



「今回はくじ引きな、出席番号順に引いていけー」




 くじ引き、か。彼と隣になった時もくじ引きだった。あの席は彼と隣になった時、16というの番号を充てられていたが、今回は35番を充てられているらしい。



 私より若い出席番号の人たちがくじを引き、その結果に一喜一憂をする。私は喜ぶ側と、悲しむ側、どっちになるのだろうか。

 なんて考えていたら、直ぐに私の番は回ってきた。

 神頼みなんてよく言うけど、私は神なんて信じてはいない。でも、もし居るのなら、私にもう一度だけあの席を引かせてください。



 恐る恐る引いたくじの番号は……。

 私は気持ちを抑えて、新たな席へと進んだ。











 隣の人はもう座っていた。いつかと同じ光景に不思議と笑みが零れる。私は前と比べて少しだけ変わったみたいだ。


「よろしく、月待くん」


 彼はあの時と同じく、気だるそうに本からこちらへ視線を動かした。


「早速なんだけど、私、実は人の心が読めるんだ! でも月待くんだけ全然分からないや!」


 彼の言葉を待たずにそうカミングアウトする。どこか吹っ切れたのか、昔みたいに怖くない。だから堂々と言える。










「知ってるよ。よろしくね、彩良さん」





 ────不意をつかれた。同時に彼の名前を思い出した。前に席の時に気になって調べていたのに、その時は全く気が付かなかった。

 彼の名前は、月待 悠斗。



「え……、あのユウトくんなの?」


「うん、そう」




 そう言いながら下手くそに笑う彼を見て、なぜだか分からないけど、目頭が熱くなったような気がした。なぜだか分からないけど、顔が、身体中が、教室の空気自体が熱くなったような気がした。






 なぜだか分からないけど……、


 胸がどくんと大きく脈打った。


 

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