第19話 メイドさん、昔の自分を思い出す。
エイミーお嬢様の言う通り、私は老朽化した貧民船のゴミ捨て場に捨てられていた。
私のような赤ん坊は珍しくない。それが貧民船というものだ。
大抵は物心がつく暇もなく、他の生ゴミと一緒に宇宙空間に廃棄されて始まったばかりの生を終える。
私は運が良かった。
たまたま、ゴミの中から拾われた。
だが、その命の恩人のことを私は憶えていない。思い出さなくていいと言われている。
その後の私の状況から考えて、その人物はろくな人間ではなく、ろくな目的で私を拾ったのではなかったのだろう。
そんな私がはっきりと憶えている最初の映像は、ハサミだった。
古い、錆びた裁ちバサミを逆手に持って、柔らかい肉に突き立てた記憶だ。
血にまみれた手が、私の頬を撫でる。
そして言われる。
「妹たちを刺さなかったんだな。エラいぞ」
……経緯は分からないが、幼い私の身柄は月に移されていた。
月は別名『墓守の星』といい、地球という灰色の星を監視する役割を担っていた。
様々な廃棄物や手に負えない危険物が投棄される、宇宙のゴミ捨て場たる地球に思わぬ化学反応や突然変異体の繁殖がないかを観察するのだ。
だが、月にはもう1つの役目があった。
地球に捨てづらいものを集積し、リサイクルするという役目。
捨てづらいものとは、もちろん人間である。
親に捨てられた子供たちの中で、比較的運のよかった者たちはいくつかの宇宙船を点々とした後、最終的には月面に建設された養護施設にたどり着く。
そこで子供たちは個体識別番号を付けられ、機械的に管理され、画一的な教育を受ける。
彼らは何度かの検定の後、適正に応じて仕分けされ、それぞれの職務に就いて一生を終える。
たいていの者たちは格安の労働力として各方面に出荷されるが、ごくまれに月面出身者の中からアスリートや芸術家、科学者として大成する者もいないわけではない。
もっとも、私は本格的な教育課程が始まる前に里親に引き取られたのでそのあたりのことはよくわからない。
私の月での記憶は、教育課程の前段階、情緒育成課程での物事である。
幼い私たちの情緒を育て、管理する者たちは『シスター』と呼ばれていた。
他はどうか知らないが、私たちを担当したシスターは私たちを個体識別番号では呼ぶことを嫌っていた。代わりに、『まる猫』だの『茶うさぎ』だのといった適当なあだ名で呼んだ。
私は『ちび犬』だった。
多分、いつも大声で鳴き喚いて、暴れて、誰彼かまわず噛み付いていたからだろう。
あの頃の私は、いつもイライラしていた。
そして恐怖していた。何かに追い立てられるように怯えていた。
だから、暴れた。
目に付いた物はことごとく壊した。手に触れた物はとにかくぶん投げた。
はじめは全方位に喧嘩を売っていたが、他の子どもたちをシスターが庇うので、やがて私の標的はシスター1人に集中していった。
背の高い人だった。黒い修道服からのぞく体は右半分が焼け爛れ、汚い包帯が巻かれていた。
後になって、月で育てられた子供たちの中で、傷や病気のために売り物にならなかった者たちが姉となって弟妹の教育にあたることを知った。
そんなシスターに私は反抗した。石を投げつけた。刃物を投げつけた。汚い言葉を吐き、その手に何度も噛み付いた。
怖かった。
シスターが怖かった。
どんなに困らせても、嫌われるようなことをしても、両手を広げて私を抱きしめようとするシスターが怖かった。
時に私を厳しく叱り、時に優しく諭し、常に「愛してる」を囁いてくれるシスターが堪らなく怖かった。
……どうせ、捨てられるんだ。
その思いをどうしても拭い去ることができなかった。
だったらいっそ、嫌われたかった。
もう手に負えないと見捨ててほしかった。
そうしてくれれば、「ほら、やっぱり」と安心することができるのに。
この恐怖を、この思いを、うまく言葉にできない苛立ちがより一層私の行動を激化させた。
それが頂点に達したのが、1年後、私に弟妹ができた時だった。
シスターの関心が彼らに向いてしまう。そう考えただけでもう我慢できなかった。
その思いはすぐに殺意へと変わった。
当時、少しでも危険な物は私の周囲から遠ざけられていたが、私は知っていた。
古い鍵付きの戸棚の一部が壊れていて、その中に裁縫用の裁ちバサミが隠してあることを。
早く私のことを嫌いになって、見捨ててほしかった。
それが叶わないのなら、ずっと私のものになってほしかった。
それすらも叶わないなら、もう、私がこの不安という地獄から逃れる方法は1つしかない。
だから私は、弟妹たちに寄り添うようにして微睡むシスターの胸に、その柔らかくて温かい乳房に、ハサミを振り下ろした。
「妹たちを刺さなかったんだな。エラいぞ」
血まみれの手で私の頬を撫でながら、シスターは微笑んだ。
「……痛くないの?」
「テメェの目はケツの穴に詰まったガラス玉か? 痛ぇに決まってるだろ、クソッタレ」
シスターの両腕が広がる。私の身体を抱きしめるために。
敵わない。この人には敵わない。
この人は、絶対に私を見捨ててくれない。永遠に私を愛することをやめてくれない。
そう思い知らされた瞬間、私は全身で絶叫しながら、この地獄を受け入れる覚悟を決めた。
◇ ◇ ◇
「ぐぐ……うぐぅぅぅぅ……」
ギリギリと歯ぎしりをし、人前で泣くまいと無駄な努力をするエイミーお嬢様。
あの頃の私に比べれば可愛いものだが、私もあの人に比べれば小さい人間だから、お似合いというべきかもしれない。
「あまり失望させないでください」
見開かれた空色の瞳が私を見上げる。
「初めからお嬢様の謝罪など望んでいませんし、期待もしていません。ですが、何ですかそのみっともない姿は! 人の上に立つ者が、人を見上げてどうするんですか!? 人にすがりついて泣きじゃくって、貴女はそれでもエヴァーグリーンのご息女ですか!?」
「うるさい……」
「は? うるさいからなんですか? 静かにしてほしいんですか? 察してほしいんですか? アンタレスのご令嬢ともあろうお方がお願いですか!? 「黙れ」とひと言命じればいいものを、何を遠慮しているのです?」
「うぐ……」
「ご自分に自信がありませんか。敗けた自分に部下が付いてこなくなるんじゃないかと怯えているんですか。1発ビンタされたくらいで尻尾を巻いて逃げ出した自分が、愛想を尽かされたんじゃないかと怖くて怖くて小便ちびりそうですか」
「だ、黙りぇ……」
「何ですかその屁っ放り腰は! いいですか! 貴女には初めから何もない! 魅力も器も恐怖も狂気も何もかも!」
「だ、だま、だみゃ、だみゃりぇぇ……」
「腰を引くな! 胸を張りなさい! 貴女は高慢ちきで独りよがりな虚勢だけが取り柄の悪役令嬢でしょうが!」
もうその辺にしてあげて、という声が聞こえている気もするが、ここまで来たらもう止まれない。
「いいですかお嬢様、貴女はまだ敗けていない。たとえこの宇宙でそう言っているのが貴女1人だったとしても、貴女自身が敗けを認めなければ、貴女は敗けていないのです」
「もう! 敗け敗け言うなァ!」
お嬢様の渾身の体当たりが私を突き飛ばそうとする。
そんなお嬢様の身体を、私は両手を広げて受け入れた。
「私は敗けてなんかいない! 私は逃げてなんかいない! 怯えてなんかいない! シエラに甘えてなんかいない! 私は絶対に謝らない!」
零れ落ちる涙を必死に拭いながら、お嬢様は歯を食いしばる。
「ひどいことを言ってごめんなさいなんて言わない……。八つ当たりしてごめんなさいなんて言わない……。つべこべ言わないで戻って来なさい。シエラは、私の侍女なんだから」
「……休日をいただけますか? それと給料も上げてください」
「仕方ないわね」
私たちの背後では、肩をすくめて去っていくジーク様を皮切りに野次馬たちが散っていた。
「……」
「……」
何だか気まずい空気のまま、私は服を着て部屋の片づけを始める。
お嬢様は部屋の隅っこで枕を抱きながら物思いに沈んでいた。
「ところでシエラ」
あらかた片づけが終わり、3人の補佐を下がらされたところでエイミー様はようやく口を開いた。
「悪役令嬢って、何?」
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