雨音に紛れ
森深部、なぎ倒された木々と数多の魔獣が倒れ伏す中心にイフィゲニアはいた。
「はぁ、どいつも違う。こんな弱っちぃ訳ない」
ため息を吐き、唇を尖らず。
イフィゲニアは"感知"を用いて森で感じたあらゆる強靭な魔獣を片っ端から倒していた。
魔族の血を引き、強靭な身体とグリゼルダから教えられた武術を習ったイフィゲニアに敵う魔獣はこの辺りにはいない。
「おーい!! 変な奴! とっとと出て来い! あたしがやっつけてやるぞ!!」
叫ぶも何の反応もない。
降りしきる雨音のせいか、かき消されてしまっている。
「ちぇっ、こうなったらもうちょっと奥に……」
その時、森の奥から一際大きな生命力の強さを感じた。
のっそりとした動きで此方に向かってきている。
「! 来た! 来い! あたしがやっつけてやる!」
拳を構える。
やがて、樹々をなぎ倒しながら今まで倒した魔獣よりも一際大きな魔獣が現れた。
だが……。
「傷だらけ……?」
<グ、オ、オォォ……>
魔獣は既に傷だらけの満身創痍であり、瀕死であった。
魔獣はよたよたと歩くも、やがてそのままイフィゲニアの前で力尽きた。
「な、なんで?」
意味が分からず困惑する。
<ギャヒ、ア、ミ、ゲゲゲェタァ>
そこに倒れた魔獣の背後から鋭い触手がイフィゲニアに向かって放たれた。
間一髪彼女はそれを躱す。
「誰!?」
<イヒィ、イヒャヒヒヒィ>
奇妙な発音をして一匹の異形の魔獣が現れた。
ぎょろぎょろと三対ある瞳。何故か複数、それも明らかに大きさの違う腕。左右非対称な、飛べるとは思えない翼。身体の方も鱗かと思えば、突然体毛が生えている箇所がある。
「何コイツ……、凄く、気持ち悪い」
感じた事のない、歪な気配。
イフィゲニアは本能のままに警戒して、拳を構える。
「うっ……」
ふと、イフィゲニアは自らの拳が震えているのに気付いた。
今までとは違う、相手したこと無い気配の敵に恐怖が湧いたのだ。
いつもならそれでも震えることはなかったが今は違う。何故なら此処にグリゼルダはいない。彼女だけだ。
パンッと頰を叩き、気を引き締める。
「アタシだって戦える! とうちゃんの、足手纏いになんてなりたくない! やい、魔獣! お前がこの辺りを荒らし回った奴だな! アタシがやっつけてやる!」
<ギィィィッッ!!>
叫び、異形の魔獣が迫り来る。
自らの恐怖を振り払うかのように勇猛にイフィゲニアは攻め始めた。
「"巧技"! "陽狼"」
異形の魔獣の視界からイフィゲニアが消える。
一瞬で背後に回ると同時に拳を構える。
「【無双乱舞拳】」
樹々をなぎ倒せる程の威力の拳の嵐。
しかし、ぶよぶよとした触感の皮膚が波模様を描くもその拳全てを吸収した。
「手応えがない!?」
<ゲェヒィヒィヒィヒィッー!!>
そのまま振るわれる異形の魔獣の豪速の腕を躱し、今度は両手を前に突き出し三角の形を作る。
「【王羅波動】……こっちも!?」
直接体内にダメージを与えようとするも今度は身体に到達する前に体毛によって防がれる。
「ならっ、【貫手槍】」
ならばその体毛ごと貫こうと、指をまとめてさながら槍の如く貫く。
【貫手槍】は鎧を着た人間相手にも風穴を空ける程の威力を持つ技能である。それがましてや鬼の血を引くイフィゲニアが使うとなると、大岩すら貫く事が出来る。
しかしその前に動いた魔獣は、硬い鱗がある所にイフィゲニアの拳を合わせた。弾かれる攻撃。逆に尋常ならぬ硬さにイフィゲニアの拳がダメージを受ける。
「うっ、硬い……ッ! はっ」
<ゲッヒャァアァァァッ! 斧ォォォ割リィッッ!!>
棘だらけの腕がイフィゲニアを叩き潰そうと振りかぶる。
すぐにその場から退避する。イフィゲニアのいた箇所は大地が割れ、あれを食らったらとイフィゲニアはぞっとした。
「強い……でも、もうわかった!」
再び"陽狼"で瞬く間に死角に回り込んだイフィゲニア。
異形の魔獣は、対応できずにその隙に握り拳を作った両手を当てる。
「これで終わりッ! 【虎流杭】」
<ギャヒッ!?>
イフィゲニアがグリゼルダから習った武術を扱う。
【虎流杭】は相手の背骨の骨を外す技であり、これを食らったが最後動く事が出来なくなる。
イフィゲニアは攻撃を攻めたてる最中、歪な身体であっても体内で動く事のない骨の部分を見極めたのだ。
その技術は正に卓越していた。魔族としての血を引く彼女の力は、武術も合わさりとてつもない領域に達していた。
背骨を外された異形の魔獣がぐらりと倒れかける。
「よしっ、これで」
<グギョギョォォオォォンッッ>
「な、なんで!?」
背骨の骨を外したのに目の前の魔獣は口から涎を出しながら、無理やり複数の腕で体制を立て直すとイフィゲニアへと突貫した。イフィゲニアはマトモに食らってしまう。
「にぃ……ッ! "裂波鋼壊衝"」
顎に向けて"鉄牢"により強化された膝蹴りを食らわせる。常人であれば顎が砕け、脳震盪を起こすほどの強力な一撃、されど魔獣は口から血を出しながらも倒れない。
<ムゥゥダァァァッ、オレェオレェオレェッ!! ツツツヨイィィィッ!!>
「わ、わかんないっ。何なのコイツ!?」
意味不明な言葉の羅列のような雄叫びをあげながら猛攻を続ける異形の魔獣。
自身が傷つこうとも御構い無しだ。生き物として明らかにおかしい。
もう一度"感知"をしても正体がまるで掴めない。
やはり異なる気配が無理矢理一つに凝縮されたような歪な気配だった。
ぶるりと異形の魔獣が身体を震わせる。
何処に収容していたのか、急に体から長く鋭い触手がイフィゲニアの足を掴んだ。最初に放たれた触手の存在を忘れてしまっていた。
「しまっ」
<ガァァァアァァッ!!>
「あぐぅっ!!」
そのままイフィゲニアは奇妙な魔獣に振り回されて、何度も地面に叩きつけられる。
やがて大きく振りかぶり、投げ飛ばされ木々をなぎ倒しながら何度も回転した。
「うぐっ、あ、足がっ……」
あの状態でもイフィゲニアは生きていた。
魔族特有のタフさと、地面に接する際に受け身をとった事により衝撃を逃したのだ。吹き飛ばされた時も身体をくねらせ、巧技を放ち木々にぶつかる直前にへし折った。
しかし直接掴まれた足だけはどうすることも出来ず負荷に耐えきれず折れてしまった。
「ひっ」
<キ、ヒィ、ヒィッ!>
動けないイフィゲニアを異形の魔獣は額の角で貫こうとする。
「助けてッ……とうちゃんッ!」
父親を呼ぶイフィゲニア。
しかしグリゼルダが現れることはなく、異形の魔獣の角がイフィゲニアを貫くーー
「"桃孤棘矢"」
ーー事は無かった。
イフィゲニアと異形の魔獣の間に降りたったアヤメが、刺斬剣イザイアで異形の魔獣の角を"桃孤棘矢"によって受け流し、宙へとかちあげる。
「嵐龍脚」
そのまま異形の魔獣の首に足首を引っ掛け、思い切り蹴り飛ばす。
しかし、その結果は予想とは程遠いものであった。威力も、精度も何もかも劣っている。ただの蹴りのようなものだ。
「やっぱり、グリゼルダさんのようにうまくいかないか」
悔しそうに愚痴る。
イフィゲニアがその場に現れた人物に目を見開く。
「な、なんでここにっ?」
「無論、君を探しに来たのさ」
アヤメがそこにいた。




