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夢にまどろむ

 そう、これは夢だ。

 魔法学校の制服を着なくなって久しいのに、この私は懐かしい制服を着ている。

 学生時代に使っていた木造の校舎なんて、とっくの昔に壊されているだろう。

 それに何より、私の隣で腹の立つ笑みを浮かべる少年。彼はもう……。


   *


「はは、君って本当に愉快だねぇ」

「そりゃどうも。私はちっとも愉快じゃないけどね」


 授業中に書き留めたノートに目を通しつつ、仏頂面で応じる。旧魔法の実技テスト直前だというのに、相手は無駄話をやめるつもりはないらしい。


「何でさ? 僕は君といると楽しくてしょうがないのに」

「勉強するしか能のない奴に対する嫌味? それ」

「そんな受け取り方をしないでくれたまえよ。これでも僕は、君を高く評価しているつもりだよ?」

「どうだか。君って自分以外の人間は凡庸だと思っているだろう? つまり、私もそのうちの一人って事じゃないか」


 私の言葉に、相手は心外だと言わんばかりのふくれっ面をしてみせる。


「僕は自分が認めた人間以外とは喋りもしないよ? それを承知で今みたいな事をのたまえるなら、君は論理的思考を早くバカンスから呼び戻した方がいい」

「……そういうところがあるよな。君って奴は」

「だろう?」

「褒めてないよ」


 もうため息しか出ない。ほんと、君ってやつは……。


   *


「またミハイルが人助けしてら。『幸福を与える者』は流石ですねぇ」


 皮肉屋の学生に捕まって散々嫌味を聞かされていると、ひょっこり「彼」が割り込んできた。


「なんだいその言葉は。僕の友人を褒める気があるのかないのかしらないけれど、言葉選びが下手くそだな、あはは」


 「彼」の顔は笑っていなかった。私は「彼」の二の腕を掴んで後ろへと引いた。


「私の事は良いから。気にしてない」

「まあ見てろって」


 私の肩を軽く叩き、彼はやっと笑った。


「そんな直接的な表現しか知らないんじゃ、呪文の質が落ちてしまう。ミハイルが凄い奴だってのを、この僕が正しく教えてあげよう!」


 そしてその後、休み時間いっぱい使って、「彼」は歌を歌ったのだ。

 そのメロデイはゴスペルに似ていて、歌詞は私の所業を褒め称える内容。それを即興で作っているようだった。

 時には重厚に、時には弾むように軽く。「彼」の歌は万華鏡のように美しかった。クラスのみんながほうと聞き惚れていた。


 そして更に、「彼」の歌は旧魔法の呪文を組み込んでいる風でもあった。魔法陣が発動するとまずいと思い、私は周囲を確認する。幸い、アクティブになった魔法陣は見当たらなかった。


 「彼」が歌い終わってすぐ授業がはじまってしまったので、私は呪文の事を聞けずにいた。授業が終わると、私は「彼」を廊下へ引っ張り出した。


「さっきの歌、詠唱が混ざってただろ。召喚事故でも起こしたらどうするつもりだ」

「流石は僕の親友だ。でも心配いらない。君がそう感じたのは、僕の詠唱を聞き慣れているからだよ」

「は?」

「さっきの歌に詠唱の一部が含まれていたのは確かだ。でもその単語はバラバラにして歌の途中に埋め込む形で使った。つまり、呪文の文言は使っているけれど詠唱の意味をなしていないって事さ」

「でも、なんでわざわざそんな事を……」

「決まってるだろ。その方が綺麗じゃないか」


 極めて当たり前の事を言うかのように、「彼」は大真面目に答えた。


   *


「僕にそんな気はないのに、家の都合で結婚が決まってしまった」


 彼が珍しく神妙な顔をしていると思ったら、そんな事を打ち明けられた。酒の席ということもあって、口が軽くなっていたんだろう。驚きはしたが、始めに思いついたのは素直な祝福の言葉だった。


「おめでとう。相手はどんな人だい?」

「……幼馴染。賢くしっかり者なのは認めるが、色々と口煩い」

「君の事を理解しているからこそ、口煩くなるんだよ。それに、君が本当に嫌なら断っている筈だろう?」

「はぁ、今の僕は結婚したい訳じゃないんだ。時間に干渉する旧魔法(エルダー)の研究がまだまだ忙しい時期なのに」


 少しだけ、心にもない意地悪を言ってみたくなった。


「じゃあ私が貰っても構わないんだな? その花嫁」

「……それは、少し、困る」

「はは、なら良いじゃないか。幸せにしてやれよ」


 肘で脇腹をこついでやると、彼は自信なさそうに微笑んだ。


   *


「君が……セラか。年は五歳、で良かったかな? お父さんから聞いてたよ。母親によく似て利発な良い子だって」


 子供は答えない。


「……急に知らない人間の家に住む事が決まってしまって、申し訳ないと思う。君のお父さんは、とても優秀な魔法使いだったんだ。学生時代からの友だった。腹の立つ事も確かにあったけど、憎めない奴だったよ」


 知らず、涙が溢れた。



   *



 その日のミハイルは、昼近くになっても降りてこなかった。心配したイコンが席を立とうとしたところで、ミハイルはようやく姿を現した。その顔は、突然の大雨で一張羅を汚したかのようにしょげかえっていた。


「おはようございます、先生」

「あー、おはよう、イコン君」

「あの、何かありました?」

「いや、何でもない、大丈夫だよ」


 そう答えるミハイルの顔は、全然大丈夫そうじゃない。首を傾げてみせたら、ミハイルはきまり悪そうに微笑んだ。


「ちょっとだけ、夢見が悪かったんだ。それだけだよ」

「ですが顔色が悪いですよ? 病気かもしれませんから、熱を測っては……」


 立ち上がった拍子に、イコンの膝がテーブルに当たった。テーブルの振動が食器を揺らす。


 そして砂糖壺がころり、と転がった。


 イコンが手を出すも間に合わず、それはテーブルの外へと転がり落ちて――


「時間固定!」


 ミハイルの声よりも、一瞬にして部屋全体を包んだ緑の光にイコンは驚いた。床には一面を覆い尽くす魔法陣が淡く浮き出ている。そこに書き込まれていた文字は、少なくとも旧魔法で使うものではなかった。


 旧魔法ですら十分な知識があると言い難いイコンには、魔法陣から発動効果を見抜く力はない。だが、テーブルの下から漏れる不自然な光に目をやって、それもようやく理解できた。

 光の元は、()()()()()()()()()()()()()()だった。


 ミハイルは重い足取りで砂糖壺のところまで歩いて行った。そして光り輝く壺を、その場でぎゅうっと握りしめた。

 恐らくは、あらかじめ壺に書いておいた魔法陣が床の魔法陣と連鎖反応し、物の時間を一時停止する魔法を発動したのだろう。発動タイミングと状況から考えるに、それが一番妥当だとイコンは思った。


「固定解除」


 ミハイルの声に、光は大人しく力を失った。ミハイルが手を持ち上げると、砂糖壺は何事もなかったかのようにミハイルの手に収まっていた。

 イコンは目の前で起きた事が信じられなかった。


 ミハイルは思いつきや浅慮で魔法を使う人間じゃない。前にミハイルの目の前で皿を割った事があったが、その時も「怪我はないね? 箒をもってくるからじっとしておいで」などと言って笑っていた。そんなミハイルが、必死の形相で魔法を使ったのである。


 さらに言うなら、ミハイルが旧魔法以外の魔法を使うところは見た事がなかった。

 ミハイルは勉強家だから、旧魔法以外の魔法にも精通している。それはイコンも知っていた。だがそれは知識としてのものであり、実践で使う事はほぼなかった筈だ。

 そんな魔法を咄嗟に使う程、あの砂糖壺は大事という事なのか。


「本当に、私は大丈夫。大丈夫だから……」


 ほっといてくれ。

 震える肩がそう言っていた。


 砂糖壺をテーブルの中央に慎重に、丁寧に置き。

 机から離れた身体が、ぐらりと傾く。


「先生!」


 イコンの手は握られる事なく、ミハイルは崩れるように床へと倒れ伏した。


   *


「ん、ここは……」


 ミハイルの部屋であれこれ看病の準備をしていると、ミハイルは目を覚ました。イコンは洗面器から取り出したタオルを絞り、ミハイルの額に押し当てて言った。


「はい、ダイニングで倒れたのでお部屋へ運びました。これから医師を呼びますから、大人しく……」

「その必要はないよ、イコン君」


 土気色の顔で、ミハイルは言った。


「でも、まだ具合が良くなったわけではないようです。体温計を使っても熱は高くなさそうでしたが、念のためにも」


 ミハイルはゆっくり首を振った。額のタオルが枕元へ落ちた。


「これはね、持病みたいなものなんだ。しばらく体調が良かったから、油断してしまっただけだよ」


 ミハイルは身体を起こそうとベッド柵に手をかけた。だが十分に力を入れられなかったのか、すぐにぱたりと倒れ込んでしまった。苦笑いを浮かべ、ミハイルは上目遣いでイコンを見た。


「事情を話してくれって顔だね」


 落ちたタオルを回収し、イコンは一つ頷いた。


「元気になってからお話を……と言いたいところですが、僕としても今聞いておきたい内容です。先生の持病とやらを把握しておかないと、今後似たような事が起きた時に困りますから、僕が」


 愚直に心配なんてしてやらない。その方がミハイルに反省を促せるだろうから。


「とにかく、玉子粥を作って持ってきますから、大人しく横になっていてください。いいですね?」


 イコンの念押しに、ミハイルは弱々しく笑った。


   *


 玉子粥の香りとともにイコンが部屋に戻って来ると、ミハイルは横になったままイコンへ顔を向けた。土気色だった顔はだいぶ良くなっていた。言いつけはちゃんと守ったらしい。


「いい匂いだなぁ」


 呑気そうに言ってみせるミハイルだったが、微かな声の震えは隠せていなかった。


「玉子は入れたばかりなので、蓋をして少し待ちます。では、話を始めてください」


 イコンはベッド脇の小さなテーブルに粥のお膳を置いた。そしてパイプ椅子を設置し、ミハイルの顔がよく見える位置に微調整して座ると、膝と手を組んだ。


「わかった。つまらない昔話になるだろうけれど、話そう」


 観念した顔で、ミハイルは口を開いた。

次回は一週間後の予定。

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