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家なしの少年と異端の魔法使い

 何年も前、イコンは親に捨てられた。

 いや、それは正確ではない。()()()()()()()()()()()()()()()と言うのが適切だろう。


 父親の最後の顔を、彼は一度も忘れたことはない。悲嘆に満ち、同時に諦念に支配された父親の顔。口減らしの為とは言え、冬山へ我が子をおぶって出かけ、殺さねばならなかった父親。確かに不憫だ。

 だがイコンは死にたくなかった。恐る恐る我が子の細い首へと腕を伸ばす父親。それを憐れむより、怒りの方が勝った。


 何故産んだ? 何故育てた? まだ親の顔も分からぬうちに捨てれば良かったのに、何故今になって殺すと決めたのだ。嫌だ。嫌だ。

 ――嫌だ!


 幼心に、理不尽な仕打ちへの憤怒が湧き上がったのは奇跡にも等しい。

 それは生存本能のなせる業だったのか。気づいたらイコンは、足下の礫を父親の顔面へと投げつけていた。そしてよろめく父を振り返りもせず、イコンは山中へと駆けた。


 山での暮らしが過ぎるのは早かった。何年暮らしたかは覚えていない。夏はひたすら山で食料を探し、ごく稀に遭難者の遺体を見つけると、埋葬ついでに服をはぎ取った。時には小動物を狩った。そのうち一頭の狼と親しくなり、冬の間は狼の群れで暖をとらせてもらうようになった。一時的にでも共にいたお陰か、警告の遠吠えだけは理解できるようになっていた。


 ある秋の日。どうしても食べ物が見つからなかったイコンは、畑の芋目当てに馴染みの山を降りた。だが降りてすぐに大人達に見つかってしまい、イコンは見知らぬ山の方へと逃走しなければならなくなった。


 迷い込んだ森の中で見つけたのは、そこそこ見栄えの良い一軒家だった。下手なりに手入れされた植木から人の存在を察する余裕は、イコンにはなかった。

 台所に電気が付いてない事を確認し、ガラスを割らぬように慎重に、緩んでいた窓をこじ開ける。


 早く、早く。村人に見つかる前に隠れなければ。


 心臓の音が煩くて、家人の気配が近い事にも気づかなかった。イコンが人影に気づいたのは、くぐった窓を閉め終えて階段の上へと顔を上げた時だった。


 高鳴っていた心臓が耳から転がり出ていった感覚。全身の毛穴から噴き出す汗が、シャツとズボンを容赦なく濡らす。たとえ漏らしていても気づかない程度には、全身びっしょりだった。


(み、見つかった……!)


 思わず息を止めて立ち竦んだ。人影は、イコンが気づいてまもなく階段を降り始めた。その足取りは覚束なくて鈍重だった。


「ふーん、珍しい事もあるもんだねぇ、ふぁあ」


 大きなあくびを一つし、人影は棒立ちのイコンの横をずるずると抜けた。そして流し台の前へ立つと、蛇口から水を出し、一口飲んで口を拭った。顔は暗闇に溶けてよく見えなかったが、声は男のものだった。


「おかしな事をする気がないなら、一晩眠る位は許そう」


 男の声からわかった事は二つだけ。今ものすごく眠くてしょうがないという事と、イコンにさして興味を持っていないという事。それは絶大なる幸運だった。


「あ、ソファの上に敷いてあるふっかふかの毛布は、私のだから貸してやらないよ。尤も、勝手に妖精が潜り込んでるなんて事があったとして、私は特に気にしないがね」


 最後にあくびまじりのおやすみを言って、男は階段の上へと去っていった。結局男の顔はよく見えなかったし、向こうもこちらの顔を見てはいなかっただろう。


 イコンは、遠慮なく毛布にくるまり眠ることにした。


 *


 翌朝。


「え、人間? 嘘、えぇ……」


 頭上からの声に、イコンは毛布を蹴飛ばし跳ね起きた。次いで周囲を念入りに見回し、最後に昨夜の事を思い出す。

 目の前には、ぽかんとしている白髪混じりの男が一人。

 ついでに床へ落ちる毛布が一枚。

 男の声は、昨夜の人間と同じ。


 思考が血と共に頭を巡ると、イコンは落ち着きを取り戻した。

 眼前の男は、イコンが大人しくソファにかけたのを見届けてようやく我に返ったようだった。


「どうして……じゃない、えっとー、まずは名乗ろうか」


 こほんと一つ、咳払いし、男は寝巻きの裾を軽く整えて膝をついた。


「私はミハイルという。君の名前は?」

「イコン」

「イコンは男の子だね。ここに来た経緯を、教えてもらえるかな?」


 ミハイルは戸惑いながらも、状況整理に努めているようだった。ダークグレーの瞳は、兎のように穏やかに、油断なく光っていた。


「別の山で暮らしてた。昨日村人に追われてここに」

「山の中で暮らしてたにしても、その服はどうしたんだ? ボロボロだし、サイズも合っていないようだ。親は?」

「小さい頃に離れた。僕が邪魔だったんだろう。と、思う」


 そう答えると、ミハイルはうっと気まずげに目を逸らした。


「はぁ……そうか」


 ミハイルは頭を軽く掻き毟る。こめかみがひくついているのが、遠目にもわかった。


「こちらの言葉が理解出来るのは不幸中の幸いか。とにかく、まずは湯を浴びておいで。服はこちらで用意しておくから」


 言われた通りに風呂場で湯を浴びる。温かい水は存外に気持ちよかった。家にいた時の記憶なんてほとんどないから、これが初めての湯浴びと言えるのだろうか。


 風呂から上がると、速やかにバスタオルで全身マッサージをされた。「大型犬を拭いてやってるみたいだなぁ」との声は、勿論ミハイルのもの。イコンにとっても心地悪いものではなかったので、黙ってされるがままになっていた。


 用意された服を着終わると、テーブルの向かいに座るよう指示された。


「この辺りは村人も入ってこないから、暫くは安心していいだろう」


 自身へ言い聞かせるように、ミハイルは言った。イコンが起きたばかりの時点に比べると、かなり落ち着きを取り戻しているようだった。


「私は『異端の魔法使い』と呼ばれていてね、ここの村人とはろくに話した事もない。でも、多分怖がられていると思うよ。失礼な話だよね、私は単にここで実験してるだけなのに」


 ミハイルの言葉に胡散臭さを感じる程度の危機感は、イコンにはない。あったのは、今ここが人生を変える場だという直感だけだった。


「僕、行き場がない。この家に……えっと、えっと」

「置いて欲しい、と言いたいのか?」


 ぶんぶん頷くイコンに、ミハイルは渋い顔になった。出ていけと怒鳴られるかと、イコンは思わず肩を竦めた。

 だが怒りの声は落ちなかった。不気味な静けさの中で、恐る恐るミハイルの顔を伺う。ミハイルは渋い顔のまま、泣きそうに顔を歪めて俯いていた。


「子供の声を振り払うのは、とても罪深いことだ」


 一瞬、父親の顔がよぎった。心の内を読まれたのかと、イコンは驚愕の眼をミハイルへ向ける。だがミハイルはイコンを視界に入れていなかった。部屋が寒いわけでもなかろうに、ミハイルの肩は震えていた。


「全く、なんて因果だろう」


 絞り出すようにそう言って、ミハイルは顔を上げた。軽く充血した眼には、決意の光が灯っていた。


「わかった。一年間の滞在を許可する。そのかわり、家事全般は出来るようになる事。その他、興味のある事柄をどんどん勉強する事。何も思いつかないならば、とりあえず旧魔法を学んでみればいい。様々な学問に通ずる、この世界の基盤を築いた魔法だからね」


 最後の言葉は、どこか誇らしげだったように思えた。


 *


 旧魔法とイコンの相性は、思いのほか良かった。平面魔法陣による召喚のために必要な文字を数日で覚え切り、召喚自体は練習を要したものの、事故を起こす事なく成功させた。

 普通ならば、紙が焦げる程度の些細な召喚事故くらいは経験する。だがイコンは呼び出せない事こそあれ、召喚事故だけは絶対にしなかった。

 ミハイルの課題が超基本的な内容だった事、および防護陣を置いていた事を考慮しても、その結果はミハイルを大変満足させた。


「いいかい、知識はいくらあっても良いものだ」


 二階の研究室へイコンを招き入れると、薄い板のようなものを渡し、ミハイルは言った。


「どんなことでもいい、知りたいという欲求のままに調べなさい。一般的な知識をざっくり調べたいなら、まずこのタブレット型コンピュータを使うと良い。今は便利な時代だからね」


 イコンは受け取ったタブレットをためつすがめつ眺め回した。こんな薄っぺらい板の中に知識の泉が溢れているというのが、不思議でならなかった。


「嬉しいです、大事に使います」


 試しにひらがなを打ち込んでみる。居間でミハイルが使ってるところを見ていたイコンには、難しい操作ではなかった。イコンはすっかり嬉しくなった。


「これを使えば、旧魔法の事も調べられますか?」

「流石に旧魔法の事は出てこないだろうなぁ。数百年前ならまだ盛んな学問だったけれど、今では学ぶ者もごく僅かになってしまったからね」


 背後の大きな書棚を見上げ、ミハイルは微笑んだ。


「旧魔法の事なら、ここの本で調べるのが一番早いかな。本をめくって調べるってのは、とても面白いものだ。いつでも入れてあげるから、調べ物がある時は言いなさい」


 ミハイルの言葉には包みきれない喜びと興奮があった。寝食を忘れて本に没頭するミハイルの姿は、想像に難くなかった。


「調べても分からない時は、分かるためのヒントを出してあげよう。それくらいなら、今の私でも君にしてあげられるだろう」

「はい、頑張ります。ありがとうございます」



 *



「半年前までは山の中の事しか知りませんでした。ここで学ぶのはとても楽しいです。拾って頂いた事、いくら感謝してもし足りません」


 イコンはしみじみと言った。それを見つめていたミハイルは、低く呟いた。


「そうか、半年か」


 ミハイルの声はどこか悲しげで、だが同時に強い意志のようなものを感じさせた。まるで明日いなくなってしまうかのような。


「どうかしましたか?」

「……ううん、何でもないよ。さ、早く洗濯物を干して、二時限目を始めるとしよう」

「はい、今日はいい天気らしいので、きっとよく乾きますね」


 ミハイルの事が気にはなったが、イコンはミハイルに笑いかけた。ミハイルも、ゆるく微笑み返した。


 なお、同日の授業でイコンは変わった訓練をさせられる事になるのだが、それはまた別の話である。

今度こそ、次回更新は約一ヶ月後になります。

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