第4話 メイドさん、狐憑きたる紅き令嬢に出会う。
「以上をもって、挨拶に代えさせていただきたいと思います。この『アラーニア学園』の学生諸君には、己が全世界、全人類の模範であり先導者となる者であると言う自覚を胸に刻み、日々を精進していただくことを期待します」
尻の穴から排出された空気のような学園長の演説が終わり、私たちは入学式から解放された。
今日から本格的なアラーニア学園での生活が始まる。
「あ! あの人は……」
「『アンタレス』の令嬢……」
颯爽と廊下の真ん中を歩くエイミーお嬢様。お嬢様の行く先は、十戒の石板を掲げたモーセのごとく人だかりが真っ二つに割れていく。
さすがは5大企業。その威光はすさまじい。
「目を合わせるな。殺されるぞ……」
「彼女の機嫌を損ねたら最後、一族郎党末代まで路頭に迷うことになる……」
「見て、あの侍女さん。真っ白に燃え尽きてる……」
気のせいだろうか。威光よりも悪名という感じがしないでもない。あと、私はまだギリギリ燃え尽きてはいない。
「エイミーさん」
そんなお嬢様の前に、1人の命知らずが立ち塞がった。
だが、「オイオイオイ、死ぬわアイツ」とは誰も言わない。
そりゃそうだ。世界広しと言えど、5大企業の令嬢の前に立てる人間などそうそういるはずもない。
「お久ぶりです。一昨年のR5以来でしょうか?」
色白で黒髪をした細身の少年だった。ピンと伸びた背筋と引き締まった口元が涼やかだが、切れ長の目からのぞく黒い瞳からは今ひとつ感情が読みにくい。
ちなみに、R5とは『5大企業代表円卓会議』の略称である。
「久しぶりね、常世。少しは男らしさが上がったじゃない」
フランクに話しかけるエイミーお嬢様に、常世と呼ばれた少年は「恐縮です」と会釈を返した。
蘇芳常世。
5大企業の1つ『ソラテラス・ファーマ』の終身名誉会長、蘇芳全一郎の孫でありソラテラスの正当な後継者と目される令息である。
「常世がいると心強いわ。この先、何かと力を貸してもらうわね」
「はい。何なりと」
2人がまるで主従のように振舞っているのには理由がある。
『ソラテラス・ファーマ』は5大企業の中では末席であり、我らが『アンタレス』とは名目上同盟関係を結んでいるが、その実態はアンタレスの子会社扱いなのである。
この辺り、アール・トリニティの傘下でありながらちゃっかりと実権を握っているドゥアトとは対照的だ。
「で……」
お嬢様が「こほん」と軽く咳払いをする。
「常世がここにいるということは、あの子も……?」
その言葉に、常世の口の端がくいっと上がった。どうやら微笑んでいるらしいのだが、どうも私たちには伝わりにくい。
この、表情はあるのに感情が伝わってこない、独特な違和感は彼らソラテラスの社民の大半が『ニッポンジン』という民族の末裔であることに関係があると言われている。
「もちろん、姉上も来ていますよ。お呼びしましょう」
「いえ、結構よ」
お嬢様の顔がさっと青ざめる。正直、私も同じ気持ちだ。だが、少年は気付いているのかいないのか、アルカイックスマイルを一層強めた。
「そう言わずに。姉上もエイミーさんにお会いするのを楽しみにしていましたから。ねぇ、姉上!」
その瞬間、廊下を照らす照明が一斉に「ばりん!」と音を立てて破裂した。
「「「きゃああああーーーッッッ!!!」」」
降り注ぐガラス片。学生たちの悲鳴が響きわたる。
「お嬢様!」
私はすかさずお嬢様の身体に覆いかぶさろうとするが、彼女は仁王立ちのまま微動だにしなかった。
(お嬢様……)
長年、この人に仕えてきた私にはわかる。
一見悠然と構えているように見えて、今、お嬢様は歯をきつく食いしばりながら耐えている。
蚊に刺されただけで大騒ぎするこの方が。
お茶の雫が肌にはねただけで侍女を半殺しにするこの方が。
エイミーお嬢様がガラス片の雨に耐える理由はただ1つ。
目の前の少年が何事もないかのように佇んでいるからだ。
格下と見なした相手には意地でも弱さを見せない。
これが我が主、エイミー・エヴァーグリーン。
世界最大の版図の上に立ち、数十億の社民を背負って立たんとするお方!
……そして誰も見ていない場所で、私に八つ当たりして憂さ晴らしをすることで心の均衡を保つのだこのクソ女は。
オオ……オオオ……
照明を失い、暗がりとなった廊下の向こうから、異様な空気が漂ってきた。
「うわっ!?」
「ひっ!?」
「嫌ッ、嫌ァッ!!」
短い悲鳴。
バタバタと人が倒れる音。
オオ……オオオ……
ずるり、ずるり、と。
黒く、暗い何かが近づいて来る。
「うっ……」
「あぁ……」
それが纏う瘴気に中てられ、1人、また1人と気を失って倒れていく。
「相変わらずね、命琴」
お嬢様の声に、それはゆらりと顔を上げた。
幽鬼のように青白い肌。ずるずると床を引きずる墨を垂れ流したような黒い髪。その隙間から垣間見える赤っぽい瞳は明らかにこの現世を見ていない。
「元気そうで何よりだわ」
蘇芳命琴の首がゆらりと傾いだ。
お嬢様の言葉に頷いたのだと思いたい。
「……」
彼女が、生きた人間であることをかろうじて主張している血のように紅い唇が、微笑みの形に歪んだ。
「『エイミー様にお会いできて嬉しゅうございます』と姉上が言ってます」
絶対嘘だ、と。
この場にいた誰もが思っただろう。
「……」
上半身をゆらゆらと漂わせる命琴の目はもう、幻のちょうちょを追いかけているようにしか見えない。
「貴方がそう言うなら、そうなんでしょうね」
蘇芳命琴と蘇芳常世。2人は双子の姉弟である。
蘇芳家の家系にはたまに彼女のようなのが生まれるらしく、一族に繁栄をもたらす者として大切にされるのだとか。
……だったら地下の座敷牢あたりで大切に保管しておいてほしい。
「……」
蘇芳命琴は両腕をだらりと下げ、異様な猫背となってずるり、ずるりと歩き出す。
「では、私たちはこれで」
一方、ピンと背筋を伸ばした弟は軍人のような足取りで姉の後を追っていった。
「シエラ」
「はい」
「今後、あの双子が私の視界に入らないようにしてちょうだい」
「はい、お嬢様」
言われなくても、今回ばかりはお嬢様の命令に全身全霊で取り組もう。
――気を付けて。
はい来ました、内なる声。
――蘇芳命琴は、最強。
最強? アンタレスの属社と言われ、5大企業でも一等格下扱いであるソラテラス・ファーマの令嬢が?
――彼女を敵に回してはならない。
――彼女の逆鱗に触れたら、即デッドエンド。
(……)
そんなバカな、とは言い切れないのが嫌だ。
あれは、なんと言うか、心のボタンを掛け違えて生まれた人だ。
本人は子犬を愛でているつもりで死体の眼球を抉っていてもおかしくない。
まったく。
この世界の令嬢共にはろくなヤツがいない。
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