試行
「まず、自分の力をきちんと把握したいと考えます」
一日考えた末、イコンは神妙に言った。
私には反対する理由などなかった。「光」として、彼の望む道を指し示すだけ。それ以外、今の私がなすべき事はない。
強いて言えば、慎重すぎる彼の態度に、言いようのない歯痒さを感じてはいたのだが。
「ならば実験してみよう。君の書の力、私も見てみたい」
私はイコンを庭へと連れ出した。ひどく寒々しい空気に肌が痛い。雲ひとつない良い天気だというのに、吐く息は白かった。
「庭で旧魔法を発動させてみようか。家の防護陣の中では、正確な測定が出来ないから」
庭に余計な召喚陣がない事を、私は目視で確認する。我が家の庭は、気がついた時に手入れするスタイルをとっていた。さすがに放置しすぎたようで、雑草の無法地帯と言いたくなる荒れ具合だ。自分を殺す研究に没頭し、手入れを怠ったのだから当然か。近いうちに雑草だけでも刈り取らなければ。
庭の確認を終え、私は懐から測定器を取り出す。懐中時計の形を模したそれは、旧魔法の発動を測定できる器具だった。針の初期位置は盤の一時方向で、術者の発動した魔力の強さに応じ時計回りに動く。私が過去に動かせたのは十一時方向まで。
さあ、イコンはどこまで針を動かすだろうか。
「大規模な召喚事故が起きたら、先生を巻き込んでしまうかもしれません。最初だけでも、家の中でやってみた方が良いのではないでしょうか」
私の腕の中で、イコンは微かに声を震わせた。
「心配無用だよ。旧魔法は専門分野だからね。召喚事故が起きたとしても、防護陣くらい即興で書けるさ」
私は自信を持って微笑んでみせる。そう、事故が起きたとしても、何の問題もない。
「では、サラマンダーを……」
「いや」
恐る恐るといった彼の声を、私はきっぱり遮った。
「今日はグノーメを召喚してみなさい」
いたって冷静に、私は言う。
息をのむ音。
しばしの無言。
冷え切った風だけが吹き抜けていく。
「……僕は」
喉の奥から絞り出すかのように、イコンは声を発した。
「グノーメを呼び出したことがありません。それに、大地の精霊は気難しいと聞きます。機嫌が悪い時は召喚者ごと更地にしてしまうとか。リスクが大きすぎます」
「大丈夫だよ」
イコンの表紙に描かれた幾何学模様を、私は優しくなぞった。この模様自体には効果も意味もない。今から行う召喚魔法は、文字となったイコンの魂に刻まれし「書の力」のみが作用する。
「私とほぼ同じ力を持っているのだから、私が召喚できるものは問題なく喚べるはず。グノーメが気難しいのは事実だが、正しく召喚すれば力の掌握は難しくない。心配しなくていい」
私が励ましても、イコンは迷っているようだ。
まただ。また私は、言い表せない焦りを感じている。それを悟られてはなるまいと、さらに慎重に微笑んでみせる。
「ふふ、やはり不安かい?」
「い、いえ! そういうわけじゃなくて! ただ……」
その先を言うのを、イコンはためらっているようだった。
「なんだい?」
できるだけ穏やかに、先を促す。
「……先生が生き急いでいるように、見えてしまったものですから」
思わず、目を見開いた。
イコンの言葉は時に核心を抉る。
「光」としての役目を果たさねばという一方で、私は潔く消えてしまえたらいいとも思っている。
運悪く召喚事故が起こり、運悪く防護陣が間に合わなかったとしたら。考えるまでもなく、私は死ぬだろう。それを私は、望んでいるというのか。
本当に?
いや、そんな結末は違う。
ヒトとしての私が、弱い私がそう仕向けた結果だ。決して、「仕方がなかった」「運がなかった」と諦めていいものじゃない。
私はまた、間違えていた。
足元の薄氷を踏み砕くところだった。
旧魔法の研究者として。
イコンの「光」として。
私は強くあらねば。
強いと自負できるだけの力を、今の私は持っている。その気づきは今まで感じたこともない、清々しい目覚めとなった。
「イコン君。私は、私と君、両方を守ると誓おう。だから、君の最大限、私に見せてくれないか」
イコンを強く抱きしめる。
本から感じ取れるはずもない温もりが、腕から身体に伝わるような錯覚。
聞こえるはずのない彼の心音。
――いや、あるいは?
「……わかりました。やりましょう」
観念したような声。
私は漸く、イコンを抱きしめた腕を解いた。
ふわふわした高揚感が、頭をぼうっとさせる。
私は試されていたのだろうか。
誰に?
イコン?
セラ?
神様?
いや、違う。
私を試せるのは私だけだ。
これは私自身からの挑戦状。
私が無意識に眠らせていた、弱くて脆い私からの。
私が殺すべきは弱い自分。決して、今この場にいる私じゃない。まだ「光」になれていない私に、人生の幕引きは許されない。
「グノーメの召喚魔法は、五十六ページの上の段だ。間違えないようにね」
該当ページを開き、私はきゅっと唇を結んだ。
焦りはもうなかった。
5月更新分の予定だったのですが、遅くなってしまい申し訳ありません!
6月分は下旬に更新できたらいいなと思っています。私事の方が忙しくなってきましたので、もしかしたら更新遅くなるかもしれませんが、ゆるりとお待ち頂けると幸いです。




