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夏色のシャングリラ  作者: 炒飯
第一章 最果ての学区
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「大まかにだけど学校の案内はこんなとこ。あとは適当にうろうろしてれば勝手に覚えるから」

 食堂から男子寮にもどり、夕星の部屋の前で環はそう言って去った。

 まだ掃除の済んでいない場所があるのを夕星は思いだす。

 リビング奥のドアを開けると脱衣所兼洗面所になっており、浴室につながっていた。

 洗面所の棚に中性洗剤とスポンジを見つけ、浴室の掃除を始める。

 掃除から三十分後、くすんでいたバスタブと床に輝きが甦っていた。

 リビングでトランクから衣類や生活用品を出しているうち、窓からの陽光がだいぶ傾いているのに夕星は気付く。

(掃除も終わったし、学区長の部屋に行かないと)

 夕星は自室を出て慶のいる六号室のドアをノックした。

 しばらく待って、もう一度ノックをしてみたが無反応だ。

 どうしたものかと夕星が廊下で迷っていると、「陽宇さんならいないよ」と女子のブレザー制服を着た生徒に声をかけられた。

「転入生の鳳至さんでしょ? タマちゃんからさっき聞いた」

 タマちゃんとは土師部環のことらしい。

 髪を左サイドテールにまとめた生徒の見た目は背が低く、美少女然とした可憐さがあった。

 このため夕星は、この生徒が先輩なのか同学年なのか見分けがつかない。

「ど、どうも」

 初対面にしては間の抜けた挨拶だと自認しながら、慶が自室にいないことが気になっていた。

「陽羽さんはこの時間だと晩御飯の支度で食堂の厨房にいる。この学区は珍しいよね。ボクが前にいた学区だと、ご飯は調理機で作ってた。午後七時から晩御飯だから、その時間に食堂きて」

 髪を結った生徒は、そのまま談話室に行ってしまう。

 ボク――あの生徒の自称が夕星は気になった。

 それに名前も聞きそびれたため、追いかけようとしたが慶との約束を優先する。

 食堂にやってきた夕星は正面にあるガラス張りの厨房に灯りが点いているのを見た。

 厨房のドアを開けて入ると慶は黙々と寸胴の中身をかき混ぜ、その後ろでは環が野菜サラダを用意している。

 夕星がいるのを発見した慶は額に汗をにじませ、「なにか用かな?」と言う。

 慶の姿は制服ではなく、真っ白な長袖コックコートと腰には黒いビストロエプロンが掛かっていた。

 そのままコック帽でも被ればシェフそのものである。

 環は制服のままだが、腰にビストロエプロンだけを掛けた状態だ。

「なにか手伝います」

 厨房の慌ただしさを無視できず、夕星は言った。

「ありがたい。土師部のサラダをたのむ」

「転入初日で厨房の手伝いなんて気が利くじゃん。冷蔵庫からシーザーサラダのドレッシング取って」

 夕星の声に振り向いた環は大きな業務用冷蔵庫を見ながら指示をだした。

 業務用冷蔵庫からドレッシングの瓶を取り、環に渡す。

「白皿を食器棚から用意してくれ。ハンバーグに合うサイズ。食器棚は冷蔵庫の反対側だ」

 最終段階に入った厨房内は戦場さながらの様相となり、夕星は食器棚の皿を取ろうとした。

 そのとき手元が狂い、一枚の皿を床に落として派手な音とともに割ってしまう。

「すいません!」

「気にしなくていい。土師部の割った皿の数に比べればどうということはないさ。とはいえ、次からは注意してくれ」

 慶は苦笑しているが環は憮然としている。

 これは相当な数の皿を割っているのではないか──夕星にはそう見えた。

 目玉焼きを乗せたハンバーグに寸胴で煮込んだフォン・ド・ボーソースがかけられ、色合いとして緑のブロッコリーが皿にそえられる。

 慶は皿に落ちたフォン・ド・ボーソースの一滴を布巾で丁寧に拭き取り、次の皿も同じように盛り付けていく。

 自動調理器でもここまで繊細な盛り付けはできない。

(学区長の料理には素人離れした部分がある。でも問題は味だ)

 夕星は皿を見つめ、そんなことを思う。

 午後七時になり、配膳した食堂テーブルには夕星を含めた四人の生徒が集まって着席していた。

「いただきます」という全員の挨拶で食事が始まる。

 慶だけは給仕係りとしてコップの水を注いでまわっていた。

 涼香と髪を結った生徒はパンだが、環と夕星はライスが主食だった。

「パンのほうが良かったらパンにするが」

「いえ、ライスのほうがいいです」

 慶の申し出に夕星はそうこたえた。

 環が言っていたように、これは完全にレストランだ。

 そしてフォン・ド・ボーソースのハンバーグの味も料理人レベルに達しているのが夕星でもわかった。

 おそらく、厳しい修行のすえにこの技術を身につけたのだろうと夕星は考えた。

 食事の雰囲気は、とても和やかだ。

 みんなそれぞれの趣味や談話室でのゲームの話題で盛り上がり、慶はそんな後輩たちを見守っている。 

(僕が前にいた特待学区とは大違いの食事風景だ)

 夕星からすれば特待学区にいたころの生徒たちはライバルであった。

 そのせいか食事は全員が終始無言であった。

 第一学区の生徒たちが目指すのは、学年でただ一つの主席の座である。

 主席を取得すれば、輝かしい未来が約束されているからだ。

 そしてある事件が起こるまで、夕星は特待学区最上位である第一学区一年生の主席だった。

 そこから、この最果ての学区にきたわけで戸惑いの連続である。

 食後、食器の後片付けも夕星は手伝うことにした。

「火和のやつ晩御飯を食べにこなかったな」

 慶は皿洗いをしながら言った。

 環は片付けまではしないせいか、厨房にはいない。

「火和先輩はなにしてるんですか?」

 慶が積んだ皿をキッチンペーパーで拭きながら夕星は訊く。

「車の修理をしているんだろう。あいつは没頭すると食事をしなくなるからな」

「夕方、学区長の部屋の前で髪を結った女子と会いました。晩御飯で僕の前に座っていた子です」

「彼は(つき)()(かず)()。二年生だ」

 聞き捨てならない部分が夕星にはあった。

「……彼?」

「月賀は男子だが女子の制服を着てる」

「男子なんですかっ!?」

 夕星には和紗が女子にしか見えなかった。

「うちの学区では女子の制服を着るのも自由だからな。他の学区では男子が女子の制服を着るのが禁止されているから、うちの学区にやってきた」

「ここってなにもかもが自由ですもんね」

「本当の自由は将来を嘱望されている者か絶望されている者にしか与えられない。俺たちは絶望側だ」

 夕星はその言葉を聞き、黙りこむ。

 最果ての学区を卒業した先にあるのは、九つに階層化された厳しすぎる管理社会だ。

 この学区は最下層のため、慶は大学や専門学校などへの進学は一切許されていない。

 さらに就ける職業も限定され、暗い未来が待っている。

 いわばこの最果ての学区が人生で最期の自由を満喫できる場所なのであった。

「落ち込んでいてもしょうがない。いまは楽しく過ごすべきだろう。俺は絶望することに飽きた」

 皿を水道水で濯いでいる慶は言う。

「君がここにきたのはなにか用があったんじゃないか?」

「すっかり忘れていました。転入手続きについてです」

 慶は厨房の壁かけ時計をちらりと見る。

「では、いまから一時間後に俺の部屋にきてほしい」

 夕星も時計を見てみると午後八時を指していた。

「わかりました。では九時に学区長の部屋に行きます」

 慶は頷く。

 ほどなくして夕飯後の食器洗いは完了し、二人は男子寮のそれぞれの部屋にもどった。


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