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仮説の証明

 台所と書斎を何度も往復しながらイコンを質問攻めにし、重大な事実が判明した。

 イコンに見えている範囲は、人間のそれとほとんど変わらなかったのだ。すなわち、本の表側しか見えていないということだ。本を中心に空間全体を把握していると思っていた私にとって、最大の盲点だった。

 聴覚は人並み。嗅覚はほぼなし。表紙に触れた程度では認識できないが、本で机を叩く程度の衝撃ならば認識できる、といった具合だ。本当は味覚も試したかったが、紙が駄目になるので断念した。

 とにかく、だ。視界内の光と、人間の鼓膜に伝わる程度の振動は感知できている。ということは、人間としての視覚と聴覚は生きている筈だ。これならば、人間の身体を取り戻すという目標を掲げても良いんじゃなかろうか。

 書斎に戻り、その旨を当人に話してみたところ。


「全く。発想が飛躍しすぎなんですよ」


 冷たく一蹴されてしまった。まあ仕方ない。私に残った()()()()の理性も、ほぼ同じ事を言っている。この仮説が正しいと思い込むには、超・楽観的な思考回路が必要だ。そのくらい無理筋(むりすじ)な仮説。証拠も論証も不十分な現状では、馬鹿にされても文句は言えまい。


「……ですが」


 一転した温和な声に、しょんぼりしていた頭を上げる。


「その仮説、僕も証明してみたいです」


 一瞬()()()とする。あのイコンが? 私の無茶な仮説をすんなり受け入れた? そんなこと、記憶の限りでは一切なかった筈だ。


「……えーと、その……」


 本当は色々と尋ねたいところだが、へそを曲げられても困る。


「わかりますよ、先生の(おっしゃ)りたいことは」


 ぎくり。


「『風邪でもひいたのか?』か『魔力の流れがおかしくなったか?』あたりでしょう? 僕自身、その仮説の証明を望んでいることに驚いてます。先生は尚更驚いていることでしょう」

「う……」


 すっかりお見通しのようだ。イコンの洞察力を褒めるよりも、私自身のわかりやすさに恥じいるべきだろう。


「どうなんです? 僕の言ったことは間違ってましたか?」

「いや……うん。その通りだよ」


 しどろもどろに答えると、大きなため息が返ってきた。


「でしょうね。そういう顔してましたから」

「うう……。君って子は、少しは師に対して気遣いというものをだね……」

「失礼しました。そういうものは、本になった時に置いてきてしまったようです」


 すました答えに、返す言葉がない。彼が軽い冗談として言ったであろうことは、頭では理解している。けれど私には、彼が失ったものを、あるいは私の罪悪を、喉元に突きつけられたような悪寒しかなかった。

 私は、自ら負うべきものを彼に背負わせた。彼が生きているのは奇跡でしかなく、断じて、私の功績などではない。


「またつまらないことを考えてますね。その顔は」


 冷え切っていた彼の声が、段々熱を帯びていく。


「僕だって、できることなら元の身体に戻りたいと願っています。けれど、それは仮説の証明を望む理由じゃない」

「どういうことだい?」

「いいですか。貴方は、旧魔法だけなら誰にも負けない人間なんです。ならば、どんなに突飛な仮説であったとしても、それが事実であると証明する力があるはずです」


 その言葉に、目を丸くするしかない。

 本になってからの反応が、ことごとく冷徹だったイコン。そんな彼が今、明らかに彼らしくない思考をしている。

 そう、彼らしくない。子供っぽい一面とでも言えば良いのか。未知のものに眼を輝かせ、何気ないものに光を見出し、自己中心的に世界を広げていくパワー。彼が人間だった頃でさえ、あまり見られなかったものだ。だが何故だろう。私の中には、それを好ましく思う何かがあった。

 かつての私は、彼の大人びた言動を向上心の表れと捉えていた。だが、それは間違っていたのではないか。大人の私に合わせようと、無理して背伸びをしていただけなのではないか。

 彼は普通の子供らしい生活を経験してこなかった。私は言うべきだったのだ。「君は子供らしく振る舞えば良いんだよ」と。そして、彼が受けるべきだった愛情を提供してやらねばならなかった。

 

「聞いてますか? 僕の話」

「あ、あぁ。もちろん聞いてるよ」


 慌てて相槌を打つ。そうだ。実験を振り返るのは必要だが、後悔はいらない。大事なのは未来(これから)だ。

 

「そうだね。私の立てた仮説を、私が証明出来ない訳がない」


 襟を正して(イコン)を壁に立てかけ、向き合う。(つくろ)った笑みばかり浮かべていた子が見せ始めた本音。それに対し、私はどう返せるだろう。

 ボサボサになった前髪を横へ払い、私は努めて冷静に振る舞おうとする。


「だがね、イコン君。わかってるかい? 君の言い分も大概だ。全く理論的じゃあない。確たる根拠もないのに、何故そのように言える?」

「信じているからです、先生のことを」


 ……。

 即答、か。

 参った。破壊力が強すぎる。とっさに足を踏ん張らなかったら、きっと倒れていた。

 私の思考回路すら考えに及ばなかった、最大の賛辞。それを真正面から受け止めてしまって、本当にいいのだろうか。私はそんな期待をされて良い人間じゃないのに。

 ……いや、違う。

 私は彼の「光」だ。一番弟子である彼の言葉を、無碍(むげ)にするわけにはいかないのだ。


「そうか、わかった」


 (イコン)を手に取り、私は彼を目の高さに掲げた。

 この私が、と言いかけて、ふと思う。

 イコンがいなければ成り立たないこの証明。私一人で挑むわけではない。

 そう、今は、一人じゃない。


「今度は我々二人で、証明してみせようじゃないか。手伝ってくれるかい?」

「もちろんです」


 彼の声は湧き水のように澄み切っていた。

 いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 ようやく、ミハイルとイコンの将来に関わる目標が生まれました。イコンは身体を取り戻せるのか、ミハイルの仮説は証明されるのか。二人のこれからを、引き続き見守って頂けましたら幸いです。

 次回更新もひと月後にできればと考えております。お待たせして申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

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