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詐欺師カンパニージャ、イエス・キリストと魚について話す

この作品は、戯曲形式で書かれていて、しかも途中途中に詩を挟み、ミュージカル(30曲の曲つき)になっています。その為、小説として読むと、読みにくい箇所があるかもしれません。その辺はどうかご了承下さい。

■■■第二幕■■■



<場面変わって、カルモーラ郊外の墓地。

一人の男がギターを弾いている>



**イエス・キリスト**

ふむ、なんと人間は面白いのだろう・・・。

彼らは賛美歌も作れば、ドゥエンデ(魔物)の潜む歌を歌ったりもするのだ。

美しい清水のせせらぎを愛するくせに、

ドロドロに腐った沼地に惹かれる心も持っているのだ。

それはまぁ、悪い事とも言えぬ。

腐った物が芸術と呼べる事もあるからだ。

だが、どうも難儀な生き物で、その大家といえど、

きちんと我々の所まで辿り着ける者は少ない。

皆、迷い、悩み、自ら己を縛り、自ら地獄へ堕ちていくのだ。

適当な所で切り上げる事を知らぬ。

それを理解するには彼らの寿命は少々短い。

だが、愛すべき者にちょっかいを出すのは、何も悪い事ではないだろう。


おーい、老獪な翁共よ。

お前達に聞きたい事がある。



<男が、墓場に転がる二つの骸に向かって話しかける。

すると骸がたちまち起き上がって、二人の男になる>



**悪魔アムドゥスキアスと将軍、悪魔イムベシル将軍**

これはこれは、ご機嫌麗しゅう、旦那様。

我々のような者にお声をかけて下さるとは。

旦那様も物好きでございますな。


**イエス・キリスト**

あそこにいる人間は、何者かね?


**悪魔アムドゥスキアス将軍**

ああ、あのろくでなしは、信仰すらも持っていないので、

悪霊ですら、その魂を欲しがらないのでございます。

地獄にも楽園にも行けますまい。


**イエス・キリスト**

なるほど、ろくでなしか。

それは気の毒な事にな。

だが、そういう人間にこそ、救いは必要なのではあるまいか?


**悪魔アムドゥスキアス将軍**

そうかもしれませんが、信仰が無いので。

どんな霊とて何もできないのです。


**イエス・キリスト**

ではせめて、生きているうちに

色々なものを見せてやろうと思う。


**悪魔イムベシル将軍**

無駄な事を。

あれは低俗な虫の中でも、さらに湿った所を好む者です。

信仰がない分、魔女や妖術使よりも質の悪い、詐欺師という種族ですよ。

社会主義者と同じ位、救えないのです。


**イエス・キリスト**

だが、誰もが決められた道を歩んでいるようで、

実は、そういうものではないのだ。

魔法に詳しいおまえ達がその様とは!!

魔法というのは、何もトカゲをすりつぶし、

古いムーア人の呪文を唱える事だけではあるまい。

それは小さな小石を湖に投げ込み、波紋を作る仕事でもある。

波紋はやがて大きな波となり、古き土をさらい、新たな横道を造る事となる。


**悪魔アムドゥスキアス将軍**

それは私どもの魔法とは、ちょっと質の違うものでございますな。

私どもの使う魔法というものは、しょせんはまやかし・・・幻でございますよ。

黒魔術と奇跡では、目的も構え方も違うのです。

そして、ヒキガエルの目を縫ったり、墓場の骨を掘り起こして噛んだりする方を

魔女共は好むものなのです。


**イエス・キリスト**

いやいや、黒魔術と奇跡も大した違いはないのだ。

どちらもこの世のものであり、人間に愛されるものなのだからな。

結局の所、器のある者にとっては、

どちらでもいいものなのだ。

魔法などは真実を見るきっかけに過ぎん。

お前達にはお気に召さない事実だろうがな。

さぁ、ちょっくら一仕事といこう。

まだ、我々には仕事が残っているという事だよ。



<悪霊達は消え去る>


<そこにカンパニージャ・デ・ウトレーラが走ってくる。

男、走り過ぎて行くカンパニージャ・デ・ウトレーラを呼び止める>



**イエス・キリスト**

よぉ!!景気はどうだい、お若いの?

そんなに急いでると、

おまえさんのイスピリトゥ・・魂を落っことしちまわないかと心配だね。



<カンパニージャ・デ・ウトレーラ、立ち止まって>



**カンパニージャ・デ・ウトレーラ**

(なんだ?こんな不吉な墓場でギターを弾いてる奴なんて、

まともではあるまい。悪魔の小間使いか、妖術使か?

気味が悪い奴だ。)


ああ、急いでいてね!!

さっさとこの土地から離れるつもりだ。

セビージャはいい土地だが、急ぎの事情なんでね。


**イエス・キリスト**

なるほど。人生は狂ったように走り続けるもんだ。

ただし、馬に草を喰わせる事に頭が回る男なら、自らが走る必要はあるまい。

恋にトチ狂った娘だって、年経ればそういう知恵が働くようになる。

そうなったらしめたもんだ。生きるのが楽だ!!


**カンパニージャ・デ・ウトレーラ**

そうですとも、旦那。

ただし、そういうのはですね、

もっと恵まれている人々に言ってやって下さい。

馬に乗れば、その馬を養わなきゃならない。

そんなのはごめんです。

つまりですね、

教会に熱心に通う連中みたいに読み書きが出来る訳でもなく、

いい家柄に産まれたわけでもないろくでなしにとっては、

人生は、自分の足で走り続けていないと、理不尽という化け物にとっ捕まって喰われちまう訳です。

一つの場所に留まって、

物事の善悪などを話し合っていられる左より共も教会も、

明日の我が身の心配をしないでいられる幸運な奴らだ。


**イエス・キリスト**

なるほど、

ありもしない理想を追い求め、人間に人間以上の精神性を求め、

信仰すらもおろそかにする連中に対する批判はもっともだ。

だが、祈る暇すらもないとなるとな。

それは少々、気の毒だぞ。

この世は、自分の魂との対話をする唯一の舞台でもあると言うのに。


**カンパニージャ・デ・ウトレーラ**

私が気の毒に映りますか?

旦那。 私はね、とことん様々な才能が欠如して生まれてきた人間ですが、

ああ!! もしかしたら、生まれた時はあった様々な才能を、

魔女だか、ジプシー女にでも盗み取られたのかもしれないが。

ある種の才能だけはある、と自負しているんですよ。

それは自分の事を誰よりもわかっている、という才能です。

おかしな話・・と思うかもしれませんが、

自分の事をわかっている人間が一体、

この世に何人暮らしておりましょうか?

自分の事をわかりたくないという人間が、

この世の中にはごまんといますからね。

なぜって、本当の自分なんて見つめてしまったら、気づいてしまうからです。

そこにいるのが、ギリシャの英雄でも、心優しい歌姫でもなく、

鰯の骨程度のちっぽけな欲望と邪心しかない凡人であるという事に。

英雄だって、恋人には、薄汚い下心としたたかさを持ち合わせ、

社会主義者だって、国の為だの、人民の為だの言っていても、

何の事もない。ただの目立ちたがり屋でしかないわけです。

私はね、そりゃあ、自分の為なら平気で親も裏切るし、

恩師にイカサマだって平気でする。

親友なんて置いて逃げる為の道具です。へへ・・

その時がくりゃ聖母マリア様の財布だってくすねて逃げますぜ。

ただ、私はうぬぼれてはいないんでさぁね。

自分でわかっているからね。

俺が何もできやしない、ろくでなしという事をです。

何かを最後までやり遂げるのにはとことん向いていない。

ただ、あらゆる道徳や、羞恥心、神学の説教すらすり抜けて、

平気な顔をして生きていける才能だけはあったってわけです。

ああ、神に感謝!!


**イエス・キリスト**

それは、それで、大したもんなのかもしれないがね。

それにそういった事柄を責めるつもりは無いよ。

老獪が尊いのと同じように、姑息もまた、とある条件の元では立派な剣なのだ。

だが、君に追いついてくるものは、いつだって君の身から出た錆だ。

自分の心に嘘をつき、自分を追いつめる人間は、

やはり気の毒だと言わざるおえないな。

ドン・カルロスもお怒りだろうさ。

あの賭博場は彼のもんだったし。

怒り狂った彼の相棒達が、

おまえさんを探し出すのも時間の問題だろう。



<カンパニージャ・デ・ウトレーラ、

男の言葉に驚いて、歩みを止める>



**カンパニージャ・デ・ウトレーラ**

事情を知っている所を見ると、

あなたはドン・カルロスの手の者ですか?



<男、その言葉に笑って>



**イエス・キリスト**

いいや・・・、心配は無用だ。

ドン・カルロスと知り合いではないからね。

もちろん悪魔の小間使いでもないよ。

ちょっとからかってみただけだ。

気を悪くするなよ。兄弟。


私には友達が多いんだ。ウトレーラ。

つまりそういう事さ。

あっという間にちょっとした兄弟達が

隣町の天候だって知らせてくれるってわけだ。


**カンパニージャ・デ・ウトレーラ**

あなたが虎なのか、ウサギなのか・・・

それが私にとっては大問題なのです。


**イエス・キリスト**

バレ!!

それには心配およばない。私は虎ではないからね。

ただ、ウサギでもないかもしれない。

どちらかというと・・アライン・・、そう、魚かな。

大きなものもいるし、小さなものもいる。

大事なの事はね、魚は無数にいるって事だ。


**カンパニージャ・デ・ウトレーラ**

魚ですって?

ご自分の比喩に使うものとしては、

あの魚という奴らは、ちょっとちんけすぎやしませんかね?

叡智あふれる我ら人間を例えるものとしてはね。

あいつらにできる事なんて、我々の夕餉の食卓を彩る事くらいですよ。


**イエス・キリスト**

そいつはちょっと偏った見解じゃないかな。

世界の一つを構成するものをコルビーナの材料にしか思わないとは。

なるほど、食卓を彩る魚もいる。

だが、そうでない魚もいる。

魚のすごい所はね、大きいものから、小さいものまで無数にいるという事さ。

神は個を愛するが、それ以上に群れを管理する。

大事なのは、大きなものから、小さなものまで無数にいるという事。

それこそが宇宙だ。

叡智とやらで威張っちゃいるがね、

そのご自慢の知恵で、全ての海の魚を数えられるかい?

無理だろうね。

神でもない限りは。


つまり、魚はたくさんいるって事さ。

私には友達が多いんだ。


**カンパニージャ・デ・ウトレーラ**

(恐らく、この男はユダヤ人か、

ここいらの粉引き屋共の古い顔役あたりじゃないか。

あるいはどこぞの侠客かもしれん。

金貸しが金を貸しておいて損はない相手って事だ。)


神学、哲学議論は勘弁して下さいよ。

博打打ちにとって、この世の中で大切な事は、

自分に有益なものか、有害なものか。それだけです。

有益な者も、有害な者も、表向きはそりゃ「我が兄弟」と呼びますがね、

さりげなく上手く適当な距離をとる。

これがコツです。

喰えるコルビーナなら重畳。

無益な者・・・これはある意味、有害よりも質が悪いが、

無益な者には、話しかけられるのもごめんです。

できるものなら、旦那のお名前をお聞きしたいのですがね。

そう、それがこの土地一帯の破落戸共、ならず者共・・

場合によってはドン・カルロスすら、震え上がらせる類いの名前だったら、

私はひれ伏し、慈悲とお恵みを乞う所なんですから。


旦那は、訛りや奇抜な単語から察するに、

バスク生まれの方かとも思うのですが?


**イエス・キリスト**

いかにも。

生まれバスクではないが、バスクは故郷の一つだよ。

もっとも私は故郷がたくさんあるのだがね。

名前はこの辺りではスィエテで通っている。

スィエテ・デ・ペセスと。

バスク流に言うのならアラインと呼んでくれてもかまわない。


くだらない前置きは終わりにしようじゃないか。

私は君に用がある。それもとびっきりの用が。


**カンパニージャ・デ・ウトレーラ**

私に用ですって・・?

通りすがりの貴方が?

そいつはちと怪しいもんですね。


**イエス・キリスト**

怪しいものか。

いいかい?処世術と幸運がある男がいるとしよう。

そういう男にとってはね、

通りすがりだろうが、酒場の飲み仲間だろうが、十年来の舎弟だろうが、

大して変わりはないものなんだよ。

いや、むしろ通りすがりの方が好都合な事だってあるじゃないか。

このご時世、杯だとか、絆だとか、面倒な事は避けて、

仕事だけさっさと片付けちまった方が賢いやり方ってもんだ。


それにね、ここはゴーリ霊園と言ってね、

バスクの言葉で赤い墓という意味がある。

ああ、つまりバスク人が大勢、眠っているんだ。

大昔、虐殺があったというわけだよ。

土地の名前の由来も今では忘れられているが。

異郷の墓で眠る彼らの許可なしに、この墓で嘘はつけないよ。

そうだろう?


さて、話と言うのは、実はここに大金千万ペセタがあるんだが、

これを半分、君にやろう・・と言ったら君はどう思う?


**カンパニージャ・デ・ウトレーラ**

何を言うかと思えば!!

あなたを神様だと思いますね。

イエス・キリストその人だとね。


**イエス・キリスト**

では、私を神と思いたまえ。

その様にしようじゃないか。


**カンパニージャ・デ・ウトレーラ**

ああ、もう、勘弁して下さいよ!!

そんな話はこりごりです。

さっさと用件を最後まで言ったらどうですか?

とんちだとか、もったえつけだとか、うさん臭い異端だとか、

そんな連中の持って来る儲け話なんて、

輪っかの穴について論じる奴らや、

ありもしない哲学を死体に例えて真剣に語る連中と

どっこいと言った所ですよ。


**イエス・キリスト**

まぁ、聞きたまえ。

途中までは何の面白味も無い駄文が続くが、

最後の一言で神の言葉になる詩だってあるんだから。


この金はね、訳ありな金だ。

つまりね、私のちょっとした罪の結果産まれた、悪魔からの報酬という訳だ。

ただ、ちょっとばかり、この金は私には重すぎるんだよ。

罪が重すぎるのだ。

そういったものを一人で抱えていると頭がおかしくなってくる。

健全な悪党ですら、いられなくなるってわけさ。

そうなったらおしまいだ。

わかるだろう?

それで、どうしてくれようかと、途方にくれていた所なんだよ。


**カンパニージャ・デ・ウトレーラ**

なんですって!?

それじゃあ、その金は、旦那が盗んだ金で、

旦那は逃亡中の罪人だとでも言うわけですか!?


**イエス・キリスト**

ああ、そうかもしれないね。

そうじゃないかもしれないが。

言っておくが、罪の内容なんてどうでもいいんだ。

君も、もったえつけるのはやめようじゃないか。

君にとって重要なのは、これから成す契約の内容じゃないのかね?

私の過去を探って何になる?

過去の栄光が見苦しいものだというのなら、

過去の罪だって所詮は過ぎ去ったものだよ。

そういうのは、君の得意分野だろう?


つまりね、

私一人では手に余る仕事に困っていた時に、

いい男を見つけたんだ。

人生、もう失うものが無い、崖っぷちの男をだよ。

この金は、信仰のあつい者が持つには汚れ過ぎているし、

かと言って、革命だの、真実だのを論じている連中の酒代にするにはもったいない。

だが君になら、ひょっとして、この金は重くなく、

ひょいとこの仕事をやり通せるかもしれないと思ったわけだ。


**カンパニージャ・デ・ウトレーラ**

そりゃ、五百万ペセタもらえるのでしたら、

どんな仕事でも喜んで引き受けたい所ですがね。

鳥肌が立ってくるような話です。

なんです?その仕事というのは?


**イエス・キリスト**

君が私の罪の半分を背負う事になるね。

それで私の重荷は半分になるってもんだ。

それからね、これから七日間、私と共に旅をしてもらう。

私がどこへ向かおうと、その途中で何があろうと、最後まで一緒にね。

我々は共犯者なんだ。当然だろう?

言っておくが、途中下車ではこの金は決して君のものにはならない。

だが、七日経てば、君は五百万ペセタを持って何処へなりと行くがいいさ。


**カンパニージャ・デ・ウトレーラ**

なんと!!

そんな簡単な事で、それだけの大金を稼げるとは!?

これは前代未聞のお話ですな。

そんなに上手い話だと、

ちょっとばかり裏がある事を疑ってしまいますね。


**イエス・キリスト**

難儀な仕事を与えれば、文句を言い、

極上の仕事を与えても文句を言う。

まぁ、人間とはそういうものだね。

しかし、腹を決めようじゃないか?

君に選択の余地なんかあるのかね?

ああ、だったら失礼!!

私の勘違いだったようだ。

私はおいとまさせてもらうよ!!


**カンパニージャ・デ・ウトレーラ**

いやいや、お待ち下さい!!

あまりに唐突な話につい慎重なふりをしてしまいました。

ここで行かれては、死んでも死にきれませんや。


**イエス・キリスト**

失う物なんて無い男が、何を躊躇してるんだね。

一体、何を恐れるんだね?

君は不幸だって、善だって、信仰だって、神だって、恐れないんだろう?

だったら悪魔だって恐れないはずだ。

馬車はもう待たせてあるんだ。今夜にでもバレンシアの方に向かう為にね。


**カンパニージャ・デ・ウトレーラ**

馬車とは!?いつの間に!?

なんという不思議な話だろう?

しかし、よくよく考えれば、人生に一度はこういう事が起こってもいいはずだ。

本当は誰にでも!!

だが多くの人間は、大切に生きている今を手放すのを恐れ、

魔法とは距離を置くものだ。

恐れる事で永遠に機会を失ってしまうのだ。

非常識な機会を手に入れたければ、非常識な人間にならざるを得ないのだ。

多くの人が勘違いをしている事だが、魔法とはそういうものだ。

破滅と壊滅の間に、そういったものは訪れるのだ。

ああ!! ろくでもない人生!! くだらない人生!!

だったら、一度位、自分が主役の舞台の上に立ってみるのも悪くないのでは?

それが喜劇なのか、悲劇なのかはわからぬが。

役を引き受けない者に、衣装は渡されまい!!


旦那。その話、お受けいたしましょう!!

しかし、もう一度、言わせていただきますが、

これは前代未聞のお話ですな。

そんなに上手い話だと、ちょっとばかり裏がある事を疑ってしまいますね。

だけれど、人生にそもそも裏も表も無いのです。

だったら、表裏一体のこの世の深淵を覗き込むのも悪くはない。






■■続く■■

イエスとカンパニージャが、ここで魚の話をしていますが、

これにはキリスト教のシンボルが(イクトゥス)である事から、

含みのある内容ともなっています。


劇中のイエスの台詞で

「彼らは賛美歌も作れば、

ドゥエンデ(魔物)の潜む歌を歌ったりもするのだ。」

という一文がありますが、

音楽にドゥエンデ(魔物)が住むとは、

フラメンコの世界で言われている事です。


今回は歌はありません。

(ごめんなさい)


続編もまた読んでいただけましたら嬉しいです。

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