消極的彼女
「もうすぐ卒業だね」
「そうだな」
部活の顧問の先生に呼び出されて、帰り道、私は好きな子と二人きり。だから何、ってわけだけど。
「あゆいちゃんって三葉大だっけ?」
「ああ、うん。そうだよ」
だから何、です。
後輩の南木春ちゃんが彼といい感じになってるのに、私は焦るばかりでなにもできなかった。
ミナミちゃん。部活。
私。部活、学年、クラス。修学旅行では一緒の班。
そんなに接点ありながら、何もしてないなんて私は何なんですか。
あれですか。
そうですか。
「消極的彼女」
これですね。
「ふう……」
中学二年生の時に陸上始めて、短距離を頑張ったけどうまくいかなくて辞めて。長距離に転向したら、少しはマシだったから高校でも続けようと思った。
入学して、入部して。そして彼と出会った。第一印象は最悪。私は必死なのに、ふにゃふにゃとやる気のかけらも見せない、仲間とふざけながらの部活。
遊びじゃないんだよ―――そんな、気の弱い私には言えず。何が出来るのかと思えば、無視して黙々と走るばかり。
彼らには腹が立っていた。
でも。
「かっこよかったなぁ」
二年生になり、後輩が出来た途端に真面目になった。真面目とまではいかなくても、真剣になって。遅くまで居残ったりしてた。
気になって覗くと、薄暗いグラウンドに……
「二人!?」
ちょっと。ミナミちゃんがいた。ミナミちゃんと二人きりじゃん。
私は今更気付いた。
その差じゃないか。彼とミナミちゃんだけってことは、それだけ同じ目的の、共通の時間を過ごしたってこと。
「うわ、うわわわわっ」
そんな、私勝ち目ないじゃんか!
いやいやいや、でも練習中に会話するのは……
「私でもできたよ!」
そう、別に私と変わらない……
「帰り道一緒じゃん!?」
いやいやいや、大丈夫大丈夫。
「どこが大丈夫なの!?」
空しい一人ツッコミ。
「つっこんでよ。一人じゃ淋しいよ」
淋しいのは、本当に。
あの人を想って、変なこと言って、落ちこんで。
私はどうすればいいんだろう?
「告白……かな」
そんなの、私にはできっこない。
そんな度胸、少しも無いんだから……
日に日に少なくなってく、自由登校の人数。彼がいるから。そう期待したら、やっぱりいなかった。
もうすぐ卒業式だ。その日になれば、絶対に会える。
私はしょんぼりしながら教科書を鞄に詰めた。重たくなった鞄を背中に背負う。
はあ。気も重いな。
「あれ、あゆいちゃん」
「へえ!?」
生徒玄関で彼と鉢合わせした。鉢合わせ、鉢合わせ、ああ、落ち着け私。今みたいなすっ頓狂な声はダメ。平静に平静に。
よし。
「こんにちはっ!」
「えーっと、こんにちは……?」
待ってよ、こんにちはじゃない、私ちっとも大丈夫じゃないじゃん!
彼も戸惑ってるし。ああ、私のバカ……
「ぶ、部活見てたの?」
「ああ、うん。で、ちょっとスパイクとりに行こうとしてさ」
チャンスだよ、あゆい! 私の中の天使が叫んだ。悪魔は顔を真っ赤にしてふてくされてる。
よし、ついてけ。彼についていくんだ、あゆい!
「そうなんだ」
はい、むりでした。やっぱり臆病者です。私にはやっぱり彼とどうにかなろうなんて……
「一緒に来る?」
「いいの?」
「いや、だいたい同じ陸上部だし」
やったやったやった。
私はガッツポーズを心で上げると、自然と笑顔になり、彼の後ろにくっついた。
今日は、良い日。
教室のロッカーから、戻るまで、いろいろ話した。
受験が大変だったとか。大学では何するとか。将来の目標とか。
でもやっぱり、陸上の話だった。出てくるのは、短距離仲間とミナミちゃんの名前。
悔しい。あなたの声で私の名前はない。
ドキドキしたり、勝手に落ち込んだりしながら、グラウンドに着いた。
「おーコハルー! サボってんじゃねーぞ!」
「休憩だバーカ!」
早々、陸上部名物が始まった。先輩と後輩の口喧嘩。
でも、見ていていがみ合ってるようには映らない。もっときれいなものに感じてしまう。
なんだよ、もう。見せつけられてるようで嫌だ。好きな彼なのに。
「仲良いね、ミナミちゃんと」
「違うよ」
「ううん、本当に羨ましい」
こんな嫌味じみたことまで出てくる。
「それより、スタートお願いしまッス」
「……わかりました」 陸上部の掛け声でお願いされて、私は制服のままだけど了解した。またブルーのまま、レーンの横に立つ。
クラウチングスタートの台に乗る二人。並んで目を合わせて、彼は不敵ににやり。ミナミちゃんはムカッと口をとがらせ、そっぽを向いた。
「位置についてェ」
よォい、ドン。二人して一緒に出たのに、ミナミちゃんが前に出た。
もちろん私は彼を応援した。
二年生の冬の大会でも、観客席から彼をこんな風に見てた。本当に好きになった、あの屈辱の日。
なぜだかわらかないけど、その場面が頭に浮かんだ。
一年生のままの不真面目だったら、結果は惨敗だったと思う。でも彼は頑張ってた。あんなに練習したんだから。
それでも、喰い付くのがやっと。
結局、彼は負けた。
しょうがない、一年の時散々バカやってたんだし。そう彼は笑ってた。
でも、私は見ていた。
その後、知らないうちにいなくなった彼を探した。人通りのない東通路に、彼は一人。
こっちからは、がっくりと落とした背中しか見えなかった。でも、汗よりも悲しみが染み込んでるようで。声をかけようとしたとき、彼は壁を叩いた。
彼に、笑う余裕なんてなかったのに。
悔恨に浸る彼を見ていて、気がつくと泣いていた。
帰りのバスに彼は乗らなかった。監督の制止を一喝して、彼は走って帰った。
「……ううん、頑張ったんだから」
彼の悔しさは、よくわかってる。
彼の努力は、よくわかってるから。
負ける要素なんて、ないよね。
出遅れた彼とミナミちゃんの差は、見る見る縮んでいく。
やった、勝った!
私はゴール先にいる彼の元へ走ろうとした。
でも。
「っしゃ、俺の勝ち!」
「僅差だっただろ!? 次は私が勝つから!」
終わった後、あれこれ言う彼が、叩くミナミちゃんがなんだか恋人のように見えて。
「やっぱり、帰ろ」
あっさりと踵を返した。
なんで、こんな嫌な自分がいるのかな。
もうすぐ会えなくなるのに、何もしない自分がいるのかな。
できないってのは、言い訳。
誰よりも好きなのに。
ついに卒業式。
私は今日で答えを決める。
彼がミナミちゃんを選ぶから、諦める。誰もいないなら、私は告白する。
でも、本当はわかってる。
私よりもミナミちゃんの方が好かれてるって、ミナミちゃんの影響の方が大きいって。
二年生になって……後輩じゃなくて……ミナミちゃんができたから。彼はあんなにも必死になれたんだって。
私は、知ってたんだ。
式が終わって、花道を過ぎると、途端に彼は慌て始めた。私は彼に近寄ろうとしたけど、遠ざかっていく。彼は卒業生の波をかき分けて、どこかへ行ってしまった。
声を掛ければ止めれるから。今のうちに告白して。
「イヤ、止まってよ」
自分でも信じられないのは、からだが勝手に動いたこと。
私は走って、走って。
でも探してもいない。三階の私の教室まで上がって、やっと見つけた。窓の向こう。グラウンドの、陸上部でよく使ったベンチのところだ。
急いで。急いで。
あなたに伝えたい。聞いて欲しいの。
好きって。
「うわ、うわわわわっ」
気恥ずかしい! でも、言いたいな。
あと少しだから。この角を右に入れば、すぐ。
「あ―――」
曲がる直前、角からミナミちゃんが猛スピードで飛び出してきた。真っ赤な顔だけど、抑えきれないような喜びの笑顔。
曲がれば、彼と、お互いに走って擦れ違った。彼は私を一瞬だけ見て、そして私の背後、ミナミちゃんを見つめた。
彼の顔は、とてもうれしそうで。
「ふられちゃったなぁ」
ミナミちゃんだよ、あゆい。
ほら、やっぱりね。
誰もいないグラウンドに呟いた消極的な言葉は、涙にも雑踏にも、そして後悔にも紛れて消えていく。
「少しくらい、振り向いて欲しかったかも」
それは、なんて消極的な―――