第二拾話 急
「ようやく外か」
月明りに照らされる、黒に一筋の金の入る髪を揺らしながら、
ツキカゲが森の中にぽつんとある井戸から外へと這い出る。
最小化したぺぺの案内のお陰でここまで辿り着いたツキカゲ。
その道のりは相当なものだったらしく、土埃にまみれている。
ミニぺぺがくねくねと身体を動かしながらツキカゲに訴えかける。
直接喋ったりはしないが、なんとなくの意思疎通は図れるようだ。
「・・・この先でハルキと合流・・・か。よし。」
半身に奔る痛みを堪えながら先へと進む。
(脱出の途中、何回か轟音が聞こえたが、ユウキ達は大丈夫だろうか。)
相変わらずの自分の心配性さに「フッ」と笑うツキカゲ。
(もう心配など止そう。あいつらなら大丈夫だ。)
そう考えようとした矢先、胸の激痛が勢力を増す。
(クク・・・今は自分の心配をした方が、良さそうだ。)
暁闇の加護による身体強化が今は機能していない為、過度な活動は今のツキカゲにとって
致命ともなり得る。
ツキカゲの胸の蠢きと慟哭は次第に肉体を蝕んで行く。
そこに空く孔は、まるで大切な何かが欠落しているかのようで。
◆ ◆ ◆
廃城から少し離れた小高い丘で。
自身の両目に望遠の魔術を掛け、状況を見守る軍師が一人。
「・・・・・あれ?」
「廃城に大きな生体魔力の塊が四つ────そのうち一つは脳筋ぽくて、もう一つは
如何にも腹黒そう。あとの二つは・・・もうあまり力は残って無いようだ。」
「脳筋馬鹿とおっかない暗殺者との戦闘で大勢は決したようだの。」
「・・・・・・・・あれあれ?」
「─────────これ、吾輩の出番ある?」
「ここまで出張ってきて出番ナシ、なんて吾輩泣くよ?泣いちゃうよ?」
オウカの独り言は誰の耳にも入る事は無く、森の木々の中に吸い込まれていく。
◆ ◆ ◆
(──────あいつから受けた傷が痛む。)
廃城の最上階、天守にあたる部分で、ファネスが壁に背を預け、座り込んでいる。
(切傷は塞がってる。でも、それ以外はダメ。)
(おにーさまの理性は飛んでるから、治癒的な魔術は使用できない)
ファネスが自らの兄を獣へと変えてしまったことに今更後悔する。
(こうなったら、奥の手を使ってでも────)
ファネスの手には、瓶の中に拳ほどの肉塊が。
どろどろとした液体を滴らせる肉塊を瓶から取り出し、
僅かに脈を打っているそれを、ファネスは口元へと運び────
◆ ◆ ◆
地を揺らす轟音と共に、ユウキに城の天井が降り注ぐ。
「おわあぁああああ!?」
そして、瓦礫と共に重なり、埋まっていく。
スズネは、いち早くそれを察知し、真っ先に廃城から脱出していた。
廃城といえど、立派にそびえ立っていたそこは、大量の瓦礫でできた平原となっていた。
◆ ◆ ◆
「───あれは。」
廃城だった場所の空に浮かぶ人影を眺めながら、ツキカゲがぽつんと呟く。
その人影は背中に四つの翼があり、まるで天使の様だ。
白い鎧と朝日とが合わさり、更に神々しさを増している。
その天使が、自らを翼で包み込み、勢い良く広げる。
朝の青空を塗り潰すように、太陽と月と。昼と夜とが入り混じる黄昏へと変えていく。
その光景は、まるで心を蝕む災厄の様で。
呆然と立ち尽くすツキカゲに、突如として胸を穿つ様な激痛が襲い掛かる。
眼前に火花が散り、胸を押さえながら狼狽する。
激痛の根源を探すべく、胸に手をやるが、ツキカゲはあることに気付く。
心臓が無いのだ。
本来それがあるべき場所には、心臓の代わりに黒い孔がぽっかりと開いていた。
先程まで影の力が使えなかったのは、ツキカゲの力の源である心臓を失っていたからだ。
身体に残る残留生体魔力がある限り、死にはしない。
ツキカゲの場合、魔力の貯蔵量が並み以上な為、ここまで長持ちした。
しかしツキカゲの魔力にも限界は来る。今がまさに限界だ。
ツキカゲの心臓は、強力な魔力資源であり、
影と闇の力を内包しているため、エーオース兄妹はそれを狙ったのだろう。
喉から風切り音の様な声が出るが、誰にも届く事は無い。
そして、ツキカゲの意識は失墜する。
◆ ◆ ◆
ぺぺ本体の出力する簡易テントにて、子機ぺぺによる情報更新を待つハルキ。
彼の顔からは、焦燥が見て取れた。
「おかしい。合流予定時間はもうとっくに過ぎてる。子機ぺぺからの連絡も───」
『!、連絡が来たバオ。子機NO.2。ユウキに同行させたぺぺバオ。』
『内容は・・・ツキカゲが倒れたらしいバオ。』
顔の色をみるみるうちに変え、すぐにテント外へ走り出すハルキ。
「やばい!ツキカゲを迎えに行かないと!」
その様子を見ながら、ぺぺは呟く。
『場所も教えてないのに走り出しちゃう所とか、ホント、ユウキとそっくりバオねぇ。』
◆ ◆ ◆
上空に浮かぶそれをまじまじと眺めるスズネ。
瓦礫の山から飛び出し、埃まみれになりながらも黄昏に染まる空を仰ぐユウキ。
「ありゃあ、なんだ?」
「さあ」
とてもとても短いやり取りの後、スズネが三歩左へ歩く。
「???」
訝しむユウキの丁度右頬を掠める様に、白と黄金とが混ざる糸が通り抜ける。
否、ユウキには糸の様に見えただけである。
「アッハハ!おっしい!まさか今も視てたんだ!」
聞き覚えのある声が辺りに木霊する。
声の主は、上空に浮かぶそれのようだ。
「あなた────あのファネス?」
スズネの問いかけに対し、ファネスは無邪気に応える。
「ん~?名乗った覚えないけど、まあいっか♪」
「そうよ?ワタシはファネス。今はぁ・・・黄昏の天使ね?」
頭上に歪な五芒星の光輪と、背中から四枚の白い翼、白金の鎧は所々黒に染まっており、
何より額から漆黒の角が生えている。その姿は、天使というより悪魔に近い。
指先に魔力を集中させ、一筋の光線を放つ。
先程ユウキが見た糸の様だが、今度は威力が桁違いである。
ユウキが眼で追うよりも早く、地面に着弾し、大きく抉る。
人体に被弾すれば、間違いなく四肢が吹き飛ぶ威力だろう。
「フフフ♪これも“権能”ってヤツ。なんなら、その顔、吹き飛ばしてあげる♪」
「だが断るッ!!」
迫る光線を間一髪で躱しつつ、徐々に距離を詰めるユウキ。
およそファネスの真下に辿り着いた頃、ユウキはあることに気付く。
届かない。ユウキの身体能力をもってしても、
全く届かないのだ。
訴える様に、スズネに視線をやるが、小さく首を横に振るだけである。
「まったく。世話の焼ける弟弟子たちよなぁ!」
丘から様子を見ていたオウカが、嬉しそうに言う。よほど出番が欲しかったのだろう。
オウカが手に持つ魔導書に魔力を走らせ、詠唱を開始する。
「我、乞い願う。大地よ。大地よ。
神をも引き摺り下ろせ────『天の鎖』!!」
一時的に神の権能を無力化し、一時的に地上に引きずり下ろす大魔術を行使したオウカ。
触媒である魔導書は過度な魔力供給で燃え尽きたが、本人は未だぴんぴんしている。
オウカの周りから黄金の鎖が現れ、ファネスに向かって一直線に飛び掛かる。
翼を拘束する鎖は、上昇を阻止し、形成を一気に逆転した。
「はぁ!?ふざけんじゃないわよ!天使を地に落とすなんて、赦されると思ってんの!?」
ファネスがヒステリックに叫ぶ。
「よっし!誰がやってくれたかわかんねぇけどこれなら届く!」
地面が割れるほどの跳躍の後、ユウキの拳がファネスを捉える。
「『狂戦士の怒り』!!」
久方ぶりのこの技。一時的に筋力を超強化し、攻撃力を底上げする能力である。
ユウキにしては珍しく、飛行能力を落とす為に翼の付け根を狙い、落下させようとする。
「おおおっらあぁあ!」
ガキン、という金属同士がぶつかり合う様な音の後、ユウキは衝撃の事実を目の当たりにする。
防がれたのだ。
それも、自分よりも一回り程細い腕で。
掌の大きさも、筋肉量も一目でわかるほどに違う。
しかし、ユウキの拳をファネスが掌で受け止める形で防がれていた。
そればかりか、今度はユウキの腕を掴み、捩じ上げる。
本能的に危険を感じ、即座に手を離すが、もう遅い。
突き出した右拳は、拳頭から出血し、握られた人差し指はあらぬ方向へ折れ、
小指側の腱が切れ、最早手としての働きはこなせそうに無い。
(こりゃあ・・・骨が折れるな・・・骨だけに)
「っ、はは。」
ユウキが乾いた笑い声をあげる。
「面白い」
ユウキは、血を奪いし者としての新たな能力を解放する。