鈴狐との真契約。これ一歩間違えたら拉致と夜這いですよね
綺麗な狐巫女は先導する。
「さぁようこそ我が箱庭へ。此処には君と私しかいない最高の私有地だよー。いつまでもゆっくり過ごして良い世界さ」
山の頂上に伸びる階段を昇った先、謂わば境内を模した結界内の展望はすこぶる広大な自然が広がっていた。
地平の先まで見える緑の峡谷。麓までこの鳥居は続いており、町どころか人村すらあるようには見えない。
「精霊結界に入るのは初めて?」
僕は頷く。壮観な景色を見降ろしたまま、しばらく言葉を奪われていた。結界は精霊獣の世界の一部であり、繋げられる技量のある存在は数が限られている。だから一般人でもそう入れた人が少ない。
そして精霊結界の領土面積は、持ち主の力の大きさによって比例する。そう学んでいたけれど、きっとこんな規模の結界は稀に見るレベルに違いない。限界はあるにしたって、何処までも行けてしまいそうな場所だった。
山頂で古めかしい建物を見つける。木造の大きなお社だった。此処が僕の新居になるみたいだ。
「さて、ひとつ君とやっておかないとならないことがあるんだ」
「は、はい。一体何をすれば」
「この私との契約」
「契約? あの、どうしてですか?」
「はーいそこ、私を目上みたいにするの禁止ー。アル君と私は生涯のパートナー。君にたとえ恋人が出来て結婚して子供が出来てしわしわのおじいちゃんになっても、ずっと相棒になるんだから畏まった態度なんてしちゃダメ。言ったでしょ? 一蓮托生だって」
見た目はお姉さんな鈴狐に対し、そんな態度をとっていたらそこを注意された。
「では、それを踏まえてもう一回言ってごらん。さんはいらないよー」
「……り、鈴狐。どうしてまた契約するの? 鈴狐を召喚した時点で既に済んでいる筈じゃ」
呼び出しに成功したことこそが精霊獣との契約。僕はそう学んだ。
「それはね、まだ仮契約しか済んでないからなんだ。普通は君の言う通りそれで充分なんだけれど、召喚されるのが上位の精霊獣になってくると儀礼をいくつか踏まえなくちゃならない。だからその真契約をしよう」
「何をすれば良いの?」
「精霊獣によって手順はそれぞれ。たとえば条件を取り決めての交渉だったり、戦って隷属を認めさせたりほんとに色んなものがある。上位精霊は独立したがるから契約されまいと抵抗する奴も多いからねー」
後者だったりしたら……想像すると僕はゾッとした。戦い方なんて知らないし、稽古で学んだ精霊獣の補助なしでの魔法は初歩的な物しか使えない。ちょっと火や水を出すのが関の山だ。
「あはは、大丈夫大丈夫。そんなキツイ試練なんて用意しないから」
こちらの不安を察してか、けらけらと鈴狐は笑った。八重歯が覗く。
「ずばり私との真契約に必要なのは、互いの親密さを表す表明──接吻だね」
「せっ?! そ、それって要するにキス──」
「そんな訳でぱぱーっとやっていきましょう」
何の恥じらいも抵抗感もなく狐巫女は両肩を掴んだ。ずいっと息が掛かる程の距離に迫る。
「ま、まま待って! そういうのは好きな人同士でやるもので急にそんなことを言われても……」
「良いよ良いよ精霊獣ならノーカンノーカン。必要だからやる、それだけ。本当に嫌なら抵抗して逃げて良いよ? 元来た場所を駆け下りれば出られるようになってる」
「鈴狐、それって」
「時間が経つと仮契約も解けちゃう。あとは、君次第だよ」
この人は優柔不断な僕をここまで導いてくれた。まだ覇道っていうやつに対しては戸惑いがあるけれど、僕自身も覚悟が必要だ。
「やろう」
返事に気を良くしたのか、相好を崩した金髪狐巫女。そして、更に顔を近づけて重ねた。
触れた感触に熱が一気に上昇する。ほんとにこんな歳で、しちゃったんだ……
「んぐぅ?!」
「んっんっんっ」
「はんうぇうぃうぁわうぇひぃへううぉ(何で舌までいれるの)!?」
僕の知らない儀礼が始まった。息がちゃんと出来なくていい匂いがして触れている唇が柔らかくて、そんな混乱している最中も口の中が滅茶苦茶にされた。舌をくにゅくにゅと弄ばれている。
ようやく解放された僕は思わず前のめりに倒れる。そこを柔肌のクッションに受け止められた。
「頑張ったねぇ偉い偉い♡」
頭を撫でながら満足そうに鈴狐は為すがままだった僕を抱きしめて労う。やっと、終わった。
「真契約の手順はしゅーりょー。おめでとう、これで私はアルくんの精霊獣になった」
「……アル、くん?」
鈴狐との接触で距離感が狭くなる。考えがまだぼんやりとしたまま彼女を見上げる。近くで見て改めてとても綺麗な人だと実感した。こんな人が自らの意思で僕の精霊獣になってくれるなんて。
「大丈夫? 嫌だった?」
「嫌というか、不思議……」
「不思議?」
「息苦しくてまだ触れていた所が熱くて……頭がボーっとする」
感想を述べていると、狐巫女はウズウズと身体を揺すっていた。まるで、猫じゃらしに反応する猫みたいに。
「……ヤバイこの子可愛い」
「ところで真契約ってこんなに大変なんだね。ちょっとくっつけるだけだと思ってた」
「いやぁ別に本当はそれだけで十分──」
「え?」
「あ! 何でもなーい。さぁ中に入りましょう」
何か今、口走ったように聞こえた。
お社は、内装とは裏腹に文明に優れた箇所がいくつもあった。
トイレは水洗式で照明は蛍光灯。少し古い黒電話が置いてあるなどちょっとした田舎の一軒家みたいで、最低限の不便さが解消されていた。
下水道とか電気とか、人のいない場所でどうしてそんな物が引いてあるのか割烹着で夕飯の支度をしている鈴狐に尋ねると、『常に結界から現実の施設に繋げて貰っているからね』と謎の人脈を仄めかせていた。
敷布団に僕と鈴狐は並ぶようにしてその夜を過ごした。部屋を一緒にしたのは向こうに押し切られたからだ。
畳の匂いを鼻に慣らし、蛍光灯の黄色い豆電球を見つめていると、
「眠れない?」
寝間着に着替えた彼女が、隣で寝返りを打って尋ねて来る。鈴狐は服を自身他人問わず自在に変えられるので、僕にも子供用の浴衣を用意してくれた。
「寝付けない。今日起きた出来事に戸惑ってるんだ。心の中でモヤモヤしているんだと思う」
「そう、だよね。普通は心の整理がつかないよねぇ」
心の整理か。色んな感情、この先の不安、喪失感。色んなものが混ざっている。
そういえば今頃妹はどうしているだろう。僕と兄の跡継ぎの競争には巻き込まれていないから大丈夫だろうけれど、僕が帰らないことで騒いでるのかな。
「良かったら、もっと話してよ」
「鈴狐」
「私に君のことをもっと教えて。我慢なんてしないでさ、辛いこと本当は言いたいこと全部溜め込まずに吐き出しちゃえ。年長者は聞き上手だぞぉ」
僕のまだ語るに足らない人生を、この人は最後まで聞いてくれた。
退魔士になりたいという密かな夢。でも跡継ぎになるならあきらめないといけないと悟り、勉強に打ち込んだこと。自分なりに必死だったこと。そして今夜の打ち捨てられたこと。やるせなかった、悔しかった想いを打ち明ける。
「悔しいよ、鈴狐。今まで自分なりに期待に応えようとしてたけど、薄々分かってたんだ。父さんは元から僕には目をかけてなんかいない。格好の口実だった。君は、呼ばれたばかりでもそれが分かってたんだね」
僕は徐々に要らない子になっていた。理由は分からないけど、昔から父は僕を手放しで評価なんてしてくれない。兄や妹とは違った。
「復讐したい?」
狐の女の子は言った。暗がりで瞳が反射する。
「その気なら、アルくんが思う通りにするよ。何でも」
「それは良くないよ」
枕元で僕は頭を擦る。
「それでも僕を切り捨てるにしたって生かしたら不利益があるのに、口封じとか事故死に見せ掛けたりしなかっただけ情があったんだ。いくら憎いとしても、ダメだよ」
「良かった。ちゃんと自分の意思を持ってて、その歳できちんとした物事の分別がついている。立派だよ、君は聡明な子だね」
「もっとしっかりした人間だったら、捨てられてなかったよ」
「そんな自分を傷つけるようなこと言わないの」
安心したように鈴狐は息をついて微笑する。
「君は、ただ流されているだけなんかじゃない。ほんとは色々な事を判断した上で動けるみたいだから、この先もきっと大丈夫だよ。ただ、もっと自信を持つべきかなー」
「そして、ずっと甘えているわけにもいかない。ねぇ鈴狐」
一度布団から身を起こして僕は言った。
「僕は悔しい。僕は父さんに認められる為に努力はしていたけれど、否定されてもまだ退魔士になりたい。そして世の中に大きな功績を残すんだ」
「憧れていたんだよね、英雄アルファロランみたいに」
「なって見返すんだ。僕を切り捨てた事をすこぶる後悔させたいんだ」
退魔士の中でも英雄と呼ばれる称号は、上位の精霊獣の所有と国に対する数々の功績と成績に、なにより強さが求められる。更には、知名度を高めるのにほぼ必須な地位を失って非常に至難なものとなっている。
でも夢を、僕はまだ諦めずにいる。
「じゃ、なろうよ。お父さんに一泡吹かせるがてらにね」
「強くなりたい」
「うん。目標を持つことは良いことだし、強いってことはそれだけでも充分色んな人を認める基準になる。いつの世でもね。身も心も鍛えてあげる、アルくんが望むなら……よーし!」
僕の意思を相棒は再確認する。そして何を思ったのか、自分の布団を捲り上げて迫ってきた。
「う、うわっ。何だよ急にッ何でこっちの布団に入って!?」
「いやぁ英気を養ってほしいから今夜はタップリ甘えて貰おうかなーって。ほぉらギューッと」
「恥ずかしいってこんな──うぷ?!」
「ついでにぱふぱふもくらえーッ! うりうりー」
鈴狐は絡み付くように僕を抱き、胸を押し付けてくる。顔の熱が上昇した。
更にぐいぐいと動くのにつれ感触もダイレクトに伝わる。
甘えているわけにはいかないって、決めたばかりなのにーっ!
「我慢しなくていいよ」
「んんー!」
「背伸びしなくて大丈夫」
「……ん」
「もっとくっついていいんだよ。身も心も触れ合おう」
抵抗は、徐々に息を潜めた。暖かい。柔らかい。落ち着く。後頭部を優しい手つきで撫でてくる。いつ以来だろう。事故でもういない母を思い出す。
彼女はただ、僕を包む。いとおしそうに、大切にしようとしている。
「お姉さんに甘えて、苦しい思いを癒しちゃおう。明日には笑っていられるように」
そして胸につかえていた冷たい感情が、せり上がる。熱は次第に目の奥から溢れ出た。
「うっ……ぁあああ」
「そう、それで良いの」
「ぁあああああ! わぁあああ──」
「そうやって気が済むまで涙を流せば、スッキリするよ」
僕は抱擁にすがりついてまた泣いた。辛い思い出を洗い流すように。
気が付いた時には朝日が差していた。身体中に新鮮な空気が流れる気がした。いつの間にか泣き疲れて眠ってしまったみたいだ。
傍らで、元の布団に戻っていた鈴狐が寝ている。僕は昨日の晩、彼女に身も心も預けた。あんなに近しい添い寝は初めてだ。
うーん、という呻きと絹擦れの音。サラサラした金髪が、枕の上でなびく。そして身を起こした。
「んあ……おはよーアルくん。起きるの早いねぇ」
「……き、昨日はありがと」
甘えきったばかりで恥ずかしくなっていると、鈴狐はにっこりと微笑む。
「御礼なんていいよぉ。昨日だけでなく、これからもなんだから。君が望むなら一生寄り添うことも約束するよ。ほら、指きり指きりー」
白い手が伸び、立てた小指を差し出した。僕も小指を出して重ねる。




