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不審な少年

「さぁ、行くよ。イコン君」

「はい、先生」


 少年は、壁に描かれた魔法陣へと一歩、踏み出した。


   ***


 内田新二にとって、その日は私立しりつりょう高校への数少ない出勤日だった。

 非常勤講師として彼が受け持つ授業は年間を通して十時間程度。学校の規約上、彼はその授業さえちゃんと行っていればそれで良し、という建前になっていた。

 だがこの教師、全く教える気概のない事で有名だった。

 授業は作り置きのプリントで自習、テストは使い回し、不合格者は追加プリントを配っただけで合格にしてしまう、生徒からの質問は一切受け付けない……と、その手抜きな勤務態度は、他の教師から「非常識教師」と呼ばれ問題視されていた。

 もっとも、生徒からしてみれば「受験で使えない科目の担当はちょろい方が有難い」と言う意味で、実は密かに好まれていたのだが。

 とにかく、だ。その日は彼が微々たる給料の為に出勤する有意義な日。

 ――の、筈だったのだ。


(勤め始めて二年経つが、ここの生徒は本当にやる気が漲ってるなぁ……)


 目をキラキラ輝かせ、颯爽と脇を歩き抜けていく制服姿の高校生達を横目にそんな事を考えながら、新二は生あくびを噛み殺した。

 彼は襟ぐりの伸びきったパーカーをだらしなく着崩し、皺だらけのジーンズの裾を引きずり、靴底の剥がれかけたスニーカーで歩いていた。髭は全体的に剃り残しが目立ち、髪はボサボサ。その姿はどう見ても寝起きでコンビニに向かうニート。とてもじゃないが、まっとうな高校教師の通勤スタイルには見えなかった。

 校門をくぐったところで生徒指導主事の苦々しげな視線が飛んで来るが、会釈しただけでこれをスルー。迷わず職員室出入り口の壁に設置されたボックスへ。その中から目当ての鍵を取り出すと、誰に挨拶するでもなく、彼はまっすぐ自分の部屋へと向かった。


 資料室――とは名ばかりのガラクタ部屋――の鍵を開け、たった一つの窓を全開にする。そして窓際の丸椅子にどっかと腰を下ろし、新二は漸く一息ついた。

 埃っぽい事とネット環境がない事にさえ我慢出来れば、人の出入りを気にせず独り気ままに過ごせる。新二にとってこれ以上過ごしやすい部屋はなかった。

 はみ出し者の「非常識講師」にあてがう机など我が校の職員室には存在しない、という学校側の露骨な嫌がらせも、新二には全く意味を成さなかった。


(しかし、午後しか授業ないのに朝から学校にいなければ出勤扱いしないなんて、非合理的な規則だよなぁ……)


 考えても仕方のない事が頭に浮かんだが、新二はそれを大きなため息と共に吐き出し、頬杖をついて窓の外を眺めた。そこからは校舎裏の中庭がよく見えた。

 空は広く晴れ渡り、イチョウの木が青々と葉を茂らせている。それをただぼうっと眺めて過ごすのが、この学校における彼の癒しだった。暫くの間、彼は心地よい風が頬を撫でる中で微睡んだ。


(他の奴らが授業してる時にこうやってのんびり過ごしているってのは、ちょっとした優越感……ん?)


 ふと視線を下へ落とすと、裏庭を歩く一つの人影が目にとまった。擦り切れたローブを目深に被っており顔は見えなかったが、あまり高くない身長と小汚い服からして、我が校の生徒や教師とは考え難かった。

 片手に古めかしい装丁の本を数冊抱え持った状態で、其奴は地面に空いている方の手をかざすと、何度も握って開いて、指を立てて折って、を繰り返した。まるで五指を器用に使って複雑な図形を描いているように、新二の目には見えた。

 一通り動作を終えると、其奴は満足そうに頷き、新二のいる窓のほぼ真下――校舎の裏口がある場所――から舎内へと入っていった。頭上から見下ろしていた存在には気づかなかったらしい。それにしても……。


 怪しい。怪しすぎる。


「何なんだ? あの妙な格好は……」


 新二は首を捻った。遠目で見る限り中学生位の背格好に見えたが、そんな人間が何故高校の敷地内にいるのか、何故授業中に中庭をこそこそうろついているのか、皆目見当がつかなかった。だが、今の問題は一つだけ。

 もし騒ぎが起きたら、ささやかな優越感に浸れるこの時間がぶち壊しだという事だ。


(流石に授業中の教室へ乱入なんて、馬鹿な真似はしないだろうが……大事にならんうちに注意しておくか)


 よれよれの長白衣を肩にかけ、新二は資料室のすぐ隣の階段から下へと降りて行った。

 授業をしている他の教師の声が遠くに聞こえる中、一つの足音がひたひたとこちらへ近づいて来るのがわかった。階下をちらと覗いたが、まだ姿は見えない。

 急がなくてもすぐ捕まえられるだろうと、新二は悠々と階段を降りて行った。そして足音と同じ方向から聞こえてくる小さな話し声に、新二は耳をそばだてた。


「君は本当に口が減らないな!」

「しーっ‼︎ 声は消せないんですから、大きな声を出したら気づかれます‼︎」

「君こそうるさいんだよ‼︎ 急がなきゃいけない事くらい何度も言わなくたってね……」


(……足音は一つなのに、話し声は二つ⁇)


 聞き耳したまま首を傾げたその時だった。


 ――ドンッ‼︎


 不意に見えない何かが腹にぶつかり、新二は驚いて派手に飛び退いた。その結果、踊り場の壁に勢いよく後頭部をぶつけてしまった彼は、出来たてのたんこぶをさすりながら顔を上げた。


「痛たた……」


 目の前には一人の人間が尻餅をついており、その傍らには本が散乱していた。すり切れたフードと古めかしい本。間違いない。さっき中庭でうろついていた奴だ。だが直前まで目の前には誰も居なかった筈なのだ。当然新二は面喰らった。


(いつの間に上ってきた⁉︎ てか白っ⁉︎)


 新二を更に驚かせたのは、脱げ落ちたフードの下から現れた、精練された絹糸のように真っ白で艶やかな髪だった。しかしその髪の下から覗く顔はというと、見事なまでの白髪には全く似つかわしくない、幼さの残る少年のそれだった――胸が平らだから少年だ、多分。

 唐突な出現に新二が思考停止している中、相手は顔を上げると狼狽を露わにした。


「やばいっ、見つかった‼︎」


 少年は傍らの本をひっつかみ、慌てて階段を駆け上っていった。新二は声をかけるでもなく、その後ろ姿を見送ってしまった。


 三拍ほどおいて。

 当初の目的を思い出した新二は、苦々しく舌打ちした。


「しまった、彼奴を捕まえようとしてたんだった。面倒くさいな……」


 やれやれと首を振り、踊り場へ目を落とすと、そこには一冊の本が残されていた。新二は何の躊躇もなくその本を拾い上げた。


「さっきの子供が落とした本か」


 左手で背表紙を握りこむように持ち、外観をしげしげと観察した。しかし牛革のようなベルトで留められている事と、少なくとも日本語の書物ではなさそうだという事以外、新二にはさっぱり分からなかった。表紙に描かれた幾何学的な模様を軽くなぞると、一瞬。

――バチッ‼︎

 静電気よりも僅かに強い痛みが指先を走った。本を落としはしなかったものの、新二は反射的に右手を引っ込めていた。


 気のせい……だよな?

 妙な薄気味悪さを感じながらも、恐る恐る本を開こうとした、その時だった。


「うわぁ……何て生気のない……これじゃ魔力源にはならないな……」


 ん? 何か聞こえたか? 


「いいや、この際贅沢は言えない、お願いです‼︎ 僕を連れて行って下さい‼︎」


 人の声⁉︎ 何処から⁉︎

 新二は踊り場から身を乗り出すと上を見上げ、下を覗いた。だが人はおろか、生物の気配すら何処にもなかった。


「貴方が持ってるこの本ですって‼︎」


 ()れた声に本を二度見する。

 本が、喋った……だと?


「説明は後でゆっくりします、今は先生を追っかけて下さい‼︎」

「先生?」

「さっき僕を落としていった馬鹿ヴァカの事ですっ‼︎」


 待て。

 本の分際でどうやって「ヴ」を発音しやがったんだこいつは。

 受け入れ難い現実に頭が追いつかなかったせいなのか、酷くどうでもいいところが気になった。


「多分屋上です、行って下さいっ‼︎ 早く!」

「……」


 行くしか、ないのか。

 自分を急かす本を目の前に、自分の頭がおかしくなってしまったのだろうかと、新二は唇を歪めて笑みを浮かべた。

 初めましての皆様、そして他の作品を読んで下さっている皆様、この度は「エルダーサイン」を手にとって頂き、誠にありがとうございます。他作品の執筆に煮詰まっており、その息抜きにと魔法全開のファンタジーを書かせて頂きました。短い連載になると思いますが、最後までお付き合い頂けましたら幸いです。

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