第16話 メイドさん、悪役令嬢の泣きダッシュを見る。(前編)
エイミー・エヴァーグリーンとカラメル・プールプルの決闘は、藍浩然の乱入により公式には引き分けという形で終わった。
「借りは返した、ね……」
輸送船に帰投した私たちを迎えたのは、学生たちの冷ややかな視線だった。
公式記録がどうであれ、あの戦いを見た誰も彼もが、エイミーお嬢様が敗北したと見るだろう。しかも侍女を伏兵に使うという卑怯な手段を使ったにも関わらず。
廊下のど真ん中を肩で風を切り裂くように歩いていたお嬢様の威厳は地に落ちたと言っていい。
「見ろよ。フリーランスに負けた大企業様だ」
「あんな威張り腐っておきながら、無様に負けるなんて……」
「あのデカい図体は張りぼてかよ」
気まずそうに目をそらすアンタレス系列の子女たちと、ひそひそと噂話に花を咲かせる他企業の子女たち。
そんな針の筵の上で、エイミーお嬢様はこれまでとこれまでと変わらぬ堂々たる仁王立ちで、傷付いた愛機『アルピナ』を眺めていた。
「お・つ・か・れ!」
そんなお嬢様の前に現れる藍静雷。この人はこの人で、ライバルが凋落した喜びを隠そうともしない。
「見せてもらったよアンタレスの力。実に学ぶべきものが多かった」
「……」
お嬢様は平静を装いながらも、その仮面の内側では歯が軋みを上げるほど食いしばられているのがわかる。
ライラー嬢なら瞬時にウィットの効いた切り返しをするのだろうが、エイミーお嬢様の度量では姿勢と表情の維持が限界だった。静雷嬢もそれをわかったうえで嬲りに来ているのだ。
5大企業の中でも最後発であるユージンにとって、同じく後発組でありながら最大勢力に成り上がったアンタレスは目標でありライバルでありコンプレックスでもある。
「恐れ入りますが、エイミー様はお疲れです。今日のところは失礼いたします」
お嬢様の前に出る私に向かって、静雷嬢は意味ありげな微笑みを向けて来た。
「相変わらずご主人様に忠実だねぇ。……いや、そうでもないか」
後半は私がかろうじて聞き取れる程度のささやき声だった。
爛々と輝く金色の狼眼が問いかけて来る。
(どこからどこまでがお前の計算だ?)と。
……それほど深謀遠慮があったわけではない。そもそも、あのカラメルの破天荒な言動を読めるはずもない。
私はただ、この決闘を利用させてもらっただけだ。
エイミーお嬢様の破滅に付き合うつもりはない。だが、裏切りにはタイミングが肝要だ。
『こんな主なら裏切られて当然』という土壌と、『あれほどの忠臣でももはや背くしかなかったのだ』という空気がなければ、たとえその場を生き延びたとしても後が続かない。
影は、寄り添うものがあって初めて存在する。何もない場所に影だけが存在していたら、それは世界の理に反する異物だ。
裏切り者を信頼してくれる、新しい寄る辺が影には必要なのだ。
「エイミーさん!」
そこへ、ひと世代前の野暮ったいパイロットスーツを着たカラメルが足音も荒く突っ込んできた。
アルピナの突進を受けた時に操縦席の計器が漏電でもしたのだろうか、栗色の髪がボサボサに逆立っている。
そんな彼女の背中を支えるように、茶色の髪を片目が隠れるほど伸ばし、後ろ髪は三つ編みに束ねた少年がいた。
「……」
切れ長の目から発する鋭い眼光は、私やお嬢様にではなく、藍静雷に向けられている。
静雷嬢は「ふん」と冷ややかに鼻を鳴らすと、無言のまま格納庫を去って行った。
「約束です。シエラさんに謝ってください」
「約束? 勝負は引き分けのはずよ。謝る筋合いはないわ」
「何も思わないんですか? 大勢の前であなたに叩かれて、土下座までさせられて、それでもあなたを守ろうとしたシエラさんに!」
エイミー様は、相手の方を見もしない。
「別に」
その瞬間。
パン、と。
乾いた音が格納庫に響き渡った。
「……」
誰もが呆然と立ち尽くしていた。頬を平手打ちされた当のお嬢様さえも。
「シエラさんは備品じゃない! あなたと同じ人間です! どうしてシエラさんがあなたの側にいるのが当たり前だと思えるんですか!?」
……バカ。
はっと見開かれた空色の目が私を振り返る。
「謝らない……」
お嬢様は震える声でつぶやいた。その途端、お嬢様の中で何かが決壊した。
「謝らない! 絶対に謝らないから! シエラ! 解っているわよね!? 私に捨てられたら、この宇宙のどこにも貴女の居場所はないってこと!」
「はい」
「その服も! メタルレイスも! 食べ物も水も! 空気だって! 全部私が貴女に与えているものよね!? そうよね!?」
「おっしゃる通りです」
「謝らないから! 私は絶対に謝らないからッ!!!」
ヒステリックに叫び散らすと、お嬢様はカラメルを突き飛ばし、人ごみをかき分けるようにして走り去った。
「……私、何かやっちゃいました?」
アジサイ色の瞳をおろおろと泳がせる主人公。
宇宙で5本の指に入る箱入り娘にビンタをかましておきながらこの娘、シラフで言っているのだろうか?
「核地雷を踏み抜かれただけです。アンタレスの重装甲はその程度では揺るぎません」
とりあえず、お嬢様の代わりに虚勢を張っておく。これも給料のうちだ。
「ひぇぇぇぇ……」
まったく、余計な仕事を増やしてくれた。
お嬢様を慰める美辞麗句を考えながら、私は格納庫を後にした。
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