表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/33

秘めた心

 イコンは懸命に頭の中を整理しようとしていた。彼の思考を妨げていたのは、情報の多さや複雑さではなかった。

 イコンは親に殺されかけた過去を持つ。だがそれはミハイルに一言も言っていない。よってこの過去にミハイルは全く関係しない。その筈だった。


 だが今回の話を聞き、イコンの中で靄のような感情がたちこめつつあった。ミハイルが引き取った養女を死なせた事と、自分の過去。悪いことに、『親が子を殺す』という一点においてのみ、ミハイルとイコンは繋がってしまったのだ。

 ミハイルは子供を助けようとしたし、イコンの親とは事情が違う。理屈ではわかる。だがわかるだけなのだ。

 ミハイルの過去を許せない自分が、心の片隅で声にならない悲鳴を上げている。何故そんな感情が浮き出てきたのか、イコン自身にもわからない。


――先生は僕に大変良くしてくれている。それは確かだし、それでいいだろう?


 言い聞かせるように心で唱えてみたが、靄は晴れない。強引に無視を決め込むと、「悲鳴」はいくらか和らいだ。


「これでわかったかい。私は、君に心配される資格などない人間なんだよ」


 話が終わったと気づき、イコンははっと顔をあげた。起き上がっていたせいかもしれないが、ミハイルの顔色は話す前より悪くなっているように見えた。


「心配なんかしていません。そもそも心配するかは僕の自由です。資格とか関係ありませんよ」


 無愛想というよりも不機嫌に、イコンは答えた。ミハイルは黙って項垂れていた。そんなミハイルを無視して立ち上がり、イコンは粥のお膳を机ごとベット脇に寄せた。


「いい具合に蒸らせた筈です。余程具合が悪いという事でなければ、今召し上がってください」


 小鍋の蓋をあけると、ほかほかと玉子粥の良い香りが部屋いっぱいに広がった。イコンはミハイルの返事を待たずに、粥を器によそった。


「ああ、そうだね。早く食べて元気にならないとだし、頂こう」


 ミハイルが器とスプーンを手に取ったのを見届け、イコンは改めて椅子に座り直した。二人の視線は自然と交わった。


「……えっと、イコン君?」

「はい、何でしょう」

「私の食事を眺めているつもりなのかい?」


 ミハイルの目はビー玉のようにまん丸で、内に微かな当惑を秘めていた。


「いけませんか?」

「いや、いけなくはない。けれど、いつもの君なら他の家事をやりに出ていくと思って」


 沈黙が流れた。

 確かにいつもならば、速やかに台所へ下りていくところだ。ミハイルの過去に少なからず不愉快な感情を抱いている今なら、尚のこと。

 だがいまはそうしたくない。ここにいた方がいいという第六感めいた何かが、イコンを引き止めていた。

 イコンは小さく唸り、口を開いた。


「実は、こちらの部屋で読みたい本があるんです。先生がお粥を召し上がっている間だけで構いませんから、お借りしてもいいですか?」

「……まあ、構わないよ」


 怪訝な顔をしながらもミハイルは承諾した。イコンは机の上の平積み本から、魔法と錬金術に関係のありそうな本を適当に選んだ。


「ではこの本をお借りします」


 ほんの僅かに眉をひそめ、イコンは椅子に戻るなり本を広げた。ミハイルは既に粥を食べ始めていたが、イコンは一切視線を向けなかった。


「どうぞゆっくり召し上がってください。その方が長く読めますから」


 顔も上げずにイコンは言った。

 本を借りたかったというのは嘘だ。ついでに言うと、一人で食べるミハイルに気を遣ったわけではない。

 強いて言うならば、ミハイルが「幻覚」と称するものをこの目で確かめられるのではと思いついた、ただそれだけ。


 前提として、イコンは幽霊の存在を信じている訳ではない。けれど、そう呼ばれる類の何かが実際に見えている可能性はある。それはきっと、魔法や何らかの学問で説明できる物質の筈だ。それを確かめられるかもしれない好機。そうイコンは思っていた。


   *


 結果として、最後までイコンの目に「幽霊」が映ることはなかった。内心がっかりしながら、すっかり片付いたお膳に手をかける。その時、ミハイルが顔を上げた。


「ごちそうさま。美味しかったよ」


 その顔には、生気のない作り笑いが浮かんでいた。イコンの作った粥なのだから美味しいに決まっている。だがそんな理由で無理に笑ったのではないだろう。そうイコンは思った。


「それは良かったです」

「……ありがとう」


 かすれ声で、ミハイルは言った。おそらく、何か勘違いをしている。しかしその間違いに意味などなく、誤解を解く必要性は感じなかった。


「では今日一日、安静に寝ておいて下さい。時々様子を見にくるつもりですが、何かあれば呼びつけて構いませんから」


 ため息混じりにそう言い扉へ向かうと、背後から穏やかな返事が返ってきた。


「そうさせてもらうよ。今ならよく眠れそうだ」


 扉を開けながら振り返り、ミハイルの姿を確認する。ミハイルは既に布団にもぐり、こちらに背を向けていた。イコンは静かに微笑んだ。


「では失礼します」


 軋む扉の音が、いつもより重たく聞こえた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ