第8話 メイドさん、令嬢同士の戦いにふるえる。
私がお仕えするお嬢様、エイミー・エヴァーグリーンの性格を端的に表すなら、歩く自己顕示欲である。
曲がりなりにも世界最大の版図を誇る大企業『アンタレス』の意思決定権を握る創業家のご令嬢。
生まれたときから自分は世界人類の頂点だと教えられ、親族には甘やかされ、視界に入る全ての人間からかしずかれて育ってきたお嬢様は、自分こそが世界の中心であり、自分が心地よいと感じるものが正義であると本気で信じていた。
この方の正義感からすれば、スポットライトは常に自分に当たっているべきであり、それを否定し、脅かす者はすべからく悪であるべきだった。
「今朝のアレは、何?」
アラーニア学園の全校親睦会に出席するため、お嬢様と私は更衣室にいた。
ちなみに、私たちの他に利用者はいない。皆さん、自主的に遠慮してくださったのだ。
「昨日ご報告いたしました、藍様との一件で、たまたまその場に居合わせていた人物です。経歴を調べたところ、ご報告に値しないと判断しておりました。申し訳ございません」
カラメル・プールプルの実家について述べると、エイミーお嬢様はあからさまに興味を失った様子で「辺境者なら仕方ないか」と呟いた。
本来、自分をないがしろにした人間を許すようなお嬢様ではない。だが、この方にとって、企業の正社民でない者は人間としてカウントすらされていないのだ。
「2度と私に近付かなければそれでいいわ。それよりこのネックレス、地味すぎるわね。もっと宝石の大きいものにして」
「かしこまりました」
今、お嬢様がお召しになっているのは、鮮やかなエメラルドグリーンのロングドレス。
裾の広がった釣鐘型のスカートには、全体に金糸の刺繍が施され、色とりどりの宝石がちりばめられている。
結い上げられた蜂蜜色の金髪には、ルビーを散りばめた白金の冠。
そして胸元に、握りこぶしのような大きさのアレキサンドライトをあしらったネックレスを下げる。
「いいわね」
満足げに頷くお嬢様。
私は「お美しゅうございます」と追従した。
………………
…………
……
……いや、似合わない。
はっきり言って、絶望的だ。
豪奢な刺繍と贅沢なアクセサリーが、素材の良さをこれでもかと殺している。
エイミーお嬢様の燃えるような金髪や、赤子のような薄桃色の肌、そして見る者をはっとさせる空色の瞳。
これはお世辞でも何でもなく、お嬢様の容姿はそのままでじゅうぶん魅力的なのだ。
本人は嫌っているが、頬に浮かんだソバカスさえ、お嬢様の魅力に愛嬌添えるアクセントとして機能している。
お嬢様に補う部分があるとすれば、その内面からにじみ出る高慢ちきで我がままで冷酷で短絡的な本性を覆い隠すことだけなのだ。
「これならドゥアトやシュバルツマギアーの娘たちに勝てるわね」
悪目立ちする成金趣味にドレスアップしたそのお姿に、私はイヤな予感しかしなかった。
さて、他の令嬢たちはこのお嬢様を見てどういう態度に出るだろう。
私はどうお嬢様をフォローすればよいのだろう。
パーティはまだ始まってもいないのに、早くも私は胃がキリキリと痛んでくるのを感じていた。
◇ ◇ ◇
「あらまぁエイミーさん、素敵なお召し物やねぇ。日の出の勢いのアンタレスにはかなわんなぁ」
真っ先にお嬢様を見つけ、話しかけてきたのはライラー嬢だった。
健康的な小麦色の肌を覆う、乳白色のワンピースドレス。古代エジプト風の襟飾りと腕輪を着けているが、5大企業の令嬢のものとは思えないほど地味なものだ。
一方で、ただでさえくっきりと濃いまつ毛に縁どられている目元は、鮮やかな瑠璃色のアイシャドウでさらに強調されていた。
(この方の武器は『目』か……)
底の知れない、漆黒の瞳。気を抜いたら吸い込まれてしまいそうなその黒は、圧倒的空間をもって星々の煌めきを併呑する宇宙の闇に似ていた。
「ごきげんよう、ライラー様」
そんなライラー嬢に、全身に散りばめられた金銀宝石を見せつけながら気取ったお辞儀をするお嬢様。
2人の令嬢の周囲には、早くも人だかりができている。
「何だ、あの宝石……」
「一体いくらするのかしら……」
「あれがアンタレスの財力か……」
我が意を得たりと、満足げに微笑むお嬢様。
「それに比べて、『慈愛のドゥアト』はこういう時も質素だな」
「でもライラー様、とてもお綺麗だわ」
「やっぱり、お人柄がにじみ出るものなのね」
冷や汗が背中を滴り落ちる。
どうか、注目を集めてご満悦なお嬢様が気付きませんように。
彼らがほめそやしているのはエイミー様が身に付けている宝石や貴金属であり、エイミー様自身はまったく褒められていないことに。
だが、私の心配は杞憂に終わった。
異様などよめきと共に、新たな登場人物が現れたからだ。
「どうも、センパイ方。私もその輪に加えてもらえるかな?」
同学年の令嬢たちに対し、敬意の欠片もなく先輩呼ばわりする藍静雷。
その装いは、まさに示威行為の具現化だった。
頭の両側で刺々しく結い上げられた艶やかな黒髪。深い青色のチャイナドレスのスリットからは、鍛え上げられた脚線が惜しげもなくむき出しになっている。そして細く引き絞られた二の腕には、真っ黒な毛皮のストールが絡まっていた。
だが何より、彼女の特徴は金色に燃え上がる狼眼だ。
「ええ、喜んで」
やわらかな笑顔と漆黒の瞳で迎えるライラー嬢。一方でエイミーお嬢様は静雷嬢を横目で見ながら「かまわないわ」と半ば吐き捨てた。
「あれが『ユージン』……。流石、拡大のためならなりふり構わないと言われるだけあるな……」
「早くもアラーニアに息のかかった地下組織を作っているらしいぞ」
「誰か止めないと、大変なことになるんじゃない?」
畏怖と嫌悪が入り混じるひそひそ声を、静雷嬢は余裕の薄笑いを浮かべて受け入れる。
「新参者ゆえ、無作法もあると思うがご容赦願いたい」
「とんでもない。私は前からあなたとは仲良うしたい、思てましたんよ」
言葉は温かいが、ライラー嬢の両腕は豊かな胸の前で緩く組まれたままだ。
「ありがたい。是非ともドゥアトの作法を学ばせてほしいものだ」
言葉では相手を立てる静雷嬢。だが、その瞳に宿る怒りの帯電は隠しきれていない。
「学ぶ? 盗用の間違いではなくて?」
そこへ追い打ちをかけるエイミー様。
「我々は追う立場なのでね。もし、仮に、我々が宇宙の覇権を握るようなことがあれば、いくらでも我らの技術を盗用してくれてかまわない」
「まぁ、藍はんは器が大きいなぁ。うらやましいわ」
「安いだけが取り柄の粗悪品から何を盗めと言うのやら」
「……」
「そないギスギスせんと。仲良うしよ?」
「で、気が付いたらドゥアトの意のままになっているわけね。アール・トリニティのように」
「あら、一体何の話やろ」
「……」
……何コレ怖い。
こんなことなら、まだファッションショーで一喜一憂してくれる方が心臓に優しい。
全方位に喧嘩を吹っかけるエイミーお嬢様。
誉め言葉とも嫌味ともつかない言葉で相手の心をかき乱すライラー様。
途中から沈黙し、眼光だけをギラギラと怒らせる静雷様。
「うーん、エイミー様にご挨拶をと思ったのですが、お取込み中みたいですね」
ふと背後から声をかけられた。見ると、学生服を着、ピンと背筋を伸ばした黒髪の男子生徒がいた。
「これは蘇芳様」
蘇芳常世は、例の温度を感じさせない微笑みを向けて来た。
「あの、命琴様は?」
「ああ、姉上ならあそこに」
ホールの隅、なぜか照明が消えている薄暗い一画で、紅い花柄の着物を着た少女が観葉植物に向かって佇んでいた。床まで流れ落ちる墨のような黒髪に、血のように紅い彼岸花を模した髪飾りを差している。
青白い肌と相まって、儚げで可憐と言っていいだろう。
……異様なまでの猫背でさえなければ。
「気のせいでしょうか、観葉植物と会話をされているように見えるのですが」
それもかなり楽し気に。周囲の者たちもそちらの方はあえて見ないようにしている。
「ああ、あれは……」
常世は少しだけ眉をひそめて苦笑した。
「葉っぱについた虫と話しているのでしょう。姉上は虫と心を通わせることができるのです」
そこは小鳥や小動物であって欲しかった。せめて。
「やあ、盛り上がってるね」
そこへようやく、この事態を収拾できそうな人が現れた。
一瞬でこの緊迫した空気の約50パーセントがほうっと弛緩する。
「ジーク様だわ……」
「ああ、今日も一段と麗しい……」
空気が蕩けていると言うべきか。主に女性陣の周辺が。
艶っぽく濡れたような、繊細にカールした淡い金髪を短くまとめ、微かに焼けた肌からは力強い野性味がにじみ出ている。
そんな190センチに迫るすらりとした長身を、軍服を思わせる黒いスーツが包み込む。
――本当、何でこの人が攻略対象じゃないんだろう。
うるさい『私』。気持ちは解るが黙ってろ。気持ちは解るが。
「ああ、皆さんとてもお美しい。今日この場にいられるボクは幸せ者だよ」
歯の浮くようなセリフをさらりと言いながら、ジーク嬢は腕を大きく広げると、なんとそれまで火花を散らしていた3人の令嬢たちをまとめて抱擁してしまった。
「か、からかうのは止めになって!」
顔をバラ色に染め、抵抗しているように見えて実はあまり抵抗していないエイミーお嬢様。
「もう、あかんよジーク様……」
ライラー嬢はさすがに落ち着いているが、私の見るところあしらっているというより、付き合いが長い分他の2人より慣れているだけといった印象だ。
「あッ……なッ……!?」
反応が新鮮だったのは静雷嬢。
先刻までの剣呑な雰囲気はどこへやら、目を白黒させて硬直している。どうやら暴力沙汰には慣れていてもこの手の攻撃にはさすがに無防備だったようだ。
「ねぇ、君もこっちへ来ないかい?」
さらにジーク様は、誰もが見まいとしていた虫と話す少女にまで声をかける。器が大きいと言うか、ブレない方だ。
「……?」
かろうじて外部とのチャンネルは保持していたらしい命琴嬢がゆらりとこちらへ顔を向けた。
「……」
彼女はきょとんと首を傾げ、長い黒髪の隙間からしばらくこちらを眺めていたが、やがて虫との会話に戻っていった。
……ブレないなあの人も。
「あは、フラれちゃったか」
真っ白な歯を見せ、爽やかに笑うジーク様。
「あ、姉上が大変失礼しました! あ、あの、自分でよろしければ、姉の代わりに――!」
常世が動揺するんかい。
でも、よく考えてみたらジーク様はアール・トリニティのご令嬢で、常世様はソラテラス・ファーマの御曹司。
別に何の違和感もないはずだ。
何だかもう、よくわからなくなってきた。
だが、おかげでこのパーティ会場に漂っていたピリピリとした緊張感は完全に吹き払われたのは事実である。
その証拠に、学生らしい無邪気な歓談がそこかしこで行われ始めた。
「あ! シエラさーん!」
この、空気を読めない辺境娘が現れるまでは。
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