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「私が持ってきたんですよ、竜紅人」
突然降ってきた声に竜紅人は思わず、げっ、と声を漏らした。
恐る恐る振り向けば、彼の静かな怒りに満ちた黒區の瞳にぶつかる。
咲蘭、といった。
麗国城主お抱えの大僕参謀官だ。
咲蘭は香彩のいる病室の入口の柱に体を預けていた。
腕を組むその動作は、仙猫を思わせるかのようになめらかで、まるで催眠効果のある舞踏を見ているかのような酩酊感があった。
「大宰殿に、妖気払いのとてもいい薬が入ったとでも言って持っていけと頼まれまして」
柔らかかつ冷ややかな彼の特徴のある声色は、極力感情を抑えて話しているようにも聞こえる。加えて零下絶対零度の薔薇のような、極上の笑み。
「まさかとは思いましたよ、竜紅人。香彩を連れ去ったあなたが、まさか! まさかこんな見つかりやすい場所にいるなんて」
なんて、ひねりのない。
そう言い捨てる咲蘭に、竜紅人はもう反論する言葉もなかった。
確かにそうだ。見つかりやすい場所なのだ。しかも自分は竜の鱗という、極上の餌まで撒いてしまってきていたのだから。
だが見つかるわけにはいかなかった。
竜紅人は無言のまま、咲蘭の腕を掴んだ。
その強さに咲蘭の顔が少々顰められる。
「……無礼ですよ」
「承知の上……だ」
冷ややかに言う咲蘭の言葉に、重ねる形で竜紅人が言う。
「頼む……ここにいること、言わないでくれ。おっさんには……特に」
「ご冗談を」
咲蘭は腕を掴まれた時よりも更に強い強さで、竜紅人の手を振り払う。
「あなたは見ていないでしょう? 香彩が楼台の桟枠から身を投げ出した時、あの人は追いかけようとした! 追いついて少しでもその身にかかる衝撃を防いでやれたらそれでよかったんだと、あの人はそう……!」
悲痛な声で言ったのだ。
追いかけて楼台から飛び降りようとした彼を、後ろから羽交い絞めにして止めたのは咲蘭だった。彼は声を荒げて、何故止めたのかと咲蘭を責め立てた。
「あなたの鱗の薬のことだって、あなたたちが見つかったときに、すぐに儀式に移れるようにという、あの人なりの配慮でしょう!?」
咲蘭には信じられなかったのだ。
状況は決して良い方とは言えないだろう。
香彩の容体もこのままだと悪化の一途を辿る。それなのに何故黙っておけるだろうか。よりにもよって、一番香彩のことを心配している肉親に。
珍しく息巻く咲蘭の様子に、竜紅人はくっと息をつめた。
確かに咲蘭の言う通りだ。 だが彼は一番心配している肉親であると同時に、一番香彩を追い詰めた人物でもあるのだ。
「……知っている」
竜紅人はそう切り出した。
「おっさんが香彩の後を追って、香彩をかばうために飛び降りようとしたことも、その思いも」
その直情ともいえる思念は、何に邪魔されることなく、まっすぐに竜紅人の中に入ってきた。思わず泣きたくなるような切なさが、今でも竜紅人の心の奥で燻っている。
「だったら何故……!」
「香彩が、信じていない。おっさんのその思いを、香彩自身が信じていないんだ」
「……!?」
「紫雨が自分のことを心配している訳がない、紫雨に心配される価値が自分にはない、何故なら自分は裏切り者だから、裏切り者だと認識されてしまったから」