決闘開始。放て、必殺リンコキック
平日の授業にしては、熱気が渦巻いている。
他の学年の生徒達も訓練場の席からこの決闘を観戦していた。
「へへ、怖気づいて逃げ出すかと思ってたんだがな」
ライアン先輩は野卑な嘲笑で向かい合う。絶対的な自信は昨日から揺らいでいない。
そして彼は己の精霊獣を呼び出した。
「さぁ出てこい真噛」
吹き荒れた一陣の風の中から現れたのは。蒼銀の体毛をもった狼。中位の精霊獣か。
相対する為、鈴狐も肩から降りた。
体格差は圧倒的。他人目からすれば、勝敗など見なくても分かるだろう。
それでも注目を集めているのは、ライアンの洗礼に受けて立った転入生がどんな人物なのかという好奇心からだ。そして、その場に出た小狐を見て誰もが諦観した。
ああ、これは単なる私刑で終わると。
「そのチビ、俺の精霊獣が数秒で捻り潰してやるよ」
「よろしくおねがいします」
試合前に叩く大口にも応じず、俺はただ頭を下げた。
前脚を組み、二本足で小狐は前へと進み出る。蒼狼も唸りながらじりじりと迫った。
審判の合図とともに、真噛と呼ばれた狼の全身が強張った。
「食い殺せ!」ライアンの指示に精霊獣は動く。
小柄な狐に容赦なく、強靭な口腔を開いて襲い掛かる。顎を閉じた時にバン! という大きな音が拡散する。ワニのような迫力のあるバイト。
人の腕なら簡単に食い千切ってしまいそうな威力を物語っていた。
鈴狐はひょいと、身軽にその噛みつきから逃れていた。その一部始終を見ていた女生徒は、間一髪逃れた様子に小さな悲鳴を漏らしているが、俺の目からだと全く危うげもなく回避している。
蒼狼は手を──正確には顎を休めずに小狐を仕留めようと立て続けに飛び掛かった。素早い。機動力は精霊獣の中でもずば抜けている。
だが、幾度も繰り出されたその歯牙は、小さな標的を未だ捉えずにいる。
「ちょこまか逃げやがってキツネじゃなくてネズミかよぉ! テメェも何やってんだとっとと狩れや!」
虚しく狼の攻撃が空を切る結果に苛立ち始めた契約主の怒号。前脚の引っ掻きや突進もことごとく鈴狐は小さな身体でいなしていく。
「全く、品が無いなぁ。ねぇアルくん?」
余所見すら始めた相棒は、俺の判断を仰ぐ。
「そろそろ行ってもいいよね?」
「任せた」
その隙に横合いから掻っ攫うような飛びつきが迫った。しかし彼女は跳んで狼の頭上を越える。一回転して背後に回った。
そして鈴狐は遂に攻勢に出る。
「ほんじゃま、火吐珠」
小狐の周囲から無数の紅の狐火が浮かぶ。円のように並んだバスケットボールサイズの火炎弾が、狼に目掛けて飛び出した。鈴狐は火の精霊魔法が得意だ。その十八番。
「躱せ!」
真噛もその身のこなしでやり過ごした。馬鹿正直に受けはしないか。しかし、その間に金毛の小動物は肉薄する。
「ずざざざざー」
自分で効果音を付けて、蒼狼の四肢の下に鈴狐が滑り込んだ。炎は目くらましであり囮だった。
回避で態勢を乱した狼の無防備な胴体目掛け、そのまま飛び上がる。
繰り出されたのは、いわば飛び蹴りだった。
「鈴狐爆裂脚ッ」
「──カハッ」
圧倒的な体格差でありながら軽い調子で蹴り上げられた狼は、そのまま宙を舞った。
重厚な落下音と共に、横倒しになった精霊獣。一撃で沈黙する。
「……は?」
唖然とするライアン。審判が決着の判定を一拍おいて戸惑いながら降す。
静まり返っていた周囲も、遅れて驚きの波が伝播する。
「う、うおおおおおおおおおお?!」
「あのちっこいのが一発で倒しやがった!」
「嘘だろオイ」
「ライアンの精霊獣がこんな簡単にやられるって何だアイツ!?」
「鈴狐ちゃんすげぇええええ!」
どんでん返しに観衆が湧いた。誰もこんなビジョンを想像しなかったのであろう。
そのまま雷に打たれたように立ち尽くした筋骨隆々の先輩の元へ、鈴狐は試合を始める前と同じく腕を組んで歩み寄る。
「さ、約束を果たしてよ。昨日の失言を謝罪するんでしょ?」
「テメェ、一体……」
「君が見下した雑魚精霊獣さんですよー? うーん今回はただのまぐれだったのかなー。ま、勝った事実は変わらないよねぇ」
言い切られたライアン先輩は言葉を失う。彼にはもう、選択肢はない。
やがて歯噛みした男は俺の元にやってくる。嫌々ながらに頭を下げた。
「認める。その精霊獣は雑魚じゃねぇ」
これにて揉め事は一件落着か。後はベル先輩に向けて謝罪させるだけ。ライアン先輩も、打ち負かした相手には下手に絡んでこないだろう。私怨で行動に移さなければの話だが。
しかし、頭身を上げた彼はこの後予想だにしない発言をしでかした。
「それで、いくらだ」
「へ?」
最初、それは賭け金とか謝礼金とかの話かと思った。そもそも何か金品を賭けた試合ではなかったし、別に賠償するような問題ではなかった為、戸惑いを隠せない。
「分かんねぇのか? いくらでその精霊獣を出せるかって聞いてんだ」
混乱は、更に深まった。この男は何を言っているんだ? いきなり、売買の話に持ち込んで来たのか?
「あのポテンシャルならそれくらいの値打ちがあるからなぁ。お前が一生遊んで暮らせるだけの大金ならいくらでも積んでやるよ。なぁ、ソイツいくらなら手を打てるよ? 意思疎通が出来るんだから簡単に解約出来るんだろ? 俺に譲れよ後輩」
「貴方、自分の言ってる事分かってるんですか?」
「当たり前だろう? 貴族だったら精霊獣は別段珍しいもんでもない。より良い品を手に入れるのは当たり前だろ」
「そうじゃなくて! そもそも貴方にはもう精霊獣がいるでしょう!?」
「お前の精霊獣に比べりゃいらねぇよ。こんな役立たず」
言い切った。俺の中で、鎮まり始めていた熱が再上昇する。
硬直しているこちらに構わずライアン先輩は商談を持ち掛けてきた。半ば強引に。
「そもそも保有出来るのは原則一匹だけってわけでもねぇんだ。まぁ、俺は一つの契約だけしか空きがねぇようだから、選定がシビアになるってもんよ。せっかく呼び出しで当たり引いたと思ったのに、このざまだ。乗り換える良い頃合いだわ」
「……」
「どうしたよ? ペットでも家族だみたいな貧乏人紛いな事考えてんのか? 愛玩動物を誰だって普通に高い金支払って飼うのに抵抗ねぇのになんで精霊獣だけ特別扱いなんだよ。売ればまた何ひとつも不自由のない金持ちに戻れるっつうのに何躊躇ってんだ」
「本気で、言っているんですか?」
「本気って何だよ? 金持ちは庶民と違って冗談で億単位の取引吹っ掛けるわけねぇぜ?」
鈴狐が戻ってきた。俺の代わりに見上げて先輩に言う。
「お金で契約主を変えるってこと?」
「ああそうだ。どうだ。お前も悪くない話だろ? 毎日何でも好きなもん食えるぜ? 食堂の不味い飯なんかよりよっぽどいいぞ」
「もしかして油揚げとか食べ放題!?」
目を輝かせる鈴狐。同調するように、先輩はメリットを畳みかける。
「おうおう好きなだけたらふくな。お前見どころあるからなぁ、優遇してやるよ」
「ふわあああああ! 良いなぁああ!」
「だとよ、精霊獣はノリノリだぜ? これなら合意の上で……」
「──でもさ」
小狐は話を阻害した。
「どんなに最高級で、どんなに質の良い油揚げを毎日毎日たくさん食べられるとしてもだよ?」
ライアン先輩を素通りして、俺の方に歩み寄る。そして振り返って言い切った。
「君と食べていても美味しいとは感じないなぁ。どうせ、餌付けくらいにしか思ってないんでしょ? 私はアルくんと食べるのが幸せなの」
斬り捨てた一刀。鈴狐は一蹴する。
今度は向こうが硬直する番だった。その間に鈴狐が俺の肩に飛び乗る。
「さ、行きましょ。ベルくんが待ってるよ」
「うん。……では失礼します」
「……ち、ちょっとまて! ばっかじゃねぇの!? こんなチャンスをみすみす逃すとかありえ──」
呼び止めようとするも、眼鏡の女教師が間に入って彼の行く手を阻む。オルタナ先生だった。
「試合は終わりました。次の対戦が控えておりますので、退場をお願いします」
「……チッ、戻れ真噛」
精霊獣を引っ込めてすごすごと引き下がる先輩を尻目に俺も戻って行く。
アレは、二度と関わってはならない人種であると今思い知った。
通路に短い銀髪の男装したベル先輩が迎えた。
「お疲れ様、アルフ君。鈴狐君」
「俺は特に何もしてませんから。頑張ったのは鈴狐です」
「本当に驚かされた。小さな身体で凄いんだね」
褒められてエヘンと胸を張る小狐。
「ただ、すいません。もしかしたら先輩にあの人、謝らないかもしれません」
「良いさ。あの手の輩には元々期待なんてしていないからね。人によってはボクを嫌悪するのも仕方ないことだ……」
やっぱり男女と言われ気色悪いとそしられたのは、内心傷付いているのだろう。最後の方の独白になりつつあった言葉には陰りがあった。
だから俺はフォローする。
「たとえ誰が何を言おうと俺はそうは思いません。むしろ先輩の立ち振る舞いはとても優雅で絵になるし、その制服もありだと感じます」
「アルフ君、お世辞は良いよ」
「いえ、本心です。男としても女としても綺麗ですよ先輩は」
「ベルくんカッコキレイかわいいね!」まるでチョコバニラミントのソフトクリームみたいに鈴狐が俺の言い分を後押しした。
照れているのか、先輩は手を口に当てて咳払い。
「ま、まぁ、ありがとう。そういえば、賭けによれば勝ったからには約束通り、親友にならないとな」
「そうなると、俺にとってこの学校で初めての友達です」
「……ボクもだ」
「え?」
「深い交遊関係はしてこなかったからね、知り合い以上で友達未満。皆そういう間柄だった」
もしかして、彼女は昨日のお昼もたまたま一人だったのではなくて、常にそうだったのだろうか。
俺と同じように、一定の距離を保っていた。
「こんなボクでよければ、先輩だけれど、構わないかい?」
「勿論です。こちらこそ」
躊躇いがちに伸びた白い手を、俺は応えた。本来の目的もさることながら、この人とくらいは友好関係を築いても問題ない筈だ。
「今後ともよろしくお願いします、先輩」
「……アルフ、と呼んでいいかな?」
気恥ずかしいのか、薔薇のように頬を紅潮させて横を向いたベル先輩に「是非とも」と快諾する。




