第18話 メイドさん、悪役令嬢をフルボッコにする。
エイミーお嬢様はしばらくの間、陸に揚げられた魚のように口をパクパクさせていた。
「き、気のせいかしら? 今、貴女の口からとんでもなく下品な言葉が飛び出して来たように思えたんだけど……?」
「……」
「どうして黙っているの? 私は聞いているのよ? 答えなさいよ!」
「失礼しました。卑賎の身に不釣り合いな高等教育を受けさせていただいたおかげで、逆に猿の言葉が聞き取りにくくなってしまったようです」
お嬢様の薄桃色の顔が、ゆで上げられたタコのように赤くなる。
「私をバカにしているの?」
「それ以外の意味に聞こえたのでしたら、ご自分の耳の穴がケツの穴になっている恐れがございます」
赤い顔が、今度はすーっと白く変わっていく。
顔面のあらゆる筋肉がひくひくと痙攣し、歪んだへの字に結ばれた口からはガチガチと歯の鳴る音が聞こえてくる。
「な、な、何よ……、一人前に怒っているの……? あ、あの、辺境娘に感化されちゃった? バカじゃない? ねえ、バカじゃないの? ねえねえ、バカでしょ? あ、あ、あなた、だだ、誰のおかげで今まで……」
「衣食住をいただく代わりに幼児がもらしたクソの始末をする等価交換と考えております。それを一方的な恩恵だと思い込んでいる滑稽極まる道化がいるなら、ぜひこの目で見てみたいものです」
「あッ、あッ、あがッ……」
「そろそろよろしいでしょうか。19歳児が部屋中にぶちまけた特大のクソを片づけるお仕事に入らせていただいても」
その時だった。
強張っていたエイミーお嬢様の全身から、すっと力が抜けた。
怒りに歪んでいた顔も、今は能面のような無表情となり、空色の瞳はガラス玉のように温度の無い光を宿す。
「……もういい」
どうやら、怒りが頂点を超えたらしい。この状態のお嬢様を見るのは久しぶりだ。
どうしても自分に懐かなかった子犬を、ダストシュートから宇宙空間へ放り出した時の、あの顔だ。
「貴女は解雇よ。覚悟はできていたんでしょ?」
「強いて言えば、エイミー様の顔面に唾を吐きかける夢を叶えられなかったのが心残りです」
「その代わり……」
「解っています。アンタレスからお借りしていたものは全てお返しします。命以外は」
私はその場で服を脱いだ。下着も取り去る。
「貴女の部屋にも戻らせないわよ。あそこにある物もすべて支給品なんだから。系列企業の施設に入るのも、製品の使用も許さない」
「はい」
「行っていいわ」
私は、「お世話になりました」と頭を下げ、ドアセンサーに手をかけた。
「そうだ、1つ言い忘れておりました」
「何?」
ドアを眺めながら、私は告げた。
「『シエラ・ジェード』の名前もお返しします。これより、私は個体識別番号5474Nに戻ります」
生まれたままの姿で扉を開ける。
ケイティ、レイチェル、モルガンの怯えた目と、その向こうに騒ぎを聞いて集まったらしい女子学生たちの驚愕の目が私を迎えた。
……ここが女子寮でよかった。
「大丈夫かい?」
そんな私の身体に、黒い大きな上着がかけられた。
ジーク様の心配そうな顔がある。
「ありがとうございます」
「すまない。盗み聞きするつもりはなかったんだが……。行くあてがないなら、ボクの所に来るかい?」
「……」
ジーク様が私を安心させるように微笑む。
「てっきり、ジーク様には嫌われてしまったものと思っておりました」
「あの時はね。でも、それ以上に悲しかったんだ。君があまりにも当たり前のように自分のことを備品だなんて言うから」
やや浅黒い大きな手が、私の手を取ろうとする。
「おいで。君の知らない世界を教えてあげる」
周囲から、「きゃー」と黄色い歓声とも悲鳴ともつかない叫びが起こる。
なぜか「ズルいですよ! 元センパイ!」という妙に腹の立つ声も混じっている。
だが、私が返答をするべく、息継ぎをしたその時だった。
「嫌アアアアアアァァァァァァァーーーーーッッッ!!!!!」
チェーンソーで鉄骨を切ろうとしているかのような、すさまじい悲鳴が扉の向こうから響き渡った。
お嬢様の部屋のドアがスライドする。
自動ドアの動きさえももどかしいのか、お嬢様の身体がドアの隙間から這い出て来た。
「シエラ!」
お嬢様の身体がバランスを崩したまま、私に飛びかかるようにしがみついてきた。
「どうして!? どうして行っちゃうのッ!? 今までずっとそばに居てくれたのにッ!」
「……さあ、何故でしょう?」
自分でもわからない。
どうして今?
まだ何も分からず、何も定まっていない五里霧中の状態で、どうしてエイミー様に盾突いてしまったのか?
どうして今まで耐えて来たものが急に耐えられなくなってしまったのか?
「許さない! 許さないから! 勝手に他の所に行くなんて絶対許さない!」
「いつの間に脳をニワトリのものと交換されたのです? 数分前にお嬢様は私を解雇されたと記憶しておりますが」
「嫌ッ! 嫌嫌嫌嫌嫌ァッ!!」
狂乱するお嬢様。もう自分が何をしているのかすらわかっていないのか、私の身体にかけられたジーク様の上着を無理やり引きはがそうとし始める。
「やめろ! 君はそれでもアンタレスの令嬢か!?」
「うるさい! 私からシエラを奪うなァッ!!」
「当然の報いだ。君は彼女に言ってはならないことを言った。シエラに戻って来てほしかったら、まずは自分の非礼を詫びるのが筋だろう?」
お嬢様は蜂蜜色の金髪を激しく掻きむしる。
「わかんない。意味わかんない! どうして私が謝らなくちゃいけないの? シエラは私の物なのに……」
「シエラがまだアンタレスの人間なら、ボクもとやかく言えないさ。でもエイミー、君は彼女を解雇したのだろう? ならばもう彼女は君の物じゃない」
「嫌……、謝らない……、私は、絶対に、謝らない……」
「エイミー……」
ゆるゆると首を振るジーク様。その瞳には、冷たい失望の色がある。
お嬢様は駄々っ子のように激しく首を振りながら、うわ言のように呟き続ける。
「人の上に立つ者は謝っちゃいけないんだ……。私は人の上に立つんだ……。でなきゃ私は……私は……」
エイミー様の目から、大粒の涙がボロボロと零れ出た。
その時、不意に私は理解した。
どうして、突然感情を抑えられなくなったのか。
私は、今のエイミー様に、ある人物を重ねてしまったのだ。
自分が何者なのか分からなくて、誰かに自分を肯定してほしくて、なのにわざと人に迷惑をかけまくって、暴れて、喚いて、吠えて、噛み付いて……
そんな愚かな獣のような子供を思い出してしまったのだ。
その子供に名前は無い。
あるのは、番号。
個体識別番号5474N。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
続きが気になるという方は、広告の下にある☆☆☆☆☆より評価をしていただけると嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。




