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迫真の逃走劇。ほとぼり冷めて

 鈴狐達から逃げる羽目に遭っていた俺は、慌ただしく動き回っている人達に紛れて走る。

 仕事を手伝ってあげたいのは山々だが、確実に捕まる。

 話しによると期限が過ぎれば衝動も収まる筈だ。ほとぼりが冷めるまでは彼女達から離れなければ。


「ん? アレ、誰の精霊獣だ?」

「さぁ。ウチの社員が出したんじゃねぇかな」

「デポー! デデボー! デデボォオオオオオオ!?」


 通路の奥で羽音と大きな鳴き声が響く。天井を白い小鳩が飛んでいることに、その正体を知らぬ『北斗』の面々がそんなやり取りを交わしていた。幸いなことに対応に追われてそれくらいでは大して気にも留めていない。


 やっぱり追って来た。あの勢いからして間違いなく俺を捜している。

 すぐさま俺は慌てて部屋に逃げ込んだ。


 それからけたたましい羽音が通過する。よし、どうにか向こうに行ってくれた。

「まともじゃないよ全く……」ようやく一息付けた俺から、そんな呟きが自然と出る。

 でも、今の二人は本当にまともじゃない。今朝方より拍車が掛かっている気がする。


 たまたま入ったのは普段は人の出入りが少ない会議用の一室。潜むには絶好の場所だ。

 だが、一難去ったことで俺は冷静になる猶予を得た。このまま隠れていては見つかる可能性は否定しきれない。では、此処を出た方がいいのではないか。



 流石に外まで逃げれば、捜索範囲が広まってかなり捕まりにくくなるとは思う。それでも追われるにせよ時間も稼げるだろう。

 だが、それを見越して出入り口を抑えられている線もあり得る。待ち構えていたら? リスクを冒すべきではないのかも。


 あれこれ考えていると、背後で物音がした。待て、物音も何も背後にあるのは窓と壁だけの筈だ。

 ということはつまり、音があるとすればそれは外から以外ありえない。

 しかし窓には足場と言えるものもなく、人では登って来られない高さの筈だ。



「みぃ・つぃ・けぇ・たぁ・ぞぉおおおお……♡」

「ヒィ」

 それほど、情けない声を出してしまったのはその存在を見てしまったからだ。

 いつのまにか、スーツ姿の狐巫女が外にいた。ヤモリのように窓に手で貼り付き、目を光らせる彼女には鬼気迫るものがあった。


 誰よりも見知った相手なのに身体中が総毛立ち、たまらず背を向けて逃走を再開する。

 俺は覚えている。鈴狐(リンコ)は施錠された窓を破らなくても、内側のつまみを開けることが出来るのは。そして離れてから遅れて開錠される音がした。


 甘かった。甘く見過ぎていた。この建物の中にいて見つからないなんて希望的観測に縋っていた自分を責める。

 恐怖に駆られ、なりふり構っていられなくなった俺は強硬策に出る。


 まず通路に戻った俺は、男子トイレへと急いだ。

 当然そんな程度の籠城じゃ限界があるのは分かりきっている。だからそこはあくまで脱出経路の一つ。


 壁際の内装により、備え付けてあった窓を目指していた。きっと今狐巫女は内部に侵入して追ってきている筈。

 だからそうしている内に高い階層故に防犯性皆無の窓枠に手を掛け、俺は外に飛び出した。地面から何十メートルも離れた高さより、今の彼女達に捕まる方が恐ろしかった。



 飛び降り自殺さながらに落ちていく俺は、『北斗』のビルと別の建物の壁面を蹴って街中へと逃げた。全速力だった。

 だが、逃げ切れると思ったらそれは大間違いだった。

「何処へ行くのぉ? 戻ろうよぉ♡」

「うわあああああああああ!」


 横合いで声が掛かる。瞬間移動でもしたとでも言わん気に、もう鈴狐がいた。

 あんなに飛び跳ねて、建物から距離をとったと思ったのに!?

 隣で並走した彼女を見て思わず叫ぶ。鈴狐から抱き着きという名の毒牙が俺に迫る。



 もうダメだ。そう思い掛けた時。

 身体が引っ張られる感覚を覚え、視界が勝手に動いた。狐巫女の両腕が空を切る。



「あるじ!」

「ああー! マカミぃ!?」

 腕を引き、別方向に飛んで俺を鈴狐から引き離したのは、狼少女だった。俺の中から出て来た。


「霹靂閃電(へきれきせんでん)」

 息つく暇もなく身体に雷電を纏い始めた真噛(マカミ)は、俺を抱えて動き出す。

 僅かに痺れながらも、まるでジェット飛行機にでも乗ったように、目が追い付かない速度で都市を駆け抜けていく。



 そうして逃げ回って数分。

 見知らぬ公園の滑り台トンネルの下、そこに一旦避難した俺は腰を抜かして立てなくなっていた。

 身体の震えが止まらず縮こまる俺を真噛は傍らで宥めた。


「……真噛……真噛は、まともなの?」

「うん、平気。あるじの恐怖、凄かったから出た。そしたらリンコ姉、おかしかった」

「マ、真噛ぃいいいい! こ、こわ、怖かったんだよぉおおお……!」

「だいじょぶ、だいじょぶ。あるじ、落ち着いて」

 いつもと変わらぬ彼女に俺はみっともなく抱きついた。受け止めた彼女はパタパタと尻尾を揺らしていたが、別段暴走する気配もない。よかった。本当によかった。



 速さという点では今の真噛が随一になっていたことが救いである。おかげで鈴狐達を撒くことが出来た。

「『北斗』、大分離れた。あるじ、隠れていよう」

「うん……あっ」


 ポケットの中から振動を感じ、携帯を取り出すとその画面に着信画面が映っていた。

 延々と鳴りやまない。愕然と眺めていると狼少女が取り上げる。

「目に毒。見ちゃダメ」


そうして預かったそれが俺に見えないようにしまい込む。

 しばらく、ひっそりと隠れる時間が流れた。お昼を買いに真噛が出た時も、鈴狐と白鷺が来るのではとビクビクしながら息を殺していた。

『北斗』を脱出して一時間が経過しただろうか。


「はい」そう言って差し出されたサンドイッチを受け取る。付近の店に売っていたものだ。

それを頬張り、途中で俺はぼそっと呟いた。


「このままホームレスになるのかな。これから寒くなってくるから堪えるだろうなぁ……」

「ないない」

「そしたら広場で観光客を見つけては鳩の餌やり体験させてお金をせびっちゃうんだ」

「あるじ、大袈裟」

「だって……」

「リンコ姉達、落ち着けば平気。もうすぐ元通り」


 いつになく頼もしい狼少女の説得に俺はただ頷くばかりだった。

 思えば、公園には特に良い思い出がない。親に追い出されて置き去りにされる場所だったり、今回逃げ込んだ先だったりとロクなことに利用していない。


 それから間もなく、事態に動きが訪れる。


「んっ、来た」

「来たって? まさかこっちに!?」

「違う、これ」と反応した真噛が携帯を取り出すなり、新たにメッセージがあったことを告げる。


 目を通すなり、俺の前に画面を向けた。そこにはそれまでとは打って変わってとても短い文面が映っていた。

『落ち着きました。反省して家にいます』

「罠だ! これは罠だ!」

「帰ろう。落ち着いたかも」

「無理! まだ昼間だし! 暴走しているかもしれないじゃん!」

「じゃ、わたしだけ行く? 先に帰る?」

「一人にしないでください!」


 俺は手を引かれ、自宅への帰路に向かわされる。


「た、ただいま……」

 先立った真噛が玄関口を開けるなり、二人はすっかり気落ちした調子で出迎えていた。


「すいません、アルフ。ようやく、覚めました」

「ごめんなさい。私達どうかしてた……」

「ジルバにも大分叱られましたよ……。今日はもう帰宅して欲しいと、促された次第で」

「……本当に、元に戻った?」

 おずおずと、鈴狐と白鷺は頷く。


「うぅ……非常に迷惑をお掛けして、申し開きもありません」

「アルくん、もう二度とあんなことしない。追っかけない。反省します」

 それぞれ今日しでかしたことにひたすら平謝りで、すごく居た堪れない様子を見せている。

 しゅんとした彼女達からして、もう今朝みたいに暴走することはないだろう。


「何か埋め合わせが必要なら言って。きちんと、償うから」

「どんな要求でも、お応えします……。アルフをこんな目に遭わせてしまったのですから」

 覚悟すら窺える姿勢は、きちんと重く受け止めている表れか。


 傍らにいた狼少女がちらりと目線を送る。許してあげたら? といったニュアンスが伝わってきた。

 俺も少し頭が冷えた。これも元はといえば悪意によるものではなく、純粋に好意が暴走したものだと判断出来る。ちょっと行き過ぎただけだ。



「追われた時は正直、滅茶苦茶怖かった。でももういいよ、普段通りに戻ってくれたなら」

「……ふぐぅぅごめんなざいぃぃぃ」

「ひーん、ありゅぐぅううう──なんでビクッってなるのォ!?」

「だから飛びつくのはやめろって!」

 勢いで駆け寄って泣きつこうとした為、思わずたじろいでしまった。若干、不意の飛びつきがトラウマになりつつある。


 しかし、そんなこんなで再び一緒になった俺達は居間に戻ってようやく一息ついた。

「一体何が原因だったんだろう。羅角(ラカク)さんでも起こった理由については分からなかったみたいだったし」

「そうですね。わたくしもさっぱりです」

「急にこっちが精霊界の濃度以上に濃くなるほど大量の精霊力が流れ込むっていう現象だもんねぇ。そんなこと、ある……」


 鈴狐が言い掛けて神妙な面持ちになり「まさか……」と呟いた時だった。

 男の声が、足元から聞こえる。

「そのまさか、ですよリンコ様。ああ、お久しゅうございます」


 一瞬狐巫女が小狐化してそこにいたのかと錯覚する程そっくりな狐の精霊獣が、我が家の中にいた。

 ただし、鈴狐よりも大分赤みの強い赤褐色の体毛で鈴ではなく太いしめ縄が結ばれている。前脚や耳が黒くて別だとすぐに分かった。


「この度人間界に降り注いだ精霊力は神視(・・)の余波にございます。あっしも今しがた確認したところですが、その影響は相当なものになったようですね」

「……ヤカン」

「貴方様への使いを命じられました。リンコ様、この野犴(ヤカン)と一度ウカ様のもとへのご帰還を願います」



『神命』による呼び出しが、鈴狐に掛かった。


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