一人称はキャラなりきりの証し!?
私の作品……ほとんどが一人称で書かれています。
で、「切り取られた青空」では女性一人称に(ブログで日記を付けるがごとくスタート)したがために、相手方の亮平の気持ちやその後の事情が一切書けず、結局「切り取られた青空-いと-」を書くはめに。
大人の男の一人称なんて書けるのか? と当時は不安でしたけど、書いてみるとコレが結構楽しかった。
今ではたぶん、男性主人公の方が数は上回っていると思います(正確に数えないのがたすくらしいですけど)
それもこれも私のなりきりのなせる業。「いと」の結婚部分ではテンションをあげまくり、「遠い旋律」「指輪の記憶」「my precious」ではキャラに引きずられて体調不良を起こす。
なんだかなぁと思って三人称に挑戦するも、「満月に焦がれて」はそうでもないですが、「Parallel」は三人称の顔はしているけど、どう考えてもあれは一人称。私には三人称はムリなのかもしれないなんて昨今は開き直ってるかもしれません。「再び桜花笑う季」以降も一人称が圧倒的に多いです。
「オラトリオ」シリーズに至っては、ついに話によって語り部が違うという荒技に出てしまいました。
(でもコレ、ネットでは結構使われている技法ですよね)
私が一人称にこだわるのは相手方を謎にしたいからです。知ってて思わせぶりに伏線を張る技量がないもんですから、私は主人公と一緒に首をかしげて、一緒にネタばれの際ビックリしまくる訳です。
ただ、死にキャラをメインで書くとそいつに『呼ばれてしまう』らしく、本当に体調を崩します。それを見かねたリア友ちゃんの一言で「ハムケ~オジッ ハムケ イッソ」が生まれたりもしましたが。
来年マジで50歳になるので、あまり無茶をするのは止めようと一応思ったりしていますし、年なんでしょうかね、昔みたく根つめられなくなりました。(なんだか寂しい話になってきたなぁ)
今後もよほど何かの縛りがない限り、たすくは一人称で書き続けると思われます。