第四十五話 放火犯(1)
翌朝、咲良はアバターの交代のために、朝早くから出て行った。
このところ、みのりや環や咲良など、家にはほかの誰かがいたが、再び家の中が啓太と永遠だけになる。
「ふふ。今日は、久しぶりに二人きりだね、ママ。」
「ああ、そうだね。永遠は、みんなでいるのと、どっちが好き?」
永遠は、微笑むと無言で啓太の体にもたれかかり、啓太の胸に頭を預ける。
(温かい。ああ、人間になって、啓太さんとふたりで温もりを分け合えたらなあ。)
湧き上がる願いに、永遠は、改めてシステムの軛から脱却して人間になる方策を探ることを決意する。
しばらくして、2人で朝の準備を終え、星の小冠へ出掛ける。
昨日の啓太との件について、常連達は永遠に何か言ってくるだろうか。
沙也佳に対する質問は、昨日、永遠が全ていなしたそうだ。
今日はどうなるかと興味を惹かれながら、啓太は店を開けた。
永遠が常連達の質問や冷やかしを全肯定して、史上最高の恋人像が語られ、啓太が昨日に増して星の小冠への敷居が高く感じられるようになるのは、この後、わずか1時間ほどの間の出来事だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「なあ、トイレに行かせてくれよ。急に腹が痛くなってきて堪らないんだ。」
河野正治は、裁判所へ移送される途中で腹痛を訴える。
河野は、このために、朝から便意を我慢してきた。
刑務官が、もう少し我慢をと訴えるが、河野は声高に、ああ、腹が痛え、と唸り続け、そのままわざと大小便を洩らす。
たちまち車内に濁った水が流れ始め、異臭が漂って刑務官はうめき声を上げ、車は最寄りのインターのパーキングエリアで停まった。
そのまま河野を連れだし、トイレへ連れて行く。
臭さに辟易してか、汚れた車内の掃除のためか、刑務官は1人しか付いてこなかった。
小さなパーキングエリアで、車は多いと言うほどではないがそれなりの利用量はある。
河野は、トイレに人は少ないだろうと予測していたが、案の定、他に人はいなかった。それを確認するやいなや、河野は刑務官の顔面に向けて振り返る勢いを乗せて全力で肘打ちをする。
ゴン、と鈍い音がして、刑務官が倒れ、意識がないのを確認すると、刑務官の服を探り、手錠を外して腰に結ばれた腰紐を解くと周りを見回し、刑務官のズボンを脱がして履き替えると、脱いだ服をわざと刑務官の顔に載せる。
そして外の様子を窺い、トイレ裏手から走り、高速道と一般道とを区切る金網を乗り越えてインターの外へ逃走した。
パーキングエリアのある場所は、町外れや山の中が多い。
河野は山中で民家が見えないか探し、少し奥まった森の中に青い屋根を発見して、民家に忍び込んだ。
家にいた老人を殴って縛り上げ、風呂場で水を浴びて体を清めてから家捜しをする。
老人を殴ったときに外れたカツラを被り、短ズボンにぶかぶかの薄茶色のシャツを着て、背中をかがめると、ちょっと見に色艶の良い老人にしか見えない。念のために綿を口に含んで人相も変える。
河野は、おお、良いじゃねえか、とくぐもった声で満足を表し、見つけた文字どおりのタンス預金を財布に詰め、室内にあったパソコンで沙也佳を検索して店の詳細な場所をプリントアウトすると、変装用の綿も袋に詰めて持って、家に停めてあったセダン車に乗り込んだ。
ラジオでニュースを聞くと、警察はインターに立ち寄った車を捜索している。
これはいいや、と河野は一般道を進んでいく。
沙也佳の町まで、ナビによると車で3時間くらいだ。昼頃には着くだろう。
◇◆◇◆◇◆◇◆
12時頃、沙也佳のスマホが鳴った。
啓太が戸惑いながら出ると、慌てた女性の声が響く。
「あ、沙也佳さん、あんた、ニュースを聞いた? え、知らない?
大変よ、あなたたちを襲った、あの放火犯が逃げたのっ。」
電話の相手は、以前の店のお馴染みさんだった。
「『え、増田さん、それ、本当なの?
で、犯人はどちらへ逃げたって?
まだ分かってない?
うん、ちょっと、こちらでもテレビを見てみるから。
わざわざありがとう。』」
永遠が電話の応対をして、マスターに事情を説明することにした。
「放火犯って、沙也佳さんと美也ちゃんを付け狙っていた奴のことかい。
それは大変だ。今すぐ警察に相談した方が良いな。」
それを聞きながら、美也は、奥へ行ってテレビでニュースを見てくると言って、走って行った。
啓太は、マスターのアドバイスに従うことにした。
永遠は戦闘技術を持っているので、自分や美也に危害が及びそうになれば守ってくれるだろうが、永遠が戦うと人間の速度を超えることができるし、素人の戦い方ではない。衆目に戦う姿をさらすのは拙い。
栗田家の地下や夜には戻ってくるはずの咲良のことなど、警察に家に来られて詳細に家捜しされると困ることは多いが、一般人の振りができるなら、その方が良い。
「もしもし、警察ですか。実は、今、ニュースで知った河野という放火事件の犯人に関連してなのですが………」
啓太が、自分と娘が河野に狙われていた放火事件の被害者だと申し出ると、署で保護したい、警官は各方面に手配されて手薄になっているが、今すぐ、手を割くよう手配するので、そこで待っていて欲しいと連絡があった。
啓太が北川に警察の指示を伝え、北川の判断で、今日は急遽店を閉めることになった。
北川と沙也佳で手分けして、お客にそれぞれ急用ができたのでと詫びを入れ、提供した飲食物の料金は取らずに店から帰ってもらい、警察の到着を待つ。大杉は帰らずに2人の護衛を申し出てくれた。
一方で、どこから情報を入手したのか、テレビカメラが集まってきて報道を始めた。
北川が報道関係者に対して、沙也佳たちの身に危険が及ぶからと説得するが、すでに沙也佳の居場所と犯人との関係は、報道されてしまっている。
各テレビ局は、警察が保護に来るところを報道したいと主張して報道を継続した。
◇◆◇◆
忠義は、テレビで河野の事件を見た。
大杉から放火事件のことを聞いて、忠義も事件のことは調べている。
テレビで繰り返し報道されている男が、沙也佳を殺そうとした犯人だということはすぐに分かった。
そして、沙也佳が勤めている喫茶店も、先日のテレビを見て知っていた。
忠義は沙也佳と恋仲になることは諦めた。しかし、沙也佳の危機に知らん振りをできるかというのは別の話だ。
何かできることはないか。
忠義は、自転車に乗って星の小冠へ向かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
沙也佳の店まで順調に来た河野は、店の前で待ち構えるテレビカメラを見て、沙也佳と美也を手に入れる良い方策がないかと考えていた。
放火は殺人と同等の重罪だ。
捕まれば死刑にはならないにしても相当な刑期を刑務所で勤めなければならいことは、もう河野にも分かっている。
だからこそ、ここで沙也佳と美也を手に入れられないことが、河野は死ぬよりも嫌だった。
(沙也佳と美也が俺に屈して、泣き喚いて絶望する表情が見られるなら、楽しいなあ。)
沙也佳と美也に暴力を振るい、己の優位を証明することが、テレビの前でできる。
そう考えることが河野を高揚させ、その瞬間を考えるだけでゾクゾクする。
まして、2人が希望を失った末に、諦めや絶望の表情をして死ぬなら、堪えられないと考える。
2人を殺してしまえば、河野も殺されるかもしれない。
でも、もうそれしか沙也佳と美也を手に入れる方法が残されていない。
それに最近、世間で言われる転生という概念がある。
河野は信じている訳ではなかったが、昔から言われる輪廻転生という言葉もあるくらいだから、ワンチャンスはあるのかもしれない。
(今生ではできそうにないが、もし三人で転生できたら、沙也佳と美也を思い切り嬲って、子どもを1ダースずつくらい産ませてやる。)
ニヤニヤとそう決意して、河野は周りを見回す。
刑務官の動きは、現実の規則とは違うことを承知で河野のアクシデントを組みました。
テレビ局もこんな対応はしないとのご意見もあろうかと思いますが、お話の対応としてご容赦願います。
なにぶん犯罪関係は、今回調べた知識で書いていますので、基本的な部分で違うぞとのご指摘があれば修正します。




