チロルの山の中で−2
途中イタリア行きの有料道路に入りかかって、
バックバックまたぶつかりそうになる。
もう事故らんとこな、おじさん。
「イッヒメヒテアルバイト」(仕事ありますか)
何度も必死で練習する。さあインスブルックだ。
アルプスの少女ハイジが出てきそうな
山間の工事現場で声をかけてみた。
いきなりボスが出てきて明日からこいとのこと。
二人は跳び上がって喜んだ。
さあ仕事は決まったことだし、祝杯をあげよう。
その夜はインスブルック市内のヴィーネンバルト
(ウィーンの森)というファミリーレストランで乾杯。
すると、チロリアン風の生バンドが、スキヤキ
(上を向いて歩こう)を演奏してくれた。
どうして日本人と分かったんだろう?さて、
翌朝から猫車とセメントと穴掘りの毎日が始まった。
秋で大忙しの現場がいくつもあって、
毎日があっという間だった。
そうしたある晩、インスブルックの体育館に、
ウドユルゲンスという、当時西ドイツNO1の
ポップシンガーのライブを見に行った。
星散りばむチロルの山々、山深い谷あいの町に、
ともし火の集まりの如くウドユルゲンス。
すばらしい歌声とピアノの協奏曲。
日本ではドイツの歌手などほとんど知らないのではないだろうか。
森と泉に囲まれた”ブルーシャトー”が聞こえてくるようだった。
11月にはいるとチロルはもう冬の気配だ。
やっと1か月分の給料をもらう。
なんと数百シリング(日本円で3万円くらい)。
何じゃこりゃあ。早くミュンヘンへ行こう、おじさん!
ボスに丁寧に挨拶をし、トルコの口ひげ仲間たちにも
別れを告げてミュンヘンに向かった。
この頃わが愛車はもうぼろぼろでブレーキの利きも悪く
廃車寸前。なんとしてでもミュンヘンで、
仕事を見つけなければ、と必死だった。