第31話 悪役令嬢、落ちる。
人工天体アラーニアのメタルレイス格納庫は、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。
かつてない規模で展開され、かつてない泥沼試合と化したアンタレスとユージンの決闘を単機で制圧してしまった謎のメタルレイス。
そして、純白の巨大天使に搭乗していた謎の転入生。
その姿を肉眼で見ようと、学生たちが詰めかけていた。
「とうとう現れましたね、お嬢様」
「……そうね。とりあえずシエラが精神病院に行かずに済んでよかったわ」
これでようやく、私の思考に混線する『私』の記憶が、あながち妄想ではないことをお嬢様に証明することができた。
白銀のメタルレイスの胸部ハッチが開く。
「出てきます」
そのとたん、集っていた学生たちの間から、ほっと溜息が漏れた。
豪奢な煌めきを放つ、やや癖のある銀髪。純白のパイロットスーツに包まれているのは、抜き身の剣を思わせるすらりと細い長身である。
「あら、真っ白ね。シエラみたい」
底意地の悪い目を向けて来るエイミーお嬢様。
私の髪が白いのは、食欲と自己顕示欲だけは常人の3倍ある冷血成金甘ったれ女の飼育係をやらされていたストレスのせいであって、あんな天然の銀髪と比較されると惨めである。
「さ、行くわよ」
言うが早いか、お嬢様は颯爽と歩き出した。
お嬢様の進む先、押し合いへし合いしていた人ごみがすっと左右に分かれて行くのは流石である。
……前回の決闘では事実上敗北し、今回もグダグダな結果でやれパンツだのパンダだのと喚き散らしていたにも関わらず。
ちなみに、そのパンダパンティ……もとい藍静雷嬢と蘇芳命琴嬢はメタルレイスを降りた瞬間、蘇芳常世によって手配されていた医療班によって身柄を搬送されている。
検査や治療はもちろんするのだろうが、あの変態のこと、しっかりデータを取るのだろう。
「ミスター・コスモプールゥ!」
お嬢様の甲高い声が、広大な格納庫に響き渡った。
「初めまして、エイミー・エヴァーグリーンと申します。このような恰好で失礼しますわ」
エメラルドグリーンのパイロットスーツ姿のまま、見えないスカートをつまむような仕草で伝統的お辞儀を決めるお嬢様。
「こちらこそ。フォーマルハウト・コスモプールゥです」
指先まで緊張感の行き届いた、流麗なお辞儀を返すフォーマルハウト。辺境者が一朝一夕でできるものではない。
口元に浮かぶふわりとした微笑みはどこか儚げで、仔猫青の瞳に宿るかすかなあどけなさが痛々しいほどにいじらしい。
(惚れないでくださいよお嬢様)
アンタレスの筋肉至上主義の中で育った反動か、お嬢様は華奢な優男系の美貌に弱い。
「先ほどはありがとうございました。あのまま戦いを続けていてもアンタレスが敗けたとは思いませんが、損害を少なく抑えることができました」
「僕はただ、無益な争いをしてほしくなかっただけです」
お嬢様の言葉に含まれていた棘に傷ついたのか、美青年は哀し気に目を伏せた。
「フォーマルハウト様!」
そこへ、新たな人物が現れた。
ライラー・アズハル・ドゥアトである。
ライラー嬢はエイミーお嬢様よりもはるかに洗練された所作で、さりげなくエイミー様とフォーマルハウトの間に割り込むと、なんとその場に片膝をついて頭を垂れた。
「え?」
一瞬の沈黙の後、ざわめきが波紋のように広がっていく。
5大企業の令嬢がうやうやしく跪く相手。
宇宙広しと言えど、そんな人物が存在するなど思いもよらないことだった。
「お会いしとうございました、フォーマルハウト様。このライラー、今この時までを一日千秋の思いで過ごしておりました」
ライラー嬢の、あの独特の訛りがない。
「ライラー……」
そんなライラー嬢を見つめるフォーマルハウトの眼差しには、まるで母親を見つけた迷子のような安堵と信頼の色があった。
「僕も、会いたかった」
手を取ってライラー嬢を立ち上がらせ、その身体を優しく抱きしめるフォーマルハウト。
周囲のざわめきがどよめきに変わる。
だが、私にはその抱擁に男女の愛情というより、姉と弟、もしくは母と子の間にあるような、ある種の無邪気な信頼感を感じた。
――違う。
さて、いよいよ私も『私』の声に本気で耳を傾けなければならないようだ。
正直、まだ私自身は自分がどう生きたいのかわかっていない。
でも……。
臆病なポンコツのくせに、家からのプレッシャーや他の令嬢たちに負けまいと精一杯虚勢を張って、甘えられる存在は私しかいないエイミーお嬢様。
面子を重んじる暴力の世界に生き、理性と命を削りながら徒花として散ることも厭わない藍静雷様。
今だ不可解な点は多いものの、自らの肉体をも部品として扱いながら、卓越した才能と恐らくは極限まで己を追い込んだことで会得したであろう妙技を、不殺に費やす蘇芳命琴様。
悪役令嬢。
他者を顧みることなく己の道を突き進み、やがて破滅へ向かう少女たち。
生来多くのものを授かっておきながら、自分にはない何かを渇望し、やがてすべてを失う運命にある少女たち。
いつの間にか、私は彼女たちを放っておくことができないと思うようになっている。
(聞きましょう。彼は、フォーマルハウト・コスモプールゥとは何者なのでしょうか?)
――フォーマルハウトは、宇宙の王になる者。
いきなり話がぶっ飛んだ。
王?
国家なるものが完全い形骸化したこの時代に、よりにもよって王?
――5大企業が統合された時、フォーマルハウトはその初代盟主となる。
今なんて?
5大企業の統ご
――でも、今の彼はライラーの洗脳教育を受けている。
待て。情報が突飛すぎてついて行けな
――このままでは彼はライラーの操り人形となり、やがて精神を崩壊させてしまう。
順を追って思い出せ。まず、何がどうなって5大企ぎょ
――シナリオが狂っている今、彼が壊れてしまうエンディングもあり得る。助けなければ。
だから、まずは説め
――助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ
「う(るせぇ)!」
思わず上げてしまった奇声に、近くにいた数人がぎょっとしたようにあたりを見回す。
だが、まさか名門エヴァーグリーン家に仕えるクールビューティ才色兼備侍女が突然大声を上げるなど思いもよらないらしく、視線は数秒だけ虚空をさまよい、フォーマルハウトに戻っていった。
(もしや、この『私』……)
乙女ゲームに限らず、『アラーニアの園』のような学園ノベルゲームにはシナリオ分岐なるものがあると聞いている。
主人公は複数の攻略対象の中から意中の人物を定めると、その後は2人を中心としたより深い物語が展開されるのだという。
(『私』……さてはフォーマルハウトを推していますね?)
蘇芳常世、藍浩然、スチュアート・カーネル……。
他の攻略対象をはじめ、令嬢たちとのいざこざやメタルレイス戦闘などに妙に淡泊だったのはそういうことか。
「ほな、皆さん。ご挨拶は後ほど」
フォーマルハウトの手を取り、導くようにして皆に背を向けるライラー。その一瞬、彼女の微笑みに影のようなものがよぎった気がした。
「何よ、あれ……」
ないがしろにされた形のお嬢様が憎々し気につぶやいた。
「シエラ、私、彼のことまったく好みじゃないわ」
「左様でございますか」
結構なことだ。
お嬢様がフォーマルハウトに興味を持たなければ主人公との対立も起こらず、破滅もない。
「ひょろひょろだし。ライラーなんかに従っちゃって、意志も希薄そうだし。本当、タイプじゃない」
「その調子でいきましょう」
「悪い女に騙されるタイプね。というか、ライラーにもう半分くらいは染められてるんじゃないかしら? ねぇシエラ、彼のことは好みじゃないけど、だからって放っておくのは可哀想だと思わない?」
「お嬢様?」
――救わなければならない。ライラーの手から、彼を解放しなければ。
「このままだと彼、底なし沼に沈んでしまいそうな気がする」
――助けなきゃ。
「助けなきゃ」
やめろ!
内と外からフォーマルハウトを推すんじゃない!
つーかお嬢様、口では何だかんだ言って、結局即落ちしているのか!




