第9話 メイドさん、主人公に翻弄される
――やらかす!
『私』が思い出した時には、もう遅かった。
「あッ――!」
プディングやケーキを盛りに盛った皿を両手に抱えたまま、カラメル・プールプルは足をもつれさせ、「はわ、わ、わ」と妙に腹の立つ悲鳴を上げながらこちらにダイブしてきた。
「危ない!」
私がカラメル嬢の身体を受け止めたのは、彼女を守るためではない。
エイミーお嬢様のお体に、エスプレッソの染みひとつつけるわけにはいかなかったからだ。
「ああッ――!」
だが、相手は私の予想の上を行った。
どういう慣性が働いたらそうなるのか皆目わからないのだが、カラメル嬢の手からクレームブリュレとチョコレートブラウニーとソフトクリームの巨山を乗せた皿が、回転しながら真っ直ぐに令嬢たちに向かって飛んでいく。
身体を捻り、手を伸ばすが間に合わない。
万事休す。
そう思った瞬間、背中を氷塊が滑り落ちるような悪寒に襲われた。
目の前が暗くなる。
………………
…………
……
「大事はございませんか?」
どっしりとした太い声がして、私は恐る恐る顔を上げた。
「ご安心ください。ご令嬢の皆様にはカプチーノの泡ひとつついておりませんよ」
そこには、黒いタキシードを着た男性がそびえ立っていた。
カスタードクリームに彩られた厚い胸板。チョコレートソースがぶちまけられた黒褐色の精悍な顔。ホイップがはねた片眼鏡の奥からは鷹のように鋭くも、どこか優し気な光を湛えた眼差しがある。
「よくやった、スチュアート」
ジーク様の労いに、男性は「造作もございません」と言いながら黒い髪を撫でつけた。
「スチュアート・カーネル。ジーク様の執事を務めております」
型通りなのに、嫌味を感じさせない完璧なお辞儀。
「シエラ・ジェードと申します。ご迷惑をおかけしました」
返礼したいところだが、私の身体には「きゅう~」と鳴きながら目を回すカラメル嬢がしな垂れかかっている。
これはマズい。
(早く体勢を立て直さねば!)
……だが、遅かった。
「シエラ!」
エイミーお嬢様の叫び声と共に、パァン! と鋭い破裂音がホールに響く。
「この恥さらし! エヴァーグリーン家の侍女が、他家の執事に助けられるなんて!」
髪の毛を掴み上げられ、さらに頬を張られる。
「申し訳ございませ――」
ぶちまけられたスイーツに汚れた床に、顔面を叩きつけられた。
ひとたび癇癪を起してしまったお嬢様には何を言っても無意味だ。こうなってしまったら最後、できるだけ身を低くして暴風雨が去るまで耐え忍ぶしかない。
「クズ! 役立たず! 無能! 無能! 無能!」
言葉の弾丸と容赦のない足蹴に耐えながら、私は床に額を付け、全身の筋肉を硬直させて表情を殺す。
「スチュアート!」
ジーク様の命令が飛ぶ一瞬前に、執事はすでに動いていた。
その巨体を私とお嬢様の間に滑り込ませ、私以上に美しい土下座をかましたのだ。
「エイミー様に恥をかかせてしまい、申し訳ございません。しかしこれだけは申し上げたい。私が皆様をお守りできたのは、シエラ様が体を張って時間を稼いでくださったからに他なりません。すべてはシエラ様の功を横から奪った私の落ち度でございます」
「……」
シュバルツマギアー家にここまでされては、いかにお嬢様とて振り上げた拳を下ろさざるを得なかった。
……状況的に、私の目の前には執事のケツが突き出されているわけだが、今はこの引き締まったケツが頼もしく見える。
「今日のところは許してあげるわ、シエラ。でも、次に私に恥をかかせたら、その時はわかっているわね?」
「はい」
「エヴァーグリーン家の寛大なお心遣いに感謝いたします」
私の目の前に、節くれ立った大きな手が差し伸べられた。
「ありがとうございます、スチュアート様」
「敬称は不要ですよ。何ならスチューと呼んでいただいでも」
「流石にそういうわけには……」
「いやいや、同じ学園で学ぶ同級生ではありませんか」
「……はい?」
片眼鏡の巨漢は照れ臭そうに笑った。
「よく、老け顔だと言われます」
そんなことはない。
確かに老成した落ち着きを感じさせてはいるが、切れ長の目と通った鼻筋をした端正な顔立ち、黒褐色の肌には瑞々しい張りがある。やや顎が張っているが、むしろ頼もしい逞しさを感じさせる。
……どうやら私も、人を肩書や身分でしか見ようとしないエヴァ―グリーンの価値観に毒されているようだ。
たとえ黄金の便器に乗っていようとクソはクソだということは重々わかっているのだが、得てしてその逆は見落としがちだ。
「では遠慮なくスチューと呼ばせてもらいます。私のこともシエラと」
「わかりました。よろしく、シエラ」
差し出された大きな手を握り返す。たくましい力と優しい温かみが伝わって来た。
「それじゃあ、パーティを続けようか。おいでシエラさん。着替えを手伝ってあげよう」
さりげな伸びてきたジーク様の毒牙を軽く会釈して避けつつ、私は着替えの許可を求めてお嬢様のもとへ向かおうとした。
その時だった。
「……待って」
丸く収まりかけた空気を、静かに震える少女の声がかき乱す。
「エイミーさん。どうしてシエラさんに謝らないんですか?」
「……何?」
怒りを湛えたアジサイ色の眼差しに、エイミーお嬢様はわずかにうろたえた。
少女の真っ直ぐな気迫に、ではない。
彼女がなぜ怒っているのか、本気で理解できなかったからだ。
エイミーお嬢様だけではない。この場の誰もが彼女の主張に首を傾げていた。
「シエラさんはあなたを守ろうとしたんですよ!? なのにあなたは、みんなの前でシエラさんにあんな仕打ちをした! なのにどうして謝らないんですか!?」
バカバカバカバカバカ!
これだから企業文化を知らない辺境者は嫌なんだ!
人は生まれながらに平等だとか、人は人であるだけで自由だとか、すべての人には人間らしく生きる権利があるとか、そんなことを本気で信じている脳みそ砂糖漬けだから!
住んでいる場所が底辺すぎるがゆえに自分たちが支配されていることにすら気付かず、辺境すぎるがゆえに自分たちの思想が許されていることに気付いていないのだ!
そして何より。
お 前 が 言 う な。
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