第23話 悪役令嬢、ビビってない。
宇尽技術有限公司――ユージンの創設者である、藍宇航は巨大貧民船団の出身と言われている。
巨大貧民船団とは、企業社会からはぐれた者たちの吹き溜まり先の1つにして最大規模の共同体である。彼らは独自の社会を形成し、企業支配から独立した新勢力を自称しているが、実態はドゥアトの慈善事業とごく一部の者たちによる略奪行為によってかろうじて成り立つ、よく言って漂流者の集団にすぎない。
そんな中、藍宇航はフリーの技術者から身を起こし、1代で己の零細工場を5大企業の一角にまでのし上げた立志伝中の人物である。
彼のなりふり構わない経営方針は当時から批判が多かった。
技術の盗用、人材の引き抜きと使い捨て、『他企業製品の安いところ取り』と呼ばれる劣化コピー品の数々。
そして、黒社会と呼ばれる暴力組織とのつながり……。
彼を批判する者は、彼を『誇りを売って成り上がった男』『捕まらないだけの盗賊』などと呼ぶ。
だが私はそうは思えない。
藍宇航は誰よりもプライドの高い人物だったのではないか。だからこそ勝利にこだわった。他企業の技術をサル真似し、粗悪品を量産しながら、彼は身一つで強大な企業社会に喰らい付いた。
驕り高ぶった先進企業には決して真似のできない経営戦略、『格安物量戦』に彼はすべてを賭け、そして勝った。
「誇りを持つ者が勝者になるのではない。勝者が、勝者だけが持てるものが誇りなのだ」
その哲学を彼は身をもって体現した。
藍宇航の経営手腕が外部からも評価されるようになるのは、皮肉にも彼の死後、息子の子豪が後を継いでからだった。
子豪はお世辞にも優秀な経営者とは言えなかった。
父、藍宇航は禁欲主義者と言われていた。それは半分間違いで、彼は食欲、睡眠欲、果ては性欲さえも名誉欲に変換し、活力にして驀進していた。対して子豪は非の打ち所の無いドラ息子ぶりを発揮し、会社の運営はそっちのけで3桁におよぶ愛人を囲い、肉欲の限りを尽くした。
当然のようにユージンの内部では大小の派閥が対立し、そこにユージンの躍進を快く思わない他企業の工作が入り、一時期は社内クーデターの勃発が確実視されるようになった。
そこで藍子豪が頼ったのは、あろうことか黒社会の力だった。
先代の宇航も黒社会との関りが深かったと言われるが、彼はあくまで暴力組織を利用する立場を貫いていた。彼は利権に群がる野犬どもにエサを投げ与え、巧みに飼い馴らす名調教師だった。
対する子豪は、エサそのものだった。
ユージンが有する宇宙最大規模の労働者たちが、劣悪な環境の中で生み出した莫大な利益はいったん子豪のもとに吸い上げられ、仲介人を通じてマフィアたちに分配されていた。
当の本人は周囲を固めるイエスマンと侍らせた美女たちにおだてられ、何も気付いていなかった。
そして現在。
ユージンは正妻を持たなかった子豪が作り出した数百人の私生児たちが黒社会の手で育てられ、父親の死を虎視眈々と待っている。
「――というわけで、そんな真っ黒カオスなユージンの後継者筆頭が、あの藍静雷様です。バックについているのは金光会、マフィアとしての規模は中堅どころですが、超武闘派として下手な大組織よりも恐れられています」
エイミーお嬢様はふんと鼻を鳴らした。
「まったく。いつまで石器時代を生きるつもりなのかしら」
「静雷様が他の私生児たちと一線を画しているのは、彼女自身が金光会の大幹部として組織を支配していることでしょう。あくまで噂ですが」
人工天体アラーニアへの入星は厳密な検査が行われる。当然、マフィアとの関係などは当然ご法度であるのだが、大企業の令嬢ともなれば抜け道はいくらでもあるし、最悪札束の重さに物を言わせることもできるだろう。
「で、こっちの藍はどうなの?」
エイミーお嬢様が藍浩然を見る。
浩然は憮然とした表情で顔をそらす。
「俺にそんなバックはねぇよ。俺の母は……」
その時、彼の手をカラメルの手がそっと握った。どうやら、藍浩然の出生にはあまり他人には言いにくい事情があるようだ。
「何かあるのなら言いなさい。あの女に勝つには少しでも情報が必要なの」
そして、そんな空気など微塵も読まないのが我が主である。
「今回のこととは関係ねぇ」
「関係ないかどうかは私が決めるわ」
「……俺は、藍家では生まれていないことになっている。母は、藍子豪の実の妹だ」
「あ……」
さすがのお嬢様も気まずそうに沈黙する。
「母は精神に異常をきたして隔離されている。俺は辺境の開拓宙域に里子に出されたんだが、不幸なことにその家の姓も『藍』だった。皮肉なもんだ」
浩然は自嘲した。
「他の兄弟は好き勝手に『藍』を名乗っている。だが俺は、こんな家名はとっとと捨て去りたいのに『藍』が呪いみたいについてくる」
血縁など持ったことのない私には別世界のような話だが、血のしがらみというものも厄介なのだろうなと思う。
「貴方はどうして自分の出生を知ったの?」
「わざわざ教えに来たのさ、静雷が。自分の立場をわきまえてユージンには近づくな、ってな」
……?
静雷嬢の行動に違和感を覚える。
まるで、熱湯風呂の縁につかまるお笑い芸人が「押すなよ! 絶対押すなよ!」と叫んでいるような滑稽さ。
「そろそろ、昼休みが終わります」
いそいそと席を立ち出す浩然とカラメル。
「お2人にはアンタレスから護衛を付けます。くれぐれも単独行動をしないようお願いします」
「え? どうしてですか?」
きょとんと首を傾げるカラメル。この娘は本当に人の話を聞かないな。
「静雷様は勝ためには手段を選ばない方です。決闘が始まる前に、事故に見せかけて我々にケガを負わせるくらい平気で行うでしょう」
状況から言って、すでに動き出していると思って間違いない。
「メタルレイスにも細心のご注意を。どんな工作をされるかわかりません。よろしければ、我が社の格納庫を提供いたしますが?」
と言うか、すでに手配している。ここはすでに戦場だ。のどかな辺境でのびのび育ったであろう2人に合わせてなどいられない。何より、静雷嬢がそれを許さない。
やがて、護衛に守られて2人は食堂を出て行った。
「お嬢様、我々もそろそろ次の授業が……」
「コーヒーを1杯飲んでからにするわ」
お嬢様が『コーヒ』と言った時点ですでに私の体はホットコーヒーに角砂糖3つと生クリームを用意するべく動いている。
我ながら、このクソ条件反射が本当にムカつく。
「お飲みにならないのですか?」
「……今から飲むのよ」
カップを取り上げるお嬢様。黒い水面が細かく振動している。
「もしかして、ビビッていらっしゃるのですか?」
「なッ! まさか、ビビッてなんか! そんなわけないでしょう!? どうして私があんなならず者にビビらなくちゃならないのよ!?」
「失礼いたしました。アンタレスのご令嬢ともあろうお方が、マフィアごときに怖気づくなんてありえないことでした。さあ、そろそろお飲みにならないと授業に遅れます」
「シエラ、私に復讐してない?」
「何のことでしょう?」
そんなやり取りをしながら、私はさりげなくテーブルをずらし、お嬢様を椅子ごと移動させていく。
「何をしているの、シエラ?」
「お気になさらず。お嬢様はごゆっくりコーヒーをお楽しみください。あと5秒ほど」
「?」
直後、1台の大型トラックが食堂に突っ込んできた。
「ピギャアアアアアアア!?」
尻尾を踏まれた猫みたいな声が聞こえたが、多分気のせいだ。
「事故を未然に防ぐには、常に『かもしれない』、『ヒヤリ・ハット』を心がけることです。ありきたりの事故ではお嬢様には届きませんよ、静雷様」
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