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小さな戦いの終わり

 突如目の前に生え現れた巨大な腕に、新二は度肝を抜かれていた。それは由緒ある御神木のように荘厳なオーラを放ち、それでいて何処となく禍々しさも漂う、何とも奇妙な生命体だった。金属特有の光沢を持つそれを「生命体」と表現するのはおかしいのかもしれないが、何かを探るように指を不規則に動かすさまを目の当たりにしてしまっては、さすがに「無機物」とは分類しがたかった。


「召喚陣から離れて下さい!」


 「左手」の声に我に返り、新二は指先を見ないよう努めながら屋上の端まで離れた。すると少年は左手の指を鳴らし、高らかに叫んだ。


「強位束縛、解除!」


 その声によって、折り畳まれていた大百足の身体はギシギシ音を立てて伸び始めた。そして銀色の腕をみとめるや、それを遠巻きに囲んで組み付こうとした、その刹那。


――グシャアッッ!


 銀色の腕は百足の顔を正面から掴み、そのまま握りつぶしたのだ。周囲に百足だった肉片と薄青い粘液が飛び散り、少年も新二も、その汚物を全身に浴びてしまった。そして銀色の腕は、まだ微かに動く百足の胴を戦利品のように掴み上げ、そのまま周囲の赤黒い液体と共に陣の中へと沈みこんでいった。そして後には、赤い煙を燻らし消えかけている魔法陣だけが残された。


「終わった……のか?」

「一応、これで終わりだね」


 魔法陣がすっかり消えてしまった事を確かめるように左手で床をなぞり、少年は新二に答えた。そしておもむろに懐から真っ黒なハンカチを取り出し片手で振り広げた。


「だがイコン君、いくら旧神ジ・エルダーの召喚自体が難しい事とはいえ、腕一本分の召喚陣とは、控えめ過ぎて実力派の君らしくないじゃないか、ええ?」


 少年は髪についた粘液を丁寧に拭いながらそう言った。その言葉には、話についていけていない新二ですら如実に感じ取れる程の皮肉が込められていた。「左手」が真っ先に返したのは、何処から漏らしたとも分からぬ溜息の音だった。


「あの程度の相手なら、腕一本の召喚で十分と判断したからです。あの時、旧神ジ・エルダー一柱分のスペルを書こうとしていたら、全て書き終わる前に食われていたでしょう」

「そうなのかい? 私はてっきり、私の書から腕一本分のスペルしか理解出来なかったのかと思ったよ。まあいい、隔離セパレート、解除!」


 少年は高々と掲げた右手を鳴らした。すると屋上を包んでいた暗幕はさっと消滅し、いつも通りの長閑な景色が現れた。

 

所有ポゼッションを解除しますので、本を手の上に乗せて広げて下さい」

「あ、あぁ」


 新二は左手の指先が視界に入らないよう、注意深く本を広げた。


転記ポスティング及び所有ポゼッション、解除! ついでに少しだけ復元リコンストラクション!」


 その詠唱によって、腕にはり付いていた文字は残らず本へとおりていった。ほっとして捲り上げていた袖を下ろしたのも束の間、新二の左手を強烈な掻痒感が襲った。何事かと本を退けた新二の眼に映ったのは、爪の中程まで復元されつつある人差し指と中指、そして骨が僅かに突き出た断面だった。


――見て、しまった。


 顔から一気に血の気が引き、新二の目の前は真っ暗になった。


   *


 同日夕方、新二は保健室の簡易ベッドの上で目を覚ました。赴任したばかりの養護教諭の話によると、新二は屋上へ繋がる階段の途中で、泡を吹いて倒れているところを発見され、運ばれたとの事だった。

 何故そんなところで倒れていたのかと首を傾げる教諭に対し、新二は困惑気味に言葉を濁すしかなかった。何故? 寧ろ自分の方が尋ねたいくらいだ。俺はいつも通り、自分の部屋で悠々と過ごしていただけなのだから――そう、それだけしか覚えていなかった。


(何してたんだ、俺は?)


 擦り傷一つない左手をしげしげと見つめたものの、新二の記憶が補完される事は無かった。


   *


「……彼は大丈夫みたいだよ。透視はもういいかい? イコン君」

「ええ。ありがとうございます」


 本の返事に頷くと、少年はイチョウの木からひらりと降り立った。


「じゃ、さっさと帰るとしようか」

「先生、詫びねばなりません」

「何だい?」

「仕事明けにお出ししていた紅茶とスコーンを出せない事です」


 少年はぴたりと立ち止まり、げんなりした顔を本へ向けた。


「改まって何を言うかと思えば、律儀を通り越してくどい子だね。女の子に嫌われるぞ?」

「一言余計です、ミハイル先生」

「はは、気にしてるのかい?」


 答えない本をさっと頭の上にかざし、少年は本の表紙を撫でた。


「君の入れた紅茶は香りが良くて飲みやすい。それを取り戻す為なら、私は何でもやってみせるよ。だから今後、仕事終わりのタイミングで謝るのはやめたまえ」

「……はい」


 神妙な本の答えによしと頷き、少年は右手で複雑な印を結びながら中庭の壁の前に手を掲げた。


旧印エルダーサイン、転移!」


 少年の詠唱と共に現れたのは、薄煙を纏いなびくカーテンだった。少年はその裾を持ち上げてくぐった。その先にあったのは彼らの生活空間だった。少年は振り返りもせず、指を鳴らしてカーテンを消した。


「……人間は、愚かですね」

「……ああ、愚かだな」


 本を書斎机の上にそっと乗せ、少年はそう答えた。

 最後まで読んで下さった皆様、誠にありがとうございます。

 題名から宇宙的恐怖コズミックホラーを期待された皆様には、平謝りするしかありません。触手じゃないんかい! とか、猟奇殺人も血みどろの儀式もないじゃん! とか、ツッコミところは多々ございますが、この作品における世界観なんだと割り切っていただけましたら幸いです。


 さて、少年と本の謎が残ったまま完結してしまった本作ですが、この続きは短期連載、不定期更新という形で書き続けていこうと思う次第です。お待たせしてしまい申し訳ありません。


 ここで、旧魔法エルダーについてかいつまんで書かせて頂きたいと思います。こちらは興味のある方だけお読み下さい。


 旧魔法エルダーは、旧神ジ・エルダーを敬う者達の使用する魔法です。基本的に複雑な図形やスペルを書く事で発動します。その方法は大きく二つに分けられます。


①.両手で「印を結ぶ」

 両手の指先を素早く細かく動かします。この動きは人それぞれです。空に三次元の図を直接書く人、某ラグビー選手のルーチンのように指を組んでじっとする人……と、様々です。これら一連の動きを「印を結ぶ」と表現します。

 基本的に、印が複雑であれば魔法の強度も上がります。ですが瞬時に発動するには、印をできるだけ簡略化しなければなりません。エルダー使いはより速く、より強い魔法を発動できるよう、日々研究と訓練を重ねているのです。


②.召喚魔法陣を書く

 強い敵に対抗する手段として、床か壁に魔法陣と専用の呪文を書きつけ、召喚の呪文を唱えます。普通は一柱全体を召喚するのですが、それにはかなりの時間がかかります。今回イコン君が書いたのは、ミハイル先生が考案していた部分的召喚の魔法陣でした。


 今の所決まっている設定はこのくらいです。細部は続編でまた変わってしまうかもしれませんが……。


 長くなりましたが、最後にもう一度。読んで下さった皆様、本当にありがとうございました!

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