嵐過ぎて。妹のアプローチ その2
車と人が行き交う都内のストリートを歩く。狼少女はその特徴を隠して先導した。
互いの距離の差は5メートルくらいで一緒に散歩するというよりトボトボと彼女についていくような感じだ。
目的地への移動でもなく、ただ道端を歩くという行為だが彼女は楽しいのだろうか? やっぱり犬──狼だけど──の本能?
「いつもこんな感じなの? 散歩で同伴って言うからてっきり……」
「首輪とリード、いると思った?」
仮に必要だったとしたらそれは酷い絵面だろう。通行人に通報されてもおかしくない。
「確かに、普段はビルの壁面とか屋上とか跳ぶ」
「えっ」
「貴女じゃ絶対ついて来れないから、今日は別ルート」
「……ちょっと待ってちょっと待って。それもはや散歩じゃなくてパルクールでしょ。しかも命綱無しで危ないよ!?」
「落ちても皆、壁跳ねで降りるから平気。高所から建物を渡るのえきさいてぃんぐ。あるじ達、平気で跳んでる」
いや、それに追従出来る基準がおかしい。
想像すると眩暈がした。精霊獣の鈴狐はさておき兄さん、一応普通の人間だよね?
「バウバウ! バウバウバウッ!」
「ムッ」
民家を通りがかった私達に、柵の向こうから飼われていた番犬が前のめりになって吠え喚き出した。精霊獣ではなく普通のペットだろう。
犬種はドーベルマン。真噛を敵として認識しているようだ。
「だ、駄目よ。兄さん達に迷惑掛かるから駄目だからね!」
「ヴゥゥッバウバウ! ワンワンワンワワンワン!」
「分かってる。わたし、そんなに、喧嘩っ早く、ない……このっ」
「抑えて抑えて!」
口の端がちょっぴり引いて唸ろうとしているところからして、本能に釣られて取っ組み合いが始まってしまうのではないかとひやひやする。
「言われなくてもそうする」と真噛は柵の上に飛び乗った。綱渡りでもするようにバランスをとって横断して行く。
「危ないよ?」
「平気」
どうやら受けて立たない代わりに、喧嘩を吹っ掛けて来た猛犬を見下ろして溜飲を下げる気のようだ。一つ間違えるとそっちの庭に落っこちるのだが、彼女なら大丈夫ではあるのだろう。多分。
届かない犬のジャンプを嘲笑うようにそのまま隣の民家に差し掛かるところを眺め、その光景と重なる記憶が昇ってきた。
「逆になったなぁ」
「何が?」
「注意される側から、注意する側になったんだなって」
私は彼女を見上げながら話す。それは、数年も前に遡るだろう。
「兄さんと一緒に通ってたスクールのバス停までの道でも、私も真噛みたいな感じで塀に乗ってバランスとろうとしたのを今みたいによく言われていたから。そこよりもうんと低かったけどね」
「同じように思われるの心外」
「ごめん」つい私は謝ってしまった。でも仕方ない。心の底でそう思ってしまったのだから。
それに、別にこの子だって本気で怒っているようにも見えない。
「でもわたし、貴女のようにあるじを傷付けたことがあるから」
「そうなの?」
「うん。差し伸べた手を噛んだ」
そういえば、この子は元々ライアン・レイヴェルトの精霊獣。彼に打ち捨てられ、傷心したところを兄さんに救われたと聞いている。
「酷い仕打ちを受けて、切り捨てられて、追い詰められて、もう何もかも自棄になった時があった」
人を信用できず、縋る相手も無く、文字通り手負いの獣と化した真噛の境遇は、アルフ兄さんに攻撃を加えたのにも酌量の余地はあっただろう。
それは、私の時と似て非なるものだ。私には考えられる猶予があった。思い込みで勝手に兄を一方的に責めた。
「痛い目に遭うのを分かった上であるじ、わたしに近付いた。噛まれても嫌な顔ひとつしなかった。それだけあるじは他人を慮れる強さがある」
「……うん」
あれだけ辛辣な態度をとって来た私にでさえ、結局あの人は恨み言ひとつ漏らさず、更には引っ込めていたこちらの手を引き戻した。あの人の譲歩と踏み込みが無ければ、私はこうして彼女と並んで会話するということも実現できていなかっただろう。
「だから、人一倍傷付くことが多い。拒絶しないで受け入れようとするから」
「それで貴女は私に」
「噛み付いた。あるじの負担は私も請け負うと決めたから。ガツンと言わないと、その辛さがきっと分からなかったから」
「そう、ね。きっとあれが無ければ、自分だけ綺麗さっぱり済ませて兄さんの痛みは拭えなかったと思う。だから今はそこに気付かせてくれた真噛に、ありがとうって言いたい」
「御礼なんて欲しくない」ぷいと、狼少女は横に向いた。でも、スカートの後ろが風も吹いていないのに独りでに揺れている。
カタン、という音が私達の背後で聞こえた。通過してもしきりに吠え続けていた犬の声がぴたりと止む。
振り返ると、柵の扉がはりぼてみたいに地面に倒れ、そこから飛び出す獣の姿を捉える。
「ワウワウワウワウッワウワウワウワウ!」
「うえええええ!? 脱走というかこっちに来てるゥ!」
あの犬が先程の仕返しに来たのだろう。あの種類は主人以外には攻撃的である。しかも人を覆い被される程の体格だ。
「全く。躾、なってない」
路地に降りた狼少女はやむなく迎撃の姿勢を見せた。
だが、それより効果的な案を思いつく。
「待って、此処は虎土に!」
精霊獣を呼び出す。大きな虎がドーベルマンの前に立ちはだかった。生物としての迫力は十二分。
「追い払うだけ!」指示は、現状理解よりも早く精霊獣を突き動かす。
「ゴォルルルル!」
天から駆け降りる落雷のような咆哮が、周囲につんざく。突進してきた猛犬が本能的に急ブレーキを掛けさせる。
如何に警備犬として活躍する犬種と言えど、体格と自重どちらも何倍もの開きがある獣に迷うことなく飛び込めはしないだろう。
「失せろ、ゴォォオオオオオルッ!」
凍りつくドーベルマンに再度雄叫びをあげた事が決定的になった。
ギャワンギャワンと猛犬はさしもの戦意を喪失して、元の家に逃げ帰る。深追いするまでもないだろう。
「ありがと、虎土」
背中をポンポンと叩き、突然街中に出て来た猛獣が精霊獣であることを周囲にもアピール。こんなとこで出したら流石に目立つ。
「わたしが売られた喧嘩なのに」
「こうした方が平和に終わるじゃない。それに、貴女ってそういう恰好するのは御洒落の為だけじゃなさそうだし」
「!」
「隠してる耳と尻尾はさておき、人型からあの大きな狼の姿にはならない方が良いでしょ?」
戦闘力は彼女が上でも威嚇という分野なら虎土の専売特許。逃げても良かったけど、犬小屋に追い返した方が飼い主も困らせない。
「もう充分よ。私の中に戻って虎土」
「……アリスぅう」
振り返った相棒は、野太くも情けない声音で飛びつく。襲撃ではない。頭を擦りつけておんおん呻いていた。
「うわっ、ちょっと! やだやめてよこんな場所で!」
「良かったなぁ良かったなぁあああ。兄上と元に戻れてぇええ。アリスぅうううう」
「その話はこの前済ましたでしょ!? 恥ずかしいからじゃれつかないのああもうっ」
「うぉおおおおおんうぉおおおおおん」
男泣きならぬ。雄泣きである。心底喜んでくれるのは嬉しいんだけど、このやり取り朝もやってる。
「と、とにかく中に入ってってば! 皆に奇異の目で見られるから!」
「ううぅ分かったぁぁ」
「はぁ」
と、私と精霊獣のやり取りを見て真噛は溜息を吐いた。
みっともないところを見られてしまったことに気付き、赤面する。呆れられてしまったようだ。
だが、彼女は思いがけない言葉を口にする。
「認める」
「え?」
「アリス、あるじの敵じゃない。貴女がコドを大切にしてるのが良く分かった。精霊獣を大事にする人、悪い奴はいないから、そこまで見せびらかされたら認める他ない」
それは彼女の経験則。
「それって……」
「約束して。もうあるじ、辛い目に遭わせないと。あの人の平穏、脅かさないで」
「も、もちろん! 兄さんとはこれからは仲良くやっていくつもり。だから……ふわっ」
頬に暖かい接触。ペロッと顔を近づけた狼少女が優しく舐めて来たのだ。
きっとそれは親愛の証。
「じゃあこれで仲直り」
「~~っ、真噛ぃー」
可愛いさに、ほぼ無意識でぎゅっと私は抱き着いてしまった。彼女は嫌がらなかった。
※
「それにしてもマカミも中々回りくどいねぇ」
学生寮に残る鈴狐が言った。
「普段から一人でお散歩に行ってるのに付き添いが要るだなんて嘘ついちゃって」
「アリスがきちんと踏み入れるのを待ってたんだよ。きっと真噛だって分かってるから」
アプローチの空振りにどうしたものかと俺も悩んだが、真噛自らがチャンスをあげたから一安心だ。
「二人はうまくやってるかな」
「やってるよぉ。あの子は他ならぬアルくんの精霊獣だぞぉ?」
「精霊獣は契約主に似る、みたいな理屈?」
「そうそうそれそれ。つまり私もアルくんに似て……んふふふ」
「近い近い俺そんなにスキンシップ積極的じゃない」
後ろから包むように両腕を回す狐巫女を制しながら、妹達の健闘を俺は祈った。
シェークリア家編 了
次章は意外なあの人と急接近?!
そして3体目の……!




