ひとりがらくちんだから
発達障害、それは脳の成長の偏りであり、一生涯の障害とは限らないもの。20代後半になると偏りは解消される傾向にあります。人と違うテンポ、着眼点、行動力、ドツボに嵌ると抜け出せないほどの強烈な好奇心。それらはある意味、強力な「生き抜くための力」になる。
この作品は現段階において自分に自信が持てず毎日針の山を登るように苦しむ我が息子に捧げるために書き下ろしました。
ぼくはひとりが好きだ
らくちんだからやめられない
街路樹の木漏れ日の下ならば、誰もぼくが泣いていることなんて気付かない。
歩幅が小さいのかな。歩けども歩けども学校に辿り着かない。
道行く学生達の背中を見送りながら、何人もの生徒達に追い越されながら、ぼくは焦る気持ちばかりを募らせて、額にかいた汗も頬を伝う涙も拭かずに高い空を見上げてため息をついた。
世間の平均速度よりも確実に遅いぼくは、物心ついた頃から一度も追いつけたことなんてない。
こんなのろまなぼくに誰も気に留めないことが、絶対無二の安らぎではある。
ぼくはひとりが好きだ。
ひとりがらくちんだから、やめられない。
それなのに今日はどういうわけか涙が止まらなかった。
チャイムが鳴るギリギリに門を通り抜け、挨拶係の先生にあいさつをしてから靴を履き替えた時。息を切らす誰かの影が差して、ぼくは思わず振り向いてしまった。いつもビリでゴールするぼくの後ろに誰かがいることなんて、小学六年間で初めてのことだったから。
切り揃えた前髪の下にはぱっちりとした小さな目をした女の子がいた。ぼくよりも背が高くて、手足もすらりとしている。膝が隠れるような長いソックスの上には剥きだしの肌色が光っていた。短すぎるジーンズ素材の短パンの上には白とピンクの縞々模様のTシャツを着て、三つ編みの先には赤い実のリボンがつけてあって、誰の目からも明らかに可愛く見えるクラスのマドンナだ。
「おはよ!」
挨拶をされて、ぼくは飛び上がった。そんなぼくを見て、彼女は面白そうに笑った。
笑うとえくぼが出て、ぐっと幼い少女の顔になる。
「……お、おは……おはよう……」
やっと返事をしたと思った矢先に彼女の手がぼくの背中をポンと叩いた。
「さっさと教室行こう!満島くん!」
素早く上靴を履いて下駄箱のドアを閉めた彼女は、ぼくのほうに顔を向けた。
「……っう」
返事に困ったぼくは顔が火照るのを感じて、金縛りにあったように立ち尽くす。見かねたように彼女がぼくの手を掴まえて引っ張った。
「ほらぁ、急げばまだ間に合うから!」
ぼくよりも冷たい手の彼女は遠慮なしにぼくをぐいぐいと引き摺って教室に向かっていく。
「松島さん、先に行ってくれて良いから」
ぼくがそう言うと、彼女はまたこちらに顔を向けて首を傾げた。
「なんで?」
真っ直ぐ過ぎる視線が僕の双眸に突き刺さる。思わずギュッと両目を瞑ってしまった。
こんな拷問は予測不可能で、どうして良いかわからないぼくはただ彼女に引っ張られるがままに教室に引き込まれていった。
ガラッと勢いよく明けたドアの向こうで、まだ席に着かないで好き勝手やっているクラスメイト達がいた。黄緑色のランドセルを机の上に放り投げた松島さんは、どんな風の吹き回しか、ぼくのランドセルを掴んで運んでくれている。
「……おい、なにしてんの?」
出席番号一番の相田君に聞かれて、ぼくはまた飛び上がった。
「あ、ごめ……ごめんなさい!」
通路を塞いでいたぼくは怒られたと思ったけど、そうじゃなかった。相田君は「謝ってんじゃねぇよ」とつぶやいて、ぼくの隣の自分の席に座った。そのタイミングでチャイムが鳴り、ぼくは慌てて席についた。
心臓が壊れそうなぐらい脈打っていた。この六年間。いや、正確に言えばこの五年と二か月の間、のろまな亀のぼくに話しかけてくれた人なんて……。
「今日は寝ぼけてないんだな」と、隣の相田君が言った。
踊りて振り向くと、彼も驚いた顔をしながら。
「お前、いつも魂抜かれた人形みたいだもんな」と……。
……なんだって?
何て答えて良いものかわからずに呆然としていると、背中をつついてくる指が。やっぱり飛び上がると、「驚き過ぎじゃない?」と女の子の声がした。斜め後ろに席がある松島さんがぼくの肩を叩いていた。
「満島君。私と日直だよね? あとで職員室に行くから、よろしくね」と。
立て続けに二人のクラスメイトから話しかけられたぼくは、完全に舞い上がってしまった。