第2話 運命を知ったメイドさん、密かにキレる。
――まず、SF学園恋愛ADV『アラーニアの園』の概要を説明しよう。
製作は『アイアンメイト』。
色々な意味で評価が安定している老舗ゲームメーカー、インスパイアファクトリーが擁する主力ブランドの1つで、主に乙女ゲームを多数作成してきた。
令和に入り、ゲーム業界では課金制ソーシャルゲームやオープンワールドRPGの勢いが加速していく中、アイアンメイトは頑固一徹な職人のごとく、家庭用据え置き機対応の女性向け恋愛ノベルゲームを作り続け、一定の地位を築いていた。
そんなアイアンメイトが満を持して発売したのが、SF学園恋愛ADV『アラーニアの園』である。
主人公はとある辺境に暮らしていた何の変哲もない庶民の娘であり、ひょんなことから大企業の令息令嬢が通う全寮制の名門学校『アラーニア学園』に入学することになる。
そしてプレイヤーは、主人公を通して個性豊かな5人の御曹司と出会い、彼らと絆を深めていくのだ。
舞台がSF世界であることを除けば、『アラーニアの園』はオーソドックスな王道恋愛ゲームである――
◇ ◇ ◇
「遅いわシエラ! 何をしていたの!?」
音量調整という考えが最初から頭に無いらしい、我が主――エイミー・エヴァーグリーンの甲高い怒声が展望デッキに響き渡った。
間接光で控えめにライトアップされたプールサイド。広い水面には幻想的な天の川が映り込んでいる。
「やっぱり貴女じゃないとダメだわ。こいつら全っ然使えない!」
甲板の上に、この船の従業員と思しき制服姿の男が2人、額を床に擦り付けるように土下座をしていた。
ウェイターと支配人だろうか。
平身低頭し、微動すら許されない男たちを、お嬢様はビーチチェアに寝そべりながら見下ろしている。
「……」
状況を整理する。
私がちょっとレストルームで顔を洗っている間に、一体何があったのか?
現在、この宇宙客船の展望デッキはエイミーお嬢様が貸し切っている。
この船は他にも多くの客を乗せいて、甲板から一望できる満天の星空が売りであるにも関わらず。
人目をはばかる必要のないお嬢様の姿は、やたらと長い蜂蜜色の髪をまとめるヘアゴム以外、一糸まとわぬ全裸姿だ。
有害な宇宙線から肌を守る、遮光クリスタルでできた天蓋ドーム。そこから一望できる無辺広大な宇宙を独占する彼女のそばには、何も載っていない白い丸テーブルがあった。
(なるほど、だいたいわかった)
私は男たちの肩に手を添えて立ち上がらせ、「後は私が引き継ぎします。お疲れさまでした」と声をかける。
男たちは20年分の生気を奪われたような顔と足取りで去っていった。
「すぐにご用意いたします。しばしお待ちを」
お嬢様が求めているのは、間違いなくドリンクとお菓子。
おそらくウェイターは尋ねたのだろう。「何をお召し上がりになりますか?」と。
お嬢様はそれが許せなかったのだ。エヴァーグリーン家の使用人は、主に決して質問をしない。
主が何を求めているかくらい察せないようでは、この家の使用人は務まらない。
24時間365日、常にお嬢様の一挙手一投足に気を配り、お嬢様の心を我が心として生きていれば、このくらい解って当然。
とは言え、今回の航海で初めてお嬢様と相見えるスタッフたちにそれを求めるのは酷というものだ。
この場合の彼らが取るべき最適解は、メニューにあるすべてのドリンクとスイーツを作り、お嬢様の前に並べることだった。
バーカウンターでコーラとキャラメルポップコーンを用意しながら、私はふと磨かきあげられたガラス製のカウンターに映る自分の顔を見た。
シエラ・ジェード。
真っ白なショートヘア、「起きているのか眠っているのかわからない」と言われる、伏せがちの目。後は取り立てて特徴のない、石膏像のような無表情。
自分の顔のはずなのに、それを他人の目で観察しているもう1人の『私』がいる。
老朽化したスクラップ同然の宇宙船のゴミの中からシエラ・ジェードは生まれた。
まあ、正確に言えばどこかの無責任な誰かが若気の至り私を産み、ゴミ処理施設に投棄したのだろう。
運良くスペースデブリになる前に発見され、運良く慈善団体に保護された私は、養護施設で読み書きを学んだ。
そして推定5歳の時にジェード家に引き取られ、すぐにエイミーお嬢様の侍女見習いとなり彼女と共に過ごすことになる。
「お待たせいたしました」
礼どころか返事のひとつもせず、お嬢様はコーラをひと口飲んで言った。
「甘さが足りないわ。これだからアール・トリニティのお上品ぶった薄味は嫌なのよ」
エイミー・エヴァーグリーン。
宇宙フロンティア時代を制し、この世界を実効支配する5大企業の1つ『アンタレス』の創業家、エヴァーグリーン家のご令嬢。
子猫を思わせる大きな吊り目に、空色の瞳。通った鼻筋に細く滑らかなラインの顎。なまじ整った顔立ちだけに、醸し出される雰囲気はクールを通り越して冷酷ですらある。
唯一、薄桃色の頬にうっすらと浮いたソバカスだけが、彼女の冷たい印象を和らげている。焼け石に振りかけられる水のしぶき程度には。
――やっぱり、そうだ。
私の頭の中に、『私』の思考が入り込む。
『私』は彼女を知っている。
エイミー・エヴァーグリーンとは。
傍若無人にして傲岸不遜。冷酷無比の悪役令――
(うるさい!)
湧き水のように溢れ出る思考を無理やり黙らせる。
だが、止められない。
――アラーニア学園。
――主人公、カラメル・プールプル。
――恋敵。
――陰謀。
――全てのルート、断罪。
――勘当、転落人生。
――死亡。
押し寄せる記憶。
私が知らないはずの記憶。
(バカな……バカな、バカな、バカなッ!)
エイミーお嬢様が破滅する?
5大企業の一角にして、世界最大の版図を誇る『アンタレス』の令嬢が?
(嘘だ。そんなこと、あるはずがない)
必死に自分に言い聞かせるが、沸き上がる妄想は妙なリアリティをもって私の思考を侵食する。
――ここはゲームの世界。
――エイミー・エヴァーグリーンが物語の中盤で死亡することは避けられない運命。
(それはわかった! でも私は? 私はどうなる? エヴァーグリーン家の庇護下で、お嬢様の侍女としてしか生存権を与えられていないこの私は?)
――エイミーの死後、シエラ・ジェードはシナリオからフェードアウト。その後の顛末は語られていない。
(ふざけるな!)
漏れそうになる声を危ういところで噛み殺した。
そんな私の状況も知らず、全裸のお嬢様が能天気にくつろいでいる。
「星空も見飽きたわ。ディナーショー、今からやらせなさい。ギャラなら倍払うと言って」
この際、この成金クソ女はどうでもいい。
はっきり言おう。
エイミーお嬢様に仕えて10余年。
私はこの女を好いたことなどただの1度もない。
地球標準時間にして24時間365日、私はこの女のことを、腹にため込んだ金のクソが頭蓋骨まで浸潤してしまったファッ〇ンクソ〇ッチだと思っている。
そりゃ髪どころかまつ毛まで白くなるわ。
生き延びなければ。
いざとなったらこの女を切り捨ててでも!
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