ハニートラップ
午後の光を浴びた海はキラキラと輝いていた。
見慣れた街でもこうして観覧車から見るとまるで違って見えてくるから不思議だ。
ウソ彼女とはいえ、こんな可愛い女の子と二人きりで観覧車から景色を眺めているからだろうか?
なんかちょっと浮かれてしまっている自分に気付き、落ち着こうと必死に自らを戒める。
手にはまだ美依奈さんの手の柔らかさが残っていた。
接触で動揺してしまうなんて美依奈さんの思惑どおりなのだろう。
なんだか悔しい。
観覧車に乗ってからジーッと僕を見詰めてくるのも惑わせる作戦のひとつに違いないと分析していた。
しかし罠だと分かっていてもきれいな顔に見詰められると気の迷いが起きそうだった。
なので僕は視線に気付かない振りをして窓の外ばかり眺める強引な作戦でやり過ごしていた。
「ねぇ優太。隣に座っていい?」
「えっ……と、隣に!?」
「ダメ、かな?」
「いや、い、いいけど……」
そう答えるとすぐに美依奈さんが隣にやってきた。
密着してくるから気まずい。
「あ、ほら。あそこらへんがウチの高校じゃない?」
美依奈さんは体を乗り出して指差す。
顔は目の前にあるし、僕の腕には柔らかな双丘がむにゅっと当たってるし、肩は露出してるし、いい香りがしているし、気まずいことこの上ない。
胸元が大きく開いた服は上から見下ろすと際どいところまで見えてしまいそうで、視線のやり場に困る。
逃げようにも狭いゴンドラの中で、身動きが取れなかった。
(あっ!? これって、もしかして!?)
なぜ急に隣に座ってきたのかと訝しく思ったが、いま分かった。
カメラの位置だ。
美依奈さんの鞄の中か、近くのビルからか、どこからか分からないが、動画を撮影しているんだっ!
こうして横並びにならないと『いい絵』が撮れないから移動した。
そして体を密着させてきているのも、もちろんわざとだ。
扇情的に煽り、僕を惑わせるいわゆるハニートラップというやつに違いない。
変な気を起こして触れたところをカメラで押さえる気なのだろう。
かなり用意周到であざとい作戦だ。
先程は僕の境遇に涙してくれ、優しい人なのかもなんて思ったが、とんでもない。
僕がキョドったり、もしくはエッチなことに及ばないか、笑って観察するようなヤツなんだ。
もしちょっとでも美依奈さんの身体に触れようものなら証拠動画突きつけられて多額の慰謝料を請求するなんてことをしてくるかもしれない。
僕は一本の棒にでもなったかのように身体を硬直させてやり過ごすことを決意した。
もっとも柔らかな身体を押し付けられ、もう一本の棒も硬直してしまっていたけれど。
なんとか地上まで堪え、ゴンドラから降りて深く息を吸った。
途中からは息を止めていたので酸素が美味しかった。
「もう! なんで逃げるように観覧車から降りるわけ?」
面白ハプニングを期待していたであろう美依奈さんは、指一本触れなかった僕にやや不服そうな顔をしている。
いい気味だ。ザマァみろ。
「じゃあ僕は帰るから」
「え、本気でもう帰るつもり? ウケるんですけど?」
「悪いね。寄るところあるから。今日はありがとう。それじゃ!」
「ちょ!? こら、優太ぁ!」
これ以上一緒にいたら冷静を保てる自信がなかった。
振り返らずに駆けて淳之助のもとへと急ぐ。
「どうだった? 誰か見つけた?」
開口一番、淳之助に確認する。
「うーん。どうかな……よそのクラスの人とは何人かあったけれど」
「誰?」
「えーっと」
淳之助はメモ帳を開き、名前を挙げていく。
その中には普段美依奈さんと仲良くしてそうなギャルやチャラい男子も何人か含まれていた。
「やっぱりか。怪しいと思ってたんだよな」
「でも関係ないと思うよ。全然違う方に歩いていったし、撮影なんてしている様子もなかったし。そもそもここはうちの生徒もよく来るところだから」
「うーん……確かに偶然という可能性もあるか」
焦って短絡的に考えるのはよくない。
ピンチの人間は勝手に妄想を膨らまし、自分の都合のいいように物事を解釈し、自滅するものだ。
ヤバイときほど慎重になった方がいい。
「それに思ったんだけど……」と淳之助は言いづらそうに頭を掻く。
「やっぱり美依奈さんは純粋に優太とのデートを楽しんでいたように見えたんだよね」
「は……? まっさかぁ!」
思わず吹き出してしまう。
「そんなわけないだろ。あのギャルが、しかも美少女で、結構モテてるらしいあの美依奈さんが僕とデートして楽しいわけないだろ。あーおかしい!」
「そうかなぁ? よく笑ってたし、優太の顔もまじまじと見詰めていたし」
「おいおい。しっかりしてくれよ。淳之助まで騙されてどうするんだよ」
「だから僕の個人的な意見だってば」
確かに実際に一緒にいたわけじゃなければ細かいところまでは分からないから仕方ないだろう。
「実はさっき、観覧車でハニートラップを仕掛けられたんだ」
「ハニートラップっ!? それって、あの……えっちな誘惑をしてくるっていう、あれのこと?」
僕が神妙に頷くと淳之助は目を丸くして驚いた。
「もちろんそれを見抜いた僕は引っ掛からなかったけどね」
「さすが優太。抜かりない男だね。でも本当にそんなことあるんだ。映画とかの世界だけだと思っていた」
「そんなことまで仕掛けてくる油断ならない相手なんだ。気をつけていかなきゃいけない」
「そうだね。ハニートラップはヤバイね」
ようやく淳之助がことの重大さを理解してくれ、ほっとした。
家に帰ってから僕は今日一日を思い返す。
偽とはいえ、生まれてはじめてのデートだ。正直緊張したし、ドキドキしてしまった。
否定はしたが実は僕も淳之助と同じで、もしかしてウソ告白じゃなくて本当のデートなのかと勘違いしかけたほどだ。
可愛いぬいぐるみを見て笑う顔、安いチェーン店で嬉しそうに食事をする姿、僕の境遇に同情をして流した涙。
その全てから演技じゃないようなリアリティーを感じてしまった。
最後のあからさまなハニートラップがなければ騙されていたかもしれない。
ランチで安い店を選んだり、転校がちな僕の少年時代にも涙を流してくれたり、いいところもあるのだろう。
それは認めよう。
でも基本はウソ告白で僕を騙す悪いヤツだ。
嫌なヤツ、嫌なヤツ、嫌なヤツ!
呪文のように唱えて胸の奥のモヤッとした動悸を鎮めていたが、脳裏には美依奈さんの柔らかさや際どい胸元がちらつく。
何時間も経ったのに未だにモヤモヤしてしまうとは、ハニートラップとは実に恐ろしいものだ。




