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夏色のシャングリラ  作者: 炒飯
第一章 最果ての学区
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 男子寮の一階渡り廊下から校舎に入ることができた。

「校舎は四階建てで、あたしたちの教室は四階。慶ちゃんは風景がいいからって教室を四階にしたんだけど、階段を上るのめんどくさい。こんなに教室が空いてるんだから一階で授業を受ければいいじゃんね」

 男子寮に近い校舎の階段から四階にたどりつき、さらに進んでいくと机と椅子のある教室があった。

 他の教室はなにもない空き部屋で薄いベニヤ板や動きそうにない扇風機などが置かれていた。

「なんだっけ……ああ、夕星の机はこれ」

 夕星の名前を憶えていないらしく、環はやや間を置いて教室の隅にある机の前に立った。

 机の上にはノート型パソコンがあり、授業や課題はすべてそれでおこなう。

 この時代は教師も不足していてパソコンによるオンライン授業が中心となっている。

「こっからの眺めって、どう? あたしは見飽きちゃって、新鮮さはないけどね」

 環は教室の窓辺に立って外を眺めていた。

 夕星もそれにならって窓から風景を見る。

 学区駅から朽ちた商店街までが一望でき、奥には海が輝いていた。

「夕方になると、ここの眺めがもっと綺麗に感じるかも。じゃ、次いくよ」

 環と夕星は並んで廊下を歩く。

「さっき言ってた慶ちゃんて学区長のことですよね?」

「一年くらい前にここへきたばかりのころ、慶ちゃんから校庭の草むしり手伝うように言われて。そんとき学区長って呼ぶの嫌だから慶ちゃんて呼んでいいなら手伝うって答えたらオッケー出た。それから慶ちゃんて呼ぶようになったの」

「学区長は掴みどころがなくて困りました」

 夕星は率直な慶の第一印象を語ってみた。

「あたしもいまだに、あの人のことよくわからない。変な冗談言うし。でも慶ちゃんの作る料理は美味しいから期待していいよ。自動調理器なしでローストビーフとか自分で焼いて、レストランみたいな味になる」

 環は自分の感じたことについて隠さず、話す。

 建前や社交辞令などを面倒なものとして捉えている節があり、それが環の着崩した制服にも表れているのかもしれないと夕星は感じる。

「ここ、音楽室。めったに使われないけど一応」

 二階の一番奥の教室は茶色い防音壁に囲まれた教室だった。

 五線譜の書かれた黒板の前には重厚感のあるグランドピアノが一台、置かれている。

 夕星は椅子に腰かけ、ピアノの鍵盤をいくつか適当に押すと不規則な音色が音楽室に何度か現れては消えた。

「音に狂いがない。調律されてますね」

「もしかして絶対音感てやつ? すごいじゃん」

「絶対音感はありますが、いまは楽器を弾かないので意味ないです。小学生のころ、少しだけピアノを習ってましたが」

「このピアノ、たまに弾いてる子がいるの。この学区はとにかく暇だから、夕星も退屈しないようになんか自分の好きなことを見つけた方がいい」

「環さんもなにかやっているんですか?」

「あたしは温室で植物を育ててる。温度管理とか大変だけど、育てた花が咲くの見るのが好き」

 見た目に反し、少女らしい環の趣味に意外だと夕星は思った。

「どうせ、あたしが花に興味あるの似合わないって思ったんでしょ。表情に出すぎ。もうちょっと隠しなさいよ」

 環も十分にあけすけな性格だが、そんな彼女に言われるほど夕星も隠し事が下手な部類であった。

 そんな自分がなぜ、ある事件の調査員として最果ての学区に送り込まれたのか夕星は首を傾げる。

 なんであれ、ここにきてしまったのだから夕星は内偵を進めなければならなかった。

「次は体育館ね」

 二人は二階にある別棟の体育館に向かう。

「体育館は土足厳禁。あとで夕星の上履きを用意するから、靴下のままで入って。ちなみにこの真下の一階は食堂になってる」

 環は鉄扉の横にある下駄箱から、自分用の上履きに履き替えて体育館のフローリングを歩きだした。

「別になにがあるってわけじゃないけども。たまに慶ちゃんと智ちゃんがバスケやってるかな。二人とも背が高いから、バスケやると様になるんだよね」

「智ちゃん?」

 夕星は初めて聞いた人名に反応する。

「智ちゃんは三年生。いつもガレージにいる」

「智ちゃんて火和先輩のこと?」

「知ってたんだ」

「知ってるというよりも、学区長が火和先輩について呟いているのを聞いただけです」

「あの人は見た目が厳つくて口も悪いから、夕星みたいなタイプは苦労しそう。全然関係ないけど夕星って呼ぶの慣れないから夕ちゃんて呼んでいい?」

「構いませんよ」

 断る理由もないので夕星は頷く。

 自分よりも上級生の女子に”ちゃん付け”で呼ばれるのに違和感はあったが、そのうち慣れていくだろうと夕星は考えた。

 環はコミュニケーション能力に長けているらしく、初対面の相手でもすぐ打ち解けるような人懐っこさを身につけている。

 彼女の才能なのかな──と環と一緒に体育館を出ながら夕星は思った。

「こっちは図書室ね。いまどき本なんてデータで読むものなのに蔵書数は無駄に多い」

 図書室も二階にあった。

 本来は司書がいるカウンターは無人だ。

 室内に入ってすぐのところに読書スペースがあり、すでに先客がいた。

(りょう)ちゃん、転入生だよ」

 読んでいた本を閉じ、環に”涼ちゃん”と呼ばれた髪の長い眼鏡少女は椅子から立ち上がった。 

「一年の鳳至夕星です。これからよろしくお願いします」

「私は二年の()(さわ)(りょう)()。わからないことがあったら何でも質問して」

 環のように制服を着崩しておらず、この学区では珍しい普通の生徒のように夕星は感じる。

「なに読んでたの?」

「ディドロの盲人書簡。人が世界をどのように認識しているかを、盲目から目が見えるようになった患者の症例をもとに語っていくの。面白いから読んでみて」

「なんか難しそうな本。読むの疲れそう」

 涼香から本の説明を聞き、環は早々に興味をなくした。

「あたしがここにくるのは夕ちゃんみたいな転入生に案内するときくらい」

 環はひさしぶりに図書室へきたらしく、まわりを見渡しながらそう語る。

 涼香は椅子に座り直し、本を読み始めてページをめくっていた。

 窓から風がそよぎ、薄暗い室内は静寂に包まれる。

「環さん、次は?」

 涼香の読書を邪魔したくない夕星はそう言った。

「あとは女子寮かな。じゃあ、行こっか」

 一階に下りて夕星が右を見ると遠くに男子寮側の校舎出入り口がある。

 階段の側には男子寮と同じように渡り廊下があり、その先には女子寮の入り口が見えた。

 つまり夕星は校舎の男子寮側に近い階段で上り、女子寮に近い階段で下りてきたことになる。

 男子寮と女子寮が校舎を挟んで対称に配置され、体育館と食堂の別棟はその中央付近から繋がる構造になっていた。

「こっちは女子寮で男子は入ったら駄目。女子が男子寮に行くのは良いけど」

「女子は男子寮に入ってもいいって、なんだか理不尽ですね」

「だって女子寮には談話室がないんだもの。みんなでビリヤードやるときもあるし」

「大会ですか?」

「そこまで大げさなもんじゃないけど。慶ちゃん、ビリヤードも上手いんだよねぇ。最後は食堂かな」

 そう言って環は歩きだした。

 校舎の中央付近から別棟に続く廊下を二人は進む。

 大きな取っ手の付いた硝子のドアをあけると、長いテーブルとオレンジ色の背もたれがついた椅子が等間隔に置かれていた。

「さっきも言ったけど、この食堂の真上は体育館。ここで朝昼晩のご飯を食べる。基本的に慶ちゃんが食事を作って、あたしはその手伝い」

 食堂の壁には大型テレビが掛かっていて、左右には古めかしいスピーカーがある。

「このテレビとスピーカーは智ちゃんが商店街で拾ってきて直したやつ。智ちゃんは大昔のマフィア映画をよく見てる。あたしは大昔のテレビドラマ見てるかな。商店街の中古屋に置かれてた映像データだから、大昔の作品ばっかり」

 この時代のテレビはニュースしか放映していない。

 国内のアニメ、ドラマ、バラエティーといった娯楽番組は規制され、死滅している。

 映像作品を愉しみたいのであれば過去作で楽しむしかないのが現状だ。

 作品の記録媒体はメモリースティックで、それをテレビに挿すと再生できる。

 コレクター間では何十年も前に発売されたディスク型の記録媒体がいまも高額で取り引きされ、初回プレス版で特典付きのものなどは貴重な美術品のような扱いを受けることもあった。


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