EP1 主人公殺人事件
夏休みの学生が羨ましい。夏休みがある社会人が羨ましい。
そんな嫉妬から休日(土日)に勢いで書いてしまいました。
人生は不条理だ。
一世一代の買い物をしたのに、得たものを十二分に楽しむ時間をくれない。
それが目の前の言い争いを冷めた目で見つめる男の素直な気持ちで、周りが慌てていると自分は冷静になるって本当だな、とも思っていた。
事実、冷静なようで男は目の前の状況を理解出来ていない。
男が今いるのは、30人程度は楽に入れそうな会議室。
内装もよくある会議室なので、会社員の男に日常を感じさせてくれた。
そのおかげて会議の議題である『第二の人生』も、転職セミナーのように感じる事が出来た。
しかし、普通の転職セミナーには無いであろう要素もある。
大学卒業後に就職して8年。
前々からブラック気味な会社からの転職を考えていた男も、転職セミナーは初めてではあったが、一目で分かる非日常。
シワひとつないスーツを着て髪を七三に分けた中堅公務員風の男は良いとして、その右隣には時代劇に登場するお奉行様のような男。
さらに中堅公務員風の男の左には、裾がドーム状に広がったドレスを着た如何にもヨーロッパのお姫様といった女性。
明らかに現代日本ではハロウィンやコスプレ会場以外では見かけない服装だった。
男性2人に女性1人、日本人2人に西洋人1人。
二重の意味で1人だけハブられているな、いやいや女性が1人だからと変なことを考えてはいけない、ダイバーシティが叫ばれている現代において性別で区別したと分かったら大変な事になる。
どうせならメイドさんがいればバランスがとれたのに、何故にメイドさんはいないのだろうか?
と、男は非常にくだらない事を考える事で現実逃避していた。
男は自分では冷静なつもりだったが、表には出さないだけで内心はパニックになっていたのだった。
だが、男は自分がパニックになって現実逃避するのも仕方ない。
会社に出勤しようと何時もの時間に玄関の鍵を閉め、少し離れたエレベーターの下ボタンを押したと思ったら気が遠くなり、気が付いたらこの会議室にいたのだ。
何故か引越しの挨拶以来会った事のない隣人が隣に立っている事に驚くと、隣人は笑い始め「転生チートキター!」と叫んだのだ。
自分の頭が正常か疑ったのは、仕方ない事だったと男は思う。
「だから金はあるって言ってるだろ!」
最初は転生だ、チートだ、オリ主だと喜んでいた隣人だったが、その喜びは長くは続かなかった。
「ですから、生前の金銭はここでは使用出来ません」
「その銭は下界の銭であって、ここではただの紙切れでござる」
「綺麗な絵が書いてあるから美術品としての価値はあるけど、皆さん大量に持ち込むのでハッキリ言って値崩れしているんですよ」
怒り狂う隣人を冷めた目で見つつ、男は今の事態を冷静に思い返してみる。
果たして、自分は隣人のように怒っていい状況なのか確認する為に。
△▼△▼△▼
事の起こりは、出勤しようとエレベーターを呼んだのに、何故か会議室にいるという突然の事態と、何故か隣で狂喜する隣人、それも小太りで不気味に笑う20代の男、の姿。
何故自分がここにいるのかと疑問を持つ前に、男が真っ先に理解したのは隣人が噂通りのキモオタ引き籠りニートの変人、いや狂人だったという事だった。
経済的余裕があれば働かずに引き籠ってアニメを見ていたい。
そんな願望が男にはあったので、同好の士として同じマンションの住人が隣人の噂を気持ち悪そうに口にする度、男は心の中で擁護して来た。
しかし、それが無駄な行為だったと悟った。
その悟りが男を突発的な事態に陥った男をパニックから守り、そして男もそれが理解出来たので隣人に僅かながらに感謝した。
この変人に感謝するのは最後だろうな、とも思いながら。
事実、男が隣人に感謝した気持ちは、すぐに反対のベクトルを向いてしまう。
「さて、それではお客様方の来世のご相談を始めましょうか」
「来世?」
隣人の行動に呆れていた男に告げられた言葉が、自身が非日常の中にいると言うことを思い出させた。
そして、それが隣人と目の前の3人の争い論戦開始のゴングとなったのだった。
「契約通り、お客様をこれからある世界に転生させて頂きます」
「契約後直ぐに安楽死オプションを使用するなんて、お客様達はよっぽど前世が嫌だったのね」
「・・・武士は切腹するべきでござる」
転生。
それはおおよそ真っ当に生きている限りに置いて、一生聞かないであろう言葉。
その言葉を使うのはオタクか怪しい宗教家くらいだろう。
隣人の狂喜に呆れていた男にとっては、さらなる呆れと困惑を誘う言葉。
自分は夢の中か、意識を失っているうちに観劇に来たのか、いやリアル脱出ゲームという線もあるかと脳裏で真面目に考えてしまう男。
しかし、隣人の一言が男をさらなる困惑の世界に一歩足を進めさせる。
「リアルなんてクソゲーだし、転生特典貰ってヌルゲーな人生楽しみたいじゃん」
「いや、親の金で引き籠っている無職が言って良いセリフじゃないだろ」
引越しの挨拶でしか会ったことが無く、悪い噂しか聞かない隣人との遠い心の距離感から、小声で隣人に聞こえないよう呟く男。
人の悪口は思っても声に出さない事を信条とする男だが、ヌル過ぎる人生をクソゲーと言う隣人に対して無意識に声に出てしまっていた。
隣人は噂では就職した事も無く、金持ちの両親は引き籠る息子を持て余し購入したマンションの一室を与えて放置。
所謂、世間体から実家に置いておく事が憚れたらしい。
その生活費は当然のように親からの小遣いで賄われているとマンション中で噂されていた。
安月給と反比例する労働時間に悩む男にとって、隣人の人生こそがヌルゲーなのである。
正直、男としては人生変わって欲しかったくらいなのである。
「それより早く転生特典を選ばせろよ!」
「せっかちなお客様ですね。それでは、こちらからお選びください」
中堅公務員が右手を差し出すと、男と隣人の前にタブレット端末が現れる。男は宙に浮かぶタブレット端末を恐る恐る、隣人はひったくる様にタブレット端末を手にした。
「タブレット?」
「一昔前はノートPC、さらに前は紙だったのですが、こちらの方が若い方には受けが良いので」
「一応、私たちも客商売ですから。お客様に喜ばれる方が良いもの」
「紙もぴーしーもたぶれっとも、どれも作る手間は一緒でござるからな」
「私たち、神様ですから」
「はぁ」
突然現れたタブレット端末を手に、自称神を名乗るお姫様、本人の言葉を信じれば女神様、に曖昧な笑み男は返し、相手の自分は神だという主張を否定も肯定もしない。
短い社会人生活で男が学んだ処世術だった。
「おい、リストに無い特典は、このフリー入力欄に特典の効果を入力すればいいだよな」
「その通りです。入力頂いた効果を元に価格が決定されますが、オーダーメイドは基本的にお高いのでご了承ください」
上から目線の隣人に対して、中堅公務員はあくまでも下手に対応していく。
その姿は公務員と言うよりも強かな営業マンを思わせた。
「あの、特典って何ですか?」
不気味に口を歪ませながらタブレット端末をタッチしている隣人を横目に、男はさっぱり状況を理解出来ていなかった。
男もオタク趣味の人間なので、何となくネット小説にある転生ネタが頭をよぎるが、ソレを口に出来るような年齢でもなかった。
10年前、まだ学生だった頃の自分なら素直によくある転生ネタかと聞けたかもしれない。
これが大人になると言う事かと、男は最近30代に突入した自身の成長を噛みしめつつ、職場で培った当たり障りのない疑問を口にする。
「サイトの説明にもあったと思うけど、これから転生してもらう世界はファンタジー世界で所謂モンスターが跋扈する世界です。そこで貴方にはモンスターと戦ってもらいます」
「戦ってもらいます、と言われても・・・」
男の質問に答える女神様。
その答えは男が予想した通りの転生ネタのようだが、モンスターと戦う事が前提と言う事が男にとって大問題だった。
「私デスクワークなので動けないですよ」
学生時代も文科系の部活だった男にとって、体を動かす事は拷問に等しい。
そして社会人生活の8年で薄っすらとついた贅肉は、さぞかしモンスターにとっては美味しいご馳走になるだろう。
そんな男の不安を、心優しい女神様が解消してくれる。
「そういった方の為、転生特典を販売しているんです。お手元の端末から欲しい特典にチェックを入れて、最後に購入ボタンをクリックしてください」
「まあ、一般人が転生特典で俺tueeeするのが転生ネタのお約束ですからね」
女神の販売という文言が気になったが、俺tueeeが嫌いではない男は取りあえずタブレット端末に目を向ける。
画面には女神と言うように、RPGゲームなどで見かける文言がリスト化され、文言の左側には数字が記載されていた。
「剣スキルに片手剣スキル、両手剣スキル。似たようなスキルなんですけど」
「剣スキルは、剣に分類される武器を所持している際に補正が付きます。具体的にはスキルレベルに応じたアクティブスキルの使用や剣を扱う上でのテクニック、与えるダメージの底上げなどですね。片手剣、両手剣スキルは補正対象となる武器が限定されている分、補正効果が剣スキルよりも高いです」
「剣スキルは補正対象が多いけど効果が低く、片手剣スキルとかは補正対象が限定されるけど効果が高いと」
ルーレットのオッズみたいだな、と男は女神の説明を聞きながら画面をスクロールしていく。
画面には剣スキルのような武器スキルからファンタジー世界のお約束、魔法スキルや生産スキルまであった。
「この剣士の魂ってスキルは何なのでしょう? 他にも魔法使いの魂もありますけど」
「ああ、○○の魂となっている特典ですね。その特典があると、無条件でその職業に就くことが出来るんです」
「その説明だと、転生する世界には職業、ジョブシステムがあって、ジョブに就くには条件があると言う事ですか?」
「条件は秘密ですけどね。ちなみに職業には下級職、上級職、伝説級職や特別職があるのよ」
女神の言葉が正しいと証明するように、タブレット端末の魂シリーズは下級、上級、伝説級などで分類されてリスト化されているようだった。
男が最初に見た剣士の魂は下級職に就ける特典の為か、上級職に区分されている職業よりも数値が一桁小さい。
また、伝説級に区分されている魂シリーズの中にはグレーアウトしている物もあるようだ。
「あの、このグレーアウトして選択できない特典は何でしょうか?」
「人数制限がある職業で、既にその職業に就いている人がいる職業ね。例えばこの剣王は、世界で一番強い剣士のみが就ける職業。この職業を得るには現剣王に剣で勝たないといけないんです」
「いくらチートな転生特典とは言え、そこまでズルは出来ないって事ですね」
オタク趣味でRPGでは意味も無くレベルを上げ、俺tueeeをするのが好きな男にとっては残念ではある。
しかし、自分が努力して手に入れた職業が他者の特典で奪われる可能性も無いという事なので、そこは仕様という事で納得する。
どうしても欲しければ剣士系の職業と、剣に関連するスキルなどの特典をガン積みすれば良いと割り切る事にしたのだ。
「片手剣王とか、両手剣王などの存在しない伝説級職を新たに創造する事は出来ますよ」
「・・・ちなみにおいくらですか?」
「うふふ」
タブレット端末に表示されている伝説級職業の値段は上級職の100倍、下級職と比較すると1000倍にもなる。
既製品同士の比較でこれだけの差があるのだ、オーダーメイドの場合はもっと差が広がるだろう。
女神の可愛らしい笑顔が全てを語っていた。
「・・・それでは、この特別職は何でしょう? 職業の名前が男爵とか伯爵とか、貴族みたいなんですけど」
「職業は通常一つしか装備出来ないのですが、特別職は通常の職業とは別に数に制限なく装備出来る職業です」
通常は一つの職業しか装備出来ないという事は、一般人は一つの職業の恩恵しか受けられないという事だ。
そこに別の職業の恩恵を受けると言う事は、一般人がシングルコアのCPUなのに対して特別職がある人間はマルチコアのCPUを搭載しているに等しい。
「特に貴族系の特別職は貴族家に生まれれば、生まれたての赤子でも就ける職業です。成長補正もありますので、貴族と平民の間には隔絶した力の差があります」
「人権宣言、人は生まれながらにして自由かつ平等の権利を持つ、は転生先の世界では唱えられなそうですね」
男は転生先の世界に不安を感じるのと同時に、貴族系の特別職は絶対に手に入れようと心に決めた。
男は思想的には右翼でも左翼でも無いが、好き好んで虐げられる側に立ちたいとは思わない。
基本的人権が認められた世界の住人としては貴族階級と言うものに抵抗は感じるのだが、ニュースによく取り上げられる左翼の方々のような熱い思いも男には無いのである。
あるのは、貴族になっても周りの人を差別しないようにしよう、という消極的で偽善的な考えだけであった。
「一応特別職にもデメリットはありまして、通常職業は一度獲得すると失う事は無いのですが、特別職と伝説級職には維持するのにも条件があります」
「条件を満たせないと、職は失われると?」
「その通りです。貴族系の特別職は家門に与えられる職業ですので、家門が継続しており家門に属している事。また、貴族に叙勲した王からの信任、つまり貴族位を剥奪されない事が条件になります」
女神の条件は二つあるが、一つは問題無い。
転生物のお約束として貴族家に転生する手もあるし、自身が初代となっても良い。
男にとって問題なのは、王からの叙勲と信任だ。
つまり、貴族の力は王に与えられた力であり、力を与えた王に忠誠を捧げる必要があるのは容易に想像出来た。
何しろ王の信任が無くなれば貴族の力を失うのだ。その忠誠は絶対服従レベルが求められる可能性が高い。
終身雇用が崩壊した日本企業でサラリーマンをやっていた男にとって、誰かに忠誠を捧げるのはブラック臭を感じるので避けたい事態なのだ。
「安心してください。転生特典を上手く設定すれば転移に近い転生となります。転移の際に貴族の魂を所持していれば、本当の意味での【生まれながらの貴族】として貴族家の初代となります」
「転生するのと何が違うんです?」
「転生の場合は、既存貴族家の赤子に生まれます。この場合も生まれながらの貴族ですが、あくまでも上位者である王により与えられた力である為、王及び王室、国家への忠誠が求められます」
誰かの子供として異世界で新生するのが転生、誰の子供にも生まれずに異世界に行くのが転移。
転生のメリットとデメリット、転移のメリットとデメリットを思い浮かべ、男はすぐさま結論を出す。
「忠誠を求められるのなら、転移一択ですね。」
現代社会に生きる男は、誰かに忠誠を捧げるなど考えたことが無い。
それなりの見返りがあれば、見返りをくれる相手の為に働くことは吝かではないが、それでも見返りが無いなら関係は遠慮したかった。
一応貴族の地位は見返りとして十分だが、ブラック企業への就職と違って君主との関係を解消する自由が無い。
君主との関係解消は、貴族の地位を失う事を意味するからだ。
「多少コストがかかっても、やっぱり君主に縛られない自由な立場が欲しいし」
学生だった頃の男ならこんなことは考えなかっただろうが、社会で揉まれた男は多少コストがかかっても選択肢を残しておくことを学んでいた。
「それじゃ、転移の権利と貴族系の職業をご購入されますか?」
女神は男の持つタブレット端末を操作し、転移の権利にチェックを入れてしまう。
貴族系の職業は階級に分かれているのでチェックは入っていないが、このままでは貴族系の職業と合わせて購入させられてしまうだろう。
「その前に、【生まれながらの貴族】のデメリットを教えてくれます?」
既存の貴族家に転生したデメリットは聞いたが、【生まれながらの貴族】のデメリットを聞いていない事を思い出し、男はタブレット端末を女神に操作されないよう胸に抱え込む。
「デメリットとしては貴族として後ろ盾が無い事が一つ。二つ目は【生まれながらの貴族】は通常の貴族よりも受ける恩恵が強く、孫の代までは強い恩恵が引き継がれるので部下や盟友、種馬として厚遇してくれる王や貴族がいる一方、反乱分子として目の敵にしている王もいます」
「部下や盟友の厚遇は想像つくけど、種馬としての厚遇って」
「年中無休で交配ですね。本人にやる気が無くとも、薬とか使用するそうです。過去に種馬として【生まれながらの貴族】を酷使し、20年後に全員が【生まれながらの貴族】の恩恵を受ける軍団を組織、その軍事力を武器に世界に覇を唱えた帝国もあります」
男の脳裏に浮かぶのは、美味しい和牛生産の為に頑張らされる種牛。
ある意味では多数の女性と肉体関係を結べるハーレムなのかもしれないが、それは男がマンガやラノベで憧れたハーレムではなかった。
「それと【生まれながらの貴族】はレベルを上げ、転職条件を満たせば建国王として国を興せます」
「それは王様から嫌われそうですね」
「その王様の先祖も元は【生まれながらの貴族】である事が多いのですが、やはり国を興される事は領土を削られる事とイコールですし、仮に人の住まない未開地で国を興したとしても将来敵対する可能性もありますしね」
建国王。
文字通り国を興した王、一国一城の主。
いや、場合によっては数多の貴族を従える王、天下に覇を唱える事も可能な立場。
普段は無気力で、同年代よりも低い年収に不満を覚えない物欲の無い男ではあるが、何か心惹かれる魅力がある。
そこまで考え、男はふと男は思い出す。
自分は何故転生する事になったのかと?
同年代より低い年収と彼女いない歴5年。
仕事はしているが、プライベートは引きこもりのボッチオタクを満喫していた。
不満は確かにあったが、直ぐに転生したいと希望する程の不満では無かった。
そして何より狭く熱い木造アパートを抜け出し、広くて快適なマイホームの購入。
中古マンションながら3LDKと、一人暮らしには十分過ぎる家で生活を始めて三か月。
購入当初は住宅ローンのプレッシャーはあったが、最近は一国一城の主という言葉を胸に充実したオタクライフを送っていたのだ。
ハッキリ言って、まだまだマイホームを楽しみたいのだ、まだ楽しみ切れないのだ。
ボーナスを貯めてプロジェクターとスピーカーを購入、100インチの大画面でアニメを鑑賞するという夢をまだ叶えていない。
夢が破れて絶望した可能性もあるが、男の夢は時間がかかるが達成不可能な夢では無い。
マイホーム購入で寂しくなっている貯金残高、それをさらに切り崩せば今すぐに達成可能なレベルの夢なのだ。
「あの、今更ですが私は何故転生する事になったのでしょう?」
「転生する権利をご購入頂いたからですよ?」
「そんな権利、買った覚えが無いんですが」
「?」
女神は可愛く首をかしげるが、男にはあざとさしか感じない。
男には口に出す勇気が無いので、あざとさしか感じていない事は指摘しない。
しかし、自分が結んだ覚えのない契約についての追求を止めるつもりは無かった。
「あの、本当に身に覚えが無いんですが」
「でも、名前も住所も間違いないでしょう?」
女神が何も無い空中をフリックするように手を振ると、男の持つタブレット端末の画面が変化する。
オンラインネットショップなどでよく見る購入履歴のようだ。
そこには男の本名と住所が表示されており、カートには[転生の権利]と[安楽死オプション]、[安楽死オプション]を実行する日時が登録されていた。
ちなみに[安楽死オプション]を実行する日時は今日で、時刻も男が何時も家を出る時間になっていた。
「それにしても、貴方達は本当に仲良しなのね。技術班の人が言っていたのだけど、同じPCで購入してくれたんですってね。あっちの彼も、貴方が亡くなった後を追うように購入してくれたみたいだし、お二人はとっても仲良しさんです」
「・・・何となく犯人が分かりました。と言うか、本人確認の手順ゆるくないですか」
男は理解したく無かったが、理解してしまった。
隣人が犯人だと。
隣人はマンション管理組合の理事(くじ引きにより就任)だったので、引越しの挨拶の際に男のフルネームを記載した書類を渡しているし、住所も隣人なので部屋番号以外同じなので容易く分かる。
恐らく隣人は転生の権利が本物か自分で確認し、指定した時刻に男が苦しまずに死んだから自分も転生の権利を購入したのだ。
あの苦労を知らない隣人は自分から死ぬような勇気は無いので、本当に男は苦しまずに死んだのだろう。
少なくとも苦しんで死んだ記憶は男には無いので、それだけは自信がある。
そこまで考えがおよぶと、男は内心怒りに震えた。
長年の社会人生活で鍛えた精神力により怒りを外には出していないが、この場に誰もいなければ手元のタブレット端末を叩きつけるくらいには怒り狂っている。
「転生ネタにおいて神様のうっかりミスで死ぬのはお約束だけど、これはうっかりミスに入るのだろうか?」
これはうっかりではなく、マジのミスではないだろうか?
怒りを忘れ去る為、あえてどうでもいい事を考える男。
彼の脳裏では趣味で読んでいるネット小説、それも転生物でよくある神様のミスによる転生パターンを検証し、このケースはレアなケースなのではないかとほくそ笑む。
彼もオタクで廃課金プレイヤーなので、レアという文言が大好きなのだ。
「と言うか、主犯隣人、実行犯が神様の殺人事件だよね」
男の脳裏で小学生の男の子が決めポーズをしつつ、決め台詞を言うシーンが浮かぶ。
しかし、何のトリックも無く、至極単純な殺人事件だ。
小さくなった名探偵の出番は無く、麻酔針が火を噴く前に自称名探偵が解決してくれるレベルだろう。
そうなると尺が足りないな、余った尺は哀ちゃんの可愛いトコが見たいなと思考が脱線していく男。
こうして男はくだらない事を考え、無意識のうちに沸き上がった怒りを自然と忘れていく。
これが職場では気持ちの切り替えが早い、怒った所を見たことが無いと評価される男の正体なのだった。
「だから金はあるって言ってるだろ!」
男が沸き上がる怒りを忘れ、ようやく冷静になった所に隣人の怒号が響く。
おいおい、どこのD○Nだよと、男は怒り狂う隣人を想像しつつ怒号が響いた方に目を向ければ、予想通り怒り狂う隣人がいた。
何らかのトラブルが発生したのだろう、親切にしてくれていた女神様も隣人の方に行ってしまう。
「ですから、生前の金銭はここでは使用出来ません」
「その銭は下界の銭であって、ここではただの紙切れでござる」
「綺麗な絵が書いてあるから美術品としての価値はあるけど、皆さん大量に持ち込むのでハッキリ言って値崩れしているんですよ」
いちゃもんをつける隣人と、一人で冷静に今までの事態を振り返った男。
1人になったからか、忘れていた怒りが再燃。
男は自分には怒る権利があると冷静に判断した。
判断を下した男の行動は素早く、すぐさま怒りの対象の背に向けて突進。
その背に怒りの飛び蹴りをぶちかます。
「うぉ!」
「きゃ!」
隣人は前につんのめり、目の前で対応していた侍の胸に倒れこんだ。
「…侍なのに、きゃって、それは女神さんの反応だろ。いや、女神さんの胸元にコイツが倒れこむのは嫌だけど」
色々と不条理を噛みしめつつ、主犯隣人、実行犯神様、被害者自分という殺人事件の落としどころをどうしようかと男は頭を巡らすのだった。
続きは明日にはアップしたい。。。
そして私の夏休みは何処にあるのか?




