名は文を著す?
リア友雫ちゃん(ハムケをリクエストしたあの子です)に、
「コウちゃんって、どんだけ名前考えるんさ。」
と言われました。
彼女には最近、あまり長い物をかいてないのもあって、校了後すぐ印刷して渡す、取って出し状態なのですが、あとがきも楽しみにしている彼女にはブログの方を印刷して渡します。その「埋火」のブログあとがきに「心残り」と題して、本文中に書いていない亮平の子どもたちの名前を書いてあったからなのです。
名前を付けるのは好きかも知れません。「交響楽」でも、久美子の6人の子どもの名前を誰似にするかとかも含めて性格設定しながら、楽しんでつけました。
そうやって、子ども世代の名前はつける感覚。自分で言うのもなんですが、難読が結構ある様な気がします。
なんせPTAの子供会の役員の最初の仕事が新一年生児童の名前の読みを親に確認って時代ですから。別に意識してるつもりもないんですが、どうも今様の名前を付けようとすると、そうなってしまうみたいです。
で、親世代の名前はなんか降りてくる感覚。
一番降りて来たなと感じたのは、やっぱりさくら。冒頭のシーンでの自己紹介しながら、「(前略)オレ、45期の…(えーっつと、以前使ったのはあ行とわ行だったっけ、今回はた行ででも行くか…た、ち、つ…坪内)坪内…高広です。」
という脳内でのやり取りがあり、その後、高広が2歳年下だというのを確認した後、
「私は…(じゃぁ、今度はま行でっと…ま、み…三輪、三輪…)」
その時、高広が小さな声でさくらと囁いたのです。
「(あ、そう…さくらね、さくらっと)私は43期の三輪さくら。(後略)」
まるで台詞を忘れた役者に小声で教えられる感じであの子の名前決まっちゃいました。
で、さくらという名前に決まったとたん、すとんとストーリーの流れが全部決まったんです。
「パラレル」ではお坊ちゃまらしい名前をということと、(2009年の時点で)最後45歳になるという年齢設定で、(辰年になるから)龍太郎に。
「バニシング・ポイント」の博美は最初裕美だったのですが、お姉ちゃんが順子とそれっぽいのに、何だかクリスチャンっぽくないよなってことで、クリスマスの三人の博士から博美と執筆中に変更しました。実はあそこまで宗教色を出すつもりがなかったのに、どんどんと信仰につっこんだ話に引きずられていったのがその理由。
一番とんでもないのは、「満月に焦がれて」の桜木弘毅。イケメンをイメージする名前がコンセプトって、どうよ?!
皆さんは名づけ…どうされてますか?