いざ『神命』の地へ。狐の一族
それから俺達は鈴狐の精霊結界内へ入った。疑問は、見慣れた森林の中まで進んでから訊ねる。
「どうやってそこに行けるの? さっき閉鎖されている土地だって聞いたけど」
「『神命』の土地を繋ぐ通り道はいくつかあるんだよ。一応、その一つは此処から行けるようにはなってる。でも、許可なく使われるものじゃないんだけどねぇ」
「いやぁお恥ずかしながらご利用させていただきました」
あけすけに茶狐は言った。だからさっきも鈴狐が我が家に置いた精霊結界の入り口から出て来たのか。
目指していたのは林道の奥にポツリと建っていた小さな社。その戸を開いて、狐巫女は訝しい面持ちを見せる。
後ろからその中を覗くと、歪んだ穴が浮かんでいる。暗い奥先で、吸い込まれるような光の奔流がとめどなく蠢くのが見えた。
「やっぱり、勝手に開いている。おかしいよ、私これを封鎖していた筈だもの。ヤカン、まさか突き破ってきた?」
「いやまさか。貴女様の封印を破れるほどの技量などとてもとても。ご連絡に差し向おうしとした際にはこちらが開いておりました」
「じゃあ、他に誰かが解いた、とか? アルくんもそんなことしてないよね?」
「戻って来られないかも……って昔鈴狐が言っていたから触っていないよ」
言って俺は首を横に振る。自身でも注意して迂闊に近寄らないようにしていた。
つまり、この祠は『神命』の地への通り道。かつて彼女が俺に警告したのは、万が一その道が通じて迷い込んでしまうことを危惧してのこと。
少し黙考した後彼女は「じゃあ時間が経っていく内に緩んじゃったのかな」と結論を出す。ともかく、此処をくぐればあっという間に辿り着くみたいだ。
「それでは参りましょう」
先行して野犴がその中へ飛び込み、俺達も後に続く。
景色が暗転し、頭上に陽気な光が差した。狭い密室に出る。
差し伸べられた狐巫女の手に引き寄せられ、俺は地上に出た。敷き詰められた白い砂利を踏む。
どうやら使われていない古井戸に繋げられていたらしく、見慣れぬ建物の真っ只中に俺達は移動していた。
「こちら『神命』の中層、住民街にございます。一般の方々が基本的に立ち入りを許されるのはこの近辺までかと」
野犴の説明を受けて、俺は辺りを見渡した。
赤い巨大鳥居が至る所に立ち並び、屋根瓦に木造の家屋が数多く点在する。
そして、中心で蒼穹を覆っていたのは大きな樹木。これまで見たことが無いほど大きな満開の桜だった。季節外れだが、きっと年中問わず咲き続いているのだろう。
此処で生活を営んでいると思しき住民の精霊獣をポツポツと見掛けた。
着物を着て二本足で歩いてはいるが、頭は完全に狐という狐人とも呼ぶべき姿。見た目は完全に狐の姿。鈴孤と同じく耳と尾以外は全く人と変わらぬ姿と、多岐にわたっていた。
やはり祭事の為か、慌ただしく彼等は周囲を行き交っていた。ある者は角材を運び、ある狐は何か葉のある植物を束にしてくわえていた。
そういった通行人からは好奇と不思議な視線が投げられ、俺達は明らかに浮いていることが見て取れた。服装も種族としては異なる特徴がやはり目に付くのか。
「あーあ、戻って来ちゃった。もう何百年ぶりだろう」
「リンコ! リンコなのか! おいリンコ! 此処で会ったが百年目だ! いや百年なぞとうに過ぎているわ! 今まで一体何処でほっつき歩いていたっ!?」
「このやかましいがなり声を聞くのも、何百年ぶりかな……」
文字通り肩を怒らせてこちらへやってきたのは、全身が真っ白な狐人だった。
後に名を聞くとその精霊獣は稲荷というらしい。そして彼女との関係性は、
「顔を出すどころか一通の連絡も寄越さんとはこのバカ者が! 何か言うことでもあるんじゃないのか! えぇっ!?」
「はいはい音沙汰なくてごめんなさいねお父さん」
「お父さんっ!? 鈴狐の!?」
予想外な二人の間柄に思わず声が出る。しかし俺の声など届いていないのか彼はガミガミと説教を続ける。
だが、既に狐巫女はケモ耳をペタンと伏せ手を側頭部に当てていた。
「何だその口の利き方は! 儂をあしらおうなど五百年早いわ! そもそもお前は『神命』の一族としての自覚が──聞いているのか!? おいリンコ!」
「アーアー聞こえなーい」
「まぁまぁお二方とも。積もる話があるかと存じますが、ウカ様がお待ちしております故。一先ずそちらにお伺いした方がよいかと」
仲裁に入った茶狐が、両者の間でどろんと姿を変えた。
茶髪に長身痩躯の青年が鈴狐の父に対し、手を前に出して制止する。尻尾の毛先と耳が焦げたように黒い。
「それに、そう熱が入ってしまわれますと、御客人が委縮されてしまいますよ?」
「何っ! 客人!?」
「ええ、先程から此処に。ですからそのお怒り、どうかお招きしたあっしの顔を立てると思ってお鎮まりくださいな」
努めてにこやかに、野犴は白い狐人に諫言した。
ようやく気付いた様子で咳払いの後、あらたまって彼はこちらに頭を垂れる。
「……これはお見苦しいところを。ヤカン、こちらの方々は?」
「右から先の戦争にてリンコ様のご同胞であらせられるハクロ様、妹分のマカミ様、そしてご契約なされたアルフ様にございます」
「そうか。不祥の娘ながら今後ともよろしく頼む」
「ど、どうも」
「案内したいところであるが、私もこれから準備があるので後ほど。ヤカン、頼んだぞ」
「承知」
「リンコ、話はまだ終わっていないからな」
口笛を吹いて返事をする気配のない狐巫女を睨みながら彼は去っていく。あっこの曲、星の界だ。
踵を返し、背を向けて遠ざかったところでようやく鈴狐は口を開いた。
「はぁ、こっちは御遠慮願いたいけどねぇ。どうせロクな話じゃないし」
「聞こえているぞォ」
「げっ、地獄耳」
離れて尚大きながなり声が飛んできて狐巫女は顔をひきつらせた。
「気を取り直しまして早速、ウカ様の御前に参りましょうか」
そう促され、俺達はこの住民街の先を行くことになった。目的の場所は山の麓にある巨大な大社だそうだ。
『神命』は長を祭る祠やその親族が住まう上層の社、中層の居住区、そして今回の祭りを催す為に開放する下層の大平原の三つに別れていて、普段は外交のほとんどない閉鎖的な土地になっているのだと説明を受けた。
山の参道を登る。その道中には長い線を引くように沢山の彼岸花が左右に植わっていた。
「どんな人なの」
「人、って表現はおかしいかな」
「あっそうか。精霊獣だもんね」
「いやぁ精霊獣という表現もちょっとおかしいかも」
石階段を上りながらうん? と、戸惑っていると、傍らで狐巫女は言った。
「精霊獣であって精霊獣でない存在。神霊獣とも呼ぶべき、私達より遥か高次元の御方だよ」
「神霊獣……」
「でも大丈夫、取って食われたりしないから」
鈴狐達天上位よりも遥か上を行く存在。気の遠くなるスケールにどれほど凄いのか実感が追い付かない。
巨大鳥居のトンネルの先で荘厳な建築物が待ち受ける。此処に、そのウカ様という『神命』の長がいるらしい。
「止まれ、何者だ」
「あっしですよ。お連れしたのはリンコ様とその御一行様であらせられます」
「リッ……そちらが!? ……して、用件は」
「他ならぬ長の言伝により、今宵の神楽役のお勤めに任命された為、面通しに参った次第で」
門の入り口にいた警護役の狐達に差し止められるも、野犴が説明をするとすんなり通してくれた。
だが、茶狐はそこに残った。
「あっしの身分でそう御対面するわけにはいきませんので」
「え? じゃあ俺達も迂闊に会って大丈夫なの?」
「いえいえ、皆様方にはそのご資格がおありですよ。お呼び出しになられたリンコ様のお連れですから。さぁ、あっしに構わずどうぞ奥へ」
というわけで彼とはそこで一旦別れ、俺達はその大きなお社に入った。




