デュッセルドルフの針金師たち
冬のアルトは日暮れが早い。場所取りは日暮れから始まる。
12月にはいると夕方4時半ごろから場所取りだ。あまり早
く行ってもまるで雰囲気が合わず。すぐポリスに通報される。
日が暮れて雰囲気ががらっと変わりどの店も忙しくなりかかる
直前がベストなのだ。一番角は常連のドイツ人3人のうちの一人
が必ず取る。両脇にイタリアンヒッピーとフレンチヒッピーが
定番なのだが、時々誰もいないことがある。縁日や石松がそれに
並び、あと入れ代わり立ち代りオランダやイタリア系フレンチや
アラブ系等全部で十数軒が並ぶ。金都の夫婦も顔なじみになって
きてすこしずつ一番角に近づいてきた。常連のドイツ人たちは古
くからのヒッピーらしく、マリファナ狂で作品も今ひとつだ。
なんどもつかまってはすぐに戻ってくる。ここは自国なのだ。
イタリア人は何人かいたが作品も販売パフォーマンスもとにかく派
手だ。可愛い子が来ると商売よりナンパが優先らしく、さっさと店
をたたんでディスコへ行くようだ。かなりいい加減で常連はいない。
キプロスという好青年がいて、彼はすぐいなくなったが、実にすば
らしい作品を作っていた。後日彼の作品のひとつをさらに改良して
超ヒットのベストセラー”太陽”が誕生する。
さて問題なのは、アラブとイスラエル。とにかくいつももめていた。
それがこうじてクリスマスの夜に大乱闘事件がアルトで起こるのだ。
これは新聞にもでかでかと載った。
デュッセルドルフの針金師は少しずつだが着実に増えてきて、
その国際色の豊かさと作品群のすばらしさとで
アルトの名物になってきた。
南フランスから来たおとなしい少女が時々小石のペインティングを
売っていた。ユースに泊まって一人こつこつとペイントをしている。
名前をパフという。彼氏はいないみたいだ。ある時朝目覚めてみる
と彼氏はベッドから消えていてそれっきり帰ってこなかったそうだ。
ヒッピー仲間の女性はこのパフとマメタンくらいだったので、時々
ホテルにも泊まりに来た。ダンボールで一杯の狭い部屋で二人は
おとぎ話をするようにぽつぽつとおしゃべりをしていた。この頃は
日本人グループは3つあって。石松縁日金都の夫婦組とよれよれ
ジャガー、日本館組。それにベルリン獣医組だ。
よれよれは刑務所から出てきてアルトに復活した。ある晩、一番角
をよれよれが取っていた。ドイツ人とは古株同士で顔なじみなのだ。
挨拶がてらその作品をまじまじと見つめたが、縁日のほうが上だ。
その日、日が暮れてしばらくして、さあこれからだという時に、その
よれよれが我々の布の上を跳び走って「ポリスや!」と叫んで消えた。
すぐにたたんで待つことしばし、確かにポリスカーはいつものように
来はしたが、緊迫感もなくのろのろと去っていった。刑務所帰りの彼
にはポリスカーの青ランプがよほど恐怖に見えたのだろう。
ベルリンと獣医はベルリンヒッピーの流れでいやな二人だった。かっ
てに5マルクに値下げしたりして皆からひんしゅくものだった。
どこにでも必ずいるなこんなやつ。