第3話 メイドさん、策謀の白き令嬢と、愛欲の黒き令嬢に出会う。
――次に、なぜ『アラーニアの園』がクソゲーと呼ばれるに至ったかを解説する。
本作がクソゲーと呼ばれる要因は主に3つある。
1つは、コンセプトの迷走。
公式が謳っているとおり、本作は『SF学園恋愛ADV』である。
乙女ゲームに限らず、一般的な恋愛ADVと言えばプレイヤーは主人公になりきって複数の攻略対象と親交を結び、やがて1人を選ぶことで個別ルートに入り、より親密な関係を築いていく構成だろう。
本作も、広い目で見ればおおむねこの構成をとっていると言えなくもない。
主人公『カラメル・プールプル』は、世界を実効支配する大企業の御曹司らと出会い、学園生活のなかで交流を深めていく。
だが問題は、本作の攻略対象全員、影が非常に薄いことである(約1名、ある意味キャラの濃い者はいるが)。
本来ならば攻略キャラ5人の内面を掘り下げていくはずの物語前半を、主人公はライバル(いわゆる悪役令嬢)であるエイミー・エヴァーグリーンとの抗争に費やすことになり、もっぱらエイミーのキャラクターが掘り下げられることになってしまう。
エイミーは各キャラの個別ルートに入る前に必ず物語から退場する、あくまでサブキャラクターにすぎないにも関わらず、である。
ではエイミーがいなくなった後は御曹司たちにスポットライトが当たるのか?
残念ながら答えは『否』である。
なぜなら――
◇ ◇ ◇
「あら、ごめんなさい。ここ、私の部屋やねん」
小麦色の肌と栗色の髪をした女子生徒が、あっけらかんとした微笑みを浮かべながら言った。どこの出身なのだろうか、訛りが強い。
「はぁ?」
怒りの声を上げる我が主、エイミー・エヴァーグリーン。
「シエラ!」
「はい」
大きく見開かれた空色の瞳がきっと私を睨む。
ああ嫌だ。おそらくお嬢様は大いなる勘違いをなさっておられる。すごく、すごく聞きたくない。
「話が違うわ! 私は今日から学生寮で暮らすのよね?」
「はい」
「なぜ私の寮に他人が入り込んでいるのかしら?」
「申し訳ございません。私の説明が至りませんでした」
身体を90度折り曲げて頭を下げる。
「説明なさい」
「はい。本日よりお嬢様が生活されるのは、『学生寮の一室』です。庶民の感覚では『寮を借りる』とは『寮の一室を借りる』ことと同義であるため、ご説明の際お嬢様の誤解を招いてしまいました」
私としたことが、とんだケアレスミスをしたものだ。
5大企業のご令嬢ともあろうお方、『寮で暮らす』と言われれば建物まるごと1つと思われても仕方がない。むしろその方が自然ですらある。
「嫌よ」
案の定、言下にお嬢様は言い放った。
「全員追い出して。この寮は私が全室買い取るわ」
「お嬢様、それは――」
「口答えする気!?」
ああ嫌だ。だから聞きたくなかったんだ。絶対こうなるって解っていたから。
エヴァーグリーン家に非ざる者は人でなし。主の命令に対する使用人の返答は常に『イエス』だけなのだ。
「この私が、他社の平社民と同じフロアで生活できるわけないでしょう? これ以上私に我慢をさせないで」
「おっしゃる通りです。直ちに最上階フロアの学生に立ち退きの交渉を――」
「シーエーラー」
胸倉を掴まれ、首を締め上げられる。
「どうしちゃったの? ここ数日、頭の回転が鈍っているわよ? さっさとここを買い取りなさい。学生は全員即刻退去。拒否するようなら下請けの警備会社を招集して強制排除なさい」
「はい……ただちに……」
首を締め上げる力は一向に弱まらない。呼吸をするだけでも精一杯だ。
「ねぇシエラ。まだ船酔いが残っているみたいね。いつもの貴女ならこのくらい自分で段取りできるはずだし、相応の権限も与えているはずよね? 私を失望させないで」
「申し訳……ございませ……」
あ、ヤバい。
意識が遠のいてきた。
お嬢様は加減を知らない。これまでもこの方の些細な癇癪のために死を覚悟したことは何度もある。
だが、よりによって首を絞められて死ぬのは嫌だ。
なぜなら、私の夢は死ぬ前にこの女の顔に唾を吐きかけて『くたばれマ〇ーフ〇ッカー』と罵ってやることなのだから。
その時だった。
「はい、そこまで!」
ぱん、と乾いた音が部屋中に響いた。
いつの間にか、部屋の前にすらりとした長身の男子学生が立っていた。
「あまり我がままを言ってはいけないよ」
クソ女――お嬢様の手の力が抜ける。だが、お嬢様は相手に用はないとばかりに無視を決め込んだ。
「無視しないでよ、ミス・エヴァーグリーン。同じ5大企業の直系じゃないか」
「!?」
初めて、お嬢様が男子生徒の方を見た。すかさず、彼はお嬢様の手を取り、うやうやしく跪く。
「ジーク・フォン・シュバルツマギアーと申します。お初にお目にかかります、レディ・エヴァーグリーン」
「シュバルツマギアー!?」
部屋の中に、かすかに電流が走ったような気がした。
シュバルツマギアー家。
それは、5大企業の1つ『アール・トリニティ』の筆頭株主の一族である。
「ボクもこの寮で他の学生と同じように生活している。君には窮屈かもしれないけど、ここはどうか、ボクの顔を立ててもらえないかな」
その御曹司が、形の良い眉をそっとひそめ、心からすがるように語りかけてくる。
「く……」
わずかにたじろぐお嬢様。イケメンに弱いんだよなこの人。
「わ、わかりました。こちらこそはしたない姿を……」
「ありがとう。素敵な方」
お嬢様に詫びの言葉を言わせず、長身の貴公子は涼やかに微笑む。
「……」
お嬢様の背後で、私は密かに頭を下げた。
……窮地を救ってくれた殿方に対する礼以外の意味はない。
そんな私のささやかな儀礼にも、彼は敏感に反応してさりげなく微笑みかけてきた。
ナチュラルなショートヘアにまとめられた、妖しく濡れた癖っ毛は美しく繊細な淡い金色。
一方、かすかに浅黒く日焼けした肌からは高貴な野性味を感じさせる。
ほのかに感じる香水の他に、あるはずの無い匂いを感じる。
それは嗅いだ者を否応なく惑わせ、惹き寄せる、魔性の香りだ。
これが、オスの『色香』というものか。
そしてこれが、歴史と伝統を背負って立つ、大企業の御曹司――
だが、ここでふと私の頭を違和感がよぎった。
ジーク・フォン・シュバルツマギアー?
私の頭の中に叩き込まれている人名録に、その名前が引っかからない。
ダメだ。頭がうまく働かない。
おそらく、お嬢様に首を絞められたせいで脳に酸素が回っていないのだ。
ジーク様の色香に中てられているのでは決して断じてない。
そんな私の葛藤をよそに、ジーク様はお嬢様の前に立った。
お嬢様の頭が彼の胸の位置にある。見上げるほどの美丈夫に、黒い軍服のような服がよく似合う。
「アラーニアに感謝しなくちゃいけないね。本来なら君とボクは商売敵。なのにこうして学友として出会うことができた。これって運命的だと思わない?」
「そう、かも、知れません、わね……」
エイミーお嬢様は頬をバラ色に染め、焦点の定まらない目で私を睨んだ。
「ぼーっとしてないで助けなさいよ!」というお嬢様の声が聞こえてくるようだ。
まあ、気持ちはわからないでもない。
一連の駆け引きをボクシングに例えるなら、1ラウンドにして出会い頭にカウンターを喰らい、コーナーに追い詰められてボコボコにされているようなもの。
ここは多少の無粋は承知でゴングを鳴らしてやらねばならないだろう。
これが単なる年頃の男女ならば、このままお嬢様をお持ち帰りさせて既成事実づくりをさせてしまっても問題ないが、事はそう単純ではない。
エイミーお嬢様もジーク様も、この宇宙で覇を競う大企業の令嬢令息である。
お嬢様がジーク様に屈するということは、アンタレスがアール・トリニティに屈することにつながるのだ。
(そういうことか……)
今さらながら気が付いた。まったく、自分の察しの悪さを呪う。
同時に戦慄する。伝統と格式に生きて来たアール・トリニティの老獪さに。
これは、戦争だ。
企業間の闘争とは市場の奪い合いだけではなかったのだ。
「空の色の伝説って知ってる? このアラーニアもそうだけど、すべての宇宙居住地が天蓋スクリーンを青色に設定しているのは、地球の空を再現しようとしているんだ。でもね、実は今だかつて、本物の空の色を再現できたことはないんだって」
「そう、なのですか……」
どこか上の空で返答するお嬢様。
対するジーク様は悪戯っぽい微笑みを返す。
「本当かどうかはわからない。だって、もうこの世に地球の空を知っている人間はいないのだから。でもね……」
ジーク様の指先が、お嬢様の顎をくいっと持ち上げる。
「ボクは今、本物の空の色を知った気がする。君の瞳を見て直感したんだ。『ああ、これが空の色なんだ』って」
「あ……あぁ……」
ダメだ。
欲しいと思ったモノは5分以内に与えられて育ってきた、このどこに出しても恥ずかしい傲慢自己中女の辞書に我慢とか忍耐とかという言葉は無い。
……これはもう、お嬢様は陥落したものとして今後の方針を定めた方がいいのではないだろうか。
――違う。そうじゃない。
また、私の思考に『私』の記憶が混線する。
――ジーク・フォン・シュバルツマギアーは本当の名前ではない。
――彼女の本当の名前は……。
その瞬間、私は感じていた違和感の正体に気付いた。
「お嬢様!」
「何よシエラ!」
邪魔をするなと言いたげな眼光。何なんだこの女、記憶野はニワトリ並みなのか?
とは言え、ここで引くわけにはいかない。
「現在、シュバルツマギアー家にご子息はいません! その方の本当のお名前はルイーゼ・ジークルーン・フォン・シュバルツマギアー! シュバルツマギアー家の『ご息女』です!」
「ええッ!?」
慌てて手を引っ込めるお嬢様。
対するジーク嬢は
「あら、バレた」
と小さく舌を出しながら、私に向かってウインクした。
「ネタバレは無粋だなぁ、お嬢さん。でも、初見でボクのことを見抜いたのは君が2人目だよ。大抵はボクが家名を騙る偽物じゃないかと疑うんだけどね」
そう言いながら、男装の令嬢は今度は私の手を取る。
「どう? ボクの側で働いてみない?」
そして、私の耳元に唇を這わせるように近づける。
「君の知らない世界を教えてあげる……」
「やめてください!」
叫んだのはうちのお嬢様だった。私からジーク嬢の身体を引き離し、その手をはたき落とす。
お嬢様の顔は真っ赤に上気し、握られた手がぶるぶると震えていた。
「ルイーゼ様、申し訳ございません。お断りいたします」
非常に非常に非常に非常に魅力的な提案だが、仕方ない。ここは主の顔を立てておこう。
目の前で『社民』を勧誘されるのは、雇用主として最大の屈辱だ。
……おかげで私の溜飲も少しだけ下がったことだし。
「ああ、ボクのことはこれからもジークと呼んでほしいな。響きが気に入っているんだ」
はたかれた手を撫でながら、ジーク嬢は「これからよろしくね」と涼しげに微笑んだ。
だが、心臓に悪い展開はまだ終わらなかった。
「ほな、うちもご挨拶しとこか」
空気のように気配を消していた、この部屋の主が声を上げたのだ。
「うちはライラー。ライラー・アズハル・ドゥアト。よろしゅうおたのもうします」
小麦色の肌と栗色の髪をした少女が、たおやかにお辞儀をした。
「『ドゥアト』……?」
真っ赤だったお嬢様の顔がすっと青ざめていく。
5大企業の1つ、『ドゥアト』。
建前上はアール・トリニティの傘下だが、他社が宇宙開拓のための重工業に没頭していた中、軽視されがちだった衣料と食品産業を中心にシェアを広げ、あらゆる階級の人々から絶大な支持を得ている大企業である。
というか、いつの間にやら世界人口の9割はドゥアトの服を着、ドゥアトの食品を食べている。慈善事業にも積極的なドゥアトに対する人々の信頼はもはや信仰の域に達しており、親会社であるアール・トリニティがドゥアトの意向を無視できないという逆転現象さえ起きている。
「ごめんなぁ。おちょくるつもりはなかったんです。ただまぁ、そちらさんもうちらを追い出そうとしたんですさかい、おあいこゆうことで」
豊かな胸の前で両手を合わせ、はんなりと微笑むライラー嬢。
おかっぱに切り揃えられた真っ直ぐな栗色の髪と、長いまつ毛に縁どられたくっきりとした目元。
最初に見た時は気付かなかったが、彼女もまた見る者を強く惹き付ける妖艶な魅力の持ち主だった。
女優。
自らの印象を自在に操作し、相手を惑わせ、操る者。
エイミーお嬢様は嵌められたのだ。
ジーク嬢とライラー嬢は結託していた。
2人は事前にエイミーお嬢様の情報を集め、その性格を完全に把握していたに違いない。
これが、上流階級の戦い方というやつか?
――気を付けて。
いい加減、『私』の心の声にも慣れてきた。
――ライラーがすべての黒幕。彼女こそがこのゲームのラスボス。
「……」
ジーク嬢ではないが、これは運命の導きというやつだろうか?
ひとつ屋根の下に、5大企業の令嬢が3人も揃っている。
しかもジーク嬢は生粋の色欲魔であり、ライラー嬢にいたっては腸にドデカいクソを隠し持っている雰囲気だ。
何? この地獄?
何なんだこれは? どうすればいいんだ?
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