第17話 メイドさん、悪役令嬢の泣きダッシュを見る。(後編)
『センパぁイ! ヘルプ~、ヘルプですぅ~』
神経をヤスリで逆撫でるような声が通信デバイスの向こうから聞こえて来た。
『お嬢様暴風警報! もうあたしたち三下侍女では対処できませ~ん!』
「鎮静剤はお渡ししたのですか?」
『そんなのとっくの昔にお持ちしましたぁ! 助けてくださいすぐ来てください! あたし、この仕事が終わったら故郷で待っている彼と結婚ぎゃーーーーッ!!!』
あと15分は持ちそうだ。
「失礼しました」
「ええよええよ。それが侍女のお仕事やもん、自分の雇用主が最優先やさかいなぁ」
健康的な小麦色の手がひらひらと振られる。
「私もほしいなぁ、貴女のような侍女。あぁ、執事もええねぇ、ジークんとこのスチュアートみたいな」
「それで、ご用件とは?」
ライラー嬢の濡れた口元に微笑みが浮かぶ。
どこまでも深い黒色の瞳に温かみが宿ると、心の芯がほっと緩むような安心感が伝わって来る。
ジーク様とは違う意味で、この方もかなりのたらしだ。
「用件ってほどでもないんよ。ただ、この間エイミーはんに言われとったなぁ、捨てられたらこの宇宙では生きていかれへんとか、空気も吸われへんとか」
「感情が高ぶったお嬢様のしゃっくりのようなものです」
ライラー嬢が口元に指を添えてクスリと笑う。
不意に、その手が私の頭に伸びて来た。
「ライラー様?」
予想外の動きに、咄嗟に対応できなかった。
結果、私の顔面はライラー嬢の豊かな胸にすっぽりと包まれることになった。
「安心し。この宇宙はあんたが思ってるほど冷たないよ」
「……」
お言葉の意図がわかりません、と言いたいのだが、柔肉が密着しているために声を出せない。
何とか息を吸うと、ほのかに甘い香りが鼻腔に満ちた。
ほっそりとした指が、私の髪を優しく梳く。
「白髪になるまで、よう頑張ったなぁ」
ああ、そうか。
私は理解する。私は今、この人に捕食されようとしているのだと。
私が自分で言うほどお嬢様の『道具』になり切れていないことを見抜き、私の心身が弱った瞬間を狙って触手を絡みつかせて来たのだと。
「失礼いたします!」
じたばたともがくように彼女の呪縛から逃れる。
「……」
ライラー嬢はそっと胸の谷間に指を這わせた。
私の顔が埋まっていた場所、ちょうど両目の位置に小さな染みができている。
「ッ!」
身を翻す私の背中に、
「エイミーはんに捨てられたら、私のとこにおいで」
と、優しく包み込むような声が追ってきた。
トイレに駆け込み、冷水で顔を洗う。
危なかった。
『私』の記憶からライラー嬢が腹に企みを持っていることを聞かされていなければ、うっかり陥落ちてしまっていたかもしれない。
(気をつけろ、私)
ジーク様にせよ、静雷嬢にせよ、令嬢たちは数百年にわたり宇宙を支配してきた経営者の娘なのだ。
世代を超えて人材の選定眼を磨き、御眼鏡 に適った者を口八丁手八丁で獲得する術を磨いてきた、言わば人狩りのエキスパートでることを忘れてはならない。
しかも、そうして獲得した人材を後生大事に保管するようなことはしない。徹底的に使い潰す。
こちらは身命を賭した忠誠を誓っていたとしても、向こうは用済みと見れば容赦なくこちらを切り捨てる。
再就職先は慎重に見極めなければならない。そして、運命の行く末も。
中ボスを切り捨てたところで、ラスボスに乗り換えてしまったのでは破滅の結末は変わらない。むしろ悪化している。
「……」
さっきから通信デバイスが震えまくっている。あっちもそろそろ限界か。
「センパぁイ! どこ行ってたんですかぁ!?」
学生寮の最上階。階段を上り切ったとたん、私に向かって猛烈なタックルをかましてくる小さな体があった。
ギリギリまで引き付け、さっと躱す。
「ふんぎゃぁ!?」
それは前のめりに倒れ、ずざーっと音を立てて床の上を滑っていった。
「ひどいッ! ひどいですよセンパイ!」
「状況は?」
顔を真っ赤にして頬を膨らませる小柄な少女。
名前はケイティ。くすんだ赤毛をおさげにし、子猿のような顔立ちをした私の後輩である。
「今はレイチェルとモルガンが対応しています! ボッコボコのサンドバッグ状態です!」
ケイティがまくしてているが、正直報告は不要だった。
お嬢様の部屋からは耳をつんざく金切り声と、固い物がぶつかる音がガンガンと漏れ聞こえてくるからだ。
「で、あなたは2人を見捨てて逃げて来た、と」
「み゛ッ!?」
妙に癇に障る悲鳴を上げ、「いえいえそんな! 私はセンパイに連絡するという重要な任務をですね!」と妙に腹の立つ言い訳を垂れ流す子猿。
「鎮静剤を」
「はい!」
お盆に乗せたコーラとキャラメルポップコーンを手に、私は扉の前に立った。
「シエラです」
勢いよく扉が開く。
部屋から転がり出て来たのは、顔面に引っかき傷や青痣をこしらえた2人の侍女。
「すんません先輩! 力及ばず――ッ!」
ベリーショートの黒髪と褐色の肌をした筋肉質な体育会系、レイチェルが敬礼したままバタンと倒れる。
「もう、もうダメ……許して、許じでくだざいぃ……」
血と涙で顔をぐしゃぐしゃにしたひょろ長い体格の少女、モルガンは薄茶色のロングヘアをボサボサに乱された状態でレイチェルの体に重なるように倒れ伏した。
ケイティ、レイチェル、モルガンの3人は私の補佐として付いてきた侍女たちである。
と言っても、私と違って、彼女たちの親はアンタレスの部長職であり、侍女はあくまで社会勉強で侍女をやっているだけだ。
「お疲れさまでした。後は私が引き継ぎます」
必然、お嬢様が荒れた時は私が防波堤とならざるを得ない。
彼女たちは口では「さーせん!」「ありがとうございますぅぅ」などと言っているが、その目は露骨に「もっと早く来い」と訴えていた。
「……」
お嬢様の部屋は、台風でも通り過ぎたのかと思えるほどに荒れていた。
よくもまあ、少女の細腕でここまで部屋を荒らせるものだと感心する。
そして、数分前まではベッドだったはずの、ボロ布に包まれた箱の上では、手負いの虎のような雰囲気を纏ったエイミーお嬢様がうずくまっていた。
「遅かったわね、シエラ……」
「申し訳ございません。ライラー様に呼び止められてしまいまして」
「あら、言い訳? 随分と偉くなったのね。あぁ、そうか、私が落ちたのか……」
荒んだ目で薄笑いを浮かべるお嬢様。
「みんな、私をバカにしてる。貴女も聞いていたはずよね? あいつらの言葉! 見てたわよね! 藍の娘のあの態度!」
「はい」
「シエラァァァ!!!」
突然、お嬢様は手負いの虎そのものの動きで私に飛びかかって来た。
コーラとポップコーンが汚れた床をさらに汚す。
「どうして私を勝たせなかったの!? こうなることはわかってたはずよ!? アンタレスの技術がド辺境のフリーランスに敗けるなんてあってはならない! わかってたはずよねぇ!?」
「はい」
企業の力とは、すなわち技術力である。
人類が宇宙に進出すると共に、国家という概念は形骸化し、有名無実の代名詞となった。
かつては『国民』と呼ばれた人々は『社民』として企業に帰属するようになり、大口投資家は国家に取って代わった大企業の支配層に同化していった。
結果、株式市場もまた事実上消滅し、大企業間の力関係を測るものさしは、所有する開拓宙域の広さ――要は領土の広さへと単純化されていく。
そんな大企業が他社に先駆けて領土を広げる力。それがグループの『技術力』である。
そして技術力の結晶であるメタルレイスは、いつしか各企業の威信を背負った存在となっていった。
「私は敗けてはならなかった! ねぇシエラ、貴女は全力を尽くしてくれた? カラメルの居場所を突き止めてケガをさせるとか! 家族を人質に取るとか! あのふざけたメタルレイスに細工するとか! できることはあった! たくさんあった! そうよね!?」
「それで勝利を得たとして、お嬢様は満足ですか?」
「口答えするなァ!」
お嬢様の手が、遠慮を知らない力で私の首を締め上げる。
「貴女まさか、カラメルの言葉を真に受けてるんじゃないわよね。私を裏切るつもりじゃないわよね? 貴女が今までのうのうと生きていられたのが誰のおかげか、忘れたワケじゃないわよね!」
……視界がぼやけてきた。
脳に酸素が回らないせいだろうか。
「貧民船のゴミ捨て場に生えてた赤ん坊が! 『墓守の星』で飼育されていた畜生が! 人並に生きていられるのは誰のおかげ!?」
……喉に何かが詰まる。
……鼻がつんと痺れる。
……顔が熱い。
「『シエラ』って名前を付けてあげたのは誰? 言ってみなさいよ個体識別番号547――」
「黙れクソ女……」
「は?」
一瞬、首にかかる力が弱まった。
その瞬間、私の全身から何かが溢れ、噴き出した。
「耳にクソが詰まって聞こえませんでしたか? お黙りあそばせお嬢様と申し上げました」
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